2019年2月9日土曜日

仁義なき戦い広島死闘篇

広能スクラップ置場の番人という設定もすばらしく。野良犬ばかりの町も近未来な荒涼感満載。猿の惑星ならぬ犬の惑星ともいうべきsf作品として鑑賞。主人公山中正治の最初のミッション現場も開発中の造成地だし川谷の惨殺現場は無人島。大友長次の背景にはいつも原爆スラムの風景がひろがっている。とどめは人類のたえた町。その廃屋で警察の警報アナウンスのなか自決。仁義なきシリーズの魅力中その最大のものにちがいはなかろうが。そのポストモダンでsfチックな側面だけが濃縮されたような超異色作。いや異形作。賛否まっぷたつ。ラストカットもくずれおちた中近東遺跡のような。山中の墓からの原爆ドームへのワンシーンワンカットのながまわしはもはやホラーか怪奇映画である。本作がいかに絵的に暴力の暗黒面を表現してあまりあるかをかたっている。梶芽衣子成田三樹夫はじめキャストのクールビューティーさもきわだっている。超美男美女どうしのまるでアンドロイドかのようなブレードランナー感あふれる無機的なからみシーンなど。そういう意味ではポップアート美術的芸術的作品ともいえるだろう。音的には音楽もシリーズいちにの地味さでほとんど大友役の千葉真一のラップのごときシャウトにもっていかれる。が唯一キャバレーでの山中と広能のシーン。バックでバンドによって演奏される東京流れ者がきわだってクール。仁義なき戦いシリーズ。どれからみるか。どれからすすめるか。ホントむずかしい。全五作すべてがちがったキリクチをもっている。さすがだ。そういう意味ではおなじ五部作。猿の惑星シリーズとくらべるとわらわれるだろうか。あながち黒人暴動の寓話と暴力団抗争の実録で表裏一体ぐるりまわってメビウスの環ぴったり一致なようなきもするのだが。とにかく本作のタイムリープはすごいの一語。怪我のコーミョーかもしれぬが。洋画でもゴッドファーザーなど続編二作目作品が奇跡的超異常傑作になる例のひとつかもしれない。

2019年2月8日金曜日

仁義なき戦い広島死闘篇

のちになんどもくりかえしえがかれるわかきヒットマンたちの悲劇の原点。ただたえるしかなくのこされる女たちのあわれさ。銃身に砂をつめて口にくわえるのがこわい。これだとうちぬくというより暴発して頭部全部がふっとんでしまう。後半のくらさは暗黒不条理sfのよう。なによりも山守がしずかにそのそこなしのダークさをかもしだしている。じつは本作番外篇どころかパラレルワールドものである。山守とたもとをわかったあとからたもとをわかつまえへと広能タイムリープするのだが。そのままたもとをわかったままの広能としてタイムリープしている。別にもう一人たもとをわかつまえの広能がいるということなのだ。だとすると本作での山守ももう一人の山守ということか。どうりでいつもいじょうに不気味。

2019年2月6日水曜日

仁義なき戦い頂上作戦

全編襲撃場面。だがこの虚脱感はなんだ。まるで傷天じゃないか。子分に車におきざりにされる広能昌三なんてもう小暮修そのもの。主人公しんでこそいないがパクられて途中退場。後半は主人公不在でもうカオスそのもの。代理戦争が迷宮感覚だとすると。本作頂上作戦は崩壊感覚。すべてがガラガラとくずれおちていく感覚はクセになりそう。そういえばやはりしんでこそいないがパクられる野崎弘。えんずるは小倉一郎。前回かいた渡瀬恒彦の不条理ヒットマンにつうじる役だが。小倉一郎のことをアンソニーパーキンスとかいたツイッターがあった。やはりおなじようなことをかんじるひともいるのだ。仁義なきシリーズでえがかれる無慈悲にしんでゆくわかきヒットマンたち。かれらはヤクザではなくサイコやカフカなどの不条理ホラー世界の住人だということ。だから仁義なきシリーズはふるびない。原爆スラムにおしよせる警官隊。ドブ川を逃走。下水道ににげこもうとするところを逮捕。このドン底の泥沼感はまさにベトナム戦争のジャングル戦の暗黒感。このぐじゅぐじゅでぐだぐだ。シリーズ次作ではオープニングがオウムのようなカルト政治結社の原爆記念日当日平和デモ。このすくいなささよ。これぞ真のホラーそういえる手法でこそ暴力の真のおそろしさは身体レベルでつたえうる。それを証明するそれが仁義なきシリーズ。

2019年2月5日火曜日

仁義なき戦い代理戦争

仁義なきというより仁義がまるで亡霊とかした世界がえがかれている。死体をみて嘔吐したりぶったぎられた手首のアップがあったり冒頭からもはやホラーである。仁義の墓場というタイトルがあるが本作はさながら仁義の亡霊。巨大化しすぎた怪物のような組織の影にただただみながおそれおののいているばかり。まるで日本沈没くしくも73年同年制作映画の後半のよう。全編くらい密室でたがいに怪談話をしあってこわがらせあっている任侠百物語。もしくはキューバクライシスばりのポリティカルフィクション。実際突然停電したりもする。とりかわされた盃関係ももはや複雑怪奇すぎてなにがなにやらわからなくなっている。舞台の広島がカフカの世界のような不条理さでみたされていく。女もすべて悪女いや魔女にみえる。襲撃現場の野次馬のなかうつりこむ死体をとおまきにしたたずむ少女などこわすぎてこわすぎて。ねとられた嫉妬からうらぎられなにがなにやらわからないうちに蜂の巣にされ骨壺ごと粉々にひきつぶされるそれも母親の目の前で。これでは暗黒不条理世界にまきこまれたカフカ作品の主人公である。際限なき暴力そして戦争というものが人道上どうのこうのではなくただただひたすらにおそろしいものだということをつたえてあまりある。わらってやがて背筋つめたく。本作での渡瀬恒彦はどこかアンソニーパーキンスみたいでホント名演。

2019年2月4日月曜日

ガメラ対大魔獣ジャイガー

パニック映画のおもしろいところは災害現場の現場当事者の奮闘にある。怪獣だって一種の災害で。現場がふんばるからおもしろいのである。担当者や責任者がすぐ現場から誘導され避難。すべては防衛隊にまるなげ。そんなのばかりじゃおもしくない。だのに怪獣主体とばかりに防衛隊ミッション描写主体なのがあまりにもおおい怪獣映画というジャンル。それが王道だからしかたないが特にマニアうけする諸作にそんなのがおおい。なにかタコツボにはまったようでいきぐるしい。防衛隊とは。自衛隊とは。憲法とは。んなかんじとなってボーエーロン沼にハマってしまったんでは。あのミシマをかんじてしまう。あのセキグンをかんじてしまう。あのオウムをかんじてしまう。正面論争がわるいといっているわけじゃない。ただいつも真正面からの論争。衝突。んなんでよいのかということ。そのてん本作は万博パニック映画という設定を導入。新幹線大爆破のようなアオリカタではある。が。警備をまかされた民間の警備会社が防衛隊のごとき大活躍をみせる。その装備や司令室がまたかっこいいのなんの。主人公はあくまでも万博広報主任の若者だ。ここからしていつもマスコミ人な東宝との差別化が意識的になされているようですばらしい。それどころか警備主任のイケメン平泉成がその存在感でガゼン主人公さえぬきんでいる。ファイヤーマンでの活躍がおもいだされる。とにかく。さすがザガードマンの大映である。東宝のは。どこか政府や自衛隊の活躍が前面にでてしまいがちで身近な庶民感とか民間感がうすい。本作の潜水艇なんか。そのへんの町工場製品だ。東宝日本沈没の御用多国籍企業製わだつみ号なんかとくらべられたし。しかし性能はまけてはいない。ガメラ体内を地球内部のごとくに対応。航行する。このミクロの決死圏か地底探検か。そんなsfアドベンチャーなクライマックスこそ。本作のもうひとつの顔であろう。ひとつが警備会社活躍の業界映画。ひとつがsfアドベンチャー。いかにも怪獣映画としては異色で。怪獣のかげがうすいようにみえるがそれでよいのだ。本作。東宝のような秘密兵器こそでないが警備会社のgpsつき携帯電話がでてくる。これなどは今を予言するようですごいの一語につきる。怪獣映画マニアにはこのすごさがわからないのか。スパイ映画ずきならすぐわかる。なにせそれも子供たち。警備会社からかりるでなくぬすむのだ。このかっこよさ。こういうマクロではなくミクロな視点からの。怪獣映画を起点とした災害論争憲法論争も時には必要なのではないかという気にもなってしまう一本。震災時にいつもは炎上悪役ツールなツイッターが世に効したように。万年二番手の大映怪獣映画だってすてたもんじゃない。