2018年12月31日月曜日

かまいたち

タイトルクレジットの下水ながれこむドブ川にひっかかったバラバラ死体の腕。見事なまでに下水道な汚濁感。つづく死体検分シーンにしてもその立地なにやら下水道内の正体不明な地下にしかおもえず。おちる水滴の反響音さえきこえる。犯行自体が橋の上でしかおこなわれないのは真空切断機の設置とか効力の事情によるものだろうがバキュームカーのようなその切断機のフォルムはとにかくグロい。いずれにしてもつねにドブ川を背景に凶行がおこなわれるという点ではやはり下水道をつよく意識せざるをえない。鑑識が川底をさらうシーンはひとつのハイライトにもなっている。また現場に去来する野次馬全員を個々にうつしてその写真の束を夜どおし床にひろげて検分するシーンがあるが。これにしてもなにやら全然sri本部内とは到底みえず地下の巨大空間でおこなわれているような印象それにつづく暗室シーンにしてもだ。とにかくいろんな角度でアンダーワールド。地下とか下水道とかのキーワードがぬぐえない。そんな下水道映画な本作なのである。とどめは半地下のようなくらい喫茶店でのアロワナショーである。もうこうなっては下水道の巨大ワニである。なにもかも下水道下水道である。下水道はなにも垂直方向にばかり底がぬけているのではない。なんと牧の暗黒推理は犯人のはたらく町工場の裏庭が犯行現場へと水平方向に底がぬけてしまっていることをみぬいてしまう。そう町工場は。町は。すべては。象徴地下世界の最暗黒ターミナルに存在していたのだ。都市の地下を江戸川乱歩屋根裏の散歩者さながらにあみのめのような下水道をつたいいたるところのマンホールから神出鬼没する殺人鬼そんな恐怖をクトゥルー神話とはまたべつの暗黒絶対恐怖として宇宙的にえがいたそんな下水道映画の傑作それが本作だ。

2018年12月28日金曜日

かまいたち

怪奇大作戦全話中。白い顔。青い血の女。散歩する首。そして本作と。名作サイコをおもわせる作品。すくなくない。なかでも本作は犯人が出番もおおく主人公だがその寡黙さ。ノーマン以上に不気味かもしれない。くわえてその登場シーンにはあのどこかやすっぽいテレビライクな円谷特撮なじみのトリッキーな画像処理がなされておりより犯人の人間ばなれした印象をあたえている。その即物っぽさ。うすっぺらさのせいかラスト。野村の主観幻想のようにしてうつしだされるバラバラにされたマネキンさおり人形のトリッキーさ。でさえ叙情的にかんじられるほど。それをながめる犯人のさだまらぬ視線。そこでおわってもじゅうぶんにおそろしいのにさらにおいうつかのごとく。観念的シーンが。やすっぽく。やはりトリッキーな画像処理でつけくわえられている。黒目と白目のいれかわったさだまらぬ犯人の目のうごき。このフィルムを常用。タイトルバックとしサイコシリーズのようにオノマツオの連続サイコドラマさえできそう。それもオノマツオあきらかに人間ではなく東宝変身人間の系譜のガス水道電気につぐインターネット。超sfな第四のインフラ怪人として。そうまるでダークサイドシリコンバレーのようなあの町工場街。その闇の奥からうまれた。

2018年12月24日月曜日

三大怪獣地球最大の決戦

本作はなにかとキングギドラでかたられがちだがガメラにおとらないよいこのみかたモスラがすてきすぎる。ドラマ部分もまるで太陽にほえろのような青春刑事ドラマだ。あかるい作風がとてもよい。前作で親兄弟をころされみなしごに。でもくじけない。双子のうちでも微妙にちいさいほうだったくせにもうけなげでけなげでモスラ最高だ。ゴジララドンさえも戦災孤児仲間のように最後には崖のうえからみおくってさえいる。なける怪獣映画である。戦後史的にみればゴジララドンは戦争の恩讐をひきずっている。しかし本作でのモスラはそれをこえるようさとしている。まるで二人のくらい目をした傷痍軍人をはげますはだしのゲンのようでもある。故郷のインファント島も今はみるかげもなく荒廃。たよるものはなにもない。なのに本作でのモスラはただただ明快に暗黒の象徴キングギドラにたちむかう。そういえば本ブログ先日の。前作でのモスラ亡霊説。うらづけるような展開が本作においても用意されている。本作では金星人の霊が王女にのりうつりやはりキングギドラの脅威を予言おおくの人命をすくうのだ。なので本作でも前作の母モスラの霊のようにモスラには無名の無言の庶民めぐまれない子供たちみんなののぞみがよりそいたくされ応援しているといえる。この明朗さはうらをかえせばそれだけ戦災孤児や傷痍軍人といった戦後の薄明をえがきそこにうもれた闇をうきぼりにしているともいえる。だからなけるのだ。同時に本作はそれまでの核の問題も言及していないし自衛隊も後景にしりぞきおよびごしの安保的国防である。あてにさえしていないのだ。モスラは筆者のようにひよわな戦後民主主義の子供ではない。原初の子供である。だからこそ薄明なのだがそのぶんファンタジーにもあつみがでている。さてハリウッドでリメイクされる本作こうしたおもいもふくめてのぞみ期待したいとおもう。

2018年12月23日日曜日

モスラ対ゴジラ

本作はそのタイトルからさも二大怪獣対決物にみえるがシリーズのゴジ逆そしてキンゴジとは完全にことなり実に斬新な変則物そしてその冒険的姿勢は成功なかばだが先進性においてとんでもないくらいすばらしいものそうみたほうがよい。本作なかなか解釈がむずかしく本ブログでもけっこうたたいてホコリをだしてきたがホコリができってしまったのかとんでもない本作の正体ここにきてみえてきてしまったからだ。それはつまり。ズバリ。ジュラシックパーク。怪獣観光地帯ハッピーセンターその興亡史。ゴジラの進行ルートも干拓地から離島まですべて広大なハッピーセンター敷地内とみなせばよくそしていかに本作がジュラシックパーク系なものであるかがそうすることでてにとるようにわかろうかというもの。ただ問題となるのがもうひとつの怪獣地帯そうインファント島である。そこで筆者はこうかんがえた。モスラはすでにしんでしまっておりインファント島もしずみただいっかくモスラの墓がのこされているのみと。そうすることで怪獣地帯どうし印象がかぶることなくハッピーセンターへと集中することができる。卵をかえせとの成虫の初回飛来だがきづかれることなく森の中に突然いたというあのシーンは筆者どこか幻想的でとてもすきなシーンなのだがあきらかにへんだしおかしい。あの成虫の姿は小美人がつくりだしたテレパシーであろう。そして再飛来のさいのゴジラの卵からのひきはなし。あれはやはり小美人のサイコキネシス。そう本作でのモスラ成虫は亡霊怪獣だったのだ。

2018年12月21日金曜日

美女と液体人間

なんともいびつに健全風な科学者とキャバ嬢の青春物語なこのかんじ。もしかしたらまともなストーリーなのは。冒頭ギャング三崎が謎の発砲音をのこし下水道にながれさるまで。そこまでなのではないだろうか。そこまででスタイリッシュなフィルムノワールとしての本作はすでにおわってしまっているのではないだろうか。あとは三崎のいまでは液体人間になってしまいその残存意識すらとおのきつつあるいかにもこころもとないシュールな三崎のゆれうごく主観視点なのでは。表現主義とはうらがえったキッカイなロマン主義なのだから。フィルムノワールとはそうした表現主義のうえになりたっているものなのだから。あくまでもいまここにいない三崎を主人公とした屈折しまくった。けれどムチャクチャかっこいいフィルムノワール作品。それが本作。なぜこんなかんがえにいたったかというと。あくまで筆者超個人的意見だが。東宝の特撮としてみたばあいどこかハタンがひどすぎるのだ本作。でもなぜかチョーひかれる。あのドゴラやラドンやオール怪獣大進撃のあのかんじ。もしかしたらこれこそがゴジラ第一作にはなかった。円谷というより本多監督の。あの成瀬監督にちかい。変すぎる。モチアジのマックスなのでは。ゲージツなのでは。そう。いやにあの無機的に側溝にながれこむ雨の夜の冒頭シーンがながくながくかんじられるし意味深すぎるのだ。陰鬱なギャングとしての人生ではなく新進の若手科学者の人生をいきなおそうとでもしているかのようにみえるのだ。すべてはなかったことだったのである。刑事物の側面といい幽霊船物の側面といい大炎上といい反核モードといい全部バラバラでベタすぎる。まるで脈絡のない薬物トリップ風景としかいいようがない。そうするととってつけたようなあのラストの。博士の。液体人間とは放射能時代へのあらたな人類の適応であり進化である。というオフでのセリフ。あれがまとをえてくるのだ。ふにおちるのだ。そして三崎にとっておおいなるすくいの言葉ともなっているのではないだろうか。たぶんに皮肉的かもだが。そういかにもあわれな人生をおえた三崎というチンピラ。そう本作の主人公ミサキとはガス人間ミズノ以上に実に実に魅力的なズタボロまけ犬ダークヒーローだったのである。以上液体人間感情移入できないとひょうされがちだが不満をもらすまえにおもいっきり感情移入をこころみた結果筆者えた見解。結論。本作ヒッチコックのめまいやサイコのような超実験的フィルムノワール。

2018年12月17日月曜日

シン・ゴジラ

フィルムノワールそのノワールは闇というより薄明である。暗黒映画とやくされるが暗黒大陸ならばアフリカだろう。つまり新大陸。それはかつてのアメリカ西部であり南部である。亡命天国魑魅魍魎妖怪怪獣ばっこするところ。ベトナムもそうであろう。沖縄も中近東もか。広島もそうである。だから枯葉剤や原爆が躊躇なくつかわれた。そして効果をまるで異星のように調査した。モロボシダンとアンヌである。はだしのゲンである。全南部化した全アメリカに登場したトランプももはやゴジラにすぎない。いまや全世界が暗黒大陸化してしまった。本作ラストによって巨大冷凍ゴジラ樹そびえる東京は日本はまさにその暗黒大陸の象徴といえる存在となったというしかない。だろう。いや超理性の宇宙人やaiからみれば暗黒惑星か。いらなくなったら躊躇なく絶滅しにかかるだろう。その墓守役が矢口であり巨災対である。かれらは悪か善かそしてかれはヒーローなのかダークヒーローなのか。ただのゾンビなのか。いまなぜか世界からの観光客が増大している。オリンピック。万博。いや911で暗黒大陸とかしたからだ。本作見事なポストコロニアル時代のフィルムノワール。ポストとは反ではなく汎である。

2018年12月16日日曜日

サイコ

フリッツラングとかとともにフィルムノワールのパイオニアだったヒッチコック。でもラングやオーソンウェルズのような芸術的フィルムノワールをものにできずにいた。そこでワンシーンだけを芸術としようとしてダリとくんだり。芸術ではなく空想科学的フィルムノワールならとれるんじゃないかと鳥をとったりした。そんなフィルムノワールのマスターピースへのこころみのひとつが本作である。革命的実験的ワンシーンによってフィルムノワールをこえるフィルムノワールをものにしようとしていたのである。まるでキューブリックのようなはてしなき上昇志向である。で。本作で導入したのはなんとアニメーション的感覚。そうあのシャワーシーンは今ではよくあるストロボでのスライドショーギミックあれとそっくりなかんじなのだが。しかしそんなものとくらべてはならない。なんと本作のそれは音響とのコラボふくめ極限まで洗練されデザイン化されている。だからそれはもはや最新感覚のcgアニメをみているような感覚さえみるものにあたえる。鳥では円谷的特撮を。そして本作では手塚的アニメを。と。すさまじいまでにはやすぎる。そのジャポニズムサブカル要素導入。ぶっとんだポップ感覚である。キッチュ感覚である。もはや人間は二次元の無生物としてあつかわれている。いやゲームのアバターだ。だから本作のこのシャワーシーンはきわめて80年代的スプラッターきり株ムービー感覚にみちみちている。やはり本作こそナイトオブザリビングデッド悪魔のいけにえその両作品を用意した直系元祖である。といわざるをえない。

2018年12月14日金曜日

地獄1960新東宝

本作と吸血鬼ゴケミドロそしてウルトラqガラモンの逆襲にはうれしい共通点がある。これらすべてきわめてすぐれたダークヒーローをかいしている。ダークヒーローたるもの主人公であってはならない。しかしただたっているだけで主人公をくってしまうたたずまいがある。そして男なのか女なのか。そうフィルムノワールでいうところのファムファタール運命の女の要素がなくてはならぬ。運命イコール薄命である。そう悲劇的な最期がえがかれる。薄命は薄明にもつうじる。幽明境をことにするかんじ。いきているのかしんでいるのか。このはっきりとしないかんじがみるものをひきつける。同監督は後年いきている小平次でこれをよりつきつめる。いまでいうところのlgbtな役者も適役だ。ピーターとかジュリーとか傷天やバンパイヤ時代の水谷豊とか。本作の沼田曜一はすばらしい。一転ガラモンの逆襲ではあいすべきトラック運転手だ。しかしどこか非日常をひきずっているのでダークヒーロー義那道夫との対決がひきたつひきたつ。本作でも天知茂のいかにも厨二な主人公。二人のあやしい関係性は本作を完全なる青春怪奇映画にしている。そう断言する。ゴケミドロも吉田輝雄がどこか天知してて厨二っぽいので高英男のダークヒーローさをきわだててた。

2018年12月7日金曜日

自給自足の達人

ナントカの達人の回って結構あったような気が。シリーズか。あまりにもな荒唐無稽さトンデモ回に心地よすぎてついウトウトでの試聴。ゆえにTVerでのネット再視聴を敢行。便利になったものである。無料である。期間限定である。自居に録画機能もない。テレビすらもっていない。中古スマホでのワンセグ環境のみ。そんな筆者である。さて。冒頭がすばらしい。山の中の銃による殺害事件だからか。反体制組織やカルト教団の内輪もめとかがうたがわれてでもいるのだろうか。やたら鑑識の数もおおく上空にはヘリ。この無意味なスケール感。ワクワクさせられる。典型的なヒトケのなさフル活用の今シリーズ一話のような。おなじみの山の事件。うめたりうめられたりの連続。ワクワクする。しかしそれがどうしたことだろう。まるで現地は京都府警の裏庭のようなちかさ。さもなくば科捜研は捜査のためにテレポート装置さえ導入したのであろうか。いやマリコの特殊能力か。マリコさん足はっやってなアミちゃんセリフが超イミシン。そんなかんじ。すごいワクワクさせられる。スピルバーグもびっくり。それにしても村人全員がライフルを所持しているって。とても害獣対策とはおもえない。ここはツインピークスな不穏な不穏なアメリカの恐怖村かよ。ショカツもへったくれもなさげな広域捜査はまるで宇宙パトロール隊である。容疑者コンビの元caは宇宙飛行士である。それが今では正規軍と反乱軍とへとなかたがいし。一人は反文明の辺境惑星にすみ。そう。一人はブログ惑星の女王。そんなかんじのその後の少女宇宙戦士たちの仁義なきたたかいズブズブ少女漫画。とか。そんなかんじでいいかんじ。取調室のうちっぱなしのコンクリート壁なんか。まさにそういうかんじ。

2018年11月29日木曜日

ガメラ対大悪獣ギロン

本作。その主役だがシリーズ中ほかの作品。それらにおけるガメラだったりーの少年たちだったりーのというのとはちょっとちがう不穏な空気が充満している。これはとんでもないことである。そういえば対ギャオスや対ジグラにはそれっぽい健気な女子大生がでていたようにおもうし大魔神シリーズでは健気女子は鉄板だが。そう本作の主役は宇宙人女子ふたりバーベラとフローベラ。その名前のひびきからもわかるようにちょっとトウがたってはいるが設定はあきらかに少女であろう。そう本作その彼女たちの。メルヘンである。少女漫画である。宝塚歌劇である。ボーイズラブならぬガールズラブジャンルである。こんなのはシリーズ中のみならずすべての怪獣映画においても異常事態だ。ふつう怪獣ものといえば男の子を対象にしているものだが本作はぜひ女子にこそみてもらいたい。そしてどうかすきになってもらいたい。ネット上で女子のそんなかきこみがいつかみれることを夢みる。そう残念なことに男でありしかも小二病の初老のオッサンである自分には本作正確な評価がくだせないただもやもやするばかり。もし自分にショコタンのようなオタクな娘でもいればぜひみせてみて感想をあおぎたいものである。少女といえば物語の導入も円盤であやまって宇宙の彼方に実の兄と外人の恋人をうしなってしまう健気な少女からはじまる。彼女とにかく無事をいのる。どこまでも健気なのだ。星に願いをなのだ。メルヘンなのだ。そして主役のふたりの宇宙人少女たちだが人類滅亡後ただふたりいきのこり氷河期せまる惑星テラからの脱出を夢み身をよせあうようにくらしていたが。はたせずハカナクかなしく死んでゆく。そんな少女版楢山節考のような残酷お伽噺作品。もうガメラでもなんでもない。テラといえば地球テラへというsf少女絵漫画もあったがそんなかんじ。とにかくこの女子ふたりが名演技だし物理的にも登場時間が異常にながくほぼでっぱなし。で。やはりどうみても主役としかおもえないのだ。

2018年11月26日月曜日

続・猿の惑星

本作は猿映画としては完全に失敗しており今みると猿惑シリーズ随一のトンデモ編もしくは番外編とうつる。しかし第四作の征服とならべた場合その意味と弁明うきぼりにならないでもない。そうまるでポジネガの関係。たしかに征服での人類のえがかれかただが生体実験とかロボトミーとかどこか偏執的で本作のテイストをのこすしまた本作でのゴリラ侵攻これも実にちゃっちくなってしまってはいるが征服での暴動とおなじ次元事態であろう。そしてなによりテレビ放映のさい核のおそろしさを子供たちのわれわれ世代たちに第一作とたてつづけようしゃなくつきつけて初見時トラウマ化させたという点では大成功している。つまりノストラダムスの大予言系絶望映画。それは本作がホラー映画の手法をとっているせい。そしてだからかsfかつホラーとしてはかなり冒険的こころみすぎて中途半端はいなめない。しかし新大陸暗黒時代の魔女がりや白人至上主義秘密結社な薄明の裏アメリカ史っぽい陰湿さはとにかくエグい。これらを征服は克服し傑作たりえている。そう閉鎖空間ドラマとして地下世界が本作ちょいちゃちすぎるのだ。だから征服はそれをロケとした。それもゾンビのように現実在の巨大モール街を利用。本作での地下街。それは怪奇映画になくてはならないゴシックな洋館の役目をおうものだろう。もしこれがロケで。たとえば廃坑を利用したゾンビ続編死霊のえじきのようだったら。死霊のえじきのように成功していただろう。ミュータントはゾンビというより完全にドラキュラである。これはこれでなかなかゾンビにはないヌメッとしたエロチックさでよかったが。そしてなによりテイラーつまりチャールトンヘストンの存在感。彼が大人の事情で主人公となりえずまるで最後にすべてをもっていく超ダークヒーローヴァンパイアハンターヴァンヘルシングたりえている点。いずれにしても第三作の新をやはりトンデモアクロバチック続編な。シリーズ随一の現代アクション編とするならばやはりアクロバチック続編である本作ももっとシリーズ随一の静謐レトロなあじわいの古典的ホラー編として評価すべき。ミサシーンのヤバすぎるオーメンそのものな音楽は絶品なんだから。

2018年11月23日金曜日

フリマアプリの達人

今期シリーズ主役が絶妙に脇役化してきていると前にかいたが今回の本作は子役主役のフリマアプリなる独裁aiに翻弄される大人たち出品物生産の奴隷労働をしいられる子供たちモンスターペアレントは文字どおり人間ばなれのモンスターな見事に童話チックジュブナイル作品。これにはおどろかされた。タブレットがまるで魔法道具のようにあらわれたりきえたり。真犯人とその動機もまるまる童話に登場するわるい大人そのもの。終始どこか地に足のつかないような浮遊感。クライマックス。リアルフリマ会場でのスラップスティック場面。ゆるキャラまでもがシュールに浮遊してたりさえして。冒頭どことなくティムバートンっぽい人工的な照明が気になったがナルホドそういうことだったのか。

2018年11月17日土曜日

着ぐるみを殺した声

おぞましいオバハンたちにこづきまわされるようにしてパワハラされるイケメンたち。かれらの側へとよりそうようにして事件を解決へとみちびく万年天然理系少女マリコ。この構図があたらしい。さて今回の主役はヤンヤンなる不気味な着ぐるみであろう。ゆるキャラをきっかけに現実社会を不気味に侵略しつつ感のあるモフモフ。殺人トリックそのものがその着ぐるみ中身のいれかわり。街中を徘徊しても警備員にもあやしまれない。そんな着ぐるみ天国の現代。三次元を侵略する二次元。なにより不気味だったのが科捜研本部の大テーブルによこたえさせられまるで司法解剖でもされるがごときの画角でとらえられるヤンヤン。さらに誰もいない本部を幽霊のようにさまようヤンヤン。中身はマリコ。またもそのホラーキャラがシュールに炸裂。

2018年11月13日火曜日

ガメラ対深海怪獣ジグラ

ゴジラ対ヘドラと同年の作。でしっかり海洋汚染も同様に踏襲し。ともに宇宙からの来訪者なのだが。ヘドラ以上にその存在が生命体としてはかなり難解というか複雑というかイイカゲンというか。そのトンデモ生態。よくいえばクトゥルーっぽいともいえるが。みずからの頭をホラー洋館によくある剥製の壁かけのようにして円盤のロビーの軒先に鎮座しておられるのにはまったくおどろく。ごていねいに蜘蛛の巣までからみつかせ。ほぼ新春かくし芸大会のハナ肇かよ。ジグラ星人。それよりなにより本作ジグラが。個性的な怪獣ばかりのガメラシリーズのなかでも永遠不滅なのはジャンル的にサメ映画ともとれるそのフォルム。三段背ビレを水面に波だて。おそってくるのだからこれはこわい。で本作あのジョーズ2ににている。ジョーズ2。じつにただしい怪獣映画パート2のありかただった。ホラー映画から見事なまでに子供むけ怪獣映画へとかわっていた。シーテーマパークが舞台なところがまずおんなじだし。そしてともに筆者のガキ秘密基地ゴッコ魂に点火。かつおおいに満足させてくれるところ。ジョーズ2では無人島探検とばかりにイカダとヨットで沖というがすぐそこの送電島までという子供らしさ。本作では。たどりついた無人島が絶海でもなんでもなく鴨川のチョイ沖。ホームレスと遭遇。怪奇大作戦24年目の復讐をおもわせ迷作いや名作の気配濃厚。で御当人のガキは絶海どころかタイムスリップまでして過去の島にまできてしまったとまでいっている始末。この日常の冒険化のハナハダシサ。このユルサ。自分も。高校が造成地の新設校。掃除時間。校庭のうちすてられた長靴をひろって。横溝な。伝奇探偵ゴッコにふけるような奴。まさに中二病ならぬ小二病。なので。みているこちらをジグラジョーズ二作ともなんともメタフィクショナルかつシュールな気分にしてくれる。そんなハッピー映画。いや映画ハッピー。追伸。壊滅した世界のため人類は鴨川シーワールドに避難そこをおそうジグラむかえうつガメラなのだが。だからなのか普通。海を画面にいれる陸側からの構図なのだが本作とにかく海側からのシーワールドをつねにはいした構図ばかり印象にのこる。怪獣映画としてはスゴく変。やっぱりディストピアsf映画だからか。

2018年11月11日日曜日

一滴の血

血の池地獄があるのなら血の雨地獄だってあってよいはず。主人公はじつはすでにしんでいる系の作品としておもいっきりたのしめる世界終末風景ものの本作。ここにえがかれている東京っぽい都会はすでに地獄界なのだ。ゆききする雑踏は亡者たち。豊田商事なバブル時代を猛烈に皮肉っている。そうこの世界。おしゃれきわまりないが。白黒だし。水のしたたる音が終始。空間に反響してて。とにかく変。うり手市場の好景気。地獄には今日も履歴書が大量におくられてくる。60年代は例のあのボーリング工事音だった。あれもじつに不穏だった。異界だった。本作の無人のブティック風景は60年代のあのウルトラセブンアンドロイド0指令やあの白日夢の作中の無人デパート風景につうじている。無機的である。そう地獄にちがいない。ディストピアにちがいない。いやもしそうでなくてもラストカットのこの直後。血の大雨がふるのだとすれば。その終末風景たるやハンパないだろう。冒頭すれちがった雨もふってないのに傘をさす女。主人公だけが半狂乱で皆。平然と傘をさしてあるく。その伏線か。どこぞのカルト宗教の布教pv。汚染物質が大気圏にふきだまり赤潮ならぬ赤雨そんな環境破壊ノストラダムスの大予言系終末パニックトンデモ動画。としても。充分かつ最強といえよう。そう本作。個人的収集ジャンルであるところの。そう例の。下水道映画でもある。みつけたぞ。ここにもあった下水道映画。嗚呼。素敵な地下世界万歳。ディストピアsf万歳。ところで怪談新耳袋には佐野史郎が演出したカセットテープというのもあって。丸尾末広の漫画。電気蟻そのもの。80年代ジャパニーズニューウェーブバンドの当事者としては。本作もふくめ。怪談新耳袋。以外なところからのわすれかけていたオルタナロック魂その映像化はうれしいかぎり。

2018年11月9日金曜日

土門刑事の女

土門刑事主役回。わかかりし日のアウトローな熱演ぶりがかなりよかった。今のちょっとつかれたかんじがそれとよく反応し見事な土門ハードボイルド回にしあがっていたとおもう。ファムファタール運命の女として登場する昔の恋人役。苦労人の薄幸なかんじもよく。まさに哀愁の土門刑事とおにあい。よってその死もきわだつというもの。この二人。出番もおおく。しっかりメインにすえられてるのはホント好演出。そのぶんマリコのトラさん化にはおおいにわらわせられた。同時になにかかなりおさえた演技になっているのも印象的。そこんとこ怪奇大作戦の三沢回での牧のようでもありさすが。前回が犯人三人組メインのマリコホラーキャラ全開回だとすると今回。ストレートにマリコのギャグキャラが前面に。そして脇にまわっているそれもそれ以上のなにかがありそうで不気味。そういえば初回は所長がその人間性全開でメイン。やはりマリコ脇っぽかった。今期はこんなかんじでいくのだろうか。でもなんかやはり嵐の前のマリコ脇役化のようで不穏さがただよい目がはなせない。

2018年11月1日木曜日

首都消失

後半の破綻のしかたが前線基地テント作戦シミュレーションへとまとまってしまうとだいたいサンダ対ガイラやゴジラ対ヘドラのようになってオタク御用達自衛隊映画のレッテルをいただきがちにおもう。それはそれでよいのだが世界大戦争や日本沈没のような正統派大作映画的感動はうすい。たしかに前半のポリティカルフィクションを後半もつらぬくのはかなりむずかしいだろう。しかし先日の曼陀羅の岸田森のようにキャラしだいではドンキホーテ的哀愁アメリカン傑作ニューシネマ感をかもしだせる場合もある。そうたとえばピーマン白書。そうネタ的トンデモ映画になるまえにいさぎよく男涙のズタボロ映画とひらきなおればよかったのだ。そこがなにやら80年代のこうした映画が70年代のものにまけるゆえんなのではないだろうか。いまや前半の集団ディスカッション劇部分だけを安全志向でうけついでそこでおわってしまっている映画のなんとおおいことか。さて本作でのズタボロドンキホーテキャラはというと。渡瀬でも山下でもない。盲目のストリートロッカー松村冬風である。元一世風靡。山下になぐりたおされ雷雨のなか感電死必至でエレキをかきならし尾崎風バラードをうたう姿はいまや完全になかったことにされているリモートジュンスカなどの原宿系ストリートロックのズタボロさをいまにつたえてあまりあるみごとさ。みずからホコ天ライブを経験した筆者はもう涙。石野陽子らアイドル風味もあって本作じつは金八第二シーズンにおとらぬストリート系学園危機一髪ならぬ首都圏危機一髪ものの大傑作。

2018年10月29日月曜日

曼陀羅

内乱あれる京都の山奥では日本妖怪の末裔たちがほそぼそと自給自足の村をいとなんでいた。そんななかなぜか西洋妖怪王ドラキュラが現代によみがえりかれらを先導。血こそすわないがやはり男色smレイプ死体愛好など悪徳のデパートたるドラキュラだけあって最新式のドラキュラ城を建設。村を王国にし日本を征服せんとドラキュラ城をラブホテルに偽装。そこで金と人をえんと資本主義の罠をはる。ラブホテルは全室監視カメラ完備で客のあらゆるデータを収集可能そのポストモダンな内装とあわせおおきく時代をさきどり。ある日学園闘争からドロップアウトぎみのつかれた若者男女4人がラブホテルをスワッピングで利用。しっかりドラキュラの罠にはまる。難をのがれたふたりのうちの女のほうが村へとさらわれころされたことでのこされた男はがぜん吸血鬼ハンターとして覚醒。村にのりこむとドラキュラの妻をその性技でおいつめる。結果ドラキュラは村そのものをけがされたと村を放棄。ここからが主演岸田森の独壇場で芸術ポルノなホラー映画の世界は一気にアメリカンニューシネマなズタボロ青春映画の世界へとシフトチェンジ。海上の無人島をめざしオンボロ船で沖にでるも嵐にあい全員しんで元の浜にうちあげられる。永遠不滅にこんなにも魅力的に時代おくれなドラキュラの悲哀をだせるのは世界ひろしといえども彼岸田森しかいないだろう。結論。本作番外編ながら血を吸うシリーズ最高傑作。ちがうか。ところで吸血鬼ハンターくんはというとラブホテルを勝手にうりはらい真剣を手にいれるとやはりドラキュラの魂がのりうつった政治家をテロしに新幹線にのって東京は国会議事堂をめざす。続編に期待。ちがうか。

2018年10月26日金曜日

ウルトラマン夕陽に死す

qの一の谷博士。マンのイデ隊員。セブンのアマギ隊員。エースの梶隊員。ウルトラシリーズにはマッドサイエンティスト一歩手前のようなレギュラーの系譜があることをわすれてはいけない。では帰ってきたウルトラマンにおけるそれは誰か。岸田隊員ということにはなってはいるがどちらかというと郷の対立者といったイメージのほうがつよい。そう坂田健である。プリズ魔の回ではそのマッドサイエンティスト一歩手前キャラが全開でもはや怪奇大作戦の牧史郎そのものだった。わすれてはならないのが本作の冒頭。マットビハイクルのスタビライザー開発シーン。じつにじつに印象的かつ唐突だ。そしてなによりも敵のナックル星人が宇宙人というよりも完全にマッドサイエンティストとしてえがかれているという点。そしてさらには坂田健の死。ということは本作とはじつは地球人宇宙人二大マッドサイエンティストの一大闘争とみることができる。その結果の正義のマッドサイエンティストのじつにダークヒロイックなシニザマ。だから本作はだんぜんおもしろいのだ。感動するのだ。本作。ゴジラ第一作由来のマッドサイエンティストものの王道中の王道の伝統の遺伝子が怪奇大作戦同様しっかりとうけつがれていた。

2018年10月23日火曜日

ウルトラの星光る時

とにかく帰ってきたウルトラマンのよいところはヒーローがめいっぱい人間くさいところにつきる。だからこそ弱点とさだめそこを宇宙人がついてきた。でも帰ってきたウルトラマンはそれでよい。たたかうことがへたなあいすべきウルトラマンでよいのだ。帰ってきたウルトラマンはたたかうヒーローではない。そもそも帰ってきた。なのだ。では。なんのために。そもそも帰ってきたウルトラマンとは。もはやその時点でお盆に帰ってくる先祖の霊っぽい。よわきゆえ神にあいされ奇跡をまねきいれる。そんなイケニエ的存在なのだ。そもそも初代とセブンは今回なんのためにかけつけてきたのか。いっしょになって戦闘力でもって敵とたたかうそんなことのためではなかろう。星をつくるため。こころみだれたウルトラマンがみうしなった指針たる星。そう。そんな星。ウルトラの星。それはつまりハヤタもダンも本作でのあの制服姿。筆者の目にはどうしてもしっかり英雄的戦死死者としてうつる。死者。聖人。伝説的存在。つまりいちはやく星になってしまってひさしい存在。その星たることを郷に人類に再確認させるためにいまこの世にふたたびあらわれた。坂田兄妹も制服こそきてはいないが立派な英雄的戦死だったのだ。なにかそれは潜伏キリシタンを正式におみとめにやってきたローマ法王をおもわせる。それは崇高であると同時にある意味とてもかなしいことでもある。なぜなら奇跡は慰問はいつも差別を無視を惨禍を前提としているからだ。本作もそんふうに。しかしだからこそ。坂田兄妹の英霊をしっかりと星へと昇華させることができたのもおなじ星たる初代とセブン。ハヤタとダンだった。ということがかたられているのではないだろうか。かなしみはかなしみでこそこえうる。結果。郷の魂は浄化された。最終回。次郎くんはウルトラの星がみえるようになる。そのウルトラの星の郷自身による。みうしないと再発見。それこそが今回かたられているテーマなのではないだろうか。郷に自身をみせたい。ただそれだけのために初代もセブンもかけつけたのではないだろうか。たとえ亡霊であっても。そうじつは鎖をきったのはウルトラマン自身。それだけのことでありそれでよかったのだ。復讐心によってではなく奇跡とよぶしかないような神聖なるなにものかによっての世界の浄化。怪獣にたおれた初代とセブン。宇宙人に惨殺された坂田兄妹。彼らこそが郷の。そしてさらしものにされたウルトラマンをみせつけられた都民の。そしてテレビの前のよいこの。それら魂を浄化し地球をすくった。そんなふうにおもえてくる。じつは帰ってきたウルトラマン。ほぼ同年の東宝映画日本沈没にその心性すごくよくにている。かなしいけれどそこがなによりも感動的だ。十字架にみずからかかってくれたキリスト。のように。本作。クリスマスとか聖母的な女性のありようとかがあきらかにドラマに希望の色彩をあたえている。死と再生。クリスマスとはなんだろう。ふとかんがえさせられる。それは人間としてうまれおちた神をいわう日。でも神が人間としてうまれるということは人間としてしぬという運命をせおわなければならなくなるということでもある。クリスマスとはそういうかなしさきびしささえ内包した日ともいえるわけだ。郷はこのイブの夜。次郎を人類をまもるためしぬことを覚悟したのではないだろうか。ここで前回のあのショッキングな屋上からの投身自殺型変身ポーズも意味をもってくるのではないだろうか。あれがあきらかに肯定的なものだったと。最後にかなしさということでいえばみせしめひきまわしさかさはりつけのウルトラマンの姿にはなんともキリシタン迫害めいたものを筆者かんじざるをえないのだがどうだろうか。

2018年10月22日月曜日

ウルトラマン夕陽に死す

マカロニウエスタンのような非情さが全編をおおっている。たたかいにやぶれたウルトラマンがまるでみせしめのひきまわしのような格好で鎖につながれ上空を旋回させられている。まるで必殺仕置人をみせられているようだ。全体のノリもそれっぽく敵の宇宙人の人間体も特殊部隊のようだしクライマックスも危険物輸送などととにかくハードボイルドタッチでおしとおされている。土管やプレハブの点在するぬかるみの造成地。しずみゆく夕陽。そこでまるで中学生リンチ事件のようになぶりものにされるよわよわしいウルトラマンの姿はかなしいをとおりこして陰惨ですらある。坂田兄妹の惨殺シーンも度のすぎたドキュメンタリータッチで。いきなりはなねとばすし車からつきおとすもひっかかりしばらくひきずられる。シーゴラスべムスターとの戦闘シーンはとくに印象的だ。風がふきぬける音ばかりが耳にのこりこの世のおわりそのもの。そしてなんといっても坂田一家を病院にのこしでていくときの郷の表情。顔の片側だけにあてられた照明のなかで復讐にもえた狂気にもちかい目だけがギラギラとかがやいている。直後。屋上から投身自殺のようにして変身するシーンはもう涙なくしてはみれない。

2018年10月21日日曜日

吸血地獄

ドラマなのに突如バラエティのようになる番組ムー一族。バラエティ中の再現ドラマ。ならぬ。その逆をいっていて異彩だった。そこでおもいだされるのが。本作。さながらあの川崎さんと山本さんのアフタヌーンショー。実録。元外交官不審死その後。指名手配の養女はドラキュラの末裔だった。そんなかんじにもろアフタヌーンショー。司会は川崎さんならぬ的矢所長。そして現地リポーターが山本さんならぬ牧。野村は突撃カメラマンといったところだろう。本家ももともと特撮づいたキャスティングだったがどうだろう本家におとらずのワイドショーなキャスティングになっているのでは。あのニーナの吸血顔のどアップ。まさに野村カメラマン渾身のスクープ映像だ。このように本作。ワイドショー的な不思議な空気がいたるところに。ほかにも昨今の青少年薬物問題や当時廃止直後の売血制度をスタジオならぬ本部でディスカッションしたり。外交官妻つまりニーナの義母への訪問インタビューがあったり。ととにかくシュール。いったいなんなんだこの回は。いや怪奇大作戦という番組そのものも。でもそれも自然。おどろくにはあたらない。だって怪奇大作戦。ネタがなくなるとすぐに的矢三沢名コンビによる温泉旅番組に。それどころか。京都買います。などはjr東海のイメージビデオそのもの。

2018年10月20日土曜日

殺人音楽隊

犯人が死体をせおい山をのぼり渓谷から無慈悲に谷底へとなげすてる。この感覚がすきだ。たとえば。すると死体は下流へとはこばれそこで発見される。捜査は上流へとおよび谷底の不気味な村へとおよぶ。そんなふうにもなれるからだ。ところで今回もおもしろかった。なぜなら表面的には音楽ものにおもわれるが。じつは。定番の山岳殺人もの。だからだ。山には大学のワンゲル部の出先部室とか今回のように音の問題で街中では不都合な音楽部の練習室および楽器倉庫などがある場合がおおい。ほかには山中湖畔の音楽スタジオなど。はたまたアダルトビデオの屋外撮影隊とか。ここをじつにうまくついている。だから山岳殺人ものだといっているのだ。人里はなれた施設内でのこじれた人間関係からの殺人風景。その寂寥感がかなしい。アダムとイブから。えんえんつらなる。悠久の。ふかい。人間の原罪がみえかくれする。

2018年10月18日木曜日

扉の先

逆プラシーボ効果といったところだろうか。オチはみえみえなのできらくにかかせていただくこととしよう。薬も先入観で毒とかわる。そう。ただの移送を執行とかんちがいして発作でしんでしまう死刑囚たちの悲喜劇。たしかに単純なプロットではある。でも。それはそれとして。個人的に主人公役の役者なのだがアウトレイジの印象がつよすぎて本作もアウトレイジシリーズそのスピンオフとかにみえてしまう筆者。笑。死刑執行人役の温水洋一氏もとても不気味ないいかんじ。とにかく本作。個人的になんといってもすばらしいところは世にも奇妙な物語ならではのスタジオセットおよび美術につきる。どことなくヒョウキン族のセットにもつうじる演歌の花道チックな独特のやすっぽさ。わざとらしさ。ホラーというより志村けんのだいじょうぶだぁなコントを連想してしまう。だいじょうぶだぁ。先日もやっていたがとにかくセットがいい。つづいてほしい。だからこそよけいにシュールがかんじられ頭がよい意味で混乱しプチトリップさせてもらえるらしい。しかしそれよりなにより本作。ひさしぶりの個人的ライフワークジャンル。下水道映画の存在をおもいおこさせてくれたことに感謝。舞台設定まるで拘置所刑務所にはみえない。不思議な近未来強制労働水道施設のよう。だからこそよけいに屋内シーンのすべてが上記したセットの魅力のおかげもあって。とにかく不気味な下水道にしかみえない。そう彼ら坑内作業者っぽい。そこのところがホントすばらしい。ライフルをもった看守といい近未来ディストピアsfなかんじにあふれている。

2018年10月16日火曜日

留守番電話

女優の旧式のアンドロイドっぽさと留守番電話というやはり旧式のガジェットのとりあわせがマッチしていて妙なサイバーパンク感がある。とくにガード下の殺害やら公衆電話ボックスのきたなさがそれをあおっている。なにせ声を自由に何とおりにもかえられるなんてアンドロイドにきまっている。多重人格のサイコ女による自作自演それにひっかかった男の不幸なる。定番と解釈されている本作だがネタバレされてしまうとこのようにそういうとらえ方だけではおもしろさが半減してしまうようだ。なのでそっくりのアンドロイドとしてその後の展開を想像してたのしもう。ターミネーターのように。10分にもみたない超短編だからこそのたのしみ方だし普遍性ではないだろうか。

2018年10月13日土曜日

眠狂四郎 人肌蜘蛛

烏だらけの不気味な森をぬけ母の墓まいりにと寒村をおとずれる狂四郎。墓守の老人はかたる。里はあれはて民は奴隷化したと。その領主の居城。まさに硫黄谷の底ふかく崖にはりつくドラキュラ城かアッシャー家というおもむき。すむのは近親相姦めいた兄妹。兄はちょっとマッドサイエンティストな狂気の毒物マニア。界隈は毒か硫黄泉に汚染され。そのせいか気の毒にも妹のほうは血をみないと頭痛がするという謎の業病をやんでいる。まるでフランケンシュタインとあわれな女吸血鬼コンビである。ここまで脇が強烈だともはや主役はくわれ単独作番外編のおもむき。独立した時代吸血鬼ものとしてたのしめる。かなしい兄と妹の悲恋心中物語としてもかなり重厚だ。狂四郎は三角関係エロ相手役の狂言まわしへとよい意味でなりさがっている。本来のダークヒーロー大活躍な時代劇。本作に期待しないほうがよい。あくまでも怪奇映画としてたのしんだほうがよい。けれどただの怪奇でおわらないところが本作の。本シリーズの。市川雷蔵のすごさである。強烈なニヒリズムがすべてをのみこみ後味のわるさをすべてラスト一瞬のクールネスでふきとばす。ネタバレになるので一言。江戸からの隠密が鍵。

2018年10月9日火曜日

輪廻の村

30分にもみたないが起伏にとむスペクタクルな脚本は。まるでダイジェスト。逆に急展開ぶりが。スリリングかつシュール。なにげに主人公が絶叫美人風で大根なのも。b級ホラー的ポイントたかし。ところで本作なにより感心したのは村人の数のすくなさ。前世の復讐をちかった者が都会からひきつけられるようにまるですこしづつ飯場のようなこの村にあつまってきたのであろうことがしのばれる。その設定が実によい。輪廻の村というより殺人者の村のタイトルがにあいそうなほどにハードボイルド。すべてはあのあれはてるにまかせた墓地だけからはじまったのだ。墓石もなくまるで工事現場か造成地。そのなげやりなそのかわききった荒涼さが実に心地よい。そのおかげでしめった横溝くささがまるでなく。ゾンビ村やドラキュラ村のような風情に。

2018年10月6日土曜日

マタンゴ

欲求充足型社会か不安除去型社会か。目のない海亀の標本をみつけるシーンがある。方向感覚機能を喪失し本能がこわれた状態の。それは核実験の放射能の影響のサンプルだった。どっちが先なのか元なのかはよくわからないのだが。あの世界残酷物語。それに登場し卵をうんだ後。海へとかえれず陸側へ陸側へとさかのぼり太陽の熱で乾燥死してしまうあの海亀。あれと非常に酷似しているようで気色わるくも印象的。だから。海鳥さえさけてしまうようなこの島。なのに。このそんな奇形海亀だけは上陸そして産卵している。その不気味さ。更にそんな海亀の汚染卵を平気で食し。それどころか高額で取引までしてしまう船員くずれ。船員のこの生へのリアルへの執着の描写はすごい。そしてそのリアルな船員くずれと女をうばいあう事になるのが。ドリーミーな流行推理作家。このチーマーとオタクのような対立の図式。それはそのままベトナム志願兵かヒッピーか。更には核戦争派かドラッグ宗教派か。今でいえば。リア充かネトゲ廃人か。311をふまえると。原発ジプシーかラノベ作家か。そのどちらに人類の将来をみるかにつながっていそう。結果として。船員はいちはやく銃弾にたおれ。作家はやはりいちはやくマタンゴの虜に。いかにも象徴的かつ対照的な誰よりもはやい二人の最期だった。しかしそれよりも何よりも誰よりも。唯一の生存者かたり手である新進気鋭の若手イケメン心理学教授。彼のラストでのあの顔。放射能の影響なのかマタンゴ胞子の影響なのか。が一番こわい。現代人の内面の真の姿をつきつけてくる。本作。東宝変身人間シリーズ番外編とされているが。むしろ。日本沈没ノストラダムスの大予言そんな東宝トンデモ絶望sfハチャメチャ終末パニックサバイバル路線。その大元祖大原点。

2018年10月4日木曜日

クモ男爵

蜘蛛にかまれた娘は気がふれてしまい森の奥ふかくおどりながらまよいこみ底なし沼にはまってしんでしまった。やがて娘はよみがえると沼からはいあがるも既にその姿はおそろしい蜘蛛へと変化していた。かなしみのあまり気がふれた父親は蜘蛛の娘とくらすうちに。みずからもすこしづつ蜘蛛へと変化していったのではないだろうか。沼は超自然的な能力をゆうする。魔としてえがかれているのではないだろうか。その霧の成分が人をして狂気たらしめ死者をして蜘蛛に変化せしめる。以上をしっかりふまえると。本作。登場人物達のその後がひどく気にかかる。たしかに蜘蛛は退治され無事にげのびたにはにげのびた。でも沼におちた二人にはしっかりと沼の毒がすくなからず影響していたそれをわすれてはならない。一人は熱にうかされ。もう一人は意識なくオカリナをふきつづけた。そうではなかったか。ここには。さいわい一時的ではあったが。沼の。人を狂人たらしめる能力がしっかりとあらわれていたといわざるをえない。それだけではない。蜘蛛にかまれたとも推察できる詩人。彼のその後となるともっと気にかかる。彼は後に蜘蛛へと変化したのではないだろうか。もしかしたら灯台で所員をおそった蜘蛛は彼なのではないだろうか。冒頭だけ現在事象で。タイトルあけからはその蜘蛛になった彼が。蜘蛛の脳で。今の蜘蛛の身の上をうれい。きっかけとなった過去の事件を回想したそういう描写だったのではないだろうか。もしそうだとするとこれはこわい。

2018年9月30日日曜日

吸血地獄

怪奇大作戦中のとにかく異色回。ニーナというドラキュラ家の末裔をおうドキュメンタリー番組のよう。もしくはワイドショーの再現フィルムのよう。だからかドラマとしてはスカスカ。最後のナレーションがすべてといってよいようなやすっぽいつくり。まるでワイドショーの司会者のようなくちぶりでニーナの義母にインタビューする的矢所長。それがまたよくにあっているのだ。町田警部も途中降板し今回だけの代役へとバトンタッチ。牧と野村にいたってはもはや別人役で今回はただのちゃらい旅の若者。岸田森のそんな演技とニーナのとってつけたような吸血鬼姿は今回の尋常ならざる異色回ぶりをものがたると同時に見事に成立させてしまっている。ということで。こうしたやすっぽいつくりだからこそなのだろうか。ドラキュラなんて時代おくれのナンセンス。その末裔にいたってはただそのへんの不良少女の末路とおなじといわんばかりなのだ。だからよけいに末裔たる者のさびしきフェードアウトがかなしくきわだつ。さらにそれをアンチゴシック怪奇なモダン科学犯罪系怪奇ドラマの一本として放送するという皮肉と悪意。暗黒世界の高貴な血統も現代ではわすれさられるばかりなのか。こうした皮肉なテイストは宇宙時代の現代にあらわれた時代おくれなサンタクロースの怪人という氷の死刑台の回にもみられたようにおもう。そんなふうにして怪奇大作戦。異形の怪人をとりあげた回はやけにものがなしい。燐光人間とか。水棲人間とか。で。そのなかでもこの吸血鬼の末裔の最期はきわだっていて筆者とにかく偏愛の回。そういえば映画マタンゴもラストシーン。大東京。真夜中のネオンとボーリング工事音をもってして。暗黒のキノコ怪談をただの一狂人の戯言と一笑にふするような。皮肉全開でおわらせていたっけ。

2018年9月27日木曜日

おとし穴

前半と後半のトーンがぜんぜんちがう。前半はおもわせぶりな清張ミステリー調でドキュメンタリーっぽくも格調もたかい。だが後半完全に破綻崩壊しやはり炭坑を舞台設定としたあの暴動パンクロック映画バーストシティ爆裂都市のほうへとドリフトそのトーンもよりコンパクトに狂い咲きサンダーロードをおもわせ破滅後の近未来世界をおもいっきり疾走するハチャメチャ終末sfになる。廃坑をポストチェルノブイリ的な近未来荒廃汚染世界とおきかえてからそうおもってみていただければちょうどよいくらいかもなかなり若気のいたった暴走気味映画かもなそれがじつは本作の正体だろう。とおもう。それくらいアナーキーなエネルギーにみちみちている。ミステリーのつもりでいると。後半。刑事新聞記者らはやたら大挙するがことごとく無能だし。そしていつの間にかいなくなる。駐在は糠味噌くさい御用ききかよな間男にいきなり変貌するし。特撮全開で無人とおもわれた炭住ことごとく幽霊だらけの村だったことがあかされるし。みずからのミステリー文法をいきなりことごとくこわしにかかってくる。なので。めんくらうことになる。からだ。事件にしたって当局か本社が対立する労働組合をつぶすための陰謀として第二第三の傀儡の組合をでっちあげたり第三国風工作員をおくりこんだりして内紛をおこさせもろともにともだおれさせようとしているようにもみえるが結局のところ誰の目からもすべてにおいてなにがなにやらなのだ。工作員ぽかった犯人のベスパの男もしまいには異星人にまでみえてしまう始末。同士うち共だおれな戯画的人類絶滅後。無人の駄菓子屋の菓子をひとりじめにできてもただただむなしいひとりいきのこされた少年。それと死肉をめあてにどこからともなくあつまってくる丘のうえの野犬。その群の影だけ。それらだけがやたら印象にのこったそんなトンデモ映画だった。

2018年9月26日水曜日

マタンゴ

とにかく本作を最大に魅力的なものとしているのはなんといっても舞台となる廃船だろう。その閉鎖空間宇宙はみごとなもので本作全編を気品ある極上の古典的ゴシックホラーたらしめもうこの時点であのエイリアン同等もしくはそれ以上の名作を約束されたようなものである。きりたった崖にかこまれその裏にかくされたようになって広大にひろがる沼か湿地帯のような入江。そこに累々とよこたわり半身を泥にしずめているそこは船の墓場。船全体気色わるい黴がそのすべてをおおい鏡はそのすべてを撤去させられてしまっている。むせかえるような亜熱帯。鏡は撤去されるまでもなくつねにあたりにたちこめるその生ぬるい霧がいつもその表面をくもらせるのでどうせつかいものにさえならなかったであろう。なんと不気味なことであろう。なんとオッサンばかりの都会の安サウナのような息さえつまりそうな鬱陶しいその気配なんだろう。このダークコズミックな闇の力は半端このうえなくその極彩色の人工都市夜景とあわせ淫夢のようで幻覚のようで疾走する東京の電波ディストピア近未来sfとしてさえも本作そのかたりくちふくめ成立しているその事実そのこと筆者もはやホント舌をまくしかない。

2018年9月25日火曜日

霧の童話

本作。実はよくあるシックスセンスな既にしんでいた系。老人と幽霊の子供達だけの村。若者達は既に大半が村をすててでていってしまっているかまだ村にのこっていたとしてももはやうりわたしにかかっていてうりわたしたその金を元手にでていく事を平気でかんがえているような奴ばかり。幽霊の子供達といったのは既にラストの鉄砲水での全滅は約束されていたし鉄砲水がおこらなくてもいずれにしても幽霊の神通力なので子供達の姿は消滅していただろうし小学校の過疎にしてはあまりにもおおすぎるその数だしまちがいなくそのおおくは幽霊か座敷ワラシめいた人外な物だったにちがいないそうおもえてしまうからだ。また主人公の少年のあまりにも地蔵に心をよせすぎている様も不気味でやはり座敷ワラシっぽいしラストカットの地蔵のかたわらで所在なげな作業服の老人あれはどうみても幽霊っぽい。なぜこんな風に大幅にかんがえなおしたかというと落武者を自作自演した面々よくみなおすと皆ほぼ老人と年齢設定されているのがわかる格闘の際には更にそれがよくわかるそればかりではない主人公の少年がワンシーンだが無表情で真夜中に三沢の車中泊の所にたずねくるシーンそんな不気味なシーンがあった事をおもいだしたからだ。あともはや自前都市伝説のレベルだが実は本作まるごと三沢はとっくに前話までにしんでいてたとえば青い血の女の回とか本作の体験は三沢の死後の世界そんなドラマなのではないだろうかともかんがえさせられたりまでしてしまうのだ本作は。そうかんがえるとあの三沢だけが一人部屋にとりのこされるさびしげなシーンやけに腑におちるのだ。

2018年9月24日月曜日

燃えろ栄光

本作。典型的な悪徳プロモーターがふたりもでてくるしゴシップあさりの記者たちもうじゃうじゃ。そうカタギの人間はわれらがウルトラqレギュラー三人組のみ。ハードでソリッドなアスリート競争社会を内側からそのカケヒキにのみ焦点をしぼり極端にダークにえがく手法のいわゆる悪徳スポーツ芸能界その内幕暴露もの。ギャングの業界をえがくものが暗黒街ものとすれば。これはボクサーというまたショービジネスというやはり過酷なダークアスリート社会をえがきそこに珍獣信仰をちょっと黒魔術的にホラー風味でトッピングしたフィルムノワール作品だ。突如おきた大スキャンダル大スクープ。連戦連勝のボクシングスター選手失踪事件そりゃ八百長疑惑もおころうというもの。はてはどさまわりのピエロにまでおちぶれ。以上が大人の目でみた世界。しかしそのかげには子供の目にしかみえない世界もしっかりあって。怪獣ピーターがつなぐ元ボクシングヒーローと万城目の奇妙な男の友情があり。これがまたかっこよく。かわす気障な台詞の応酬もハードボイルドだし。公害企業のたれながす廃液ながれるドブ川になげすてられたコーラの瓶なんて。すこしづつすこしづつしずんでいく。その様子。まるで。チャンピオンの身の上だし。妖精からおそろしい公害怪獣にまで変貌させられた珍獣ピーターの身の上だ。沈黙がかがやくこのなにげないこのシーンこそ。しずかだが本作最大のクライマックスだったのではないだろうか。

2018年9月22日土曜日

悪魔ッ子

積木くずし以上エクソシスト未満のホラー一歩手前なsf ではあるが同時に立派な怪奇映画である。オルゴールのミニマル音楽がそれっぽく。のちのこれ系洋画でおなじみとなる一連のサントラのテイストをはやくももちあわせているところにはひどくおどろかされる。女の子がほしがっていたネックレスがいつのまにか女の子のオルゴールのなかに。そう。もち主の中国女は女の子にいつのまにかころされていた。それもなんの嫌疑もかけられないようなしに方で。だろう。そんなことが暗にしめされているこのシーンこそ本作のなかで一番こわい。あと基本的舞台設定が小屋がけした劇場なのもオペラ座の怪人のようなゴシックさをかもしだしていてやはり立派な怪奇映画となっている。

2018年9月21日金曜日

三つ数えろ

本作sf作家が脚色したからか登場人物がやたらワープして話が難解なことで有名だがそれだけではない。主人公だが探偵のくせに拳銃は携帯せず。かわりにさも銃とはあくまで道具であるそうとでもいわんばかりに社用車と一体化させ日常から区別しているふしがある。それも尋常じゃないへんな美意識をおしとおした格好でだ。そう本来ならダッシュボードのボックスの中にいれておけばすむことなのにわざわざダッシュボードのしたにとびだし式の拳銃格納用スライダーをカスタムメイド。まさに少年雑誌のグラビアでいうところのコックピットのかくしボタンでとびだす秘密兵器そのものなのだ。ダサいとかいってはならない。こういう駄菓子屋っぽさをバカにしない。そういうのもハードボイルド精神なのではないだろうか。そしてその装置いかにも特撮していてやたらメカニカルかつメタリックでかっこいい。いざ敵と戦闘におちいったら一端車まではしり身をかわしのりこむやすばやくボタンをおしスライダーをとびださせ拳銃を手にする。わざわざのこのながれ。電話ボックスにかけこむスーパーマンやバイクにのりベルトバックルに風をおくらなければ変身できない仮面ライダー。そこにはそんなまるでかれらの変身シーンのようなかっこよさがある。つまり探偵が戦闘モードのヒーローへと変身するルーチンそれこそがこれなのだ。そのごミステリーゾーンとかのsf海外ドラマばかりをツベっていたらふるいドラマにぶちあたった。期待せずみてみるとまさにオープニングで上記の装置がでてくる。筆者だけがへんに注目してたわけじゃなかったのだ。しらべたら1959年のドラマで旋風児マーロウというらしい。

2018年9月16日日曜日

怨霊の謎

革命下のメキシコ。大統領が暗殺され旧政府の頭脳だった思想家が逃亡。思想家は修道院の地下に潜伏していたが。密告によって所轄の警察署長につかまりそうになる。まさにそのときであった。みえない何者かが署長を殺害。逃亡の罪のうえにさらに殺害の罪まできせられる思想家。事件の目撃者で。かくまってくれていた農夫も事件のショックから死亡。以前から修道院にはおそろしい幽霊がでるとうわさされていたからだ。さらに冤罪の決定的証拠となる署長の死体も政府側の陰謀からか。いちはやく火葬され思想家は絶体絶命。しかし幸運にもデスマスクがのこされていた。得体のしれない不気味なとむらい師の。怪奇な地下の作業所に。それはのこされていたのだった。そして。そのデスマスクなるもの。くっきりと。怪力による署長の顔の変形を刻印。それは巨人のものとおもわれるほどのおおきさの。手の跡。じつは修道院の地下はもともと生贄の古代儀式につかわれていた場所で。先住民族の巨人族の末裔とおぼしき。ひとりの巨人症の男までをもそこで生贄として殺害してしまっていたのだ。いきおいその彼はしっかり怨霊とかし幽霊の噂となるやさらに署長殺害の真犯人にまで。と。いうのがすべての真相。ただしかしこれでおわりではなかった。さらにこの主人公の思想家。国が革命をかさねるごとにときどきの大統領の思想的黒幕としてつねに暗躍。メキシコの裏の政治史に君臨しつづけた模様。ちょうどあの日本沈没の渡老人。のように。そしておどろくことに。とうの本人が存命中だということで。ドラマはいきなりワイドショーのようになり。そんなもはやその政界の妖怪めいた容貌をさらしゲスト出演すると。みずからその半世紀以上前の伝説にうもれた怪事件。その瞬間をことこまかくかたってさえいるのだ。ここまでくるともう手がこみすぎているは細部がもりこまれすぎているはで頭がくらくら。ためしにそんな思想家や修道院。巨人伝説や幽霊事件。メキシコをからめてググってみるも。全部でたらめのでっちあげ。

2018年9月15日土曜日

公衆トイレ

うーんもうこれみてしまったら公園の公衆トイレにははいれなくなりそうです。特に渋谷界隈の公衆トイレには。さて本作配信ドラマだからこその規制のゆるさが存分にいかされてます。それほど過激ではないのですがたしかにちょっとテレビではというようなきりくちだし描写があります。ビデオや映画作品としてもあまりないあじわいでネットホラーの可能性のようなものをかんじます。内容はというとビデオという魔テクノロジーが牽引するいわゆるリング系伝染ホラーなんですが。ただリングとちがって殺人シンドロームの発症の仕方が腹痛からというところがちょっとスマートさをよい意味でかいていてどこかまぬけでおかしく好感をもってしまいました。また全編取調室という閉鎖空間密室劇なのでやたらスタイリッシュでかっこいいです。このスタイリッシュさとダサさの微妙なバランス感覚は肉眼とカメラアイの微妙なバランス感覚につうじていて本作のあやうい魅力の大変重要な鍵になっているようです。渋谷怪談サッちゃんの都市伝説その中のかなり上位エピソードな第9話目なのでした。

2018年9月14日金曜日

バイパスの夜

タイトルからしてクールな。まぎれなきフィルムノワール。そぼふる雨。あまい焦点の。にじんだような画面。山間の峠での車中という閉塞空間。心中発話モノローグの応酬。トレンチコート。サングラス。煙草。対向車のヘッドライトによる光そして闇。雷鳴。稲光。犯罪。逃亡。不義。密通。復讐。そしてなんといってもフィルムノワールにはなくてはならない存在。ファムファタール。でも。彼。女。は。トランクの中。ウソかマコトか。いやはやおそろしい。原作は手塚治虫。手塚治虫にはもうひとつのブラックジャックともいえるミッドナイトなる無免許シロタクカミカゼタクシードライバー主人公のダークヒーロー漫画があるがそんなヤバいタイプのドライバーが本作の主人公だ。裏道速度違反もあたりまえに犯罪者の逃走などの片棒をかついだり禁制の品をはこんだり土地のアイマイ宿へ客を斡旋したり。また本作のようにいつ凶悪犯に乗車され被害者側にまわらされるともかぎらない。そんなデンジャラスでまさにクールな都会の深夜の闇がにあうフィルムノワールには格好の素材タクシードライバー。そんな主人公と逃走中のギャングの一騎うち一対一の心理戦。沈黙の中。はげしい雨音とカーラジオのニュース音が緊迫感をたかめていく。しかしそれは突然のあっけない幕ぎれをむかえる。

2018年9月13日木曜日

死者の復讐

いやはやなんとのっけからいくら重症病棟といえども。看護婦の態度もドライすぎるし。カーテンごしのうごく影もこわいくらいだし。といろいろめんくらってしまった。まるで野戦病院のようなあらっぽさ陰鬱さだ。で。つづきをみてわかった。本作。これってハードでソリッドなアニメ巨人の星のようにアスリート競争社会を内側からそのカケヒキにのみ焦点をしぼり極端にえがく手法の。いわゆる企業もの業界もの芸能界もの系だったのだ。ギャングの業界をえがくものが暗黒街ものとすればこれは競馬騎手というボクサーにもおとらない過酷なダークアスリート業界をえがいたやはりくろいノワールもので。そこにおきたある不思議な戦場怪談のような復讐エピソードをとりあげたというところか。悪女をめぐって男の友情がくるいはじめやがて復讐の応酬へと変貌していく。見事などすぐろさだ。そう女もふくめ一切カタギの人間はこの物語にはあらわれない。皆どろどろとした野心をかかえている。病院の看護婦でさえ。そうおもってみたら冒頭の野戦病院めいた乱暴さも納得がいく。もしかしたらこの。病院にしたって競馬業界で偉業をなしとげリタイアしたトップが収容される業界専門機関なのでは。表むきは優退だが内実厄介者あつかい。処理場としてのロートル収容所。そうしたちょっと近未来ディストピアsfの要素もはいっているのが本作なのかも。だとするとすごく納得がいくし全編興味ぶかく俄然おもしろくみれた。

2018年9月12日水曜日

かかし

匿名希望というところからこの恐怖エピソード。投稿者は指名手配犯人とか事情をかかえた者であるということがわかる。あえてそう断定する。そのほうが本作をおもしろくみれるので。実際上は鶴田法男氏脚本だが。主人公である少年時代の投稿者。マッチをかくしもっているところなどから。また山の中のあまり裕福そうでないくらしぶりなどから。少年はその後グレて都会へでて極論だがいまこの投稿者。犯罪者にまでおちぶれ逃亡の身の上だったりしているのではないだろうか。そしてふるえながら投稿採用され番組のこのオンエアをみているのではないのか。つい筆者そんなことまでふとおもってしまった。となるとけっこうふかい。ふかいのだ。現在の過酷な身の上だからこそなのだろうなぜか当時のこのようなことをふとおそろしくもなつかしくおもいだし投稿者投稿したのではないのかななどとおもったりもしてしまうのだ。本作ちょっと変則だがりっぱな神かくし物語である。火あそびのうしろめたさをかかえる少年が案山子のカタチをした異形の人さらいに異界の山の入口までつれていかれそうになりながらも咄嗟の機転と偶然の幸運からかろうじて生還するという。そんな冒険譚でもある。投稿者今現在の先のような身の上にてらすことで。どこか夢と願望と現実がないまぜになっている。少年が足をあらうという描写。目の前にいるのにどこかとおそうな郷愁さえまとった実感のとぼしい母親の姿。それらが異常なほど寓意にみちみちているようで。そう。たとえば。股旅物の主人公が凶状の旅の空でみた。ひどく幻想的で。不思議な夢のよう。でさえある。

2018年9月11日火曜日

霧の童話

村の入口で少年とであい少年と山羊をひろい旅の道づれに。とぼけた警官と村中をのろのろと車で捜査するあのかんじ。捜査官というより偶然とおりがかっただけの旅人のようなゆるさだ。車中泊なのだろうか深夜に本部と無線するシーンの深夜の雰囲気とか。とにかく本作。前半は全編sri社用車と三沢で不思議なドライブ感にみちておりまさに和製アメリカンニューシネマロードムービーライクな抒情があふれまくっている。そこがたまらなくよい。パリテキサスのようだ。三沢の庶民くささがきいている。牧ではこれはだせない。だから牧と町田が合流すると一気にいつもの雰囲気に。本作ちょっと変則ハードボイルドな。これも三沢編一流の怪奇大作戦版傑作フィルムノワールのひとつといえるだろう。

2018年9月6日木曜日

良心の呵責

世にも不思議な物語。そのなかの一本。閉鎖的な炭鉱町。みまわり中の巡査が倉庫の屋根裏で以前から行方不明のうわさになっていた女の死体を発見する。けっこう町で評判のあばずれだったのかも。まんまツインピークスのような雰囲気がたまらなくいい。そしてその死体発見の仕方がまたきわめて異常だった。そのため巡査自身が犯人とうたがわれ。すったもんだ。になる。たった30分の一話完結物だがみるほうが複雑化してみようとおもえばいくらでも大河ミステリーしてしまうようなつくり。とにかくちいさな町で顔みしりばかりの表面上は平和だが一歩ふみこむとそれぞれの事情と人間関係が複雑にからみあい。からみあい。からみあい。くらくらしてくるようなドラッギーさだ。製作意図は別のところにあるのだろうが筆者個人的には本作スモールタウンミステリーの小粋な雰囲気が存分にたのしめる。逸品だった。

2018年9月5日水曜日

白い顔

しろい顔という異装は中性的でありノーマンベイツの女装をおもわせる。そう本作はあのヒッチコックのサイコをおもわせる。めんどくさそうな男と女のオフィスラブではじまる。タイトルバックもスタイリッシュだ。女が車をとばす。表むきはちいさな町の名士の理想的な父娘。近親相姦めいた父娘関係がしだいにうきぼりになっていく。都会のオフィスから山の中の屋敷へという舞台の移動。この娘。週一で帰省しているようだが一人ぐらしではなかなか奔放なようだ。今回の事件をきっかけに一人ぐらし前のような二人ぐらしにもどり不自由な父への献身をみせるがたがいの疑念はピークに。そこへやはり疑念をもつsri二人がのりこむそんな後半。屋敷のそばにはやはり沼がある。地下室での格闘もおなじだ。ラストはしっかり警察につかまる。沼のほとりでなのはもしかしたら母親の死体が沼からあがったのか。本当によくにている。ただ本作においてはサイコの不気味なラストとはちがって。しっかり子供への教育的配慮がなされ犯人の犯罪的心理病根は克服されおわる。健全な親子関係にもどったそう暗示されたおわりかただったようにおもう。気になったあまい大映ドラマ調のbgmも最後にばっちりきまる。たださらされる犯人の素顔は子供にはちょっと衝撃的だった。でもそこには真の成長とはいたみがともなうといわんばかりなただ単にめでたしめでたしではおわらないそんな気骨もあらわれてそうで好感がもてた。そうなのだ。怪奇大作戦初期のエピソードはどれもがショッキングな描写をともなったが最後にはどれもがどこかにかすかなすくいをはらんでおわっていた。このバランス感覚がスタイリッシュだったのだ。モダンだったのだ。これはいまとなってはとても貴重なことで筆者個人的に怪奇大作戦初期を偏愛する根拠ともなっている。それが回をおうごとに描写がおとなしくなっていくぶん事件はあまりにもおもい余韻だけをのこすようになっていく。それはそれでよいのだがどこかシナリオ偏重で説教くさくもある。たしかに怪奇大作戦中盤の豊穣さには見事なものがあるにはあるが。それどころかさらに回をすすめればすすめるほどすくいなくたちきられるような不条理なおわりかたにさえなっていく。こうなると誰にもすすめられるエンタとはいいがたくマニアックなオーラばかりがましアートへと傾斜堕落したものとしかいえなくなる。あくまでも個人的意見だし当時のベトナムや冷戦の危機的状況からののがれられない闇かとも。そんなわけで立派だが何度もみてたのしめるというタイプものじゃない。だからこそ初期のエピソード群は偉大なのだ。そうあの映画サイコ第一作のように。ポップとかモダンとかそうした60年代のよさってなんだったのかをかんがえさせられる。

2018年9月3日月曜日

さらばウルトラマン

ある意味この原ウルトラマンの最終回はその不条理さという点では唐突な宇宙死亡事故をえがいた初回よりさらに唐突な死者のよみがえりをえがいているという点において。あのエヴァンゲリオンの最終回の不条理さよりも不可解な作品とさえいってよいとおもう。ウルトラセブンや帰マンの最終回とかの。感動編とかではなく唐突さと不可解さにみちておりウルトラqの真の最終回あけてくれと双璧だ。そこにすべてが手さぐりすべてが模索の黎明期のすごさがある。いきなりの円盤大群の襲来による突然の人類滅亡の危機といいほぼ全編警報サイレンなりひびく異常事態終末風景だし風船の中からあらわれる正体不明の完全無欠超生物宇宙恐竜ゼットンといいそのゼットンあっけなく一発の銃弾にて木端微塵といいその銃弾なにやら反重力量子分解レベルの禁断の超最終兵器ぎみだしケムール人そっくりの名前すらない宇宙人といいとってつけたような宇宙科学特捜隊隊長ゾフィーの出現といいそのゾフィー命ふたつ有すといいもはやすっとぼけて観客の我々子供達を小馬鹿にしているとしかおもえないくらいにレッドゾーンふりきれている。いくら予算枯渇による中断めいた大人の事情な終了といえどもだ。なにかスタッフのいかりすらかんじる。挿入される過去のウルトラマンの激闘シーンで上っ面の感謝と感動を捏造演出するもそのあまりの悲愴感そして話をそらそうそらそうとするところなどはまさにおいつめられたスタッフの底意地かつ往生際のわるさすらにじみでている。いろんな意味で本作の登場はその時点において大人のこわさをみせつけられたという点で空想特撮科学シリーズの大人級のクオリティーがどうのこうのをもはやこえ。ホラーである。放送事故レベルである。たしかに初回からすでにこの原ウルトラマンという番組。フジアキコ隊員によって必要以上にハヤタの事故が真にせまらせられたりしていてドキュメンタリーのようなホラーさがあったにはあった。しかしこと当番組本作のこの最終回時点にいたってはトラウマ級の悪夢以外なにものでもなく。不条理ホラーとしてきわまってしまっている。原ウルトラマンとはそういう番組だったのだ。事実筆者においても公開当時のリアルタイムでの視聴体験の際の実感はそうとしかいいようがなかったような気がいまさらながらのようにしているしだいなのだから。

2018年8月31日金曜日

夜に舞う女

前半と後半のカラーが極端にちがう一口で二度おいしいおもしろさをねらうタイプのドラマづくりなるものがあるが本作もそれにあたりそう。b級映画などによくつかわれこの手法ダメダメな作品さえそこに破綻の美学を強引に適用まるごと奇妙な味の物語としてとらえなおしたのしめてしまうのでb級ずきにはたまらない。重箱隅すぎる屈折したオタクな見方ってか。とにかくすてがたいのだからしかたない。前半とってつけたような怪奇エピソード月につかれたピエロならぬ死神にとりつかれたおどり子とでもいおうか実はころし屋とそれに加担する組織の女にすぎないのだが怪談っぽく怪奇に意匠されていた。おどり子の最期などちょっと怪奇大作戦っぽかったりもする。後半は後半でもろmjな麻薬組織との怒濤のアクション編。怪奇性の微塵もなくなるがセットや小道具の魅力で観客をひっぱるので特撮ずきにはやはりたまらない。いまでは組織にアジト化されてしまった秘密工場その地下につくられたのかそれとももともとあったのか。硫酸プール。ゴボゴボと瘴気ふきあげるサマももうショッカー基地かよってくらいベタすぎてうれしくなってしまう。セットもよくできていてb級感あふれる安物っぽさと薄ぎたなさ。何人もがこの怪物的硫酸プールにのみこまれてゆく。たのしくてしかたない。プロファイターep6。つづくep7にはあの天田隊長がマフラーまいたニヒルなころし屋役ででてくるのだがころし屋よそおってのmjの潜入捜査にしかみえない。

2018年8月30日木曜日

死者がささやく

前半は新婚旅行先熱海で遭遇する恐怖体験再現ドラマ風ホラー。そんな手ざわり。後半は探偵と依頼人の女が熱海の海をバックにくりひろげるハードボイルド調ミステリー。そんな手ざわり。見事なぐらいに二部構成に切断されておりその破綻の美学。一粒で二度おいしいb級フィルムノワールな出汁がしみまくってます。新婚旅行なんだから人目につかないさびしい所へ足をふみいれがち。奥まった入江とか。そこでの案の定の心霊現象。きわまってのうずまく血の海。でもこれ。地中海とかだったらさながらフェリーニっぽくもなったりしてそれなりにスペクタクルなのでしょうがそこは熱海。なんともな見世物小屋感におちついてしまってます。でもそこがまたよいのです。また後半は後半で。カリブ海一望な展望台にたたずむ探偵と依頼人の女。かたわらには大理石の噴水が。とそうはなりません。そこは熱海。なんともな児童公園のような水のみ場。でもそこがまたよいのです。で最後にはフィルムノワールにつきものの運命の女のせつない死といったものもしっかりと用意されております。車中ピストル自殺します。くだり坂の途中でってとこがしっかりサイドブレーキをいれての覚悟の自殺だというのがよくわかります。まただからつっぷしてクラクションがなったままに。これもまた悲痛でなんともよいではありませんか。そうここだけは熱海の農道のような道路のショボさが効をそうしてます。まるでアメリカンニューシネマであのファイブイージーピーセスやスケアクロウのような荒涼さです。予算対策の為の大人の事情なタイアップ路線が見事にはまった瞬間なのではないでしょうか。追伸。おなじ脚本家による青い血の女と本作。怪奇大作戦中二大傑作和製フィルムノワールとして筆者ながく偏愛するでありましょう。

2018年8月28日火曜日

美女と花粉

まずこの新東宝風のセクシーなサブタイトル。トルコ風呂という性風俗や若者風俗をしっかりととりこんでいるところはまさに新東宝。硫酸をかけられとかというおだやかではないところもまさにスパイのリンチかってなかんじで定番中の定番な表現。本作は小川さおり編サーボーの大冒険ともいうべきさながら千と千尋の神隠しなやはり大時代的な大冒険ファンタジーいや怨念ダークファンタジーである。新宿にあるソープランドビルの屋上おどろおどろしい私設植物園そこの城主うつくしい裏にみにくい姿をひめた美魔女いや魔美女。もはやこれは湯婆婆そのものではないか。彼女がつかう呪術は熱帯植物の花粉をもちいうつくしいわかい女性専門に土人黒人のような姿にしてしまい一瞬のうちにころしてしまうというおそろしいもの。このへんの黒魔術ブードゥーをおもいおこさせる雰囲気は非常におぞましい。そこに敢然と単身のりこむサーボーこと小川さおり。赤頭巾のようないつもとはちがうアイドル然とした扮装とアクションがこれまたダークファンタジーヒロインしていた。そうそう前にこれはサーボーそっくりのアンドロイドではないかとかいたが。たしかに誰ひとりさそいにおうじてもらえなかった牧がアンドロイドでもいいからと私用でつくってつかって結果捜査にまでってことなのかも。なにせあの蒸気のバルブをけちらすようなアクティブなアクションはとても人間技とはおもえない。笑。この空中庭園でくりひろげられる神話のような一大バトル下界はといえば退廃した若者達の生態がこれでもかというほどえがかれる。まるで近代的都市文化にたいして未開の土着文化が反撃の牙をむいたような図式。当時のベトナムの戦場のような惨状が不条理にもここ東京に再現されてしまったかのような禍々しさなのだ。最後にsri 本部にもちこまれた熱帯植物にしたところでそのフォルムはまるで空襲につかわれるなにかのbc爆弾のようそんな風にもみえる。こうした東宝映画ノストラダムスの大予言をおもわせる終末感。本作はじめ後期の怪奇大作戦にはそこはかただよっていて未だ充分こわい。同時にモルモットにマニキュアしたりしてとてもかわいかったりするが上記のような女性週刊誌的グロテスクがすけてみえ80年代的乙女チックのさきどりもしている。この80年代性は怪奇大作戦初期うりものだった人体破壊ショック描写につうじていてまさに集大成と豊穣をかんじさせてくれる。

2018年8月27日月曜日

素顔の美しい女

プロファイター第一話。外海にいつも濃霧をまとって幽霊船っぽく停泊している謎の貨物船が不気味。まさにフィルムノワールな雰囲気満点。毎回サブタイトルがなになにの女になっているところもイイ。表面的にはスーパーマン的体力知力な007調オシャレスパイ物だがしっかり主人公はじめ去来する人物は正義側も悪側も裏街道の出なところをかんじさせ皆どこか陰がある。ありふれた日活無国籍アクション調もしくは東宝ニューアクション物にもみえるが新東宝国際ギャング物な世界観をしっかりのこしていてなかなか貴重だしあじわいぶかい。ドキュメンタリーのように異常にながいモーターボートでのチェイスシーン。しかしそのおかげで悪女になりきれなかった運命の女ファムファタールの最期がひかる。出あいの時のキッスとわかれのキッスが対になっていて船上での大人の男と女がつかのまの恋でなかせてくれるではないか。敵のボスというか幹部も結局本部である貨物船にはたどりつけなかったしたすけもこなかった。正体不明の謎の巨大組織はいつも冷酷非情なのだ。ふんする木村功とその情婦根岸明美がまたよかった。木村海におちただけなのにはずみでとまっていたはずのモーターボートのスクリューが回転したのだろうかまきこまれての悲惨な最期。というかなんかそれっぽい後味のわるい意味不明な描写。根岸のかわききった最期も。なかなか陽性にみせておいてしっかりダークなところは一見にたような80年代産トレンディ刑事アクション物などとはしっかり一線をかくしている。そこがまたなんともよい。そして貴重だ。さすが無印mjの名エピソードをいくつもてがけた監督だけある。戦え。になっての無登板が残念。たしかにフィルムノワールな男と女の刹那の機微をえがくには30分では無理があるってか。しかしそれをやってしまっているのが怪奇大作戦なのである。おそるべし。

2018年8月25日土曜日

散歩する首

エンディングクレジットタイトルバックのノムとサーボーの夜のドライブだが。たんなるcmスポンサーとのタイアップミニサービスシーンにすぎないかも。だがよくよくかんがえてみたりすればしたで冒頭事故る本作主要カップルの夜のドライブと対になっていることにきづく。ということでこれはこれ。もしやノム事故るのでは。そんなスリルとサスペンスを強引にみずからいいきかせもりあげたうえで視聴にのぞむこともできそう。そして最後になにやら婚約したのかこのふたりくらいな異常なもりあがりのなか皆にむかえいれられる。あまりにも不自然。なにごとがあったのかとすらさえおもわせられる。そして大理石の首におどろくというプチオチ。そうかこれは無事到着の祝賀だったのか。まオシャレなそんなプチオチ。といえばいえなくもない。そんなこんなで本作は無関係っぽいおもわせぶりニセ伏線的雑エピソードやタイアップシーンがきらめくがごとくにちりばめられていて。みかえせばみかえすたびに目眩さえしそう。しかもそれらが破綻なく手際よくまとめられている。まさに東映ノワール古参の職人監督らしいさすがの演出回。

2018年8月22日水曜日

海底原人ラゴン

元祖テレビ版日本沈没といったところか。田所と小野寺をかねそなえたようなヤクドコロのイケメン博士が島の危機をうったえるが住民はきかない。そんななか原人さわぎが。万城目はここでもちょっとエキセントリックで。沈没よりも原人のほうに興味津々なゴヨウス。で一気にインスマスでホラーな作風に。でも大丈夫。しっかりとイケメン博士の妹が原人も人類もともに沈没の危機にさらされている。ちっぽけな深海の異人さわぎに右往左往しているばあいではない。そういわんばかりに地球生命愛にみちた慈愛の姿をみせやはり兄妹を中心とするスケールおおきな日本沈没バナシへと話をもどしてくれる。とにかく映画級なスケールをじっくりとたのしみたい。そういう意味でも本作は総天然色とするより本作ふるきよき日本映画のようにしてたのしむことができる本来のモノクロ版を筆者個人的におす。あのテレビ版日本沈没もどうせなら怪獣や怪人をだせばよかったのに。本作のできのよさをみているとけっしてマイナスにはならなかったそうおもう。

2018年8月15日水曜日

さらば愛しき人よ! 最後に届く奇跡とは!?私、背中で魅せます

義母と娘のブルース。俺と悪魔のブルースのようなタイトル。悪魔ではないが娘と奇人の物語。ちらみしていたドラマ。ここにきて実父しんで女の子もいっきに女子高生。義母もなにやらマイナーチェンジ。喪の描写が尋常ではない。ギャグなのか。意図的なのか。のこされたふたりがはなればなれにならないよう実父がのこした奇跡だという白と黒でドレスアップしての家族での記念撮影。冗談ではなく実行されたのだ。こうおもったからだ。もしかしてしんだのは実父ではなく義母と娘のほうなのでは。実父だけのこし世界が破滅したのでは。よりかたい絆をきずけるように漂流教室のように義母と娘は冒険へとたびだてさせられたのでは。滅亡とまではいわないまでもタイムスリップかパラレルワールドかおきたのでは。義父はいまひとりこの世界の荒野をサバイバルしている。まさに死後の世界にあるような不思議なパン屋。妖怪めいた店長。デブがイケメンに転生再会告白の青春ファンタジーなながれ。とにかく真夏の夜の夢のようなよくある連続ドラマの突然変異的迷名エピソード。そんな演出になっている。とにかく原作よくしらないので一本の独立した作品としてたのしませてもらった。

2018年8月13日月曜日

砂の上の宝

まずとある犯罪グループの金塊強奪系のクライムムービーとして本作をみてみることにする。そうすると死の谷の洞窟にしつらえられた秘密基地風。なにやらそこはかとb級感おび屈折した特撮心くすぐられる。フィルムノワールとしても一気に二人が惨殺。開放型密室としての荒野の特質がよくいかされしっかりと完全犯罪としての殺人がダークにえがかれこのあたり意味もなくなぜかミステリーとしてもりあげられててさすがというか異様。さて同時にこの犯罪グループ。リーダーが天才科学者であり。物語も一種のマッドサイエンティストsf。人工冬眠装置の手順を説明するところなどロケット発射時のようで管制とのやりとり秒よみかよな緊張感でこれまたしっかりsf。以上前半までだが。後半はがらりと作風もかわり心理劇風に。例のよくある砂漠サバイバルがねっとりじっくりえがかれる。ここの気もちわるさは特筆もんで本作を只者じゃなくしている。色々あったがマッドサイエンティストが未来の路肩で気のふれた浮浪者として一笑されかたづけられただのたれじぬ。この虚無感無常観はいかにもモンスターの最期のよう。にもみえる。そしてラストのおしゃれな未来カー。このあかるい造形デザインが逆にまた皮肉で。それまでの悲惨さリアルな生々しさをより逆なでする。もしくは。この未来カーにひきにげされてたりしたら。THE RIP VAN WINKLE CAPER The Twilight Zone

2018年8月10日金曜日

罪ぶかい追放者のむれがふきだまって自然発生したようなあしき歴史しかもちあわせていないようなアメリカ開拓時代の荒野のはてのちいさな町。墓と絞首台しかないような町だし絞首台のむこうにひろがる荒野もまるでどこか漠然としカキワリのようにみえる。日本でいえば戦国時代野武士同士の戦乱にまきこまれるのを戦々恐々とばかりしてふるえているような臆病人ばかりの村といったところだろうか。たとえば笛吹川や楢山節考。七人の侍などいるはずもなくましてやシェーンのように夕陽のガンマンのようにスーパーヒーローガンマンが風のようにやってきてはのさばる悪党を退治すると風のようにさるなどまさに絵空事とうていありえない。実も蓋もなくそんな現実をつきつけてくる。そこにすむ若者だってどうせ性に悶々とし退屈な日々の生活のなかくらい眼ばかりぎらつかせているのだろう。そんな町でそんな若者の一人が酒をあび馬車を暴走させ少女をまきこんでしまった。そんな若者を絞首刑にし観覧するぐらいしか娯楽もなく他にはといったら胡散くさい行商人のもってくる日用品に実益と退屈をまぎらわせるくらいしかないそんなどこまでもすさみきった住人たちばかりの町。いかにもポーやブラッドベリの小説世界そのものな中世的暗黒度はまんが日本昔ばなしレベル。本作。そんな町でおこったある日の素敵な出来事もしくはちょっとよいおはなし。いやいやそんなわけにはいかない。そんな町でおきたんだものなにやら後味のわるいどこか腑におちないそんな話になってしまってる。近代以前物語以前。口承ホラーな。ほのぐらい。感覚ばかりが。ごろりと。なんのイキモノかシロモノかもわからないかのように。ただなげだされている。ミステリーゾーンいやトワイライトゾーン。まさにミステリーにすらなっていないトワイライト。薄明をえがいたダークファンタジーならぬトワイライトファンタジー。薄明のほうが暗黒よりも不気味ということか。

2018年8月8日水曜日

超常現象

西部劇のようなちいさな町白昼空から石がふってくる。もうそのシュールな映像気配だけでやられてしまった。ディランのウォッチタワーをおもわせる黙示録のかわいた世界観が最高。どこかほのぐらいクトゥルー暗黒神話感にもつうず。おまけに後日談のようなペテン師話もくっついてきてこうなるともうブラッドベリさながらもしくはやはりディランのサイケ詩さながらドアーズのセカンドアルバムジャケットさながら黄昏の宵闇のむこう側からくるったサーカス団さえ町にやってきそう。本作世にも不思議な物語なるオカルトオムニバスドラマシリーズのなかの一本で当シリーズなのだがやはりオカルトドラマ事件記者コルチャックのようによくできているのにコルチャック同様きわめて不遇にあつかわれてひさしい。双璧のミステリーゾーントワイライトゾーンのようなキャッチーなsf臭がないからか。もしくはキリスト教国ではちょっとヤバいオカルト黙示録感がそこはかにヤバいせいか。ましてやそんなバタくさい宗教臭なので日本ではさらに不遇。ワンコインdvdとして超不完全ラインナップが書店の片隅でバラうりされるも埃をかぶるかすぐ撤去。くりかえし様々なコンプリート豪華ボックスセットでリリースされる願望幻想さえ白昼夢のようにみてしまいそうになる。

2018年8月4日土曜日

『アルファヴィル』(1965年)

たしかに当初は地球そっくりの別の星の街とかんじただろうがすぐにそれはやはりここは地球だ。ただいつもとどこか微妙にちがう。そうかんじるようになる。ここの罠というか二重性というか都市の魔性に主人公レミーコーションもだろうがみている我々もまきこまれる。そこが本作の鍵だ。つまりクーデター。というのもさっき変な白昼夢をみたからだ。あつさばかりのせいでもないだろう。というのもまどろむすこし前川本三郎著雑踏の社会学というふるい文庫本をめくりデモから見た町というのをよんだからだ。夢の方の内容はといえばこうだ。新宿の街。西口はいつもどおりなのだが東口にでてみるとどこかが微妙にちがう。どこか別の駅におりまちがえたかのような気分。おおきな道路をはさんで左右にビルがたちならぶ。ありふれた風景だ。でも車が一切とおっていない。おまけにやたら工事中の地下や施設ばかりでいたる所に架設の足場がそびえその足場の方へと迂回させられる。足場には急な階段がつけられのぼってはおりてをくりかえさせられる。なにか軍事都市化への超大規模な工事のようにもかんじられる。とにかく奇妙な街だった。そしてよんだ本の方の内容だが。デモから見た町の町とは新宿それも1968年10月21日国際反戦デー新宿騒乱の日。それで変な夢をみたのだろうか。

2018年7月28日土曜日

闇に牙をむく女吸血鬼

郊外の工事現場にまよいこんでしまった女ドライバーの車。ほりかえされた土にタイヤをとられ四苦八苦しているとなんと目の前の土中から二本の手が。筆者偏愛の怪奇大作戦吸血地獄冒頭をおもいだす。このあたりのぬかるみに足をとられる的な身体感覚のもどかしさにうったえかけられるような場所えらび。でたゾンビ。いやいや女吸血鬼の復活に不幸にもこの女いあわせてしまったということなのである。腰がぬけんばかりのいきおいでたすけをもとめもどってみるとそこにはなにもなかった。この唐突さそして手ごたえなさがまたよい。吸血鬼像も怪獣的で砂漠で発見された被害者などは血液が猛暑ですべて蒸発したなどというトンデモな検死にされてしまっていたりする。本作で吸血鬼退治の相棒となるのは文学ずきの不動産嬢。彼女との出あいの場がなにやら超越瞑想の少年導師の旧邸宅。ラスベガスにすんでいた超能力アイドルってか。結局この少年最後まで姿をみせずだがなにやら間接的に吸血鬼退治に寄与しているようでなにやら不気味で格好いい。姿をみせないヘルシングってか。相棒の彼女といえば直接アクションでみせたりしないがとぼけたふりして吸血鬼を静的においつめていっているような印象。ワトソン的な知性派相棒をかんじさせなにやらとても新鮮。謎の吸血鬼退治組織でも存在しているかのよう。そうなるとコルチャックが無謀にもおびきだし作戦をしようとしたホテトル吸血鬼だが途中でチェンジさせられたあたりの事情にはなにやらそんな組織がなにげにからんでいたりしそう。あとネタバレラストになってしまうので簡単にしかかかないけれどポストモダン仮想都市っぽいどこか幻想的というよりバーチャルでシミュレーショナルな最終対決シーン最高。筆者偏愛のウルトラセブン侵略する死者たちk地区廃墟をおもいだす。一本の独立した吸血鬼映画としても本作相当な名作。テレビドラマ事件記者コルチャック吸血鬼エピソード回である。

2018年7月25日水曜日

アンドロイド0指令

団地の広場レトロなおもちゃに屋上の遊技場そして操車場の隅の廃屋。昭和の子供なら身体レベルでの既視感でこれらはせまってくるはず。ゼロワンとよばれるアンドロイドはその死体のようなマネキン姿。からの変貌が父としんだ娘をおもわせ設定からかなんなのかどこかいやにやけにゾンビめいてかんぜられる。深夜の無人デパートシーンはリアルタイムでの視聴のときも最高だったがいまはさらにである。どうしようもなくあのショッピングモールにしかみえず。どうしようもなくあのロメロゾンビのワクワク感をもよおさせられる。エレベーターがひらくと同時にあらわれるところとかもうちびりそうになる。当時の冷戦空気感のせいなのかおもちゃ小道具子役大量投入のせいなのか子供たちの反乱シーンはやけにちからがこもっていてまるで世界終末戦争のドキュメンタリー映像のような様相さえおびてみえ背筋につめたいものがはしる。まさにゾンビの世界観。怪奇大作戦吸血地獄のときのようなゲストマドンナ編で。レギュラーマドンナがはじかれているからかやはりどこか異質なかんじのするウルトラセブンその一編。

2018年7月23日月曜日

屋根裏の散歩者

ウルトラマンやエヴァンゲリオンの監督や脚本だからか本作はもはやsfにおよんでしまっていてあのラストはとある発端にしかすぎなかったのではないだろうか。主人公はそのご明智いやすべての人間のまえから姿をけしたのではないだろうか。彼は屋根裏の街そう現代つまり彼にとっての理想の未来われわれにとってはありふれた街のありふれた住人になってしまったのではないだろうか。インターネット社会という。以下そんな彼ののこしたであろう手記みたいなものをかいてみた。某月某日。最初は屋根裏の散歩者をきどってのぞきにせいをだしていたけれどある日ふと屋根裏の隅に外へのくぐり戸があることにきづいた。外にでてみるととなりの屋根がすぐそこにあった。でもあぶないのでその日はそのままひきかえした。あくる日玄関から裏にまわってあのくぐり戸のあるあたりをみあげてみたがなにもなかった。あの日いらいのぞきはやめてしまいくぐり戸の外の街の虜になっている。となりの屋根からまたそのとなり屋根づたいに地上におりられそうな建物をみつけ地上におりたったのだ。郷田三郎。

2018年7月20日金曜日

廃校綺談

あの夏やすみの最中の登校日とは逆の意味でゆるい学校。のようなもの。がえがかれている。廃校当日。ついに当日にいたってしまったということだ。その非日常空間とかしてしまった学校。それはまさに廃校。廃品の集積。すでに死臭ならぬ廃墟臭がそこかしこたちこめはじめている。午前中にかえってしまう者もいれば数人でコンクリートの壁をたたきこわしはじめている者もいる。不気味な無法地帯。しかしそれら反抗や暴力にわかさや開放感はかんじられない。ただただ陰気である。晩夏の午後のようにけだるいばかり。学校がおわるが世界がおわるにつうじている。そういう意味でも廃校ものというものがもしあるとすれば立派な古典的傑作である。半廃墟というものの不気味さ。大あばれしたくなるような気もちまでもがそがれてしまう魔界。もうひとつの台風クラブ。そして家族ゲーム。そんなあの時代の無機的空気感が充填されたかのような本作名作である。ホラーというより終末ものとしてみたほうががぜんしっくりくる。まぁ不思議な監督である。終末監督といえばキューブリックだが。世界に氷河期がおとずれようとしているのか。いやもっともっとおおきな終末のおとずれの予兆なのだろうか。透明なモノリス。学校の怪談fのなかの一本。

2018年7月19日木曜日

キングコング(1933)

まずエジプトのような古代の超文明によってきずかれたとされる孤島を二分する巨大な壁の存在が不気味。だって壁のむこう側の原始世界があまりにもすごすぎる。進撃の巨人まっさおなほどに残酷過酷。それを制御するほどの強固な壁が古代にとっくにつくられていたとは。もしかしたら原始世界そのものもバイオテクノロジーで古代人がつくったものなのでは。とにかく不気味だ。たしかに太古の森がのこっていただけというにはあまりにも不自然きわまる多種多様のモンスターで異常すぎる生態系なのだ。つまりなにがいいたいかというと本作怪獣映画として古典だとかどうとかいうよりこうしたその謎設定バイオ設定壁設定のほうがいまにしてみるとゾンビシリーズはじめジュラシックシリーズまでホラーからパニックからなにからその影響がおよんでいるというその現実。そここそにセンスオブワンダーがある。だからリメイクでいくらコングの造形だけにこだわっても成功しない。あの孤島のあの原始世界の不気味さが表現されてこそなのだ。あとそれに呼応する当時のニューヨークのいかがわしさ。まさにギャングで娼婦な輩ばかりのようにみえる。キングコングはそんな新興ヤクザをぶちのめす昔ながらの大親分ヤクザのようで爽快だ。本作はそれが演技から演出から美術から音楽からなにからなにまで的確に表現されきっている。その点がなによりすごい。壁をつくった謎の超高度古代文明それはあのゴジラ第一作のオキシジェンデストロイヤーなるやはり謎の超科学物質の存在その不気味さをおもわせる。体現する芹沢博士のそのダークヒーローすぎるキャラと見事な演技そしてその屋敷その雰囲気。だからゴジラ第一作もすごいのだ。そうそしてなによりもおそろしいのはこれら謎の超高度古代文明を。謎の超科学最終物質を。制御する能力もないくせにときはなつことだけはできる現代文明のいびつさ。そしてそれが一切回収されない不気味さ。それにしても本作もゴジラ第一作もそのラストシーンである。怪獣の最期をえがいて哀愁をさそう以上に世界のおわりそうみえてただやるせないただただあっけない。無常感あふれる幕ぎれだとかんじるのは筆者だけであろうか。美女に野獣がころされたただそれだけ。つくづく芹沢博士もキングコングだとおもった。付録。怪獣映画としてのゴッドファーザー。つくづくこのビトーという男は怪獣でゴッドファーザーは怪獣映画だったんだと。キングコングが南洋の孤島うまれなようにビトーはシシリー島からニューヨークに上陸してきた。キングコング1933をみておもったんだけど上陸したニューヨークのあのあの時代だからこそのいかがわしさがあってこそコングははえたし存分にあばれることができた。そうおもえてしかたない。これはまさにビトーにこそいやコルレオーネ家にこそあてはまる。長男ソニーの最期はまるで自衛隊の一斉攻撃のようであったしビトーの最期が怪獣の真似だったというのもまたひどく皮肉的であった。そして三男マイケルは怪獣をたおすクールな科学者そのものでそれをみずからの内部にかかえるコルレオーネ家という怪獣の。闇のふかさ。業のふかさ。そしてそれは最愛のマドンナである娘を目の前でうしなうというパートⅢでメカゴジラの逆襲のごとく怪獣映画としてきわまる。

2018年7月18日水曜日

先生好きですッ!

これは国立大卒のエリート女子大生がでも高卒のドジでノロマな女の子がでもなくイッパシのスチュワーデスになるまでをえがいたものではあるけれども。最新型のaiをディープラーニングさせてイッパシのスチュワーデスにするまでをシミュレートしてみせた一種の星新一の長編sfみたいなドラマである。平井和正小松左京のようなはすっぱでいろっぽい日活東映東宝松竹アンドロイドではなく星新一ないかにも大映増村調のもえるアンドロイド演技を存分に二十一世紀アイドル文化視点で堪能し再評価すべきsf作品。おニャン子クラブとかこの今わすれられていそうなダサい型の70年代的アイドルなるもの。今一度考察されてしかるべき。脇役のホラーアンドロイド片平なぎさも重要なのであわせて考察。無人のモックアップ疑似空間にまよいこんだり。ビデオマルチビジョンによる全自動カリキュラムにあかせての授業中のあいびきだったり。わらうというのがポイントとなるアンドロイドあるあるだったり。かなり本格的にsfチックなあじわい。もはや1本の劇場映画のよう。スチュワーデス物語。第一話。ポストモダンのアンチヒューマンエイジにおいて近代をえがくということはアンドロイドをえがくということと等価だ。

2018年7月17日火曜日

ヒエロニムスの下僕

ずばり本作筆者的に下水道映画の大傑作とさせていただく。男がハンカチを液化されたさい。手の平の一部も液化されたのか。いたそうだった。ヒエロニムスマシーンの作動音はまるで排水口がたてるあのゴボゴボいう不快音そのもので下水道映画マニアとしてはたいそう心地よく興味ぶかかった。本作。そんなウルトラqダークファンタジーのなかの一本。さかのぼりウルトラq2020年の挑戦での人間消失だが。あれは素粒子化して異次元にとびさったわけではない。一瞬のうちに液体人間化しそうみえるだけ。水たまりに足をかけた瞬間きえているようだがそうではない。水たまりと同化してしまったのだ。冒頭に謎のスライムが登場しそれに接触して人がきえているのをおもいだしてほしい。あれはまさに映画美女と液体人間そのもの。さらに。しらべると。スタッフも意識して意図的に映画の設定をテレビにもちこんだとかかれている。ということで以上をふまえての本作の解説である。ぜひよんでふまえてほしい。本作はそれでその不気味さこわさが二倍ましになるのだから。かさねがさね本作筆者的に下水道映画の大傑作とさせていただく。脚本の高橋洋はやはりリングという下水道映画をものにしている。レンタルビデオ屋の床下に古井戸があってそこにはやはり恐怖の液体人間貞子がひそんでいた。そんな映画だ。下水道世界なるものを可視化したラストカットの冒険も見事な本作ヒエロニムスの下僕だが液体人間は井戸地下水道下水道がその棲息域だ。液体ということで液晶画面のなかにもはいりこむことさえできる。インクや現像液にまぎれポスターや写真にもはいりこむことさえできる。一種の二次元人でもある。リングも本作もテレビやビデオのなかに人がとじこめられる。それはほんとうに気もちわるいイメージだ。かくして。液体人間たちはいつもはくらくふかい魂のダークサイドをおもわせる下水道世界のなかで悶々としているのだが。雨ふりの夜など窓にべっとりはりついたり。液晶画面から液晶画面をわたりあるいたり。して。液にふれたものをやはり液体人間にしてしまう。謎を謎のまま。

2018年7月16日月曜日

プリズナー

ネオンサインのきれかかったつぶれそうなビデオレンタル店。どうやら郊外の裏どおりに位置しているらしい。ショッピングモールの一画か。その。声がひびきわたるほどのひろさ。客足のすくなさ。店のまわりにビルもあかりもなさそう。そのどこかトモダチに冷凍工場裏のアソビバでみすてられた黄昏時のような。うらさびしさ。竹中直人のその廃怪人っぽさはこの後の実際のネットカフェ難民やネトゲ廃人の大量発生をかんがえると世紀末ゾンビ現象のはじまりのようで薄気味わるい。なんかその風体が一番おそろしい。しゃれたオチも文字どおりのさむざむしさだ。当時はもりあがるホラーだったのだろうが今みるとオウムやバブルのあの時代のひややかな空気感の方がつよく刻印されてしまっている。そしてやはり本作も下水道映画の傑作である。主人公が吸収されてしまった場所あれは牢屋のようにみえるがあれは地下水道施設によくある鉄の柵それにあれは他ならない。事実水のしたたる音を当初あの空間ひびかせていた。魂のダークサイド。ダークマターにみちた暗黒宇宙。そんな下水道世界。本作はそのタイトルからもわかるとおり。ビデオをめぐる都市伝説ではおわらず。もっとひろく二流三流文化つまり廃品のようなジャンクビデオをはじめ。スカム作品ばかりめでてきたような筆者のような今もネットの底にうずまいているような下流無名ブロガー水子表現者の乱泥流。つまりハイカルチャーを上水道とするならば下水道文化としてのサブカルチャー。アンダーグラウンドの汚水にまみれすぎてそれが実体化したような人々。文化ゾンビとでもいおうか。理系ゾンビはナニカト話題になる。かといって文系ゾンビにもなれなかった帰宅部系いや金もコネも汚部屋さえももてないヒラキコモリ系サラシコモリ系ゾンビ。そんな人々のことをえがいている。そういう意味での下水道映画で。しっかりその雰囲気がでているという意味においても。本作。筆者。独断で傑作とするものである。竹中直人の役の男のような出自の男がすくなからず街の雑踏にはまぎれており今日もあてどなくさまよっている。そんな気にさせられる。世にも奇妙な物語。初期の傑作。

2018年7月15日日曜日

そこに扉があった

nhkでドクターgなるものをやっていたんだけれどそれの精神疾患バージョンをやったらおもしろかろうなどとおもうが。精神疾患の場合あぶなっかしく。必要以上に快癒しすぎてしまったり投稿を癖にしてしまうようになったりされたら局や番組は責任とれないだろう。心配になってしまう。まさにこれがそれである。世にも奇妙な物語初期の作品。全編どこか殺人恐怖症の女の幻覚っぽい。いやそのホラーともなんともつかないちょっといい話的素人投稿体験談風でおもわせぶりだったのに肩すかしなかるいおわりかた。ブックオフで108円でうられているケータイ小説のハードカバーをひさしぶりにひらいてみたくなってしまった。巷にはいわゆる謎映画なるものがある。あまりにも回収されない伏線かとみえる場面がありすぎたりなさすぎたり。ただどうでもいいような細部がやけに印象にのこる。が。トラウマというほどでもない。ローカルテレビ放送された吹替のふるいb級映画や再現フィルム啓蒙映画ポルノ映画なんか。そんなそれらとしてよくであったやつ。よくみうけられた現象。あれである。意図的な場合もあるし。つくり手の手ぬきやつたなさの場合もある。ヘタウマの絵や音楽にも共通しているかも。終始どこかういているかんじのする登場人物の演技。わざとなのかういういしさなのか。演出にもへんに力がはいっており。なにやらケレンミたっぷり。おまけに。ある夏のこと。ときた。帰郷した村での怪奇体験がどうとかこうとかといったあまりにもいつかみた感どれがどれやら感あふれる設定。こうなると夏やすみ。ドロドロにとけそうになりながら。まどろみつつみた。午後の再放送。誰からかりたのかももはやわからなくなってしまったビデオテープvhsなのかベータなのかどこか変な形をしているようにかんじられ仕方ない。atg映画だったのか自分たち高校生が文化祭用に制作した8mmフィルムだったのか。あれは夢の中での出来事だったのか。あれはテレビの中での出来事だったのか。あれは。あれは。とおくで蝉の声ばかりしている。そしてその蝉のその声はただますますあたりへとかぎりなくはてしなくただただましていくばかりなのであった。

2018年7月12日木曜日

管理人

世にも奇妙な物語のなかの伝説的傑作のひとつ。まるでカフカの城のあのへんな名前の城主のように存在するのかしないのか。あらゆるところに遍在する管理人。面会しようとすればするほどとおく曖昧になっていく所在そして自己増殖していく魂の迷路のようなマンション。すべての部屋に管理人室の表札がかかりはじめ。近未来相互管理ディストピア社会への社会実験のようにもみえはじめはじめる本作。電話や留守電による誹謗中傷はスマホ時代の今からすると牧歌的ですらあるが膨大な量のハリガミやとぎれることのないファクスによるそれは今からすると逆に相当暴力的で何気に圧倒される。中途半端に身体的痕跡をのこす紙という物質の薄気味わるさ。タイプされた文字の匿名性とニコ動の弾幕やエヴァのような異形フォントの乱舞。それが3dで重味をもってせまってくるのだから。これはこわい。追伸。筆者セブンイレブンネットプリントにて。管理人なる名義でファクス攻撃。いやいや。ならぬ折本ホラー小説。をかいている。興味あれば管理人でツイッター内を検索してみてほしい。本作の勝手なファンによる未公認スピンオフ納涼ホラー企画みたいなもんである。プリントアウトして。きって。おって。つくって。本作の異形なファンジンとしてでも手元においてやっていただければなどともおもったりもしてもいるけれどもそれもこれもあれもどれもどうなりますことやら。

2018年7月11日水曜日

ゴジラVSデストロイア

デストロイアは東京湾にのこっていたオキシジェンデストロイヤーがやはりのこっていたヘドラ細胞に浸潤して成長したものとかんがえると本作はゴジラ対ヘドラ以上に汚水感あふれる設定の下水道映画だとおもう。ただ筆者のなかではゴジラ第一作のあと地球はオキシジェンデストロイヤーの汚染拡大によって破滅したことになっているのでちょっと複雑なところではある。でもそれはデストロイアの造形のまったくいきあたりばったり形態変化もはや不定形といってよいトンデモさ。そのナイスさで帳けし。造形などどうでもよい種類の怪獣というものもいるのである。上記のようにデストロイアはその出事こそがすべてなわけで一種の仮想3d便宜キャラ。そして映画自体全編まるごとシミュレーションとみるべき。そうすると評価はまったくかわってくるはず。ヘドラにもそういうところがすでにあってそのドラマパートのサイケさとあいまって一部からの一種の悪夢オチ作品そんな評価も定着しているやにきく。本作にもあの奇妙なアニメパート的なものがあればなどとつくづくおもう。やっと初期のcgがわらえるところまで時代はきているのでもうすぐだとはおもうが。だから本作においてはゴジラ対ヘドラいやそれ以上のトンデモ異色ゴジラ映画としてさらなるその方面での再評価を筆者のぞむものである。ただゴシラしすとあまりにも哀感あふれるあおり。よい意味でもっともっとちゃかされてもよいので都市伝説的あかいゴジラなどと話題にのぼってほしいものだ。もったいない。なお美女と液体人間の液体人間その第一号こそ筆者ゴジラ第一作の芹沢博士その後の姿だとおもっている。芹沢博士はいきていてそしてそれがアップデートされ気体化可能に。陸上においてもその能力が発揮できるよう改造されたのがガス人間第一号なのだ。さすがにガス人間にふれた人間がガス化するところまではえがかれてはいなかったがガス人間作中でかたられていたもうひとりのガス人間。もしくはその痕跡。第一号の触媒となったあの謎のガス人間第零号。彼こそ芹沢博士だったのでは。零号には接触ガス化能力があった。そうおもわれる。そして液体人間第一号にしてガス人間第零号なる芹沢博士はどこかにまだいきている。ガス人間第零号なにせ対ゴジラ編も計画されていたくらいだ。ガス人間いや人間オキシジェンデストロイヤー彼こそ地球最強戦士である。いやもはや怪獣か。これこそが真のゴジラ対デストロイアである。ヘドラをもしのぐ大東宝大公害大怪獣。スモッグ巨神兵登場。ヒトリノストラダムスノダイヨゲン。その地球規模の絶対的環境破壊能力はゴジラさえもなきものにする。

2018年7月10日火曜日

ロッキー

黒人のキングに白人のチンピラが挑戦するブラックスプロイテーションムービーとしてもういちどみなおすべきだ。その有名すぎるあの音楽の。ファンクとしてのみなおしもふくめ。いかにもサタデーナイトフィーバーやブルースブラザーズやもえよドラゴンと同時代の。濃厚ソウルフレーバー。しっかりかみしめようではないか。

2018年7月2日月曜日

ひき逃げ(1966)

あのひっきりなし車が爆走する横断歩道なしの信号なしの車線なしのせまい国道のようなモノあれはもはやバケモノだ。この誇張はマジックリアリズムの小説や絵画の域でさすが芸術家カントク。ありえないモノを実写で工夫してうつしだすという点においてはもはや本作東宝怪獣映画ソノモノのセカイ。たぶんあれは。巨大なオープンセットでよくみるとおなじ車が何度も画面にでいりしているはず。それにしても。そんなセット撮影をロケでなく現実にやってしまいそれをシネスコサイズでみせきってしまうところに東宝の当時のもはや狂気とさえいえる大特撮大志向がうかがわれ先がおもいやられるあくまでもよい意味でたとえばノストラダムスの大予言にいきつくとかの。さすが。黒澤明や石井輝男にリスペクトされるカルトカントク。まさに。スクリーンでみせる地獄スペクタクル交通地獄編。

2018年6月30日土曜日

壁ぬけ男

魔都東京を舞台にして東宝映画変身人間シリーズのテイストをそのままに。テレビドラマとしてスタートさせようとしたのが怪奇大作戦シリーズ。本作はそれを端的無難に体現しようと紆余曲折をへて急遽第一作にもってこられたものでもある。そこで。つづく話数の諸作品でおしだされる怪奇大作戦本来の強烈さ。これはいったいどうしたことなのだろう。このシリーズ前期10作の。いまとなってわかる的な。この強烈さこそ怪奇大作戦の本質とまではいわないが決定的な印象づけになっている。そうみてまちがいない。そう人体破壊描写である。映画以上の洗練を獲得した円谷特撮技術のさえを最大限にいかした。これら残酷シーンはいまみても充分すぎるくらい衝撃的だ。泡をふいて白骨化する人体。すさまじい人体自然発火現象二連発。結晶氷結し粉々にとびちる女体。グビグビとダイナミックな音をたてての吸血。内臓のようにぶちまけられる機械部品が不気味すぎる人造人間におけるところの人体破壊。火口をはいあがろうとする硫黄まみれのゾンビ。生首の高速飛行。すさまじいばかりである。しかしそうした過激さはすぐにおさえられる。そのため一部にはなかだるみだとひょうするものもいるそんなさらなる中期10作。電波汚染交通戦争人間蒸発など当時の加害被害をこえた暗部をえぐるような重厚な社会派ドラマの様相さえていするようになってくる。しかし筆者はこの中期10作があればこその怪奇大作戦だとおもっている。後期のような普遍性ではなく。まさにあのベトナム戦争時代の。まさに高度成長のひずみがあらゆるところにみうけられるところの。まさにあの時代。あの瞬間でしかなしえなかったテンションがみなぎっている。たしかに前期の。まだのこる乱歩的建造物風景のなかでアップデートされ洗練された残酷特撮をもちいての怪人怪盗ミステリーもよかろう。しかし世紀をまたぎのこったかどうかはうたがわしい。そして後期終盤6作ともなるとかなしい人間の内面までえがきふかい余韻をのこす。それはあたかも人類滅亡後の荒涼とした心象風景のようでもある。過去のレーザーディスク化時のパッケージタイトルが以上全三期をそれぞれ恐怖人間スペシャル魔界殺人スペシャル妖奇幻想スペシャルとしなかなかに見事であったことをしるしおおいなる敬意をひょうしつつここに拙稿怪奇大作戦概観の筆をおくこととしよう。

2018年6月28日木曜日

吸血地獄

もしヒーロー的冠をつけなかったとしたら。ただにげのびるだけをテーマにした海外ドラマ逃亡者のようなテイストだったとしたら。仮面ライダーや人造人間キカイダーはそのルックスのキモさから本作のようになっていたのではないだろうか。たとえばキカイダーだが。悪の教授ギルがはっする超音波がその不完全な良心回路に作用し一時的にだが殺人機械になるような興味ぶかい設定がなされている。大体は人間体時でそれはおこるが。人間体時でも超音波をきかせられるとキカイダーの姿に強制変身させられ。そのおぞましい左右非対称の姿で人間をおそうとしたら。これはこわい。それはそのままニーナの48時間毎の吸血鬼化のシーンにつなげられそうだ。また仮面ライダー的要素をとりいれて。周作が科学の知識をみにつけニーナをなおそうとsriに入隊。結果ある程度のコントロールがきくようになりニーナもsriの活動に。その怪力と特殊能力で協力。二号ライダー編のようにニーナのあの変身体キャラはコミカルな期待にも充分こたえられるとおもうのだが。笑。シルバー仮面等身大編などは以上のような特撮と青春アウトロー路線の。ロードムービーのこころみだったようにおもう。そういう意味でも本作はこれらマニアック特撮作品の嚆矢だったのではないだろうか。はやすぎもしマニアックすぎもしで当時ではまったく理解不能だったろうが今となっては。

2018年6月25日月曜日

死体くさい

これは巷にあふれかえるゾンビ物にたいする痛烈な批判をふくんだ実にオシャレなサイコスリラーだ。通常たしかにゾンビの巨大な群衆がにおいつまり死臭や腐敗臭とともにえがかれることはまずない。そういえば怪獣も。とにかく強烈なにおいがともなうとかんがえられても当然で不自然ではないはずである。ところでゾンビの運動能力だがどうやらそれは我々のかんがえるところの眼や耳での感知そして骨や筋肉をつかっての発揮それとはまったくことなる運動原理からなりたっているようだ。たとえば皮膚が硬化し昆虫の外骨格のようになって骨の役目をするとか。もはやロボット。とにかくゾンビ体とは死体ではなくまったく別のブツなのではないだろうか。単に死体の脳にかえなんらかの人工物をうえやはり人間の身体原理で運動を復帰させる。そんな単純なものではなさそう。たとえそうだとしてもあのようなうごきが可能だろうかとてもそうなるようにはおもえない。と。かんがえるとゾンビとは遺伝子レベルいや素粒子レベルからの変容で血や肉はまったく別の有機物いや有機物無機物をこえた未知の物質になってしまっているのかも。たとえば暗黒宇宙ブラックホールを構成する暗黒物質ダークマターとか。でも個人的には暗黒宇宙暗黒物質は下水道のにおいがするとおもっている。そうなると死臭など発生しない。そう結論づいて早々に話はおわる。で本作世にも奇妙な物語死体くさいだが。内容がどうとかこうとかというより以上のようにゾンビなるものを再度根本から考察しなおさせるチカラにあふれたマレな作品であって。そういう意味ではメタレベルに位置するゾンビ物だといえまたそうしたメタレベルな鑑賞をしてこその作品そういえるのでは。それはきわめてオシャレなことのようにおもわれる。

2018年6月23日土曜日

漂流教室

たしかに真面目で象徴的な。かなしい災害および戦争映画でもある。しかし911や311すらこえてしまった今みなおすと時や時間というものがいろんな意味で。ある種のすくいでもあるんじゃないか。そんな感想もいだく。ホラー映画のジャンルも本作当時から相当の進化をとげゾンビ系ビザール系アニマル系sf系シチュエーション系サバイバル系とあふれかえったが。しかし本作のような時間ホラーは今もって貴重だ。大林監督はいくつもの時間モノをてがけついに本作でホラーに挑戦した。そしてほぼ成功している。本作はサバイバルホラーではないのだ。当時ではそんなことがわかろうはずもない。時間そのものが監督その独特の映像とタイム感覚によって凶器や狂気となる瞬間がえがかれているようにおもう。同監督作ハウスが家にとじこめられ系ホラーならさながら本作は巨大な砂時計にでもとじこめられて時間という魔に翻弄される少年少女をえがいた。といったところか。

2018年6月21日木曜日

トーテムの眼

リメイク版ウルトラqウルトラqダークファンタジーの一本。少女漫画的な展開のアイドルホラーとしてたのしめばよい。ただトーテムの置物を最新のaiスピーカーだとかんがえると。俄然。一気に。そのオチもふまえ。12チャンネルの都市伝説番組を彷彿し。わらってばかりじゃいられなくなる。死体のかくし場所はときくと。わからないといい。モノマネをしてとたのむと。黒猫のモノマネをする。そしてにわかに壁にヒビがはいり。。

2018年6月19日火曜日

吸血地獄

本作怪奇大作戦吸血地獄。ニーナの朝倉家の屋敷をひとつのディストピア社会になぞらえるとまた別の側面がみえてくる。朝倉家の屋敷の敷地はそうとうに広大で最初に巡回中の警官がおそわれるところからみてもアメリカ郊外型高級住宅街的なクローズドでゲーテッドなオーバーセキュリティー環境だとおもわれる。庭での鑑識風景がながまわしのワンシーンワンカットでとられていてその広大さがうまく表現されている。ニーナは一種の愛玩用性奴隷ロボット。レプリカントのような存在なのかもしれない。一寸表現過激すぎだが。だから不老不死プログラムがその身に設定されていた。吸血体質はそのプログラムのバグだ。周作とともにドラッグやスポーツカーというささやかな若者の武器のチカラによって屋敷からの逃亡をはかるも。所詮。義父によって屋敷に蹂躙されどこまでも管理される宿命的存在。後半のホテルにしても義父のもちものにちがいない。吉原炎上や家畜人ヤプーをおもいおこせばよい。はなれ瞽女おりんや必殺仕置人第一話でもよい。あと原田美枝子版地獄とか。そんなかなしい女の物語ともとれる本作。あの名作映画浮雲にもにて。そして。矢吹健の暗黒演歌。あなたのブルースのプロモーションビデオにでもつかえそうなアダルトなおもむきの後半。義母には。強権な義父にかしずきつつもどこかニーナのかなしい身の上にたいしての。複雑な嫉妬や屈折した同情がかいまみえる。警官の拳銃をうばおうとしたところなど。南のはての島にまでにげきったニーナと周作の二人だったが。世界はどうやらもはやどこまでも屋敷が自己増殖遍在化したような管理社会。ディストピア化してしまっており二人にいき場はなかった。よごれた血ばかりがはてしなく海をそめていく。もし二人のあいだにあかん坊でもできていれば新猿の惑星や赤ちゃんよ永遠になどのようなテイストも加味されたことであろう。

2018年6月18日月曜日

侵略する死者たち

本作ウルトラセブン侵略する死者たちには細部に非常に不気味な点がいくつかある。意図されたかは不明。謎の爆発が世界で頻発している。とされている。病院がでてくるがなにやらすごく業務が煩雑で混乱している。ぬすまれたデーターの転送先とされるk地区。あたりは草ぼうぼうで廃墟が点在しているような広大な無人地帯。これはあのタルコフスキーのストーカーにでてくるゾーンそのもの。その出自さえもたぶんおなじ。これらを総合すると安全なのは防衛軍基地内およびその周辺だけで。どうやら巷はパンデミックかなにかで。世界はほぼほろんでしまっているようなのだ。まさにストーカーやイレイザーヘッドの世界。だとすると劇中。世界の防衛軍基地の機密とかなんとかいっているがその実。残存人類のシェルターの所在およびそのセキュリティーシステムの詳細が明記されているものなのかもしれない。となるとシステムを攻略されること即人類破滅完全滅亡を意味しているわけで本作の最重要機密事項その移送は人類史上最大のミッションとさえいえることになる。ポーの小説赤死病の仮面にでてくる巨大な黒柱時計。2001年のモノリスっぽいと同時に。サイバー最終戦争後のメインフレーム中央サーバーコンピューターっぽく。インターネットによる世界支配を象徴しているもののようにおもわれる。城の内部の描写。退廃したエリートな住人もなにやら独裁コンピューターのサーバー施設とそこのスタッフのよう。そうおもえなくもない。時をつげる時だけまじめに仕事をする。時をつげることが。=起動作動およびプログラム発動のような意味をふくんでいたりしそう。パンデミックをさけ要塞にたてこもり残存する人類。その王もなにやら不気味なaiめいて人間にみえない。要塞化したその城の描写はまさにバイオ攻撃はもちろんのことサイバー攻撃からのセキュリティーシステムのありかた。および高度監視社会そのものの象徴のようでさえある。さてものものしすぎる本作における地下金庫へのマイクロフィルム移送ミッション格納シーンなのだが。どうやら赤死病の仮面冒頭のものものしさとおなじたぐいで地下巨大コンピューターへのハードディスクからのデーター転送その象徴的儀式的前時代的描写と筆者かんがえたがどうだろう。マナベ参謀が王で。地下金庫は独裁コンピューター本体。王は独裁コンピューターにつかえる者でしかない。シャドーマンはまさにそれを攻略せんとおくりこまれた諜報工作員。その超進化最終形態。バイオ+サイバーかねそなえたような存在で。もはや人間ですらない。本作の中。そんなとんでもない事態がおこっているのではないだろうか。まさに赤死病の仮面にでてくる仮面の男それが複数形で敵から外部からおくりこまれてきたようなものなのだ。これはたまったものではない。 金城哲夫円谷一コンビはウルトラqにおいてポーのアッシャー家の崩壊をモチーフとしたクモ男爵をとっている。その金城円谷ラインの上原正三円谷一コンビでとられた本作がやはりポーの翻案で赤死病の仮面がすわ。モチーフとされていたとしてもなんらおかしくない。

2018年6月16日土曜日

怪談・壁からでる幽霊

犯人のバタくさく同時にどこかマリオネット的なロボット的なラリっているようなえがきかたが魅力。企業管理社会のダークサイドにおちた男の変容と破滅の物語。演出脚本の妙がひかる。アバンタイトルのオープニングまでがながい。10分ちかくある。しんだ被害者の死体を背おうのではなく足をもちさかさにしてモノとしてはこぶところ。など。とにかくこの犯人ウデっぷしのつよさはフランケンシュタインばりでその人間ばなれしたところがもはや悪党をこえてしまっておりにくいどころかバケモノ的哀愁すらかもしだしている。だからか魅力的なダークヒーローにもみえどこか爽快ですらある。黒猫につけられた顔の傷でさらに犯行かさねるところなど。神出鬼没のワープ黒猫の不気味さと対になっててフランケンシュタイン対黒猫というタイトルでもつけたいくらいだ。ザ・ガードマンという普通の大人のドラマとしてみればたしかに怪作だがガキムケの特撮モノとしてみればきわめて正統的な大映ブランドのバケネコ怪談映画となっている点はどこか次元がねじれ変でおもしろい。たぶんそれは硬質なカラーフィルム撮影の画質とサイケなカメラワークによるところがおおきく。それがほどよく劣化しているからか。それになんといってもあのレトロかっこいいザ・ガードマンのエレキインストのテーマ曲。特にエンディングでのスローめのサイケアレンジ。一種の。あの時代。ベトナム戦争当時の空気感。そのドラッグフィルムなニューロックさ。がある。同監督の吸血鬼ゴケミドロはまさにその意識的具現。ニューロックとベトナムとホラー。の合体。そりゃタランティーノもリスペクトする。余談だが。コッポラの地獄の黙示録は合体をあとおいでこころみようとしたモノ。しかし音楽のつかいかたでキューブリックのフルメタルジャケットにまけている。キューブリックのロックな暗黒音楽センスはとにかくすごやば。

2018年6月15日金曜日

解散無用

のっけからハードな。そうハードというしかない。ハードボイルドすらこえている。ただハードというしかない。ゴッドファーザーや仁義なき戦いのような実録集団抗争劇のようでもあるがさらにもっとふかい暗黒さがたちこめている。そしてその暗黒さはドラマがすすむにつれシリアスな破天荒さに。しいていうならゴッドファーザーパート3や仁義の墓場のようなそのてのもののシリーズ最終作番外作そしてついに極北にいたる。とそんなかんじか。たしかに主水の仕置シーンにはそうとうなカタルシスがある。つきさしたまま串ざし状態にして手もつかわずえぐるようにして木戸のなかにたたきこむなんてあまりみないほどのバイオレンスさだ。しかしそれでもまだちょっと暴力的な時代劇でほかにだってあるといえばいえる。そうなのだそれよりなにより本作を最高傑作たらしめているのは巳代松と鉄がもはやホラーやsfに登場するような人外なものになってしまっているところ。それも筋のとおった。大人な。旧必殺仕置人シリーズがワルがワルをしまつするテーマだったとしたら本シリーズ新必殺仕置人は本作において人外のバケモノがワルをしまつするそんなところにまでたっしている。子供むけの妖怪的バケモノではない大人の鑑賞にたえうるバケモノ。初作のゴジラのような。巳代松役の中村嘉葎雄はほぼ全編セリフがない。そうとうの登場場面がありながら拷問演技でつらぬきとおす。これはふつうのドラマでかんがえるとたしかに特殊で前衛的とすらいえる。たとえば岸田森がまったくの無セリフでとおしたファイヤーマン地球はロボットの墓場そんなかんじ。そして大八車での異形の仕置はもはや仕置ロボである。子連れ狼の乳母車の装甲車化戦車化に匹敵。つづく鉄だが。手を炎にくべられ放置されしんでいてもおかしくない状態。にげこんできた辰蔵の前にあらわれた鉄はもはやゾンビといってよい。いやゾンビよりこわい。なぜならその演出が手首のオバケそれも黒こげのそんな怪奇映画そのものな演出だからだ。そこにはもはや主水の仕置のようなカタルシスはない。先の巳代松の仕置ロボットによる仕置それと同等の特撮的おもしろさがまさっている。それはいかにも前衛的世界すらこえた虚無的世界。特撮地獄におちいった筆者みずからを自己批判させるチカラすらもっている。おもしろがってばかりでよいのかと無慈悲にもとうてくるのだ。生きるとは。悪とは。それはそのあとの主水の日常シーンで頂点にたっする。そうここでの主水はただたんに賄賂な悪徳役人ではすまないスゴミがただよっている。そうそれはもはや狂人のおもむきなのであった。ある意味必殺シリーズはここに終焉をつげたといってよい。主水の死ならぬ。発狂。で。

2018年6月8日金曜日

吸血地獄

あの吸血鬼メイクはあくまでも手段であり達成でもなんでもない。光学処理され音をつけられはじめて意味をなす類のもの。だからメイクだけを静止画として無断引用しやれやりすぎだとかはまったくもってナンセンス。特定のブログを攻撃しているわけではないのであしからず。事実まず最初の登場からして稲光とのセットでその幻想効果が最大限に発揮されるよう設計されていた。鏡の前や砂浜での二重露光には無声映画的ノスタルジーさえある。ホテルがなぜあんなにローキーなのかにしてもあのメイクをバロック的グランギニョールとして最大限にホラーばえさせる意図やはり高度な映像設計の一環。あとたかい崖のうえでのロングショットも偶然にうつりこんだ感のサブリミナルな心霊写真的効果をねらってのもの。本作はあくまでも薬物による吸血鬼幻想であり吸血地獄にみたてての売血制度告発そうビデオドラッグバッドトリップムービーと大島渚な観念ドキュメンタリーの合体それこそが本作の正体。本作に内容なんかない。イリュージョンとメッセージの奔流もはやドラマのていすらなしていない。かろうじてあるとするならば無軌道な若者の自堕落な青春そのあげくの自滅ただそれだけ。ウルトラファイトの怪獣のように男女がちちくりあってわかい男ふたり牧と野村がじゃれあっているだけ。吸血鬼なんかでてくるわけがない。しかしだからこそ怪奇大作戦随一の特撮効果メインでみせきる超力技の超特別編となっている。筆者は印象だけでひっぱるという点で本作を京都買いますと双璧にみている。金城円谷の名コンビその貫禄なくしてはけっしてなしえなかった佐々木実相寺の華麗さをうけての真逆の作風でいどんだまさに黒びかりする一本。佐々木実相寺はビビったとおもう。ラストクレジットのタイトルバック映像なんか特にそう。そのレトロだが重厚なスタイリッシュさを筆者はおおいに支持したい。金城円谷コンビはとっくにウルトラqで特撮の究極をなしておりウルトラマンからはほかの演出脚本をひきはなしすでに第二期ウルトラシリーズのさきがけとなるようなこころみを開始していた。ましてやコンビ最終作である本作にいたってはもうはるかかなたの余人の理解をこえた次元にたっしている。

2018年6月5日火曜日

かまいたち

前におなじ怪奇大作戦の吸血地獄が全編幻覚のドラッグフィルムだとだんじた筆者だが本作もそんなかんじがしてならない。野村がさんざんなめにあうところといい牧がその狂気の部分をあらわにする回そんな意味からしても同様なかんじがしてならないのだ。だとすると吸血地獄同様ほりさげればほりさげるほど堂々めぐりになってぬけられなくなってしまいそうな本作。筆者にとっては相当に危険な問題作そのうたがいはどうやらかなりの確率で濃厚なようだ。吸血地獄においても一部まるで日活ロマンポルノをおもわせるような皮膚感覚レベルでの淫靡さそんなものをかんじさせるシーンが散見されていたのだが。こと本作にいたってはほとんどもう四畳半同棲映画そのものなトーン。ロケーションにさえなってしまっている。これが三沢メインだと青い血の女のようなフィルムノワールになり牧メインだとおなじ夜と鬱でもこう。そこがまたよくもあったりするのだが。なにがいいたいのかというとポルノとドラッグフィルム。両者ともに物語以前にトリップ用の実用品としてこの両者は共通しているのではないだろうかということをいいたいのである。ホラーにもそんな実用品的なところがたぶんにある。そう日常への視神経からのプチスリルの注入だ。だからホラーついつくるほうもみるほうも意図せずよこすべりし足をすくわれがちなのではないだろうか。つまり本作や吸血地獄そのほかもろもろの諸作品をまえにしてホラーとしてみた場合かなり逸脱や破綻がめだってしまうようならいっそ意図的にドラッグフィルムとしてみてしまおうと。とまぁそんなところである。犯罪逃走映画を下水道映画としてみる。それとおなじようなものである。タイトルクレジットの下水ながれこむドブ川にひっかかったバラバラ死体の腕。見事なまでに下水道な汚濁感。つづく死体検分シーンにしてもその立地なにやら下水道内の正体不明な地下にしかおもえず。おちる水滴の反響音さえきこえる。犯行自体が橋の上でしかおこなわれないのは真空切断機の設置とか効力の事情によるものだろうがバキュームカーのようなその切断機のフォルムはとにかくグロい。いずれにしてもつねにドブ川を背景に凶行がおこなわれるという点ではやはり下水道をつよく意識せざるをえない。鑑識が川底をさらうシーンはひとつのハイライトにもなっている。また現場に去来する野次馬全員を個々にうつしてその写真の束を夜どおし床にひろげて検分するシーンがあるが。これにしてもなにやら全然sri本部内とは到底みえず地下の巨大空間でおこなわれているような印象それにつづく暗室シーンにしてもだ。とにかくいろんな角度でアンダーワールド。地下とか下水道とかのキーワードがぬぐえない。そんな本作なのである。とどめは半地下のようなくらい喫茶店でのアロワナショーである。もうこうなっては下水道の巨大ワニである。なにもかも下水道下水道である。下水道はなにも垂直方向にばかり底がぬけているのではない。なんと牧の暗黒推理は犯人のはたらく町工場の裏庭が犯行現場へと水平方向に底がぬけてしまっていることをみぬいてしまう。そう町工場は。町は。すべては。象徴地下世界の最暗黒ターミナルに存在していたのだ。都市の地下をあみのめのような下水道をつたいいたるところのマンホールから神出鬼没する殺人鬼そんな恐怖をまたべつの暗黒絶対恐怖として宇宙的にえがいた。そんな下水道映画の傑作それが本作だ。本作とおなじ上原脚本にもうひとつおよそ清浄とはいえない横須賀の海や河川で暗躍する水棲人間をえがいた24年目の復讐があるがあれもやはり暗黒下水道映画といえる。被害者をまっくろな水の中にまっくろな男がひきずりこむ過程をタールの海にねっとりとえがいたそのタイトルクレジットそのなんとその暗黒なことよ。

2018年6月4日月曜日

ウルトラ兄弟永遠の誓い

ふやけた造形なのでそうでもないがセブンガーがもしキングジョーみたいだったら本作がある意味ウルトラの星の超重要ミッション回だとしっかりつたわったとおもう。戦闘ロボ輸送作戦にはちがいないのだから。たしかに郷の顔面拘束と前半のシリアスさはそれっぽさをつたえてはいる。そして後半のレオ帰ってきたウルトラマンの謎の月蝕コラボ技もまぁよしとしよう。それよりなによりすごく好感がもてたのはマックの宇宙ステーションの内装だ。当時はザットもそうだったが装備のデザインがとにかくダサいとかんじた。しかしよくかんがえるとマックの宇宙ステーションはある種の巨大戦艦なわけでそれに基地ひとつぶんの戦力が一極集中されているわけだ。とかんがえればゴチャゴチャのわけのわからないこのuボートな混沌とした内装そしてその閉塞感は戦闘の極限状況さをつたえるのにはひどくやくだっているのではないだろうか。のちに全滅することまでかんがえればますますである。たしかにマットもハードな軍隊だったがレオのマックはもう悲壮感マックスでレオの物語ってじつはマックがメインのダンが主人公のそういう物語だったとしてみるのも一興かと。

2018年6月1日金曜日

くたびれ損の骨もうけ

背景に河川の護岸コンクリートがひろがっているどこか近未来な光景しかしカメラをひくとうつりこむのはゴミの山やっぱり終末未来だった。ということでここはすでに土手下の川の敷地で河川敷もしくはひからびた川の底のなれのはてなのだろうか。もしくはあのターミネーター2にでてきたような蓋のない巨大な下水溝か。いずれにしても怪獣達は河原者の被差別民族である。その証拠に彼等この川の底のなれのはてのさらに底を日々ほりおこしてしのいでいる。それどころか争奪戦までえんじている。本作を最下層大暗黒下水道映画といわずしてなんとしよう。それにしてもウルトラファイト。怪獣への愛と哀愁がみちあふれている。セブンも怪獣の一匹としてえがかれているのが超好印象。

2018年5月30日水曜日

日本沈没

前半が名探偵タドコロを主人公としたミステリー映画なら後半はマッドサイエンティストタドコロの発狂そして失踪をえがいたホラー映画。ホラー映画だからまともな庶民はえがかれないえがかれるのはゾンビのような群集ばかりそう地獄にうごめく亡者あの新東宝映画地獄のイメージだ。屋外は瓦礫だし屋内の壁はことごとくひびわれ照明もくらいホラーといってさしつかえない。しかしまた本作ホラー映画としてもちょっと特殊で災厄をもたらすところのモンスターがとにかく抽象的で正体不明。しいていうなら巨大暴走aiコンピューターならぬ巨大な地震列島その模型的現象学シミュレーターおよびマスメディアと国際諜報戦略とでもいおうか。かぶさるのもミニマルでアンビエントな音響というか音楽というか。その無機質さ単調さはいつのまにか脳内にしみわたり壮大な無常感としていすわってしまう見事というしかない。ぶっとんだ悲劇すぎる悲劇においては実物の人間の死なんかより文楽人形などの人体破壊のほうがときとしてより悲劇的にうつるのとおなじ。ドラマ版日本沈没リメイク版日本沈没のような光学合成メインの特撮やcgではこうはいかない。そう本作にドラッグ効果はない。ではいったいどんな効果か。本作どこにもパニック映画のテイストがみられない肩すかしもいいところいやあくまでもよい意味で。特撮シーンは独自の美意識をもちすぎてしまっておりなんらパニック描写に貢献していない。特撮シーンそのものごっそりと奇妙なモンスターと化してしまっている。いやはやとにかく本作のもつなんともいえない手づくり感不気味にアナログな人肌感これは非常に冒険的先進的なこころみで。ときとしてマットーなパニック映画としては破綻や退屈とうつるかもしれない。げんにワタリ老人宅での火山灰なのか死の灰なのか屋内外といわずふりそそぐシーンは完全に一昔前の時代おくれなやすっぽいオバケヤシキ映画そのもの。グランギニョールのハマープロホラースタイルだ。しかしそのおかげか人間ばなれしたアンドロイドのようなワタリ老人の側女ハナエのなんとうつくしくりりしくホラーばえしてしまっていることか。そしてその姿は前半の震災でなくなったヤマモト総理夫人の遺影とかさなりのりうつりよみがえったかのようで不気味だけれど涙なくしてはみれない。やすっぽいゾンビメイクもはなはだしいタドコロの不意の再登場もやはりそうで。不気味だけれど涙なくしてはみれない。本作ホラーなのになけるこれこそ鎮魂である。映画自体が古代神前儀式となっている。だからヒットもした。

2018年5月29日火曜日

生きものの記録

まずひとつ主人公の名は中島喜一中島といえば中島春雄さんだ。そうゴジラの中の人本人も出演している。精神病院の医者にはフランケンシュタインの博士ガス人間当人もでている。しゃれているではないか。ふたつ目は喜一のしんだ妾の子供で成人しているのに彼にあまい喜一の月々の小づかいを宛にほうけている義理の腹ちがい息子がでてくる。その彼が今風ひきこもりにみえ実にリアル。後ひとつ音楽についてである。基本的に映画音楽といえるのはテーマ曲だけで劇中いわゆる映画音楽は一切でてこない。効果音のつかい方がこれまた実にしゃれているからだ。先のひきこもり息子のかけるレコードの音としてだとか完全に演技と同期させてオリジナルサウンドトラックを使用してしまっている。これはある意味ミュージカルでありオペラである。ノンマルトの使者で少年のクチパクオカリナにうまくサントラがかぶさるシーンがあるがあれとおなじ。純粋映画音楽としてはそのテーマ曲一曲のみそれもたった二度冒頭それとなんとエンドマーク後の闇の中フルコーラスでフルメタルジャケットがおわった映画館の闇の中で突如ストーンズの黒くぬれがひびきわたるあの手法これが超ダークサイドというか漆黒の暗黒宇宙電波感満点でめちゃめちゃバッドトリップさせられこわいのなんの。筆者はあのマタンゴのラストをおもいだしてしまった。特撮ネオンの人工東京に夜なのになりひびきつづける建築用杭うち機の打撃音それにかぶさる無気味な音楽。そういえばひきこもり息子はいちはやくマタンゴ化した。

2018年5月26日土曜日

よみがえった岩石怪獣

カメラマン役の東京氷河期をすくったおとうさんの偏執と漂泊っぷりが田所博士をおもわせ実によい。ファイヤーマンのシリーズ設定と日本沈没にはかなりの相関関係がみられる。ファイヤーマン。怪獣発生原因が。宇宙からの侵略とか放射能とか公害とかではなくおもに近海の地殻変動によるものとされている。防衛組織も。既存じゃなく緊急国家プロジェクト的に仮設されたもので国際的な規模をもたない。装備も民間調査用潜水艦からの転用が主要戦艦。わだつみに魚雷がセットされたようなものが毎回大活躍する。メンバーも大半が博士で体育会系じゃなく理系。母体がどちらも海洋開発センターとかなんとか。どうだろう日本沈没のd計画にとてもにていると筆者おもうのだが。おまけに基地というか本部というか内装が両者そっくり。自動ドアじゃない。まさに事務所というかんじで。もろd計画本部。制服なんか日本沈没に潜在する民族主義的なテーマを意識してなのかどうなのか。どこぞの作家の私設民兵組織風。まぁその組織の歌自体がとてもよくできたアニソン特撮ソングのようだったのでどちらがどうとかこうとかいえないのだが。で傑作回の本作。怪獣がでてくるにはでてくるのだが派生的に出現するのみ。メインのモンスターは。水。そういきている水による水害こそが敵なのだ。どうだろう。日本沈没してやしないだろうか。特撮も本家におとらずよくできている。それは本作にかぎらずで。ファイヤーマン全体にいえるのだが。炎や水の特撮がとにかく過剰で。スタッフがいかに日本沈没をリスペクトしているかつたわり筆者ひどく好印象なのだ。最後に。ファイヤーマン。番組後半にいたり舞台は山村に限定されていき。その村の子供と心かよわせるようなエピソードがふえてくる。うがったみかたすぎるかもだが。日本沈没の設定をとりこみ。というか設定にみずからとりこまれ。大半の臨海都市部は消滅した。そういわんばかりなのだ。だとするとすくいのない日本沈没にファイヤーマン。ほのかな希望の光をともしているようで当時の子供達がどれだけちからづけられたことか。震災後の子供達がどれだけちからづけられることか。ちょっとなけてくる。

2018年5月22日火曜日

日本沈没(1973)

まずd計画って名称がしぶい。ある日。貧乏民間科学者のタドコロが間がりしているタドコロ研究所。路地裏レンガづくりの古ビルだ。黒澤映画よいどれ天使といったオモムキ。のもとへ三人の謎の男がたずねてくる。ナカタ。クニエダ。そしてミムラ。第一線級の科学者と政府直属の人物。ナカタとクニエダなんかもうfbiってかんじでスパイ映画なオーラ全開。さすがにアタッシュケースから極秘ファイルってほどじゃないがクニエダが鞄の重要機密書類をみせるところなど。もりあがること。もりあがること。他のメンバーだが話はちょっとさかのぼる。タドコロは盟友ユキナガと。過去ある調査をおこなっていて。なかなか見所のある青年とであっていた。オノデラである。オノデラはタドコロにdメンバーとして大抜擢される。ちょうどそのころオノデラはレイコという女性とであっていた。このレイコ。いまいちヒロインというほどのハナがないので本作がかたられる際あまりよくかたられないがちだがやはりdメンバーでの存在だとしたらどうだろう。いしだあゆみ実にあうとおもうのだが。ぜひ一度d計画本部に顔をだしてほしかった。そこでその本部なのだが。これがまたかっこいい。タドコロ研究所の地下。スタッフ最新機器完備と耐震補強で始動。あのファイヤーマン第二話でのsaf の内装は。ここからきていたのか。そっくりだ。路地裏のレンガビル地下に人しれず重要機密施設があるなんてわくわくするではないか。そして。d計画本部ファーストシーン。もうそれはそれはめちゃめちゃかっこよかった。

2018年5月14日月曜日

変身

ウルトラq#22。恋人は水辺で消息をたち水辺で発見された。水にさらわれたと解釈できる。やはり全編女性のみた幻覚。蝶の鱗粉に幻覚作用があったのだ。女性も吸入しているので途中から蝶が巨大化してみえたのだ。延長というかその重症化が恋人の巨人化。そこで博士が重要となる。そう精神科医とその患者という関係だ。よくある夢おちミステリーものの定番設定。幻覚には蝶の鱗粉だけが関与したのではない。多分に女性の性的深層心理も反映している。ミシマの音楽をおもいおこし筆者そうとらえたほうがおもしろいとかんじた。やたらでてくるグンプクたちのマッチョイズムもミシマ同性愛的なものもふくめ。やはり性的深層心理の幻覚らしさをもりあげやくだっている。巨人はたちきられるように。女性の残酷な言葉によって。元の姿にもどる。この博士の光線はもしかしたら彼女にほどこされた電気療法の比喩ではないだろうか。彼女の内的独白と同時に作用してすべての幻覚が解消したのではないだろうか。水辺でだきあうふたりだがどこか女性のマリッジブルーは解消してはいないような後味のわるさがのこる。さて蝶だが。巨大化してからの蝶のほうがよくできているのは本作がまさにドラッグフィルムたるゆえんでじつはそうみえるだけ。巨人の描写もいつもの円谷本筋の怪獣的なそれじゃなくどこかドラッギー。そしてやはりそのほうが本作にじつによくマッチしている。もし本作をちゃんと映画にしたならば怪獣映画になってしまうだろう。30分という魔法の尺はまさにドラッグフィルムの天国だったのだ。円谷一はそれにきづきさらなるドラッグを開発する。そうウルトラファイト。5分だ。

2018年5月13日日曜日

パシフィック・リム

あのドイツ映画U・ボートをみたときの興奮がよみがえった。本作。とんでもない傑作潜水艦映画だった。ロボットはヒトガタをした特殊潜水艦だとおもおう。大戦中のドイツや日本のアクロバティックな発想の潜水艦開発をかんがえればじゅうぶんにありえる設定である。地下の潜水艦基地を丁寧にみせてくれるところなどはなによりもうれしい。そのスケールや空気感までが手にとるようにわかるほどまでにつくりこまれている。それぞれの潜水艦。あえて潜水艦としたい。の隊員というかクルーも超個性的で。まるで香港の場末に存在する見世物小屋のフリークス。とくに科学班がしっかり科特隊やウルトラ警備隊っぽくコメディー担当なのがよい。しかもTACの梶隊員のようにジャンキーときている。とにかく敗戦濃厚な決死のドイツや日本。おいつめられたレジスタンスの一斉蜂起をおもわせワクワクしっぱなし。大平洋の底ふかく次元の裂目から怪獣が次々と襲来するなんて。まるで巨大な地球の下水へとつづく排水口から気色わるい公害奇形生物がわいてくるようなムズムズ感で。実に生理的実感さえある。とにかくあの映画U・ボートもそうだったが。べたつく垢や汗や血のリアルな潜水艦のきたなさが本作も最大の魅力になっている。その点でいえば本作も。追記。わがライフワークジャンル下水道映画の範疇にはいるのでは。それもクトゥルー神話規模の暗黒宇宙下水道映画。

2018年5月12日土曜日

噴煙突破せよ

死火山の火口沼からなんの説明もなく突然発生した天然の精神ガス。それが原因の集団発狂こそ本作の正体。ある意味ウルトラマン全回中でもすごくホラーな回。冒頭に多数の鳥の死骸がでてくるがあれは呼吸ができなくなったとかでしんだのではない。ある種類のわたり鳥がガスによって帰巣本能とか方向感覚とかをくるわされ本来すめない寒冷なこの地にまよいこんでしまったための凍死。かくしてフジ隊員一人が調査にむかう。唐突に登場するホシノ隊員はフジ隊員のみた幻覚。どうみても登場のしかたが唐突すぎる。しかもこの幻覚のホシノ隊員はフジ隊員の性的願望深層心理的なものを反映してかすごくたのもしい。小型ビートルの操縦までこなす。とにかく本作。後半ほぼ全部。ガスで昏睡状態のフジ隊員が入院中にみた夢。現場におきざられたようにポツンとただうつしだされるだけの小型ビートル。そのいかにも遭難していますといわんばかりの所在なさがすべてを象徴している。水没現場でひきあげられる事故車のようなオモムキだ。そして車中から意識不明のフジ隊員がはこびだされ病院に収容される。目にうかぶようだ。さいわいにもやっと回復。フジ隊員そのパジャマ姿がいかにながいあいだ病院のベッドで意識不明だったかをものがたっている。怪獣事件など実際にはまったくなかった。すべては夢おち。事実みまいのみんなも時間をかけてじっくりめかしつけたような背広姿だし。用意された退院いわいも変に豪勢だし。やはり夢おち確定作。

2018年5月11日金曜日

噴煙突破せよ

モスラ対ゴジラは放射能の。架空のその作用。精神汚染。それにさらされた三名の。怪獣大戦争はジャンキー青春スターニックアダムスの。サンダ対ガイラはラスタンブリンの。そう三作とも幻覚であり見事なb級洋画風ドラッグフィルムとしてみれる。モスラ対ゴジラはどこかゴジラ対ヘドラをおもわせニック独壇場の怪獣大戦争は理由なき反抗にサンダ対ガイラはウエストサイド物語につらなる。たしかに空の大怪獣ラドンのように前半がいかにもな導入部なら後半がまるごと事故の後遺症による幻覚だとわかりやすいのだが。この三作にかんしてはトーンが前半後半にてしまっており後半の破天荒な幻覚が脚本演出上のハタンにみえわかりにくくスムーズにトリップできなかった。素直に娯楽としてたのしめなかった。どこか生硬でチグハグ。そこが難点。以上本作のことが一切でてこなかったが。本作もそう。本作たしかにおもしろい。そしてどこかつきぬけるポテンシャルももっていそう。でもただただその生硬さチグハグさにモヤモヤ。そしてそれを当所マゾヒスティックに本作の不気味さだなどと筆者みずからいいきかせにげていた。しかしわかったのだ。ケムラーの毒ガスは身体にではなく精神に作用するのだと。だとすると本作ことごとくガゼン大傑作なことが判明。そうケムラーさえ幻覚で。なにもじつは出現しなかった。なにもじつはおこらなかった。

2018年5月10日木曜日

噴煙突破せよ

本作の毒ガス怪獣ケムラーだが口の中が一瞬いなびかって毒ガスが噴出されるなんてまるでアッシャー家の沼がその四次元体内に存在するかのごときシュールさ。声といい色といい形といい宇宙怪獣でもない妖怪でもない。かといってありきたりの怪獣にはないあきらかにコズミックかつゴシックホラーな雰囲気を全身にまとう名怪獣。ふとおもった。惑星ソラリス原作ではなく映画版だが。惑星全体が精神感応する海におおわれているとされている。しかし筆者おなじタルコフスキー監督作ストーカーの湿地帯のイメージにひきずられてか実はあれは前文明の科学がのこした化学物質にまみれ汚染された広大な底なし沼であり。幻覚作用をもつみえない瘴気を発生するソラリスの沼なのでは。そんなかんじで本作も。火口にできた不気味な沼から正体不明の瘴気が突然発生。まきこまれたフジ隊員。とんでもない幻覚。それがあの怪獣ケムラーだったのでは。おおきくなったりちいさくなったりフジ隊員もともと不思議の国のアリス体質。今回などはまさにねむれる森の美女で。そうウルトラqのあの悪魔ッ子のような。結論。冒頭火口におちていくリンゴもいかにも象徴的な本作。怪獣版不思議の国のアリス。見事すぎるダークファンタジーだったんじゃないだろうか。

2018年5月9日水曜日

噴煙突破せよ

筆者。モスラ対ゴジラ。怪獣大戦争。サンダ対ガイラ。この三作のこのましい見方がずっとよくわからなかった。いずれも巷では人気作というかオタクうけがよい。対となる。キングコング対ゴジラ。地球最大の決戦。フランケンシュタイン対バラゴン。こちらは素直にたのしめた。筆者。まだまだなのかと意気消沈。そこでひらめいた。どこかハタンがすぎて筆者にはどうしても失敗作としかみえなかったこれらオタク人気作。そうサイケなドラッグフィルムとしてみればよかったのだ。ロックオタクの資質で怪獣オタクに対抗。だなんてわけでもないのだけれど。ドラッグフィルムに失敗もなにもない。どうせすべてよい意味でのb級ジャンクフィルム。一時的なトリップ用日用嗜好品。映画の原形のぞきからくり。つまりその創成期から自明のこと。そして怪獣物こそドラッグフィルムの温床で本作もじつはドラッグフィルム。全編幻覚の。夢おち作品。ホラー映画キャリーがパニック映画ベンが良質の思春期映画でありえたように怪獣映画は幻想映画として青春映画にも純愛映画にもうけとりかたひとつでどうにでもなる。そんなヤバい可能性をつねにひめている。それをいっちゃなんでもありのおしまいじゃん。かもしれないが。

2018年4月25日水曜日

海底科学基地

典型的なパニック映画のスタイル。30分ドラマパッケージにハリウッドばりの娯楽要素がコンパクトにつめこまれているそれも10年先行して。あくまでパニック優先で怪獣はそえ物だがそれらしくやはりコンパクトにまとまったよいデザインの怪獣。パニック物としてのシナリオレベルはたかくにがみさえふくむ大人の味。タワーリングインフェルノのような落成記念パーティーから物語ははじまる。当時すでに海ほたるな管制エントランスが設定されシンゴジラ冒頭さえ彷彿その近未来海浜風景にはおどろかされる。キリ番来場の少女と要人の二人が科特隊のエスコートで海猿のレガリアのような通常部外者たちいり禁止エリア施設最前線海底ドームに招待される。海底ドームがポセイドンアドベンチャーのように浸水そして酸素不足に。救出には科特隊の重機ではちかづけず小型潜航挺が外部組織から調達される。ここがまた日本沈没のわだつみのようでメカもだが調達の経緯もリアル。さらにそれに搭乗し救出にむかう救助隊メンバー。今回の実質的主人公フジ隊員とイデ隊員まるで少女をたすけるエイリアン2のハリウッドヒロインと田所博士のような鬼才科学者。ちょっとリプリービショップコンビのようでもある点が不気味。そんな二人がむかうのだからワクワクももりあがる。一方もろ災害孤立化した現場では密室タイムサスペンスの人間模様がくりひろげられる。 極限状態でのムラマツ隊長と要人との大人な軋轢。子供達の健気さ。パニック物としてホントよくできている。葉巻をすう要人にたいしてムラマツ隊長が空気をよごさないようにしましょうと提言するところなど環境問題サミットなディスカッションっぽくもありやはり限界状況シンゴジラ前線基地を彷彿。酸素ボンベをつけ施設上部への詳細な移動サスペンスがまたポセイドンアドベンチャーしている。救助隊到着ドラマは最高潮にフジ隊員など聖母のような崇高さであの潜水おばさんのよう。そういえばムラマツ隊長の酸素不足演技も最高だった。せきこみ方が先程の空気汚染の風刺にもなっていてそればかりかこの状況でさらなる感染症の発症かそんなふくみさえもたせた恐怖演技ともとれる名演技。さすがだ。解決後の親子再会シーン空港でのエアポートシリーズのそれのようにこれでもかというくらいよくねられていて感涙。またウルトラマンとの怪獣チェイスがぬるっと深海でおこなわれるのもいつもよりおくゆかしくそこも好感。ある意味ウルトラマンの正義超人らしからぬクトゥルー不気味宇宙人ぶりが意図せずでてしまっているようでホラーといえばいえるかも。ところでこのゼネコン総裁の要人というか財界大物なのか政府高官なのかちょっとあやしい。だってそもそもこの海底ドーム常勤スタッフがひとりもいないし一体なにかを自動掘削でもしているのか使命もふせられている。まるで私的な要人専用核シェルターで都市伝説巨大地下空間のような雰囲気さえただよってくる。したしみやすさを隠蓑にした政治的陰謀がよぎり国家的社会実験軍事シミュレーションのようにもみえる。そんな背景で登場する怪獣なので下水道の巨大ワニではないが未知の埋蔵エネルギー物質の影響での巨大生物またはメカニコングのような掘削用ロボット怪獣そんなことまで想像してしまう。そうじて本作にはおおきくよい意味で予想をうらぎられ筆者個人的なライフワークジャンル暗黒下水道映画としてもみようによってはみえてしまえるのでラッキーなひろい物。結論。70年代パニックスペクタクルを先どりしているどころか80年代パニックホラーさえ先どりしていた。追記。地上での怪獣バトルだがウルトラファイトのようでよいかんじに全体からういていてメタフィクションかシミュレーションとしてたのしめる。だって。海底科学基地。あまりに。そっけない。教材のような。そのタイトル。

2018年4月23日月曜日

かまいたち

以前。怪奇大作戦シリーズ中の吸血地獄が全編バッドトリップ幻想のドラッグフィルムだとかいたように本作。全編ヤング地方出身下町工場労働者の屈折した夢精な性夢。あのイージーライダー冒頭では薄ぎたない整備工場敷地界隈を無気力にゾンビのようにただうろうろしているだけの若者群像がえがかれる。仕事をしているのかヤクのとりひきをしているのかドキュメンタリーなのかなんなのか曖昧なへんな空気感ばかりがただよっていた。本作もあれみたいだ。たしかに夢オチ構造ドラマなふにおちないシーンが結構みうけられる。冒頭からあんな下水道のなかのような空間での死体見分はいくらなんでもひどすぎる。たとえ死体が無残すぎて置場にこまったとしても。ありえない。喫茶店アロワナショー。ありえない。違和感バリバリなサーボーつり人形退場ストリップショー。ありえない。ラストソングクレジットのサイケさと直前のシュールさ。ありえない。でも読者はそんな曖昧で重箱隅なことをかいてどうなる。オタクらしくきっぱりと長野卓監督の工藤栄一監督ばりな光と影の演出がどうのこうのとかけば。と筆者につっこまれるかもしれない。だって筆者。訳のわからないユーチューブな中二病映像作品もすきだし訳のわからないボーダーレスな文章もかきたい。だらだらと手もちぶさたでくるくるまわすシャーペンとか。そんな日用品との。そんなジャンクフードとのつきあいのようなくされ縁づきあい。うすくながく。みとめてほしい。だって本ブログタイトル日用映画劇場なのだから。

2018年4月22日日曜日

ゴッドファーザー PART III

ゴッドファーザーがニューシネマだと筆者する理由に。そしてゴッドファーザーシリーズがニューニューシネマとしてスピルバーグやルーカスの一連の例の人気シリーズものとおなじようにコッポラにとってのそれだと筆者する理由に。ゴッドファーザーはギャング映画ではないという筆者の見解がある。そうゴッドファーザーは戦争映画だ。それもベトナム戦争を発端とし冷戦構造に集約される。恐怖での敵の鎮圧という劇場型のナチズムさえこえたテロ型最終戦争ポストモダンウォー。ポストモダンウォーに勝者も敗者もない。はじめもおわりもない。ただ地球規模の汚染が心身に蔓延し内的宇宙が精神のダークサイドにのみこまれ魂のすべてが泥沼と化す。それもこれもすべてダースベイダーやカーツ大佐につながるマイケルコルレオーネの新人類な人格によっている。それどころかその後コッポラはそんなやはり新人類な実在のある人物の伝記映画さえ手がけてみせる。日本のある作家だ。みずからの遺作を隠蓑にその最終回を無惨な形で自壊させるとみずからはといえばホラー映画のダークヒーローを夢み実際そうなってしまった。そんな作家。コッポラはしななかったけれど本作以降その関係作品はやはりホラーよりの方へと傾斜していった。そう本作はホラーオカルト作品。エクソシストのような。そうみると。両作すくなくとも賛否両論青春派女優が主演をつとめ。よいかんじなb級感で。共通している。そのようにみなおすと。そういった身内贔屓な欠点すら。いとおしくなり。マイケルが慟哭し一瞬でふけきってしまう荒唐無稽さ。あの特殊メイクすらよくおもえてくる。この大シリーズを完結させるためには。特撮の技術の進歩をまつしかなかった。見事な大団円。

2018年4月20日金曜日

ゴッドファーザー PART II

ラスト。とってつけたようなかんじといい。物故した者ばかりがつどうところといい。ヴィトーもうつらない。不気味。まるで傷天最終回のようだ。皆幽霊なのか。バスのなかからオサムをよぶアキラも不気味だったが。マイケルの入隊を唯一人肯定して手をさしのべてくれたフレド。なけてくるが不気味。そう。なんだか本作のこのシーンもどこかかるい。なんか傷天同様オフザケのようにもみえる。ミステリーゾーンの火星人は誰だのラストのような。だからか。よけいにえきらないあとあじのわるさ。で。本作。縦横無尽な時間構成空間構成もふくめ。1や3からおおきくういてしまっていて。ロードムービーなかんじもあって。もっともよい意味で破綻気味のニューシネマ色つよくおもうのだがどうだろうか。だらだらとながい悪夢のような幻想映画ドラッグフィルムのようにさえかんじられる。ディスカッションしてる内容も正体不明の不気味な日本軍。その真珠湾攻撃。スケールは人類史にまでおよびダークサイド感も半端じゃない。マイケルのふかすぎる孤独と暗黒面がきわだつ。ソニーやフレドの無垢さも。

2018年4月19日木曜日

女優

以下ネタバレ気味注意。信頼できないかたり手物がすきならオススメ。とだけしておき。該当者と世にも奇妙なファンはここでよむのを中断。退室して早速みていただきたい。以下特撮オタクむけ記述。一番気にもなって感心もしたのが。カウンセリングしている医師の背後にうつりこむ不自然に豪華なav機器群。当初。特殊医療機器のセットがわりとしてかなんかにでもつかわれているのかな。などともおもったりもしたが。なんと。しかし。それがラストの病室の監視カメラシーンへの。伏線のようなようでないような。そんなかんじになっていようとは。とにかく放送局もびっくりのav機器重装備。カメラ。スタジオ。エキストラだらけの。テロリスト。スパイ逆スパイが横行する。sf近未来監視応酬社会が時代設定。なのか。ガキ使わらってはいけないオモシロ精神病院が本作の舞台。つかわれる小道具がすべて伏線的に雄弁。演技脚本に目をむければ。普通に大人のサイコミステリー物をねらってつくられたのだろうが。いきおい。美術や特殊効果の。病院の。雰囲気。空気感。の方に目をむけると。ドリフ屋台くずし少年探偵団的特撮物として俄然たのしめる。スペクタクル。だ。みようによっては。その流用セットなどのしたしみやすい味わいのおかげで。よいかんじにやすっぽい。怪人二十面相的駄菓子屋世界としてもさらにたのしめる。まさにウルトラファイトならぬ。怪奇大作戦ファイト。わかるかなぁあ。よい子だったオジサンオジイサンにはわかるよね。本作。筆者想定外のほりだし物。だった。世にも奇妙な物語の中でも。かなり私的上位ランク。な名作。怪作。珍作。

2018年4月18日水曜日

ザ・インターネット(1995)

やっぱりテレ東午後ローのちょいふるめのラインナップははずれがない。インターネット版エクソシスト。老母を施設にいれている呵責をもった主人公。その孤独のふかさもカラス神父をおもわせる。カラス神父が悪魔以上に不気味な存在におもえてしまったのと同様に主人公べネットやジャックのハッカー達が原始インターネットやテロリスト以上に不気味におもえてしまった。サンドラブロックの個性がいきたダークヒロインぶり。バイオニックジェミープティット。笑。以来のあたり役。でも一番不気味だったのは途中からでてきて途中であっけなくけされたカウンセラー。カウンセラーといえばエクソシスト2だし。

2018年4月17日火曜日

吸血地獄

たしかに火垂るの墓の兄妹の死は実際餓死だとしても映画のえがかれかたは末期の走馬灯な幻想として曖昧にされている。のっけからもう全編客観現実ではない。じつはずれたところからかたられた主観非現実だった。だから全編生物化学兵器工場の炎上による致死物質の飛散汚染大量死へとおおきく話がもられおきかわっていたとしても不思議はないしそうも解釈できる演出。だから筆者はあの沼に有害致死物質がふきだまっていたとかいた。それだけではない。空襲直後のくろい雨だが目や傷口でうけた者は多数で実際救護所で目をあらってもらっている者が列をなしていた。もしかしたら母親の死も傷口からの汚染による急性中毒かもしれない。だからアニメ反戦映画火垂るの墓は近未来bc戦争への警告となりえ実際なりえている。sfホラーの手法がとられている。そこで本作怪奇大作戦吸血地獄だが。これも実際は男女二人のジャンキーのたんなるドラッグ死で本来はよいのだろう。しかしこれもまた全編走馬灯だと筆者は確信する。そしてやはり近未来警告ホラーとして話がもられている。吸血鬼化症状となっているがあれはもろ感染によるゾンビ化だ。しかもゾンビ化しつつあるニーナは健気にも周作にはかみつかないようにと必死にたえ苦悶していた。そうじつは近未来の人類滅亡ゾンビ禍からのカップルの避難逃走劇というじつに壮大なスケールの物語。だから二人は客船で南へにげた。人類滅亡物で客船をつかうのは常套で世界大戦争や黒沢清の回路バイオハザードでもおなじみ。大分全域に戒厳令がしかれる件もまさに人類滅亡ゾンビ物な大スケール。吸血鬼一匹にしては大袈裟すぎる。実に吸血地獄は復活の日のような壮大なロマン巨編だったといえる。最後はみずからの手首をかじらせ感染後投身。結論。末期の走馬灯という手法はある意味ほぼきんじ手なビンボール気味の超変化球。夢おち以上に強力な手法だ。しかもその末期たるかたり手が火垂るの墓では今日は何日だなどという限界症状だし吸血地獄ではジャンキーだし。ととにかく信用にたらないかたり手。ドラッグフィルムの体裁をフルに利用している。しらないうちに走馬灯がもられていても文句がいえないように巧妙に二重にしかけられている。まるでドグラマグラ。ずるいとしかいいようがない。でもそうせざるをえない理由があった。つくり手のせっぱつまったいまここでつくらねば。そんなあつすぎる作品への過剰なおもい。ニューシネマはことごとくラストで主人公がしぬ。それはすべてのっけから走馬灯の幻想のドラッグフィルムだったということ。ということは火垂るの墓も吸血地獄もニューシネマだということ。せっぱつまったおもいでつくられた映画はことごとくニューシネマにドラッグフィルムになる。地獄の黙示録もそう。ミシマのホージョーノウミもか。

2018年4月16日月曜日

カッコーの巣の上で One Flew Over the Cuckoo's Nest (1975年)

カッコーの巣の上で One Flew Over the Cuckoo's Nest (1975年)ヘアー Hair (1979)ラグタイム Ragtime (1981)アマデウス Amadeus (1984)とリアルタイムでみてきたがどれも印象にうすかった。なくなったという事でユーチューブでカッコーの巣のラストをみなおしてみた。インディアンが水のみ場その物を怪力でもちあげ窓からすてる件は正義超人が敵の本部侵入に成功し世界支配者の悪のコンピューターを基地からひきはがし勝利するような特撮っぽいカタルシスにみちていて最高。だった。寡作で奇妙に職人娯楽監督っぽくもある。ハリウッドで活躍したヨーロッパ系監督らしいといえばらしいといえる。ミロス・フォアマン。もう一度たどりなおしたい監督の一人である。

2018年4月14日土曜日

火垂るの墓

あかい幽霊は黒沢清やニコラスローグでおなじみだし冒頭で荒野へなげすてられるドロップ缶にはいった骨片の謎も今村昌平の復讐するは我にありの骨空中静止の謎とかぶる。そして全編が幽霊による回想なところはもろシックスセンスでしかもさきどりだし本作見事なまでに意味深で快調な出だしのスリラー映画ホラー映画しかも傑作。ゆえに。くらい反戦映画などという陰気なレッテルがはられおかげでエンタとしてのパンクとしてのポジティブさが年々うしなわれ抹香くさい芸術じみたかびくささばかりがめだってしまうようで実にくちおしい。本作しっかりアニメゆえの拡張された映画的身体性にみちている。節子はもちろん。細部にかいまみえる少年セイタの性衝動っぽいトマドイや怒りや反抗心も見事な。くらくギザギザな青春映画だ。特に空襲火事場泥棒に迄おちぶれ無法を謳歌し映画的に躍動する件は。自動機械戦争という殺人とセッパつまっての窃盗。どっちが重罪。といわんばかりだ。ニューシネマのようでパンクだしロックだ。無垢のみがすくいのポストモダン時代の人間の終焉歴史の終焉のスタンスで本作はかたられている。裏テーマの化学兵器にたいするいかりの昇華の結果のカタストロフィーな荒唐無稽さもゴジラからの東宝の伝統だ。雨どころか横穴の沼の水も人心もことごとく軍需工場の重化学物質いや未知の化学兵器材料か。それもオキシジェンデストロイヤーばりの終末物質。に汚染されていた。ヤバめな森の中の謎の横穴防空壕跡と沼もホント不気味。なぜつかわれず放置されたのか。なぜ大人達はちかづこうとしなかったのか。子供達ばかりが心霊スポットのようにあそぶばかり。ホント野坂原作の映画には傑作がおおい。エロ事師しかり。とむらい師しかり。誰か全漢字題三部作も映画化してくれないものだろうか。骨餓身峠死人葛死屍河原水子草乱離骨灰鬼胎草。対岸の高台の邸宅もきもちわるい。被弾し炎上する軍需工場地帯の幻影とかさなる。蓄音機の音が霧のように沼の上をすべり少女の幽霊が一人あそぶ。ひびきわたる空襲アナウンスの音色の幻聴のような酷薄さとかさなる。典型的なゴシックホラーの仕たてだ。この躍動からのこの落差。こわいし不気味なのだがなんともホスピタブルにいやされる。のも事実。特に真夏の夜の性夢か。暗黒にぬりつぶされた観艦式。筆者的に最高。これこそがゴシックの。ホラーの効用である。本作。この際。元祖ゴスロリアニメの。そのパンク的精神的古典とでもいいきってしまおうか。そして。くりかえす。まちがいなくあの沼は汚染されている。ホットスポットのような汚染地帯で予言的でさえもある。いや。あった。としてほしい。ドロップ缶におさまってしまう迄に汚染物質に侵食されていたそんな悪夢は近未来sfホラーの絵空事の中でだけでホントもう沢山なのだから。

2018年4月13日金曜日

悪魔はふたたび

ウルトラqウルトラセブン間の過渡期としての初代ウルトラマンはシリーズ全体が邪神いりみだれる暗黒宇宙ホラーな超異色シリーズ。そして初代ウルトラマンは超不気味でダークな存在。本作のモンスターも怪獣のような姿をしているが怪獣ではない。すくなくとも恐竜由来の生態はもちあわせていないだろう。カプセルの中で液体化している姿はまさしくバイオテクノロジーがうんだ人造生命体。それも東京より前の謎の都市工業文明がまちがってうみおとした危険きわまりない産業廃棄物。都会の路地裏に潜伏していたチンピラ二人のようなバニラアボラスその姿がたのしい。米軍基地の中の街のような英語看板だらけのミニチュアセットをあばれまわるヤンキー愚連隊か。派手な赤と青のイデタチはさながらバイオテクノロジーがうんだAKIRAのようなかなしき不良少年達の集団抗争劇のようでもある。いやはや。でも相当にメイワクだしブキミだ。本作タイトルの悪魔はふたたびそれそのままうけとりスティーヴンキングアメリカンゴシックホラーとしての方を存分にたのしみなおすとヒーロー正統派とはまったく別のクトゥルー物の端緒がひらけてくる。福山博士はもろラヴクラフトだし金属板はネクロノミコンか。うれしい事にこんなかんじはイデ隊員とともに戦えマイティジャックにそのままうけつがれたがその後がうけつがれなかった。残念。

2018年4月12日木曜日

吸血地獄

火垂るの墓の兄妹が大人になる事をこばむかのようにして秘密基地ゴッコな防空壕跡でのオトギバナシ的生活にころがりおちるように突入する件。真夜中のカーボーイの二人にとってはユリカゴだったのか。低運賃長距離バスのせまい座席。傷だらけの天使やゲッタウェイのラストでじつはユートピアだった事が判明する。ゴミのまう夢の島。いずれも最下層自滅自閉の極だが。あらがえない何か甘美なくろいファンタジーへの萌芽が確実にみとめられる。怪奇大作戦本作の二人も若者らしいハウステンボスやディズニーランドといった場所でなく中年不倫カップルのように秘宝館めいた温泉地の観光地獄の方をえらんでいる。この低空飛行自閉したかんじ。きわめて甘美。そしてやたら不自然にくらい廊下をもつホテルはダークファンタジーの舞台として超最適。もはや宇宙のはてのダークサイド。そこへとおちこんで。なおそこでくりひろげられるのは。およそシリアスではない淫靡で下世話なドタバタ喜劇のようなsri牧と野村らとのオイカケッコ。まさにディズニーランドのアトラクションよりたのしいといわんばかり。皮肉なダークファンタジーさがみちみちている。とくに牧のハイテンションぶり。民間のドブサライのような犯罪捜査チームにはいる位しかなかった屈折した天才青年科学者像がはやくも爆発している。ドラマはいっきにクライマックスへ。離島の崖から転落する二人。またこの転落の仕方がよい。たかさにためらって足をすべらせたかのようなあっけなさブザマサ。イヌジニめいていて実にカッコイイ。おまけに二人の転生をまったく祝福する気どころかますますのろわしいものにするかのような。海面には汚染されたアカシ。ドスあかい赤潮さえ。結局何もおこらなかったんじゃないか位の無力感虚脱感。ここまで迷走汚濁もきわまると一周まわって爽快でさえある。そんな事を本作の神業演出はおしえてくれる。たしかに京都買いますのラストのたたみこむような汚濁演出もすばらしい。しかし本作はかるがるとその上をいっているとしたい。そう物語はいつの間にかセカイ系へと自閉してしまっていた。そればかりではない。そのうえやはりいつの間にかセカイその物も汚染の極にたっしてしまっていて。なにもかもがもはや終末。いや終末の予感余韻さえ存在しない。すべてがダークサイドにのみこまれていくばかり。そんなドスぐろいスペクタクルの爽快感。そこに。みる者は30分だけだが。孤独でなく連帯をみいだす。そう最下層自滅自閉のオタクまけ犬たちの暗黒大連帯。じつはこれこそが怪奇大作戦のもつ永遠最大の魅力で今やっとあばかれつつある本質なのではないだろうか。50年目の円谷金城コンビがしかけたとんでもない時限おき土産。

2018年4月11日水曜日

ウルトラ警備隊西へ

舞台は新東宝のラインシリーズに登場するような。多国籍で。いかがわしい。異邦人や宇宙人が暗躍する国際港湾都市神戸。そんな神戸に。さらにゼットンっぽい巨大ロボットまで出現。もうたのしくて仕方ない。要人をつれてのロードムービーじたての出だしには筆者個人的にもうワクワク。それどころかルート上に防衛軍自慢のシークレットハイウェイが点在でそのシュールさたるや抜群。どこまでひろいんだ防衛軍基地。笑。くわえて二重スパイの御都合主義な展開もb級新東宝感全開でエキサイティング。劇場映画ばりの豪華さをねらいおもいいれつよく丁寧につくられたせいかまったくふるさをかんじない。なにより神業のような脚本。前編後編で一本の劇場映画どころか前編一本後編一本としても充分通用する程。とくに後編のダンとドロシーの宇宙人同士による波止場での地球の運命の議論は本作をディスカッションドラマたらしめていて大島渚の諸作や三島由紀夫の美しい星をおもわせ重厚。しかしそれにしてもこういう作風だとキリヤマ隊長ははえる。で潜入捜査の面々の変装はといえば。あのmjの面々にくらべアレだが。そこがまたsriの面々っぽくてご愛嬌。リーヴ版スーパーマン同様。リンダハーディスティーのリケジョスーパーヒロインぶり。プラス震災前の神戸埠頭その暗黒街物な波止場っぷり。それらが堪能できるという点で。涙なしではみれない程の永遠傑作。

2018年4月10日火曜日

火垂るの墓

あかい幽霊は黒沢清やニコラスローグでおなじみだし冒頭で荒野へなげすてられるドロップ缶にはいった遺骨も今村昌平の復讐するは我にありそのものだ。そして全編が幽霊による回想なところはもろシックスセンスでしかもさきどりだし本作見事なまでにスリラー映画ホラー映画の大傑作。大傑作ゆえにくらい反戦映画などという陰気なレッテルがはられエンタとしてのポジティブさが年々うしなわれ抹香くさい芸術じみたかびくささばかりがめだってしまって実にくちおしい。化学兵器にたいするいかりの昇華の結果の荒唐無稽さはゴジラから君の名はまでの東宝の伝統なのに。

2018年4月9日月曜日

侵略する死者たち

病院の地下の死体槽からきえた10体の死体。基地へとおしよせるあるく死体たち。地球防衛軍メディカルセンター内はといえば基地の警備班と応戦し負傷した死体たちがつぎつぎとはこびこまれ混乱はさながら野戦病院。ベッドにおききれない死体は床隅にまで放置される。10体目のあるく死体だが巧妙にも基地地下の下水道施設内部を移動し中心部をめざしていた。そんなふうになにからなにまで本作。冒頭も深海の岩影をすすむ輸送潜水艦と。地下迷宮感全開で息さえつまりそうな全編閉鎖空間密室劇。そのおかげかラストの宇宙空間でのウルトラセブンウルトラホーク敵ステーションの戦闘シーンが異次元のすばらしさ。星ひとつない宇宙空間セット。飛散しない爆破片。点滅するだけの不気味な砲撃。なにもかもがまるで宇宙空間らしくない地下下水道内でのそれのような悪夢じみた閉塞感なのだ。こんな宇宙の雰囲気はあの外宇宙暗黒宇宙を舞台とした暗黒神話クトゥルーsfホラー映画エイリアン以来。というか本作のほうが何十年もさきどりしていた。

2018年4月4日水曜日

空の大怪獣ラドン

前半と後半ではトーンがガラッとかわる。もしかしたら後半は主人公の末期の夢なのでは。主人公佐原健二は物語のどこかの時点で死んでしまったのでは。安蘇の高原でさまよう主人公を恋人白川由美が目視するシーンがあるのだけれどもなぜかいつもそのシーンに筆者一番戦慄させられる。まるで主人公が亡霊となって恋人にあいにきたそんなかんじがするからだ。そう何度みても本作筆者的には怪獣映画とはおもえないそんな高度なショッキング演出技術満載のテクニカルカラーならぬテクニカルホラー映画なのだ。さて今一度みなおす事にするとしよう。監督本多猪四郎のホラー神ぶりを篤と。

2018年4月3日火曜日

悪夢が生んだ植物魔人

リチャードキールえんじる植物魔人。当初は睡眠実験の被験者の無意識を吸収し活動するエネルギー体にすぎなかったが被験者の死後は下水道内にすみつきそこの汚物を食用とし成長する完全に生物的な公害怪獣となってしまった。冒頭の汚物まみれで医院の待合室にねそべるコルチャックは空の大怪獣ラドンの記憶喪失の主人公同様かなり衝撃的だ。こんな臭気さえただよってきそうな汚濁感と倦怠感はゴジラ対ヘドラ級でなかなかこんな作品はない。それもこれもダークシティーたる大都市。シカゴが舞台だからこそ。本作ではそんなシカゴの文字どおり物理的な地下や裏どおりのみならず社会学的な下層や暗部さえ存分にあじわえ都市論ずきな筆者は大満足だ。

2018年3月29日木曜日

さらばウルトラマン

やっぱり本作ホラー回である。岩本博士のフジ隊員殺害シーンは一番の山場だ。その他にもホラー要素がてんこもり。ウルトラマンの技をプログラマブルにことごとく粉砕していくゼットンの圧倒的なつよさ。チビッコの筆者にとってもトラウマ級で当時の子供達全員にあたえた絶望的無力感はもはやホラー以外の何物でもなかった。次の週からはキャプテンウルトラなどという似非ウルトラシリーズだったし。ゼットン。肉片となってさえ空からふりそそぎおそいかかる。ハヤタの記憶喪失ぶりがその痴呆的表情とあいまってかなり不気味。詳細不明のちいさな新兵器が急転直下な事件解決をもたらすのも不条理きわまりなく。本作。全編がスピーディーに展開して唐突におわる悪夢のジェットコースターか。きわめて白昼夢めいている。すべてをダークヒーロー平田昭彦がかっさらっていったという点でウルトラマンはウルトラqのスピンオフでやはりどこまでもダークなダークファンタジーだった。

2018年3月27日火曜日

死を呼ぶ電波

本作は筆者的には電波公害パニック物だが電波ノワールな復讐犯罪劇としてスタイリッシュにつくられている。でも犯人は父親の復讐にとりつかれているというよりも電波電磁波といったそんな物その物の方にとりつかれてしまっているようにみえる。そこに筆者復讐をこえた巨大な狂気をかんじてしまうのだ。そこで筆者一番おそろしかったのが犯人所有のマンションの管理人室が秘密基地になっていてそこで犯人がおいつめられた時。画面の中に東宝映画電送人間の電送装置のような物そんな物さえそこに存在していてそれがうつりこんだ時だ。人類その物を憎悪し復讐しようとしていたのか。多分怪奇大作戦スタッフいつもの洒落だろうがこういうメタフィクショナルな恐怖を子供相手に嬉々としておこなうスタッフの人間性の方こそこわい。笑。

2018年3月25日日曜日

果てしなき暴走

被疑者アイドル少女歌手の車をおう特殊三沢車両のやすっぽいヒーロー特撮っぷりにはいまさらながらもえなおしてしまった。青い血の女の時の三沢の絆創膏姿以上にいたいたしいどころかどこか三沢が実験動物にでもされてしまったかのようなきもちわるい悪夢さだったからだ。本作も青い血の女同様ストーリーはさておき三沢キャラのハードボイルドさ加減と大都市東京の魔都さ加減をアンビエントとひらきなおり不粋につっこんだりせず粋にフィルムノワールとしてその雰囲気のみをあじわいたい。なぜなら三沢のハードボイルドキャラは今となってはちょっといたいが暗示される大都市東京の魔都さ加減は今でもじゅうぶんに不条理ホラーなのだから。フィルムノワールといえば霧だが全編スモッグにおきかわりもうこれは公害ノワール。

2018年3月23日金曜日

白い野獣(1950)

近未来。世界最終戦争の結果。世の男性はことごとくゾンビ化。特に悲惨なゾンビ窟にいたが感染をまぬがれたか感染したが未発症の女達が風光明媚な郊外のシェルターに保護収容された。すべてはシェルター内閉鎖空間群像劇としてかたられゾンビの跋扈する外の世界の様子は直接にはえがかれずシェルターにおよぶ個々の影響によってのみ外のその荒廃っぷりが間接的にしれるようにえがかれている。だからつい最悪の惨状を想像してしまうので余計にこわい。この辺は実にさすが安定した演出力でゾンビ群のでないゾンビ映画として実にワクワクさせられっぱなしの筆者。シェルターをきりもりするのは山村聰と女医の二人。二人は女達にいずれふたたび外の世界へでてもゾンビとの接触をつよい意志と生活力で排除でき自立できるようにまで女達にはなってほしいとねがっている。高潔なこの二人は俗な男女の仲を超越そんな高邁な理想でのみむすびついているのだった。本作。女メインの映画なので腕に職をもち完全自立した女医がめだつ。そんな中。岡田英次が。収容された女のひとりをたずねてくる。ゾンビでこそないがもともとドーテー気質の上過酷な戦場で心の傷をおい中二病をひどくこじらせたようになってしまっているゲスでダメンズな男だ。たずねこられた女は動揺する。その他。ついに発症してしまい隔離の為軍用車両で護送されていく女。自覚のない妊娠が発覚する女。やはり発症し失明宣告をうける女。シェルターといえども過酷な現実が次々とつきつけられる。ある日そんな中で全員に外出許可がでる。束の間の外の自由な空気だ。そして先の女は岡田英次の元へ。岡田との時間は泥沼の陰惨なものにおわる。結局その他の女達にはおくれたが女も無事シェルターにもどる。おってきた岡田も山村にさとされひとりゾンビ禍の中をいきぬく覚悟をかためいつか女をむかえにこれるようにつよくなると宣言し女とは目と目でわかれかえっていく。無事赤子も男児がうまれる。そんなかすかな希望の中あの視力をうしなった女が朝やけの中ひとりたちつくしあたらしい朝をぬくもりとしてゆたかに全身でかんじようとしている。それこそはこの女個人としてだけではなくシェルターいや全女性こそがゾンビ禍の不条理をももはや運命としてしっかりとうけいれ外の人類全男性がゾンビ化した今。それでも前をむいてつよくいきていこうとする新。人類。女。の姿であった。

2018年3月21日水曜日

ミイラの叫び

冒頭。布をかけられ担架ではこばれるロングショットは特撮物というより大人の刑事物を思わせる程シリアス。そんなミイラがはこびこまれる科学センターも通常どんな研究をしているのか。不気味な施設。もしかしたら死体蘇生か。徐々にホラー感はたかまっていく。本作しっかり下水道物。として筆者偏愛。そのわけそのシーンだが。まずミイラが逃げ込んだとされる下水道入口での被害者の痕跡がこれまた不気味ときた。ヒトガタのチョーク跡に血が点々だ。そして定番の下水道内追跡劇となるのだが。特に本作はその追跡劇のクライマックスが下水処理場なのが良い。施設はガス室のような近未来sfなひややかさで。屋外地上というよりなにやら地下の延長下水道の中継地点。めいた閉塞感があって雰囲気満点だ。たとえるならゾンビのショッピングセンターとその車の消えただだっ広い駐車場。幼少の頃の初見がトラウマになったのも頷けミイラの最期も汚水プールに落ちて浮かんでいるとかダーティーハリーばりの汚濁感もよいとは思ったが食事時の子供番組だったし。怪獣出現ウルトラマン登場となるのだがこの頃のウルトラマンはヒーローというより不気味な謎の宇宙巨人といった趣。かけ声というより不気味な唸り声を終止あげて怪獣ととっくみあっている。勝負がつき廃墟に横たわる怪獣の亡骸。おもいっきりかぶさるbgmがおもいっきり悲しい。さて本作変身を解くというか合体を解くシーンまで描き完全無欠ヒーローとしてのウルトラマンとしては不自然なかんじをあたえるかもしれないがそれは伏線で。オチをイデの定番ギャグハヤタウルトラマン説へともっていき悲壮感を緩和。かろやかに終結する為。だった。納得。とにかく初期ウルトラマン独特の混沌としたウルトラqな感じも相乗効果なミイラ男物のホラー回。そういえば旧ウルトラマンはそんな感じで番組前半のヒーロー物感薄い混沌とした所が魅力で。筆者は好きだ。逆に新ウルトラマンの帰ってきたでは番組後半の方がウルトラブレスレット設定になったりブレスレットに逆襲されたり身体バラバラにされたりレギュラー死んだりで正統派ヒーロー感薄れたその混沌ぶりが魅力だ。そんな風に帰ってきたウルトラマンは弱いヒーローに後半なっちゃったけど最終回に次郎くんの最大のピンチを救ったという所から。もしかしたら後半の新マンは人類のヒーローなんかではなく次郎くんをただ守っていただけなのかもしれない。そんなことを考えていたら旧マン。番組とおしてのイデとハヤタのその深すぎる奇妙な友情をおもいださずにはおれなくなってしまった。旧マンってハヤタだけでなくイデの事もホントに好きだったんじゃないかなぁ。マンがじいさんでハヤタとアキコの息子がイデつまり孫のかわいさをえがいている。やっぱり正統派ヒーローじゃない。セブンやスーパーマンら正統派は恋人を愛した。

2018年3月20日火曜日

座頭市血笑旅

加藤嘉が人間味のある小さな寺の和尚を演じ本作のすべてを最後でかっさらっていくのだがこれは後の砂の器で行者を演じやはり作品のすべてを大きく実はかっさらっていっていたのとどこかで深くつながっているように思えてしかたがない。また金子信雄もなんとも微妙なつかみどころのない父親像兼親分像を演じるのだがこれもやはり後に仁義なきシリーズでなんとも微妙なつかみどころのない旦那像兼親分像を演じることになるのだからこれまた因縁めいているとしか言いようがない。とにかく本作は何がすばらしいかってその映像美。いつもは荒野か地獄のようなんだけど本作に限っては花畑や紅葉そしてぬけるようなまるで東宝特撮のような青空でここは極楽かといわんばかりなのである。絶対夢おちでもしそうだな位の現実感のなさなのだ。話も単純きわまりなくまるでプロモーションビデオなシリーズ中異色でメタフィクショナルな本作なのだ。その分音楽も素晴らしく実在の地方の子守唄の超印象的な旋律が何度も色々に編曲されて繰り返し流されてくる。そんな夢のような旅からまた地獄のような旅路にもどった市がひとふしやはりあの旋律を力なくうたい本作は終わる。これは砂の器で現実はすべて地獄で。ただ父親との旅だけにしか結局生きることしかできずその後現実の父親とも会おうともせず犯人の作曲家は曲の中でだけあの父親と会えるものとしたものと構造的には同じなのかもしれない。とにかくこの二作はあのパリテキサスやゴッドファーザーパート2のように音楽が作品のほぼすべてを握り語っているそういう類いの作品である事に間違いはない。以下筆者心声。そうかゴッドファーザーパート2はロードムービーだったのか。いま気づいた。納得。

2018年3月19日月曜日

過ぎし日

そのむかし警察とはガス灯を点灯する者、であったという。都市文明論的な犯罪抑止の基本とは、を考え直すには良い例である。犯罪抑止といえば本作の主人公はタイムスリップする者の方ではなく、その未来から来た不審者の、リンカーン暗殺予言をひとり信じようとした警察官の方である。以下ネタバレ注意。暗殺はその警察官によっても阻止できなかったが、うかばれなかったその警察官のホテル従業員のその子孫が、歴史の微妙な改変によって、街の防犯名家として名士となっていたというのが、本作のオチである。それはどこか笠地蔵的な小さな慈善が報われる、おとぎ話的ホノボノさに満ちている。まさに地道にガス灯を点灯してまわった当時の地味な警察官の仕事、それこそが実は科捜研とか解剖法医学的な物であり、現代において立派に花ひらいた、そんな事をツクヅク感じさせる。本作そういう意味では、或る過去の記録に残らない人情駐在さん物語、として観ると実に面白い。苦い物語だが一筋の光があるという点ではミニ砂の器級の名作としたい、気も。

2018年3月17日土曜日

空間X脱出

とだえたことのない人類の宇宙開発。地球の人工衛星軌道上には膨大な宇宙ゴミの蓄積を認めざるを得ない近未来現状。漂う個々のゴミは時として妙なカタチで集積し異常な重力をもち異常な空間を生じさせると蜘蛛の巣のように旅客機さえも捕らえ遭難させるという。そうそれこそが本作の空間xである。宇宙規模最悪究極の汚染ヴァンアレン帯。訳のわからない宇宙線放射線とびかい宇宙細胞宇宙遺伝子未確認放射性物質なんでもござれの魔窟だ。不気味に赤く変色したクサムラを進軍するソガアマギ両隊員。森の中なのにまるで陰気な廃病院の中のように反響し響き渡る声。常に苛立たしいナースコールのようなベルの音。その主はまるでコンビナートが擬人化したかの如きセミ型の宇宙巨人。沼にハマればそこは底無し沼で。毒々しい色とりどりの亜硫酸ガスがいたるところから噴出。神経毒さえふくんでいるのか二人の精神はもはや崩壊ギリギリ。見上げる上空に巨大な地球さえみてしまう。しかしそこはヒーロー番組。セブンやホークの活躍で二人はすくいだされる。しかし集積して一時的に成立していた疑似空間なので時が来ればバラバラの素粒子に帰し虚無の淵へか次元のハザマへかかき消えていくなか間一髪での脱出はアクションをこえてやっぱりsfホラー。またいつどこにあらわれるかわからない空間x。本作のこわさは空間というモンスターであって怪獣や宇宙人ではないというところ。おっと宇宙蜘蛛を忘れてはなるまい。まさに汚染の象徴のような存在として空間xに繁殖。常にその排気口から有毒ガスを噴射し続け鉛色のバイオ金属っぽい表皮の色が不気味だ。ベル星人もイイ。意図不明だし。仙人か幽霊のような存在と思わせておいていきなり倒れたセブンに対してタコ殴りならぬタコ蹴りの高速連射はサイコパスの豹変っぽくてこわい。

2018年3月16日金曜日

吸血地獄

崖っぷちをドライブ中のカップル。文字通りだし何かを象徴してもいる。運転する男がやたらハイテンションだ。もうれつに事故のフラグがたちまくっている。酒に酔っているのかヤクでもキメテイルノカ。案の定対向車をよけきれず正面衝突いやよけたせいで崖下におちた。どっちなのかその辺が曖昧なままいきなり画面は葬式現場にきりかわる。ここのきりかわりは何度みてもぶつぎり感がすごくやはりきわめて異常としかいいようがない。加えて死んだ女の棺からとりだしたのか棺におさめようとしているのか男は薬物の小瓶を手にし。こんな物のまなければなどといっている。これもよくかんがえると変だ。なにより葬式の様子が。その他大勢のふるまいが我関せずで現実的手ごたえが全くない。どこかが変。何かがちがう。円谷一。氏の演出の他の作品。ウルトラセブン侵略する死者たちの冒頭。第三病院をフルハシがたずねた時の応対のちぐはぐさとか。ウルトラqあけてくれの冒頭。一平がおいてきぼりをくらう所の唐突さとか。よくにた異様さなのだ。やはり本作。もう異次元トリップ夢おちな。ドラッグフィルム感バリバリにふりきれてしまっている。そんな一氏はさりげなくなにくわぬ顔でドラマにメタフィクションという地雷的なモンスターをここ怪奇大作戦でも子供相手に平気でぶちこむようなそんなトリックスターなのだ。結局本作ラストのナレーションまでまきこんで大風呂敷の大嘘っぱち。真実は崖下におちた車。海岸なのか山肌なのかはわからない。岩の間にドクドクとみちるしんだ女の血糊。さながら郵便配達は二度ベルを鳴らす。そんなエンドロール部分。冒頭の事故シーンと正味それだけであって。吸血鬼がどうとか死後復活がどうとかドラキュラの末裔がどうとか実はすべてなかった事なのだ。ただヤクは。ヤクをキメての運転は。アブナイですよとさらりとながしてうまくかわしている様子だけだったのだ。スポンサーが製薬メーカーだったり売血など当時のギリの時事的話題をあつかっていたりというのもあるかもしれない。それだけにすぎなかったよい意味での陳腐すぎるストレートすぎるテレビ三面記事ウィークエンダー再現フィルムな内容。そうだからこそ本作。まさに奇跡的ドラッグフィルムたりえている。成功失敗を越えた作例で。筆者はその魅力にはまってしまって金輪際ぬけだせそうにもない。

2018年3月13日火曜日

侵略する死者たち

本作は怪獣が登場しない三部作。としてウルトラセブンマニアの間でかたりつがれる名作だ。しかし本当にそうだろうか。ラスボスの宇宙人は姿をみせないとされている回としてもかたられる本作だが。ラスボスはあの宇宙ステーションその物なのでは。宇宙ステーションというか巨大な円盤というか。かたちもなにやらおかしいし。おおきさも中途半端だし。使途不明な物体だ。なにやらスクラップの集合体めいている。そこで筆者はあれを怪獣といいきってしまう。名づけてデスシップ。そうさまよえるオランダ人ではないがあれは宇宙の幽霊船なのだ。ミステリーゾーンにでてきたあれとおなじ物。宇宙人ではなく地球人の搭乗員が。いまだみずからの死をうけいれられず。船内では死体が。ダンのいう念力とやらで。操縦しつづけている。ミイラ化した死体の散乱する中。影がうごめき機器だけがみずからうごいているシーンを想像するとこわい。巨大なうごく墓標。そう。そういう意味ではあれは円盤でも宇宙ステーションでもない。モンスター。れっきとした怪物怪獣だ。一種の。着ぐるみではない操演怪獣。そうだとしてみれば内部にとりこまれてどこかにつれさられそうになるウルトラセブン。あれは実はどんなはげしい攻撃よりもこわい。つまりなぜならそうあれは黄泉の国へとわれらがウルトラセブンをつれさろうとせんとするやばすぎる儀式だからだ。だとすると俄然。先の小さなコップにとらえられる小さなウルトラセブンあれも児戯めいた物にみえていたのだがそうではなかった事がよくわかる。よくよくかんがえると本作かなりこわい。そしてなにより最後のダンがとる電話。あれこそは死者からの電話。だったのだ。本作のゾンビは人をかじってしなせこそしないがいきたまま冥界へとさそってしまう能力をもっている。そののろいがウルトラセブン最終回だとするとメタメタにこわい。おそわれた通信担当隊員のその後が気になる。もしかしたら電話はその通信担当隊員からの物だったりして。

2018年3月10日土曜日

恐怖の電話

公衆電話の送話口にジャストフィットする殺人装置のかっこよさ。さらに急遽パワーアップさせようとしてか。なにやらUSBメモリーそっくりのような物を接続した時にはホントおどろいた。すごい先見性だ。被疑者役の女がイイ。わざとなのかすぐに気をうしなう所とか気のよわい女を擬態するニューロ悪女っぽい。そんな女にたいするマッド牧。どこか異常性欲者のように終始サディスティックだ。特に無響室に監禁し轟音をあびせるなどまるで拷問である。そのせいかここにきて牧が悪魔ばらいのエクソシストにみえ女のニューロな不気味さは頂点に。直後。悪魔つきがとれたように入院するが。そこでつきそうのが三沢なのがまたイイ。本作。怪奇大作戦番組としてあさい回なので。SRI の組織としての魅力がほぼほぼ皆無。しかしそのおかげでイイ感じにニューロな悪女に翻弄される男二人。男女三人の群像劇になっててこれはこれで貴重だ。

2018年3月9日金曜日

殺人回路

高層ビルという閉鎖空間で徐々においつめられていくかんじはそういうのがめったやたらでてくるあの事件記者コルチャックをついおもいだしてしまった。そして事件解決後主要人物二人がビルの屋上でしみじみとかたりあうシーンなんてのはやはりあの科捜研の女やシンゴジラでおなじみ。そんな既視感満載の本作だがさすがの円谷特撮といわんばかりで。その光学合成技術とキャラクター造形センスはすばらしく。うつくしき殺人者3Dダイアナの魅力は他の追随を当時も今もゆるさない。そして平田昭彦という魅力的な真犯人の刑事コロンボばりの倒叙ミステリーでもある。

2018年3月3日土曜日

遥かなる我が家

ミッキーカーチスに伊武雅刀。中々ロックしたキャスティング。で。ラストでボックスの中から女性の死体があらわれるがあれは今回の火災現場のビルの地下か隣にずっとあった物なのだろうか。それともたちいり禁止になったのをよい事にあらたに何者かにもちこまれた物なのだろうか。それともそもそも今回のビルではなくまったく別のビルで。純粋に次回への前ふりなのだろうか。もう何が何かわからない。アンナチュラル。とにかく本作というか本ドラマの魅力はカソーケンとはことなりラボ自体が不気味な点にある。ラボのメンバーも何やら全員最終的には犯罪者だった的な物のようにもみえる。グラサンの葬儀屋というか霊柩車ドライバー。地味に不気味キャラたってるし。さてさてラボその立地にかんしてだが。マチナカなのかマチハズレなのかただやけにひろそうで研究実験学園都市みたいで毎回不気味である。舞台となる街も東京っぽくなく最後とんでもないすべてはシミュレーションでした的なおわり方でもしそうな仮想都市にかんじられる。おわりのない女性無差別連続殺人死体遺棄事件がずっと街に闇の影をおとしセブン的な犯罪都市な得体のしれなさを更に増幅してる。それでもそれが本ドラマのグロテスクに異形な。ゆがんだ魅力の根幹をなしていると筆者はおもうのでカソーケンとはまったく別物としてたのしんでいる。一寸前のおなじtbs金曜ドラマ枠のわたしを離さないでのように。あとウィキったらプロデューサーが一寸ホラーよりのベテランみたいだし。

2018年3月2日金曜日

実は本作は大空港とならんで筆者的には泣けるパニックというかホラーというかそんな作品なんです。大空港は犯人夫婦のせつなすぎる純愛が裏テーマになっていたとおもいます。で本作では。都会からほれておってきた男と田舎の因襲でわかれさせられたのにあきらめきれずこの小さな町にのこり教師をしているそんな不器用な女アニーがでてきますが。やはりその純粋さ健気さと実に大人の事情なかんじが子供の頃にはわからなかったんですがオッサンとなった今はそれがそれはそれはもうあじわいぶかくかんじられてしまって仕方ないのです。そんな気のイイ女性。邦画ならさしずめ演歌なスナックのママといったところでしょうか。を鬼畜ヒッチコックはズタボロにしてころすんです。だから益々泣けますね。恋敵でもある女主人公メラニーとの奇妙な友情もあってかどんどんアニーの方はハカナゲになっていくんです。そして遂に鳥達の餌食となります。しかし最期までしっかりと子供。そうわかれさせられた男の妹なんですがね。男をあいしつづけているアカシかのごとく。その妹へもあいするキモチをもちつづけ最期まで命がけでまもってケナゲなのでした。この辺が初恋をひきずっててもそしらぬふりでつきあう幼なじみとかでてくるスモールタウン物の青春群像アメグラ調をおもわせてもうくすぐったいような郷愁をよびさまされる筆者。何ともいえません。その最期の姿なんですが。鬼畜ヒッチコックはもう尋常じゃない程にサディスティックに無様なシニザマを彼女にさせます。ある意味ゴッドファーザーのソニーのズタボロ死体の頭を更に足蹴にさせたコッポラ以上の鬼畜ぶりです。

2018年3月1日木曜日

CARGO2013

ネット上で話題になっていたゾンビショートムービー。その後カーゴと題され長編化されたがゾンビ物はこういう超資本主義的無資本主義的な日用品っぽい禅っぽい位置の実験短編とかな存在感が何処かにあう。ナイトオブザリビングデッドも因果なパブリックドメインだし。何の前ふりもなく運転席でめざめる主人公。もうここで筆者は夢おちとしたい。何故ならこういう泣けるホラーはそうとる事で更になけるからだ。何度もかいたが帰ってきたウルトラマン吸血地獄しかり。結局主人公は頭をうちぬかれ赤ん坊は女性に救出される。この救出した女性を筆者は冒頭の車内でゾンビ化した母親としたい。そう本作大半のシーン。主人公は母親の方で。かわりはてててすぐにはわからなかったが。子をつれ行方不明だった父親の末期の夢だったのだ。父帰る。

2018年2月27日火曜日

科捜研の女 SEASON 13 File 15 & Last File

先日おなじような老人アパートでいたましい火災が現実におきている。しかし。こうした松本清張や三島由紀夫の遺伝子をかんじさせる予言的社会派ミステリーはたやしてはならないとおもう。旧遊廓のような存在感ある木造。今では近所でも噂のあやしげな老人アパートになっている。そこでおこる住人の不審死。どこかホラーなカメラワークも中々魅力的だ。また住人の老人達が一人一人個性的で存在感があるのでどこか俺達の旅的な青春群像劇の雰囲気さえある。各々複雑な過去をかかえてこの老人アパートにながれついたような感があるがくわしくは一切かたられない。そこがまたハードボイルドしててよい。また大家がわかい女でセレブ気どりのあそび人なのも対比的でよい。一昔前なら相応の年代の名脇役をはいししっかりと戦争の傷痕や心の闇をえがき妖怪めいた老人達がうごめく重厚なゴシックミステリーといった所だろう。 結局事件性のない物への徒労な科学捜査だったがあぶりだされる事で当初洋館の怪物にみえた老人達が実は各々人生に真摯にたちむかっているダークヒーローだった事がわかってくる。そこがまた311後の前むきサバイバルな作品っぽくもありノートルダムの鐘以来の古典のよさもかんじさせてくれた。

2018年2月25日日曜日

帰還兵

未開の地って程ではないけれど田舎に突然ヘリコプター軍団が襲来するってのはやはりおそろしい。都会なら機動隊とかすぐたすけがきてくれる。田舎のドライブインだ。もう観念するしかない。そんなベトナムの村人が遭遇した恐怖とおなじ物を本作のアメリカの片田舎の住人達はあじわう。それも何の前ぶれもなく自然災害のように不条理に。そこにこそ本作のリアリティーがある。荒唐無稽のsfホラーのようだがしっかり日常が戦場化する点においてゴジラ1954のような正統的戦争映画なのだ。観客にもどうしてこんな事になってしまったかとかんがえてしまう隙をあたえない。ありえる事だ。事実自分達はおなじ事を既におこしている。そんな風におもわせる。アブナイ作品なのである。そういう意味では新トワイライトゾーン1985中のヤングアダルトでライトノベルな物と世評ではなってしまっているが。単に娯楽職人監督とはいいきれないふりきれたロックな監督の手によっているだけに独立した作品としてみた場合その反戦メッセージというか風刺は。しっかりと重くうけとめなくてはいけない。はまるとヤバいドラッギーな魅力にみちているからだ。80年代の作品だが。それもテレビの30分ドラマだが。その後の現実のアメリカの911テロや乱射事件や311をかんがえるとある意味封印作品級かも。サントラも一聴だとピーガブもろパクリに換骨奪胎したブルースハープ曲の無害な胡散くささでよい意味で一寸お洒落な安手のMTVにもみえる本作。そのかくされたぬき身のアブナサをよい意味で隠蔽してる。ってのもあるかも。その演奏は何処かブルースでレクイエム。

2018年2月24日土曜日

バイパスの夜

田舎ホラーのシチュエーションとしてよくある物にヒッチハイクがある。この場合ヒッチハイカーの方が異常者で常にドライブインに先まわりして執拗に都会からきたドライバーをつけねらうというかドライバーの前にどうやって移動するのか超自然的に出没してドライバーをふるえあがらせるそんなのがまず一つ。また別の場合だが逆にドライバーの方が異常者で界隈をいつも車でながし都会からのヒッチハイカーをひろっては殺害して山中に遺棄というかそんなのも又一つ。兎に角そんな風に田舎ホラーでは田舎の人間には時にとんでもなくおそろしい奴がいて都会からの余所者越境者はよくよく心すべしというような物。そこで本作。何がすばらしいってその両方をかねそなえている。山をながす異常者のタクシードライバーその車に付近の山小屋にでも潜伏していたのか逃走中の凶悪犯がのりあわせるのだから。そのスリルと結末が正にストロング級だ。外は嵐。密室の車内。山中。峠の崖の上。カーラジオのニュース。逃場なしのすさまじい心理戦がくりひろげられる。結末にいたっては正に山ならではの怪談か都市伝説か。田舎ホラーの魅力が濃縮されたような作品。

2018年2月21日水曜日

落日の決闘

まず上野隊員の様子がおかしい。でもそれが山の霧の逆マイナスイオンにでもあてられての異変とかんがえるといかにも山の怪談しててよい。少年の不良ぶりもよい。田舎の薄ぎたなさもよい。細部はギャグがちりばめられているのに全体をおおうトーンはどこかシリアスでいかにもな田舎ホラー。トンネルからいきなりとびだしてくる等身大ウルトラマンは悪魔のいけにえのようだ。くらい森せまいマット社用車内の隊長と女性隊員なんて。ヤバい位の社内ナントカな大人のいけないムードをかもしだしてるし。またそれをのぞきみる不良少年。別荘がからむのもまたよし。また怪獣もこの位いつにない強烈すぎる位のキャラでこそ人間ドラマ部分の変なあつみと整合するのかも。最後は少年更正の男ナミダなメデタシメデタシでしめくくられるのもイイ。今回の上野隊員のハチャメチャダークヒーローぶりは見事な主人公といってよい。見事なある意味かえってきたウルトラマンスピンオフ。上野隊員回。

2018年2月20日火曜日

ガラダマ

一種の秘境物と筆者はみている。ダムの底にしずんだ村。そこ出身のわかい女二人。しずんだ村がどこか南極の氷の下の古代都市を連想させる。そこ出身となると女達は神秘めく。巫女めく。そこにねらいをさだめておくられてきた刺客ガラモン。まきこまれるレギュラー陣。そんな本作の秘境探検物さを決定的に印象づけてくれるのが村の子供達。事態が深刻な局面をむかえた途端まったくでてこなくなってしまう。あれだけドラマをひっぱってきていたのにだ。おかしい。高所からみておどろいている様子なんかが一寸でもえがかれたってまったく不思議ではないのに。わかい女達のおどろきようもうすい。イチノタニ博士の方がよっぽどおどろいている。そんな森の中の木霊のような精霊めいたわかい女達や子供達がでてきた時点においてすでにもう本作は筆者には近郊秘境物の変則的傑作。追伸。さてモスラのインファント島やマタンゴ島だが。あれは地図的空間的にいっての絶海の孤島的秘境ではない。脳内の秘境だ。平和への切実ないのりがもたらした理想夢であり邪悪な性的欲求や放射能への恐怖からのがれようと常用したドラッグの幻影。そんなながれにあって。からの。本作のダム地区である。この脳内近郊秘境も。宇宙の未知の電波が。もしくは錯綜する現代の都会の電波公害が。ダムが水をとどこおらせたように。みえない電波ダムがそこにはあって。よごれたサイケでノイジーな電波のたまり場になってしまってて。人間の脳に影響を。あたえた。あたえうる。そんな結果とか仮説とかとしての。眼前のカタストロフのマボロシ。シミュレーション。というシュールなとらえ方もできるのだ。そんな夢おちっぽいかんじというか。ボーヨーとしたドラッギーなとらえ方の方がやはり筆者的には心地よい。やはり吸血地獄ににている。やはり永久不滅天才名コンビジルシ作だ。ツッコミ所満載ととりたいヤツはとればよいのだ。前回の三つ数えろもだが。筆者はどこまでもそんな癖がつよいがみえづらい。どこかかたりたらずでなげっぱなし。そんな監督脚本チームの擁護派だ。映画とは心地よい悪夢でよい。理解なんかできなくてよい。しみるワンダーさえあればよい。

2018年2月18日日曜日

三つ数えろ

依頼人の元将軍の屋敷はどんな地区にあるのかわからない。広大な事だけはわかる。棟の中にあるのかつながっているのか部屋のドアをあけるとそこは温室になっていて熱帯植物のしげる中。防寒重装備の車椅子の老人それが元将軍。きわめてブキミで仙人か妖怪のような存在だ。さてそして事件の発端となる殺人現場だが容疑者がいきなり自宅か別荘かでころされてしまう。その地区はなにやら近郊住宅街で雷鳴悲鳴までとどろきまるでホラー映画のような立地とシチュエーション。で本作は一粒で二度おいしい前半後半ふたつの事件で構成されている訳なのだが。すべての事件が容疑者のあのホラーな自宅か別荘かで重要な局面をむかえているのだ。そこがいかにも名作にありがちな古典的閉鎖空間密室劇密室劇していてよいのか。まったくふるさがない。本作。たしかに演技こそ見所なのだろうが筆者的にはミステリーというよりどこか怪奇なかんじがただよっていてそちらの方にこそひかれる。いりくんでおもわせぶりなストーリーはもはや怪談といいきってさしつかえない。そうハードボイルド物というよりフィルムノワール気味。人より場所や光や闇といった物の方がなにやらザワザワしていてキモいのだ。そしてついに仙人妖怪めいた依頼人の元将軍は二度とでてこなかった。やはりきわめてブキミだ。そして鍵となる先任の探偵も会話にはでてくるものの会話中の名のみで回想にすら姿をみせない。まるで謎の死をとげた先任の家政婦とかがでてくるゴシック洋館怪奇劇のようだ。あげくブキミにもまだどこかでいきていてなんとメキシコで死の床にあるとかいってるし。あと探偵のクルマのダッシュボードからとびだす拳銃はそのシカケがトンデモな発想な割には実に入念かつ重厚に円谷レベルの小道具としてかっこよくつくりこまれているのでまるで特撮スパイ物のsfチックな秘密兵器をみせられているかのよう。そんなこんなでこの監督を。なぜ筆者がすきなのかもがまた一寸判明した次第。

2018年2月8日木曜日

東海道お化け道中

本作は妖怪版必殺シリーズでもあり時代劇版仁義なきシリーズな集団ヤクザ抗争劇でもある。ヤクザが悪でならず者ならば妖怪は悪も悪。凶悪凶暴なくるいきったアウトローどころかモンスターである。そういうついわすれがちな事を再認識させてくれる。特に大人に。そうそして本作はネタバレになるからふせておくが怪物的純愛をえがいたラブロマンスいや純愛の怪物性をえがいたラブミステリーでもある。仁義の墓場か広島死闘編か。夫婦愛父娘愛をこえたある意味もうひとつの菩薩愛なのか。妖怪愛とでもいうべき純粋な愛の存在。執念。そんな事すらつかれた大人の筆者にきづかせてくれた。オバケ妖怪怪獣イコールお子様向そんなゆるキャラ的視点に日夜辟易している筆者としては爽快きわまりない好設定による日夜本ブログでかたっている持論の理論的反証ともなってくれた。つまり必殺シリーズというのは悪のしたで悪にくるしめられている小庶民を悪の更に上をいく悪がこらしめてくれるいややつざきにしてくれるアンチヒーローピカレスク暗黒街物の爽快感。だとすると本作は更にその上をいく魑魅魍魎ダークファンタジー。で正に本作の妖怪はころし屋の上をいくジェイソン系殺人鬼な訳でありその爽快感もころしの残虐さも貫禄も正にこれぞボーントゥ必殺という所の物となっていて爽快きわまりないという事がいいたいのだ。あと東海道の宿場宿場には土地土地の親分さんがたがいる。その設定がいわゆる股旅物だとすると。本作の中で妖怪みずからがいってもいるが。実はよくかんがえてみればわかるが宿場宿場の親分さんがたが入植する何百年何千年も前から妖怪という親分さんがたがそんな宿場宿場峠峠をとりしきっていたんだよなって事におもいあたる。そんでもってその親分さんがたのスケールもスゴミもヤクザでいう所のその器量ハンパなく人間の比ではないという事におもいあたる。で本作ではある見方をすれば人間ヤクザ一家と妖怪ヤクザ一家の勝負は歴然の一大デイリで。そんなカタルシス場面がラストに用意されている。が。その残虐さ非情さは仁義なきシリーズの比ではない。あたり前だ。相手は人間ではないのだから。その殺戮方法は文字どおりホラー。本作。はなっから妖怪物とうたったガメラ併映の子供企画の股旅物だから子供だましととってしまいがちだがもし純然たる大人向の股旅物として。そうザガードマンの怪談シリーズのような。タイトルもかえ予告もなく予備知識なく本作をみせられたらどうだろうか。その爽快感はある意味東映残酷エログロ路線さえもこえるブキミさオモシロさかもしれない。そうそう本作どこかオハナシがセーラー服と機関銃っぽい。妖怪一家もののけ組。セーラー服と機関銃のめだか組にまけてないかっこよさだ。一家。がデイリに勝利し山の中のホコラの。事務所。にたのしげに帰還するラストシーンの現代的。そう現代的。かっこよさといったら。傑作ジュブナイル。

2018年2月7日水曜日

呪いの壺

殺人回路美女と花粉果てしなき暴走と終盤ここにきて犯罪の規模が急に拡大する。sriのおかげでオオゴトにはどれもいたらないがどれも一歩まちがうとサイバーテロやパンデミックや大暴動への発展の可能性をさりげなくひめていてさすが大づめと感慨しきり。京都買います狂鬼人間ゆきおんなはその余韻もしくは番外編とかんがえると本作のひめる破滅のポテンシャルは絶大で正にピークというにふさわしい。リュート物質の埋蔵量からかんがえるともしそれが上空から白昼晴天ばらまかれたらとおもうと。そういえばライシャワー刺傷事件というのが東京オリンピックの陰で発生しその事件は犯人像の点と治療の輸血の点でそれぞれ本怪奇大作戦中の狂鬼人間と吸血地獄のエピソードにつながる社会的変化を実は当時水面下まきおこしていたのだ。いやそれどころかライシャワー発言なる物まで存在しなんとその内容というのが広島長崎につぐ第三の核標的それこそが京都だったという物。そしてその危機はおわってはいない。近未来戦争御用達な戦前からの半導体資源鉱山を京都はもしかしたらいまだ数おおくゆうしているかもなのだ。リュート物質もあながち比喩だけではないという事。一体この因縁めいた筆者的都市伝説。筆者この怪奇大作戦のあまりの巨大さにここにきて今さらながらもてあまし気味なのだ。よい意味で。

2018年2月6日火曜日

吸血地獄

衝突の際のわれるフロントガラスに。ぶちまけられる血しぶき。いかにも象徴的にみせようという意図なのか。特殊効果をもちいての。陳腐ともとれてしまうその劇画的演出。しかしエンディングのスタッフロールのやはり抽象グラフィックな特撮へと見事につながってしまっている。そしてそのままいきなりの葬儀シーン。それは何かフラッシュバックのような唐突さで。我々の目にとびこんでくるのでみているこちらの時間感覚は完全にそこでふっとび以降くるわされっぱなしになる。そしてやたらひきのロングを多用したドキュメンタリーのようなカメラワークの多用も異常だ。演技者以外にも無関係な人物がいつも画面にはいっているし必然性のないワンシーンワンカットな長まわしはやはりみているこちら側の時間感覚をわざとくるわそうという意図にしかおもえない。そうかとおもうと後半。舞台がホテル内にうつってからはやたらと画面がくらい。それも特に廊下。まるで怪奇映画の古城にでもまよいこんでしまった映研学生の学園祭レベル8ミリ作品かとおもってしまう程だ。そしてやはり決定的にサイケデリック。ロックの轟音のイメージ。とかさなるのが冒頭の吸血鬼の警官への急襲。小ばしりだしゴクゴクとまるでコーラでものんでるかのような音たててるし。メイクもすごいし。サイケでパンクでアナーキーな以上筆者偏愛故の吸血地獄。ドラッグフィルム説仮説検証メモ終了。

2018年2月5日月曜日

青い血の女

sriは民間のチームで基礎科学のチカラだけで怪奇犯罪にのぞむ。応用巨大科学や高度工業技術な武器も銃も警察手帳な権威ももちあわせてはいない。そこがいかにも街の私立探偵めいていてドラマに日常的なリアルさアダルトさのふかみをあたえている。さてそんな探偵などとしてふとして事件にかかわったばっかりにねらわれたり容疑者にされたりはたまた運命を左右する謎の女と恋におちたりなんかして犯罪の闇の迷路へとふかくまよいこまされていく主人公。そうした内容をドイツ表現主義やゴシックロマンの手法をもちいて映像化した物それがフィルムノワールだ。吸血地獄が全編ドラッギーなカラフルな悪夢だとしたら本作は夜という魔の刻がしかけてきた暗闇という魔物がみせる漆黒の悪夢。そんな視聴者をトリップさせる所。共通している。本作。正にフィルムノワールである。フィルムノワールといえばファムファタールである。運命の女である。悪女とはかぎらない。本作での運命の女は老人を家までおくってくれた親切な気のいいヤリ手風のOLだ。もしくはホステスかバーのママか。三沢の車の中でまっていたせいで三沢とまちがわれ結局。人形にころされてしまう。三沢としては複雑だ。たがいのちょっぴりな親切心たがいのちょっぴりな好意が一瞬。交錯した夜の大人の男と女。そんな実にオシャレなアダルト気分が一瞬だがこのクダリにはあらわれていて筆者。大すきだ。おくってやるといってみずしらずの男の車にのってまっているんだもの。sriマークがついてたからミーハーなヒーローにあこがれる少女気分もあったかも。また一夜のちょっとよっぱらっての上のワンナイトラブめいたロマンスではあったかもしれないがもう悲恋といってしまってもよい。また女だてらに車が運転できたばかりに人形はますます三沢と勘ちがい。しっかり三沢の身がわりとなってくれたのだこの女。三沢にとっては正に運命の女だ。夜と共にあらわれ闇と共に永遠にきえさった夢の女。フィルムノワールとしての本作を何倍にも魅力的にしてくれている。スタイリッシュでモダンな存在だ。本作もう一人。運命の女がでてくる。殺人人形をあやつっていたあのゴシックでドロドロとしたあの不気味な女のようなアレ。かたや犯人容疑をかけられ孤立無援の単独捜査を実行する男。かたや膨大な資産にうもれ広大な屋敷で余生をもてあます男。そんな中でであったそれぞれの女。それは見事に対称的だった。その出あいとわかれのカタチも。

2018年2月2日金曜日

吸血地獄

真夜中のカーボーイのラストパートの長距離バスでの二人の絶望的な逃避行。実は真夜中のカーボーイという映画はすべて長距離バスの中での夢の中の出来事としての出あいと死別だったのでは。バスで偶然となりあわせたヤク中同志。バスの中でキメての。それ以外のニューヨークの地は夢の中の土地で。そこでおこった事も何もかもすべて夢だったのでは。何故なら。はじまりもおわりも長距離バスそして長距離バスだったからだ。すでにジョーの横の席にはテキサス発の時点で瀕死のラッツォがいたのでは。十字架上のキリストのように。フロリダまで。ラッツォはジョーにとっての疫病神だったのか。それともすくいの神だったのか。バス旅行は地獄めぐりだったのか。ジョーがトラウマをこえ人生をあらためるために用意された天国いきだったのか。そんな戯言いいはじめたらきりがないとおっしゃるかもしれない。スケアクロウだろうがイージーライダーだろうがすべてそんな話ですべて夢おちだという事にできてしまうじゃないかとおっしゃるかもしれない。がそれこそがラストがすべて主人公の不条理死なニューシネマのドラッグフィルムとしてのニューシネマのニューシネマたる所以なのでは。そこで実は本作も。いたいたしいそんな真夜中のカーボーイのラストパートだけをきりとったようなドラッグフィルムだったのではないだろうか。冒頭の事故から直接につながっての浜辺によこたわる二人。それが正解なのでは。その間の本編すべては死に際の走馬灯でしかなかったのでは。それもヤクをきめていたが故のバッドトリップとしての。悪夢。そうそんな風に悪夢めいて混乱させられる要因。ひとつとしては幻覚の主体者が周作だけではなく時としてニーナの幻覚も同列でかたられているからなのではないだろうか。ニーナが吸血鬼に変身する時はかならず画面に周作がはいっていないし周作は変身の事をかたらないしおどろいてもいない。これは幻覚がニーナ主観とかんがえなくては整合しない。またsriが全員いつものキャラではない。まるで紋きり型ののっぺらぼうな人物になってしまっている。町田はいつの間にかきえ地元の刑事の方が大活躍するし的矢所長は人のよい子の父親の側面しかみせない。さおりはでてきすらしない。牧野村もまるでその辺の温泉街の田舎の輩にしかみえない。なぜか。それは周作がつくりあげた世界上の存在だからだ。ちょうど惑星ソラリスにでてくるソラリスの海が潜在意識を材料につくりあげたカタチだけのあれのような物。ニーナの義父がころされ義父にニーナが性的虐待をうけていたっぽい事もにおわせる描写があるがあれはあきらかに周作主観のおもいこみ過多の幻覚であり一方義母が島まできてくれて二人をころしてすべての罪をかぶってくれでもするかのような描写あれはあきらかにニーナ主観幻覚である。それだけ義母はニーナにおさない頃からやさしくせっしてくれていたのだろう。実になけてくる。本作。湾岸道路をつっぱしっていてダンプをよけそこねガードレールをこえ崖下の岩場の浜辺へ。実際におきたのはただそれだけ。全編二人の幻覚が錯綜しているだけのドラッグフィルム。ラスト。冒頭とおなじ印象的な音楽がながれる中。砂浜によこたわる二人。そしてスタッフロールテーマソングクレジットバックのあの映像。みちていく血潮のあの鮮烈な特撮イメージあれこそがすべてをあらわしていて本作吸血地獄その物だったのだ。本作。吸血鬼物でもなんでもなかった訳である。それどころかいつもの怪奇大作戦でさえもなかったのだ。ドラッグフィルムきわまっての。とんでもないメタドラマだったのである。スタッフが意識してかせずか。怪奇をかくれ蓑に世にもかなしい青春ドラマこそがここにしかけられていたという訳なのだ。丁度。ウルトラマンなるフォーマットをそっくりかくれ蓑にしたあのやはり世にもかなしき青春ドラマあの帰ってきたウルトラマンのように。

2018年2月1日木曜日

醉いどれ天使

ごみすて場に雨水がたまって沼化したのか。底なし沼がひあがってしずんでいたごみがあらわれ。それをききつけそれを目あてとし下層の者達がふきだまった結果。ハードボイルドなよごれた街ができあがったのか。そんな瘴気たちこめる妖怪のような沼こそが実は本作の主人公。まぁ都市なんて物はいつの時代にも所詮皆そうやってでき存在しつづけほろんでくはかない厚化粧の廃墟にすぎない。といえばいえるのだろう。そういえば自分もそんなsf短編を過去にかいたっけ。すてさるにはもったいない設定なので発想メモをさがしだしてみよう。たしか近未来水没した新宿西口と干潮の時にだけたちあがる東口の多国籍ブラックマーケットが舞台だったようにおもう。話をもどす。沼にたちむかうよいどれ医者。実にブラックなんとやらとかどろろな手塚治虫漫画っぽい。本作はsfである。ファンタジーである。ミフネは沼の瘴気で胸をわるくした自暴自棄のヤクザではない。ミフネは沼の瘴気でゾンビ化して沼からはいあがってきた沼にすてられていたヤクザの死体にすぎない。運命の風にただ翻弄されるだけの空虚な存在の人形が沼の瘴気で束の間の命をやどしただけのピノキオ的存在にすぎない。だからこそよいのだ。本作ゾンビ物である。だから題名に医者とうたわずファンタジーっぽく天使とうたっているのだ。とにかくミフネのゾンビメイクとゾンビ演技。それが見所。そしてとにかくあわれみとか感情移入を終始はねのけるハイテンションな怪人演技に終始するミフネが見事。本作を心地よいかわききったホラーへとしっかりと昇華してくれている。かつ千石規子がそのそんなミフネの骨をまるで黄泉の国へともちさる役目をおおせつかった不吉な魔女のような怪女優っぷりでしめくくる。見事にはまりラストもあやしい雰囲気でホラーずきの筆者は壮快きわまりない。あんみつ屋にむかう真人間二人の理性主義だけではうすっぺらい教条映画になってしまっていた危険が充分にある。スリリングなジャンルレスな一本が天に祝福され見事はじけた極上sfホラーな一本だ。絶望的な場面に陽気な郭公ワルツながれるとこなどまさにロメロゾンビのラスト。

2018年1月31日水曜日

死者がささやく

温泉地といえば不倫旅行かといえばそうともかぎらない。文学的にみても伊豆の踊子雪国から天城越え失楽園まで泥沼の恋がつきぬけての昇華してしまったかのような透明な純愛の舞台ともなる可能性をもひめているそれが温泉地なのだ。そんな温泉物は時にメロドラマをこえてファンタジーかsfかともおもわせられる場合さえもある。本作も一見地味な怪奇風味のスパイ物にみえてその系譜からはひどくかけはなれてはいるようにはみえるけれどもいやいや実によくできた純愛物である。そしてファンタジーに迄つきぬけてしまっている。というのもゲストの牧紀子が空虚なロボットのような存在なクノイチや女スパイといったいわゆる組織の女を見事にえんじきっているからだ。そういう意味ではやはり温泉地と純愛の組あわせという事で同系譜の本怪奇大作戦中の一本吸血地獄とも双璧をなす逸品ともいえて筆者やはり吸血地獄同様本作も偏愛の一本にやはりくわえおかねばならぬだろう。たしかに本作。以前から何やらやけに理由わからず筆者ひかれていたのも事実。ある意味主人公カップルの年齢がいっている分。より更に人生につかれた感がより濃厚な分。吸血地獄より温泉純愛物としてのあじわいは本作の方がふかくもあるかも。

2018年1月29日月曜日

子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる

悪党に蹂躙されて凌辱地獄と化した山奥の温泉村その性描写はもはやエロやバイオレンスをかるくこえ悪魔のいけにえレベルの田舎ホラー。みているこっちは膨張するどころかちぢみあがってしまう。そんな中で可憐にくりひろげられる一刀と娼婦の実にこまやかないやされる純愛。だからこそ本作は。時代劇をはるかにこえてファンタジーでありsfだと筆者はあえて断言する。そしてファンタジーはファンタジーでもダークすぎる位のダークファンタジーであり同時に一刀の性仙人っぷりをみせつける荒唐無稽なわらえないブラック艶笑譚でもある。目からのむ強壮剤。もしくは昭和猛烈サラリーマン平成コジラセ中高年御用達いやし系ファンタジー。シリーズ第一作からしてこうである。そのsfファンタジー度のたかさ。弟勝の御用牙シリーズもまけてはいない。流石東宝だ。たとえばアニメ君の名は。今日にいたる迄しっかりオタクオヤジ達のオアシスとして伝統をまもってる。

2018年1月27日土曜日

美女と花粉

本シリーズの1クール目は科学犯罪とコジラセ中年な犯人像という事でしっかりとグロテスクしていてわかりやすい近代特撮のモダンさをたもっているのだが2クール目にいたると犯人像からしてからがまずくずれはじめる。若者やら女性やらフツージンがめだってくるのだ。またシリーズ自体グロテスクさショッキングさというよりそのトーンその物が終末感をおびて何やらポストモダン化してってる気がする。犯人というより世界その物がくるいはじめた結果ごく普通の人間が加害者被害者の区別なくな犯人像と化してしまってる。ちょうどそのかんじはというと東宝の日本沈没とノストラダムスの大予言とのちがいといってしまったりする。そうすさまじいスケールでそう環境が汚染されまくってしまってる。呪いの壺の空からふりそそぐリュート物質のシーンはsst空中爆発の熱線シーンをおもわせるし。霧の童話にしても京都買いますにしてもハンパない汚染きわまっての終末風景で。あの作品のあの悪夢の終末いや終末の悪夢と同質だし。24年目の復讐かまいたち幻の死神死者がささやくにでてくる海や川は直接的描写こそないがしっかり汚染されてる気がするし。こうもり男と果てしなき暴走はスクラップ汚染とスモッグ地獄だし。トドメは本作。犯人の女はなぜ無差別にころすのか。くるってしまってるとしかおもえない。くるってしまってるといえば当の熱帯植物こみなのである。本来は毒性もなくのどかに熱帯で自生していたはずなのに。それが大都会に移植された事によってその花粉がマニュキュアと反応する事態になってしまった。アルコール成分配合加工製品あふれる大都会では今後爆発的に同様の事件がおこる。きっとおこる。もちこまれてはならない物がもちこまれてしまったのだ。グローバル時代ますますます脅威。皮肉というにはあまりにもな絶望感だし今日にもおよぶスケールだ。正にあのマタンゴのラストをおもわせる。怪奇大作戦。ルーツをおなじくする東宝。変身人間シリーズ。だからかその終局もおなじ位のその絶望感この筆者の小心を大スケールでおそう。

2018年1月25日木曜日

ゆきおんな

怪奇大作戦での雪男ネタ。やってほしかったなぁ。東宝の獣人雪男みたいなの。ウルトラマンのウーの回じゃないけどスキーかついでsriメンバーこぞっての登山。そんなのみてみたかったなぁ。助さんは颯爽と。牧はおちゃらけってかんじで。まぁちかいかんじの牧は本作でもみれるけど。ということで本作。ちと強引に解釈しなおしてみた。ゆきおんなって事になってるけど実体じゃない幻。それよりよくみると小松方正の風体と役柄。もろ雪男じゃん。おたずね者ゆえ世間から身をかくし雪ふかい山奥の温泉宿を転々としている。怪物でこそないけれどまちがいなく怪人物。そして子をおもう親心。そしてやはり因果なその最期。うんやっぱり雪男だ。そして本作それをひきたたせる為なのだろうか。いつになくマトヤ所長。いかにもなシティーボーイならぬシティーダンディー。それっぷりが見事にえがかれている。スケート場でのおしゃれなすべりっぷりに名カメラマンっぷり。敵におそわれたりなんかもするがうでっぷしはからっきし。オヤジ対決編として本作。筆者この年齢だからこそなのか実にいやされかんがえさせられた。最後の最後での初期怪奇大作戦臭もこうばしいオヤジ達の逆襲。恐怖劇場アンバランスへの布石。アンバランス。第一話からしてオヤジどころか老人パワー大炸裂。

2018年1月24日水曜日

死者がささやく

かなしみの女スパイといったところだろうか。コンパクト型テレコや指紋付手袋などスパイガジェットもたのしい。前半は温泉地での新婚旅行というどこかなつかしい昭和風俗に血まみれの亡霊をからませやはりどこかなつかしい怪談風。後半は筆者大すきな怪奇大作戦のもうひとつの側面三沢のキャラを存分にいかしたハードボイルドタッチ。白亜の展望台にたたずむ三沢は本当に絵になる。しかし全体をとおしてはある組織の女の時間をかけての堅気の男への擬装結婚工作そしてその途上での葛藤そんな物語だ。そういえばつい先日迄綾瀬はるかでそんなドラマをやっていた。本作典型的なファムファタール物。この女。もしかしたら地下銀行をぎゅうじる暗黒街の大物の娘でもあったのかもしれない。暗黒街というとざされた苦界をいつかはとびだしたいそんなかわいい夢をいだいた富だけではみたされないかわいそうな少女時代でもあったのではなかろうか。男への情のうつりやそれにともなう煩悶などかなりセクシーにえがかれていてとても子供向とはおもえない。またそれをこの女優牧紀子がゲストをこえ主演としてきっちりえんじきっている。

2018年1月19日金曜日

晴れ着と銃弾

怪奇大作戦の少年探偵団バージョンとして緊急指令10-4・10-10なる番組が後にはじまった。そして昨夜ついに科捜研の女に少年探偵団バージョンが登場。筆者のような人間にはうれしい初夢おとし玉。そこで一寸怪奇大作戦ネタから小休止。緊急指令10-4・10-10は時代を反映し怪奇大作戦をcb無線で強化し本部の教授をはじめとし科学の力で近代犯罪にいどむという物だった。そこで本題の本作だがやはり時代をとりいれスマホなどを実にうまく活用それどころか緊急指令10-4・10-10にたいするオマージュなのかトランシーバーまで登場。しかも事件自体が血生ぐさい物ではなく子供むきの一寸カワイイへんな動機。おまけにこの時期におよんで本作だけが正月仕様なのも時代のスピードにたいする昭和テレビそだちスタッフのレジスタンスをかんじた。

2018年1月14日日曜日

京都買います

美弥子はみずからをしてついに永遠の虚空の彼方へと仏像のうまれた場所へと仏のうまれた何処かへと転送させると永遠に牧の前からいなくなってしまった。輪廻転生の無常すらたたれ虚無その物の何もかもがなくなってしまったその絶対的ウツロの跡にいれかわり仏像がおかれたのはせめてもの仏の慈悲だと筆者はおもっている。三島の天人五衰のラストがちょっとよぎる。しかしsfなのか本作はそれではおさまらずその瞬間転送装置は暴走をはじめあらゆるうつくしい物すべて異次元の虚空に転送され京都は荒廃の極にそれどころか世界その物もここにおわりをつげてしまった筆者は本作のラストをこうその位の規模の物とし実質的怪奇大作戦最終回の大団円と解釈している。既に番組冒頭から世界その物がゆらぎはじめていたではないか。物質転送装置なんて発明それはかるく核をこえる終末的マッドサイエンスなのだという事。前シリーズウルトラセブン最終回やはりおなじ世界滅亡がテーマだった。がそれは回避された。しかし筆者セブン最終回数話前の円盤が来たそのラストのスクラップの山の間を沈鬱によこぎるフクシンが本作のここでの牧とかさなってしかたない。あの不穏な世界のおわりをさえおもわせるサイレンなりひびくあのシーンこそウルトラセブン実質のラストシーンではなかったか。

2018年1月13日土曜日

ゆきおんな

発端は山奥の湯治場。人里はなれたサナトリウムや湯治場にはやんだ者以外にも様々の事情をかかえた者がいたりする。胸をわるくして再起をかけるボクサーや指名手配犯罪者だっている。たとえば本作の強盗団のボス。足をわるくしたふりをして絵などかきながら山奥の湯治場を転々と里におりる事なく身をかくし行方をくらましているつもりなのだろう。そんな怪人物を小松方正が見事にえんじている。ピストルでの自決なんか妻ごろしの因果な右翼の影の大物か教団教祖とかっぽくてえらくかっこよい。トーマスマンの魔の山とかどこかドイツ浪漫派文学のかおりさえたちこめる雰囲気満点の出だしだ。しかしそこは怪奇大作戦それだけではおわらずプラス怪奇でしっかり山の怪談ともなっている。絵にしこまれたダイヤのありかをめざす娘が軽装だったりドラマの尺もみじかいので心ぼそい登山の雰囲気がいまいちで娘が母の面影だけを心のささえとして山中で夜をあかしたりするかんじがあまりでていないのが残念。それでも追手の山中にひびく銃声とかスリリングでしっかり山岳ミステリーしてる。かつブロッケン現象からのゆきおんなの特撮もすごい。もうすこし積雪がおおければさがすのもほぼ絶望的なかんじやばらまかれたダイヤは春の雪どけまでまたねばとかのロマンやテンションもあがったろうに。

2018年1月11日木曜日

狂鬼人間

やっぱり小川さおりは二人存在する。かまいたちや美女と花粉の項でもくわしくかいたはずなのでそれらも参考にしてみてほしい。本作では自動車事故でしんでしまうのだがいくら警察がグルの狂言だとしても死亡事故現場を見事捏造再現する為にはそれ相当にたかい運動能力をどうしてもようするようにおもわれる。本作の犯人陽動作戦をみていても。そしてすかさずやっぱり脳裏にうかんだのも。そうやっぱりここにはしっかりつかわれたのだとおもう。あの禁断のサーボ式制御ロボットサーボーこと小川さおり2号そうにちがいない。かまいたちの時のようにはねとばされてバラバラにこそはならなかっただろうけれども全身骨折のいたましい姿が一瞬でケロ筆者の目にはしっかりとうかんだのだから。そしてもしかしたらさおりのいきた姿を目撃したその事がもっともおおきな理由として犯人をしてみずからを狂気の世界に永遠にたびだたせさせたとしたら。やっぱりさおりロボット存在説。きわめて真面目にみずからおもくとらえはじめている。怪奇大作戦のもつ得体のしれない不穏さにこの事はすくなからずつながっているようにおもえてならない。たとえそうでないにせよ小川さおりという存在がトリッキーかつドラッギーであり怪奇大作戦という物全体にきわめておおきく影響しているその事にまちがいはない。牧と二人歩をあわせ番組がすすむにつれその存在がおおきくなってってる。

2018年1月8日月曜日

氷の死刑台

本作はまじめだけをとりえにコツコツはたらいて住宅地にちいさいけれど一軒家をやっとたてた中年サラリーマンが、ふとした事から冷凍保存装置という氷の死刑台つきの、不吉なゴシック古城ならぬ古ビルに7年間も幽閉され、やっと解放されたがすでに怪物にされていたという、きわめて正統的なゴシック劇であり、同時にマッドサイエンティスト物として、怪奇大作戦では制作されなかったと残念におもいつづけていたフランケンシュタインモチーフ、本作こそはそれ。

2018年1月7日日曜日

氷の死刑台

サンタクロースのような冷凍人間の造形もよいがゴシックホラーとして場という物がよくいかされている。そこに何より筆者は感心する。古ビル。その地下室なのか。冒頭。ビルのオーナーの老人がころされる。変な研究の為以外誰もかり手のないさびれた古ビルのかんじがよくでている。もち主のズサンな死がそれを増幅する。更にはこの古ビル。火がはなたれ無惨なやけ跡となってしまう。正にゴシック。この美術セットのやけただれたかんじがまた悲惨でよい。さてマッドサイエンティスト達だがツテでもあったのだろう。大学の研究室をかりたみたいだ。そこで一人がころされ構内の噴水にたたきこまれる。のこされくるってしまったマッドサイエンティストはやけ跡をふたたびおとずれまたも火をはなとうとしている。もう時間感覚がうしなわれてしまったのだろう。おそろしい。冷凍人間にした仕うちがみずからに。因果応報。どうやら冷凍人間。ネグラをこの古ビルにしているみたいだ。そこもまた何ともあわれでよい。

2018年1月6日土曜日

幻の死神

冒頭いきなりでの船幽霊の好登場その造形もよい。巫女装束の即身成仏ミイラ。それも巨大とうたっているがいかにもな撮影スタジオ感。でもそれが効をそうしているのか地方のさびれた秘宝館内で秘宝をみるようなさびしげでひんやりとした雰囲気に我々をみちびいてくれる。またその虚無感をsri事務所内場面のひびく同時録音セリフが増強してくれてもいる。所長と三沢の地味な男だけの二人旅なのもよい。東京からの移動時のbgmは正に男はつらいよその物で最高。さすがに子供番組なので三沢ののど自慢披露も場末のスナックのカウンターでとはいかず海岸での散策でなのが一寸残念。つかれた大人の為の怪奇大作戦瀬戸内旅情編。