2018年9月30日日曜日

吸血地獄

怪奇大作戦中のとにかく異色回。ニーナというドラキュラ家の末裔をおうドキュメンタリー番組のよう。もしくはワイドショーの再現フィルムのよう。だからかドラマとしてはスカスカ。最後のナレーションがすべてといってよいようなやすっぽいつくり。まるでワイドショーの司会者のようなくちぶりでニーナの義母にインタビューする的矢所長。それがまたよくにあっているのだ。町田警部も途中降板し今回だけの代役へとバトンタッチ。牧と野村にいたってはもはや別人役で今回はただのちゃらい旅の若者。岸田森のそんな演技とニーナのとってつけたような吸血鬼姿は今回の尋常ならざる異色回ぶりをものがたると同時に見事に成立させてしまっている。ということで。こうしたやすっぽいつくりだからこそなのだろうか。ドラキュラなんて時代おくれのナンセンス。その末裔にいたってはただそのへんの不良少女の末路とおなじといわんばかりなのだ。だからよけいに末裔たる者のさびしきフェードアウトがかなしくきわだつ。さらにそれをアンチゴシック怪奇なモダン科学犯罪系怪奇ドラマの一本として放送するという皮肉と悪意。暗黒世界の高貴な血統も現代ではわすれさられるばかりなのか。こうした皮肉なテイストは宇宙時代の現代にあらわれた時代おくれなサンタクロースの怪人という氷の死刑台の回にもみられたようにおもう。そんなふうにして怪奇大作戦。異形の怪人をとりあげた回はやけにものがなしい。燐光人間とか。水棲人間とか。で。そのなかでもこの吸血鬼の末裔の最期はきわだっていて筆者とにかく偏愛の回。そういえば映画マタンゴもラストシーン。大東京。真夜中のネオンとボーリング工事音をもってして。暗黒のキノコ怪談をただの一狂人の戯言と一笑にふするような。皮肉全開でおわらせていたっけ。

2018年9月27日木曜日

おとし穴

前半と後半のトーンがぜんぜんちがう。前半はおもわせぶりな清張ミステリー調でドキュメンタリーっぽくも格調もたかい。だが後半完全に破綻崩壊しやはり炭坑を舞台設定としたあの暴動パンクロック映画バーストシティ爆裂都市のほうへとドリフトそのトーンもよりコンパクトに狂い咲きサンダーロードをおもわせ破滅後の近未来世界をおもいっきり疾走するハチャメチャ終末sfになる。廃坑をポストチェルノブイリ的な近未来荒廃汚染世界とおきかえてからそうおもってみていただければちょうどよいくらいかもなかなり若気のいたった暴走気味映画かもなそれがじつは本作の正体だろう。とおもう。それくらいアナーキーなエネルギーにみちみちている。ミステリーのつもりでいると。後半。刑事新聞記者らはやたら大挙するがことごとく無能だし。そしていつの間にかいなくなる。駐在は糠味噌くさい御用ききかよな間男にいきなり変貌するし。特撮全開で無人とおもわれた炭住ことごとく幽霊だらけの村だったことがあかされるし。みずからのミステリー文法をいきなりことごとくこわしにかかってくる。なので。めんくらうことになる。からだ。事件にしたって当局か本社が対立する労働組合をつぶすための陰謀として第二第三の傀儡の組合をでっちあげたり第三国風工作員をおくりこんだりして内紛をおこさせもろともにともだおれさせようとしているようにもみえるが結局のところ誰の目からもすべてにおいてなにがなにやらなのだ。工作員ぽかった犯人のベスパの男もしまいには異星人にまでみえてしまう始末。同士うち共だおれな戯画的人類絶滅後。無人の駄菓子屋の菓子をひとりじめにできてもただただむなしいひとりいきのこされた少年。それと死肉をめあてにどこからともなくあつまってくる丘のうえの野犬。その群の影だけ。それらだけがやたら印象にのこったそんなトンデモ映画だった。

2018年9月26日水曜日

マタンゴ

とにかく本作を最大に魅力的なものとしているのはなんといっても舞台となる廃船だろう。その閉鎖空間宇宙はみごとなもので本作全編を気品ある極上の古典的ゴシックホラーたらしめもうこの時点であのエイリアン同等もしくはそれ以上の名作を約束されたようなものである。きりたった崖にかこまれその裏にかくされたようになって広大にひろがる沼か湿地帯のような入江。そこに累々とよこたわり半身を泥にしずめているそこは船の墓場。船全体気色わるい黴がそのすべてをおおい鏡はそのすべてを撤去させられてしまっている。むせかえるような亜熱帯。鏡は撤去されるまでもなくつねにあたりにたちこめるその生ぬるい霧がいつもその表面をくもらせるのでどうせつかいものにさえならなかったであろう。なんと不気味なことであろう。なんとオッサンばかりの都会の安サウナのような息さえつまりそうな鬱陶しいその気配なんだろう。このダークコズミックな闇の力は半端このうえなくその極彩色の人工都市夜景とあわせ淫夢のようで幻覚のようで疾走する東京の電波ディストピア近未来sfとしてさえも本作そのかたりくちふくめ成立しているその事実そのこと筆者もはやホント舌をまくしかない。

2018年9月25日火曜日

霧の童話

本作。実はよくあるシックスセンスな既にしんでいた系。老人と幽霊の子供達だけの村。若者達は既に大半が村をすててでていってしまっているかまだ村にのこっていたとしてももはやうりわたしにかかっていてうりわたしたその金を元手にでていく事を平気でかんがえているような奴ばかり。幽霊の子供達といったのは既にラストの鉄砲水での全滅は約束されていたし鉄砲水がおこらなくてもいずれにしても幽霊の神通力なので子供達の姿は消滅していただろうし小学校の過疎にしてはあまりにもおおすぎるその数だしまちがいなくそのおおくは幽霊か座敷ワラシめいた人外な物だったにちがいないそうおもえてしまうからだ。また主人公の少年のあまりにも地蔵に心をよせすぎている様も不気味でやはり座敷ワラシっぽいしラストカットの地蔵のかたわらで所在なげな作業服の老人あれはどうみても幽霊っぽい。なぜこんな風に大幅にかんがえなおしたかというと落武者を自作自演した面々よくみなおすと皆ほぼ老人と年齢設定されているのがわかる格闘の際には更にそれがよくわかるそればかりではない主人公の少年がワンシーンだが無表情で真夜中に三沢の車中泊の所にたずねくるシーンそんな不気味なシーンがあった事をおもいだしたからだ。あともはや自前都市伝説のレベルだが実は本作まるごと三沢はとっくに前話までにしんでいてたとえば青い血の女の回とか本作の体験は三沢の死後の世界そんなドラマなのではないだろうかともかんがえさせられたりまでしてしまうのだ本作は。そうかんがえるとあの三沢だけが一人部屋にとりのこされるさびしげなシーンやけに腑におちるのだ。

2018年9月24日月曜日

燃えろ栄光

本作。典型的な悪徳プロモーターがふたりもでてくるしゴシップあさりの記者たちもうじゃうじゃ。そうカタギの人間はわれらがウルトラqレギュラー三人組のみ。ハードでソリッドなアスリート競争社会を内側からそのカケヒキにのみ焦点をしぼり極端にダークにえがく手法のいわゆる悪徳スポーツ芸能界その内幕暴露もの。ギャングの業界をえがくものが暗黒街ものとすれば。これはボクサーというまたショービジネスというやはり過酷なダークアスリート社会をえがきそこに珍獣信仰をちょっと黒魔術的にホラー風味でトッピングしたフィルムノワール作品だ。突如おきた大スキャンダル大スクープ。連戦連勝のボクシングスター選手失踪事件そりゃ八百長疑惑もおころうというもの。はてはどさまわりのピエロにまでおちぶれ。以上が大人の目でみた世界。しかしそのかげには子供の目にしかみえない世界もしっかりあって。怪獣ピーターがつなぐ元ボクシングヒーローと万城目の奇妙な男の友情があり。これがまたかっこよく。かわす気障な台詞の応酬もハードボイルドだし。公害企業のたれながす廃液ながれるドブ川になげすてられたコーラの瓶なんて。すこしづつすこしづつしずんでいく。その様子。まるで。チャンピオンの身の上だし。妖精からおそろしい公害怪獣にまで変貌させられた珍獣ピーターの身の上だ。沈黙がかがやくこのなにげないこのシーンこそ。しずかだが本作最大のクライマックスだったのではないだろうか。

2018年9月22日土曜日

悪魔ッ子

積木くずし以上エクソシスト未満のホラー一歩手前なsf ではあるが同時に立派な怪奇映画である。オルゴールのミニマル音楽がそれっぽく。のちのこれ系洋画でおなじみとなる一連のサントラのテイストをはやくももちあわせているところにはひどくおどろかされる。女の子がほしがっていたネックレスがいつのまにか女の子のオルゴールのなかに。そう。もち主の中国女は女の子にいつのまにかころされていた。それもなんの嫌疑もかけられないようなしに方で。だろう。そんなことが暗にしめされているこのシーンこそ本作のなかで一番こわい。あと基本的舞台設定が小屋がけした劇場なのもオペラ座の怪人のようなゴシックさをかもしだしていてやはり立派な怪奇映画となっている。

2018年9月21日金曜日

三つ数えろ

本作sf作家が脚色したからか登場人物がやたらワープして話が難解なことで有名だがそれだけではない。主人公だが探偵のくせに拳銃は携帯せず。かわりにさも銃とはあくまで道具であるそうとでもいわんばかりに社用車と一体化させ日常から区別しているふしがある。それも尋常じゃないへんな美意識をおしとおした格好でだ。そう本来ならダッシュボードのボックスの中にいれておけばすむことなのにわざわざダッシュボードのしたにとびだし式の拳銃格納用スライダーをカスタムメイド。まさに少年雑誌のグラビアでいうところのコックピットのかくしボタンでとびだす秘密兵器そのものなのだ。ダサいとかいってはならない。こういう駄菓子屋っぽさをバカにしない。そういうのもハードボイルド精神なのではないだろうか。そしてその装置いかにも特撮していてやたらメカニカルかつメタリックでかっこいい。いざ敵と戦闘におちいったら一端車まではしり身をかわしのりこむやすばやくボタンをおしスライダーをとびださせ拳銃を手にする。わざわざのこのながれ。電話ボックスにかけこむスーパーマンやバイクにのりベルトバックルに風をおくらなければ変身できない仮面ライダー。そこにはそんなまるでかれらの変身シーンのようなかっこよさがある。つまり探偵が戦闘モードのヒーローへと変身するルーチンそれこそがこれなのだ。そのごミステリーゾーンとかのsf海外ドラマばかりをツベっていたらふるいドラマにぶちあたった。期待せずみてみるとまさにオープニングで上記の装置がでてくる。筆者だけがへんに注目してたわけじゃなかったのだ。しらべたら1959年のドラマで旋風児マーロウというらしい。

2018年9月16日日曜日

怨霊の謎

革命下のメキシコ。大統領が暗殺され旧政府の頭脳だった思想家が逃亡。思想家は修道院の地下に潜伏していたが。密告によって所轄の警察署長につかまりそうになる。まさにそのときであった。みえない何者かが署長を殺害。逃亡の罪のうえにさらに殺害の罪まできせられる思想家。事件の目撃者で。かくまってくれていた農夫も事件のショックから死亡。以前から修道院にはおそろしい幽霊がでるとうわさされていたからだ。さらに冤罪の決定的証拠となる署長の死体も政府側の陰謀からか。いちはやく火葬され思想家は絶体絶命。しかし幸運にもデスマスクがのこされていた。得体のしれない不気味なとむらい師の。怪奇な地下の作業所に。それはのこされていたのだった。そして。そのデスマスクなるもの。くっきりと。怪力による署長の顔の変形を刻印。それは巨人のものとおもわれるほどのおおきさの。手の跡。じつは修道院の地下はもともと生贄の古代儀式につかわれていた場所で。先住民族の巨人族の末裔とおぼしき。ひとりの巨人症の男までをもそこで生贄として殺害してしまっていたのだ。いきおいその彼はしっかり怨霊とかし幽霊の噂となるやさらに署長殺害の真犯人にまで。と。いうのがすべての真相。ただしかしこれでおわりではなかった。さらにこの主人公の思想家。国が革命をかさねるごとにときどきの大統領の思想的黒幕としてつねに暗躍。メキシコの裏の政治史に君臨しつづけた模様。ちょうどあの日本沈没の渡老人。のように。そしておどろくことに。とうの本人が存命中だということで。ドラマはいきなりワイドショーのようになり。そんなもはやその政界の妖怪めいた容貌をさらしゲスト出演すると。みずからその半世紀以上前の伝説にうもれた怪事件。その瞬間をことこまかくかたってさえいるのだ。ここまでくるともう手がこみすぎているは細部がもりこまれすぎているはで頭がくらくら。ためしにそんな思想家や修道院。巨人伝説や幽霊事件。メキシコをからめてググってみるも。全部でたらめのでっちあげ。

2018年9月15日土曜日

公衆トイレ

うーんもうこれみてしまったら公園の公衆トイレにははいれなくなりそうです。特に渋谷界隈の公衆トイレには。さて本作配信ドラマだからこその規制のゆるさが存分にいかされてます。それほど過激ではないのですがたしかにちょっとテレビではというようなきりくちだし描写があります。ビデオや映画作品としてもあまりないあじわいでネットホラーの可能性のようなものをかんじます。内容はというとビデオという魔テクノロジーが牽引するいわゆるリング系伝染ホラーなんですが。ただリングとちがって殺人シンドロームの発症の仕方が腹痛からというところがちょっとスマートさをよい意味でかいていてどこかまぬけでおかしく好感をもってしまいました。また全編取調室という閉鎖空間密室劇なのでやたらスタイリッシュでかっこいいです。このスタイリッシュさとダサさの微妙なバランス感覚は肉眼とカメラアイの微妙なバランス感覚につうじていて本作のあやうい魅力の大変重要な鍵になっているようです。渋谷怪談サッちゃんの都市伝説その中のかなり上位エピソードな第9話目なのでした。

2018年9月14日金曜日

バイパスの夜

タイトルからしてクールな。まぎれなきフィルムノワール。そぼふる雨。あまい焦点の。にじんだような画面。山間の峠での車中という閉塞空間。心中発話モノローグの応酬。トレンチコート。サングラス。煙草。対向車のヘッドライトによる光そして闇。雷鳴。稲光。犯罪。逃亡。不義。密通。復讐。そしてなんといってもフィルムノワールにはなくてはならない存在。ファムファタール。でも。彼。女。は。トランクの中。ウソかマコトか。いやはやおそろしい。原作は手塚治虫。手塚治虫にはもうひとつのブラックジャックともいえるミッドナイトなる無免許シロタクカミカゼタクシードライバー主人公のダークヒーロー漫画があるがそんなヤバいタイプのドライバーが本作の主人公だ。裏道速度違反もあたりまえに犯罪者の逃走などの片棒をかついだり禁制の品をはこんだり土地のアイマイ宿へ客を斡旋したり。また本作のようにいつ凶悪犯に乗車され被害者側にまわらされるともかぎらない。そんなデンジャラスでまさにクールな都会の深夜の闇がにあうフィルムノワールには格好の素材タクシードライバー。そんな主人公と逃走中のギャングの一騎うち一対一の心理戦。沈黙の中。はげしい雨音とカーラジオのニュース音が緊迫感をたかめていく。しかしそれは突然のあっけない幕ぎれをむかえる。

2018年9月13日木曜日

死者の復讐

いやはやなんとのっけからいくら重症病棟といえども。看護婦の態度もドライすぎるし。カーテンごしのうごく影もこわいくらいだし。といろいろめんくらってしまった。まるで野戦病院のようなあらっぽさ陰鬱さだ。で。つづきをみてわかった。本作。これってハードでソリッドなアニメ巨人の星のようにアスリート競争社会を内側からそのカケヒキにのみ焦点をしぼり極端にえがく手法の。いわゆる企業もの業界もの芸能界もの系だったのだ。ギャングの業界をえがくものが暗黒街ものとすればこれは競馬騎手というボクサーにもおとらない過酷なダークアスリート業界をえがいたやはりくろいノワールもので。そこにおきたある不思議な戦場怪談のような復讐エピソードをとりあげたというところか。悪女をめぐって男の友情がくるいはじめやがて復讐の応酬へと変貌していく。見事などすぐろさだ。そう女もふくめ一切カタギの人間はこの物語にはあらわれない。皆どろどろとした野心をかかえている。病院の看護婦でさえ。そうおもってみたら冒頭の野戦病院めいた乱暴さも納得がいく。もしかしたらこの。病院にしたって競馬業界で偉業をなしとげリタイアしたトップが収容される業界専門機関なのでは。表むきは優退だが内実厄介者あつかい。処理場としてのロートル収容所。そうしたちょっと近未来ディストピアsfの要素もはいっているのが本作なのかも。だとするとすごく納得がいくし全編興味ぶかく俄然おもしろくみれた。

2018年9月12日水曜日

かかし

匿名希望というところからこの恐怖エピソード。投稿者は指名手配犯人とか事情をかかえた者であるということがわかる。あえてそう断定する。そのほうが本作をおもしろくみれるので。実際上は鶴田法男氏脚本だが。主人公である少年時代の投稿者。マッチをかくしもっているところなどから。また山の中のあまり裕福そうでないくらしぶりなどから。少年はその後グレて都会へでて極論だがいまこの投稿者。犯罪者にまでおちぶれ逃亡の身の上だったりしているのではないだろうか。そしてふるえながら投稿採用され番組のこのオンエアをみているのではないのか。つい筆者そんなことまでふとおもってしまった。となるとけっこうふかい。ふかいのだ。現在の過酷な身の上だからこそなのだろうなぜか当時のこのようなことをふとおそろしくもなつかしくおもいだし投稿者投稿したのではないのかななどとおもったりもしてしまうのだ。本作ちょっと変則だがりっぱな神かくし物語である。火あそびのうしろめたさをかかえる少年が案山子のカタチをした異形の人さらいに異界の山の入口までつれていかれそうになりながらも咄嗟の機転と偶然の幸運からかろうじて生還するという。そんな冒険譚でもある。投稿者今現在の先のような身の上にてらすことで。どこか夢と願望と現実がないまぜになっている。少年が足をあらうという描写。目の前にいるのにどこかとおそうな郷愁さえまとった実感のとぼしい母親の姿。それらが異常なほど寓意にみちみちているようで。そう。たとえば。股旅物の主人公が凶状の旅の空でみた。ひどく幻想的で。不思議な夢のよう。でさえある。

2018年9月11日火曜日

霧の童話

村の入口で少年とであい少年と山羊をひろい旅の道づれに。とぼけた警官と村中をのろのろと車で捜査するあのかんじ。捜査官というより偶然とおりがかっただけの旅人のようなゆるさだ。車中泊なのだろうか深夜に本部と無線するシーンの深夜の雰囲気とか。とにかく本作。前半は全編sri社用車と三沢で不思議なドライブ感にみちておりまさに和製アメリカンニューシネマロードムービーライクな抒情があふれまくっている。そこがたまらなくよい。パリテキサスのようだ。三沢の庶民くささがきいている。牧ではこれはだせない。だから牧と町田が合流すると一気にいつもの雰囲気に。本作ちょっと変則ハードボイルドな。これも三沢編一流の怪奇大作戦版傑作フィルムノワールのひとつといえるだろう。

2018年9月6日木曜日

良心の呵責

世にも不思議な物語。そのなかの一本。閉鎖的な炭鉱町。みまわり中の巡査が倉庫の屋根裏で以前から行方不明のうわさになっていた女の死体を発見する。けっこう町で評判のあばずれだったのかも。まんまツインピークスのような雰囲気がたまらなくいい。そしてその死体発見の仕方がまたきわめて異常だった。そのため巡査自身が犯人とうたがわれ。すったもんだ。になる。たった30分の一話完結物だがみるほうが複雑化してみようとおもえばいくらでも大河ミステリーしてしまうようなつくり。とにかくちいさな町で顔みしりばかりの表面上は平和だが一歩ふみこむとそれぞれの事情と人間関係が複雑にからみあい。からみあい。からみあい。くらくらしてくるようなドラッギーさだ。製作意図は別のところにあるのだろうが筆者個人的には本作スモールタウンミステリーの小粋な雰囲気が存分にたのしめる。逸品だった。

2018年9月5日水曜日

白い顔

しろい顔という異装は中性的でありノーマンベイツの女装をおもわせる。そう本作はあのヒッチコックのサイコをおもわせる。めんどくさそうな男と女のオフィスラブではじまる。タイトルバックもスタイリッシュだ。女が車をとばす。表むきはちいさな町の名士の理想的な父娘。近親相姦めいた父娘関係がしだいにうきぼりになっていく。都会のオフィスから山の中の屋敷へという舞台の移動。この娘。週一で帰省しているようだが一人ぐらしではなかなか奔放なようだ。今回の事件をきっかけに一人ぐらし前のような二人ぐらしにもどり不自由な父への献身をみせるがたがいの疑念はピークに。そこへやはり疑念をもつsri二人がのりこむそんな後半。屋敷のそばにはやはり沼がある。地下室での格闘もおなじだ。ラストはしっかり警察につかまる。沼のほとりでなのはもしかしたら母親の死体が沼からあがったのか。本当によくにている。ただ本作においてはサイコの不気味なラストとはちがって。しっかり子供への教育的配慮がなされ犯人の犯罪的心理病根は克服されおわる。健全な親子関係にもどったそう暗示されたおわりかただったようにおもう。気になったあまい大映ドラマ調のbgmも最後にばっちりきまる。たださらされる犯人の素顔は子供にはちょっと衝撃的だった。でもそこには真の成長とはいたみがともなうといわんばかりなただ単にめでたしめでたしではおわらないそんな気骨もあらわれてそうで好感がもてた。そうなのだ。怪奇大作戦初期のエピソードはどれもがショッキングな描写をともなったが最後にはどれもがどこかにかすかなすくいをはらんでおわっていた。このバランス感覚がスタイリッシュだったのだ。モダンだったのだ。これはいまとなってはとても貴重なことで筆者個人的に怪奇大作戦初期を偏愛する根拠ともなっている。それが回をおうごとに描写がおとなしくなっていくぶん事件はあまりにもおもい余韻だけをのこすようになっていく。それはそれでよいのだがどこかシナリオ偏重で説教くさくもある。たしかに怪奇大作戦中盤の豊穣さには見事なものがあるにはあるが。それどころかさらに回をすすめればすすめるほどすくいなくたちきられるような不条理なおわりかたにさえなっていく。こうなると誰にもすすめられるエンタとはいいがたくマニアックなオーラばかりがましアートへと傾斜堕落したものとしかいえなくなる。あくまでも個人的意見だし当時のベトナムや冷戦の危機的状況からののがれられない闇かとも。そんなわけで立派だが何度もみてたのしめるというタイプものじゃない。だからこそ初期のエピソード群は偉大なのだ。そうあの映画サイコ第一作のように。ポップとかモダンとかそうした60年代のよさってなんだったのかをかんがえさせられる。

2018年9月3日月曜日

さらばウルトラマン

ある意味この原ウルトラマンの最終回はその不条理さという点では唐突な宇宙死亡事故をえがいた初回よりさらに唐突な死者のよみがえりをえがいているという点において。あのエヴァンゲリオンの最終回の不条理さよりも不可解な作品とさえいってよいとおもう。ウルトラセブンや帰マンの最終回とかの。感動編とかではなく唐突さと不可解さにみちておりウルトラqの真の最終回あけてくれと双璧だ。そこにすべてが手さぐりすべてが模索の黎明期のすごさがある。いきなりの円盤大群の襲来による突然の人類滅亡の危機といいほぼ全編警報サイレンなりひびく異常事態終末風景だし風船の中からあらわれる正体不明の完全無欠超生物宇宙恐竜ゼットンといいそのゼットンあっけなく一発の銃弾にて木端微塵といいその銃弾なにやら反重力量子分解レベルの禁断の超最終兵器ぎみだしケムール人そっくりの名前すらない宇宙人といいとってつけたような宇宙科学特捜隊隊長ゾフィーの出現といいそのゾフィー命ふたつ有すといいもはやすっとぼけて観客の我々子供達を小馬鹿にしているとしかおもえないくらいにレッドゾーンふりきれている。いくら予算枯渇による中断めいた大人の事情な終了といえどもだ。なにかスタッフのいかりすらかんじる。挿入される過去のウルトラマンの激闘シーンで上っ面の感謝と感動を捏造演出するもそのあまりの悲愴感そして話をそらそうそらそうとするところなどはまさにおいつめられたスタッフの底意地かつ往生際のわるさすらにじみでている。いろんな意味で本作の登場はその時点において大人のこわさをみせつけられたという点で空想特撮科学シリーズの大人級のクオリティーがどうのこうのをもはやこえ。ホラーである。放送事故レベルである。たしかに初回からすでにこの原ウルトラマンという番組。フジアキコ隊員によって必要以上にハヤタの事故が真にせまらせられたりしていてドキュメンタリーのようなホラーさがあったにはあった。しかしこと当番組本作のこの最終回時点にいたってはトラウマ級の悪夢以外なにものでもなく。不条理ホラーとしてきわまってしまっている。原ウルトラマンとはそういう番組だったのだ。事実筆者においても公開当時のリアルタイムでの視聴体験の際の実感はそうとしかいいようがなかったような気がいまさらながらのようにしているしだいなのだから。