2018年10月29日月曜日

曼陀羅

内乱あれる京都の山奥では日本妖怪の末裔たちがほそぼそと自給自足の村をいとなんでいた。そんななかなぜか西洋妖怪王ドラキュラが現代によみがえりかれらを先導。血こそすわないがやはり男色smレイプ死体愛好など悪徳のデパートたるドラキュラだけあって最新式のドラキュラ城を建設。村を王国にし日本を征服せんとドラキュラ城をラブホテルに偽装。そこで金と人をえんと資本主義の罠をはる。ラブホテルは全室監視カメラ完備で客のあらゆるデータを収集可能そのポストモダンな内装とあわせおおきく時代をさきどり。ある日学園闘争からドロップアウトぎみのつかれた若者男女4人がラブホテルをスワッピングで利用。しっかりドラキュラの罠にはまる。難をのがれたふたりのうちの女のほうが村へとさらわれころされたことでのこされた男はがぜん吸血鬼ハンターとして覚醒。村にのりこむとドラキュラの妻をその性技でおいつめる。結果ドラキュラは村そのものをけがされたと村を放棄。ここからが主演岸田森の独壇場で芸術ポルノなホラー映画の世界は一気にアメリカンニューシネマなズタボロ青春映画の世界へとシフトチェンジ。海上の無人島をめざしオンボロ船で沖にでるも嵐にあい全員しんで元の浜にうちあげられる。永遠不滅にこんなにも魅力的に時代おくれなドラキュラの悲哀をだせるのは世界ひろしといえども彼岸田森しかいないだろう。結論。本作番外編ながら血を吸うシリーズ最高傑作。ちがうか。ところで吸血鬼ハンターくんはというとラブホテルを勝手にうりはらい真剣を手にいれるとやはりドラキュラの魂がのりうつった政治家をテロしに新幹線にのって東京は国会議事堂をめざす。続編に期待。ちがうか。

2018年10月26日金曜日

ウルトラマン夕陽に死す

qの一の谷博士。マンのイデ隊員。セブンのアマギ隊員。エースの梶隊員。ウルトラシリーズにはマッドサイエンティスト一歩手前のようなレギュラーの系譜があることをわすれてはいけない。では帰ってきたウルトラマンにおけるそれは誰か。岸田隊員ということにはなってはいるがどちらかというと郷の対立者といったイメージのほうがつよい。そう坂田健である。プリズ魔の回ではそのマッドサイエンティスト一歩手前キャラが全開でもはや怪奇大作戦の牧史郎そのものだった。わすれてはならないのが本作の冒頭。マットビハイクルのスタビライザー開発シーン。じつにじつに印象的かつ唐突だ。そしてなによりも敵のナックル星人が宇宙人というよりも完全にマッドサイエンティストとしてえがかれているという点。そしてさらには坂田健の死。ということは本作とはじつは地球人宇宙人二大マッドサイエンティストの一大闘争とみることができる。その結果の正義のマッドサイエンティストのじつにダークヒロイックなシニザマ。だから本作はだんぜんおもしろいのだ。感動するのだ。本作。ゴジラ第一作由来のマッドサイエンティストものの王道中の王道の伝統の遺伝子が怪奇大作戦同様しっかりとうけつがれていた。

2018年10月23日火曜日

ウルトラの星光る時

とにかく帰ってきたウルトラマンのよいところはヒーローがめいっぱい人間くさいところにつきる。だからこそ弱点とさだめそこを宇宙人がついてきた。でも帰ってきたウルトラマンはそれでよい。たたかうことがへたなあいすべきウルトラマンでよいのだ。帰ってきたウルトラマンはたたかうヒーローではない。そもそも帰ってきた。なのだ。では。なんのために。そもそも帰ってきたウルトラマンとは。もはやその時点でお盆に帰ってくる先祖の霊っぽい。よわきゆえ神にあいされ奇跡をまねきいれる。そんなイケニエ的存在なのだ。そもそも初代とセブンは今回なんのためにかけつけてきたのか。いっしょになって戦闘力でもって敵とたたかうそんなことのためではなかろう。星をつくるため。こころみだれたウルトラマンがみうしなった指針たる星。そう。そんな星。ウルトラの星。それはつまりハヤタもダンも本作でのあの制服姿。筆者の目にはどうしてもしっかり英雄的戦死死者としてうつる。死者。聖人。伝説的存在。つまりいちはやく星になってしまってひさしい存在。その星たることを郷に人類に再確認させるためにいまこの世にふたたびあらわれた。坂田兄妹も制服こそきてはいないが立派な英雄的戦死だったのだ。なにかそれは潜伏キリシタンを正式におみとめにやってきたローマ法王をおもわせる。それは崇高であると同時にある意味とてもかなしいことでもある。なぜなら奇跡は慰問はいつも差別を無視を惨禍を前提としているからだ。本作もそんふうに。しかしだからこそ。坂田兄妹の英霊をしっかりと星へと昇華させることができたのもおなじ星たる初代とセブン。ハヤタとダンだった。ということがかたられているのではないだろうか。かなしみはかなしみでこそこえうる。結果。郷の魂は浄化された。最終回。次郎くんはウルトラの星がみえるようになる。そのウルトラの星の郷自身による。みうしないと再発見。それこそが今回かたられているテーマなのではないだろうか。郷に自身をみせたい。ただそれだけのために初代もセブンもかけつけたのではないだろうか。たとえ亡霊であっても。そうじつは鎖をきったのはウルトラマン自身。それだけのことでありそれでよかったのだ。復讐心によってではなく奇跡とよぶしかないような神聖なるなにものかによっての世界の浄化。怪獣にたおれた初代とセブン。宇宙人に惨殺された坂田兄妹。彼らこそが郷の。そしてさらしものにされたウルトラマンをみせつけられた都民の。そしてテレビの前のよいこの。それら魂を浄化し地球をすくった。そんなふうにおもえてくる。じつは帰ってきたウルトラマン。ほぼ同年の東宝映画日本沈没にその心性すごくよくにている。かなしいけれどそこがなによりも感動的だ。十字架にみずからかかってくれたキリスト。のように。本作。クリスマスとか聖母的な女性のありようとかがあきらかにドラマに希望の色彩をあたえている。死と再生。クリスマスとはなんだろう。ふとかんがえさせられる。それは人間としてうまれおちた神をいわう日。でも神が人間としてうまれるということは人間としてしぬという運命をせおわなければならなくなるということでもある。クリスマスとはそういうかなしさきびしささえ内包した日ともいえるわけだ。郷はこのイブの夜。次郎を人類をまもるためしぬことを覚悟したのではないだろうか。ここで前回のあのショッキングな屋上からの投身自殺型変身ポーズも意味をもってくるのではないだろうか。あれがあきらかに肯定的なものだったと。最後にかなしさということでいえばみせしめひきまわしさかさはりつけのウルトラマンの姿にはなんともキリシタン迫害めいたものを筆者かんじざるをえないのだがどうだろうか。

2018年10月22日月曜日

ウルトラマン夕陽に死す

マカロニウエスタンのような非情さが全編をおおっている。たたかいにやぶれたウルトラマンがまるでみせしめのひきまわしのような格好で鎖につながれ上空を旋回させられている。まるで必殺仕置人をみせられているようだ。全体のノリもそれっぽく敵の宇宙人の人間体も特殊部隊のようだしクライマックスも危険物輸送などととにかくハードボイルドタッチでおしとおされている。土管やプレハブの点在するぬかるみの造成地。しずみゆく夕陽。そこでまるで中学生リンチ事件のようになぶりものにされるよわよわしいウルトラマンの姿はかなしいをとおりこして陰惨ですらある。坂田兄妹の惨殺シーンも度のすぎたドキュメンタリータッチで。いきなりはなねとばすし車からつきおとすもひっかかりしばらくひきずられる。シーゴラスべムスターとの戦闘シーンはとくに印象的だ。風がふきぬける音ばかりが耳にのこりこの世のおわりそのもの。そしてなんといっても坂田一家を病院にのこしでていくときの郷の表情。顔の片側だけにあてられた照明のなかで復讐にもえた狂気にもちかい目だけがギラギラとかがやいている。直後。屋上から投身自殺のようにして変身するシーンはもう涙なくしてはみれない。

2018年10月21日日曜日

吸血地獄

ドラマなのに突如バラエティのようになる番組ムー一族。バラエティ中の再現ドラマ。ならぬ。その逆をいっていて異彩だった。そこでおもいだされるのが。本作。さながらあの川崎さんと山本さんのアフタヌーンショー。実録。元外交官不審死その後。指名手配の養女はドラキュラの末裔だった。そんなかんじにもろアフタヌーンショー。司会は川崎さんならぬ的矢所長。そして現地リポーターが山本さんならぬ牧。野村は突撃カメラマンといったところだろう。本家ももともと特撮づいたキャスティングだったがどうだろう本家におとらずのワイドショーなキャスティングになっているのでは。あのニーナの吸血顔のどアップ。まさに野村カメラマン渾身のスクープ映像だ。このように本作。ワイドショー的な不思議な空気がいたるところに。ほかにも昨今の青少年薬物問題や当時廃止直後の売血制度をスタジオならぬ本部でディスカッションしたり。外交官妻つまりニーナの義母への訪問インタビューがあったり。ととにかくシュール。いったいなんなんだこの回は。いや怪奇大作戦という番組そのものも。でもそれも自然。おどろくにはあたらない。だって怪奇大作戦。ネタがなくなるとすぐに的矢三沢名コンビによる温泉旅番組に。それどころか。京都買います。などはjr東海のイメージビデオそのもの。

2018年10月20日土曜日

殺人音楽隊

犯人が死体をせおい山をのぼり渓谷から無慈悲に谷底へとなげすてる。この感覚がすきだ。たとえば。すると死体は下流へとはこばれそこで発見される。捜査は上流へとおよび谷底の不気味な村へとおよぶ。そんなふうにもなれるからだ。ところで今回もおもしろかった。なぜなら表面的には音楽ものにおもわれるが。じつは。定番の山岳殺人もの。だからだ。山には大学のワンゲル部の出先部室とか今回のように音の問題で街中では不都合な音楽部の練習室および楽器倉庫などがある場合がおおい。ほかには山中湖畔の音楽スタジオなど。はたまたアダルトビデオの屋外撮影隊とか。ここをじつにうまくついている。だから山岳殺人ものだといっているのだ。人里はなれた施設内でのこじれた人間関係からの殺人風景。その寂寥感がかなしい。アダムとイブから。えんえんつらなる。悠久の。ふかい。人間の原罪がみえかくれする。

2018年10月18日木曜日

扉の先

逆プラシーボ効果といったところだろうか。オチはみえみえなのできらくにかかせていただくこととしよう。薬も先入観で毒とかわる。そう。ただの移送を執行とかんちがいして発作でしんでしまう死刑囚たちの悲喜劇。たしかに単純なプロットではある。でも。それはそれとして。個人的に主人公役の役者なのだがアウトレイジの印象がつよすぎて本作もアウトレイジシリーズそのスピンオフとかにみえてしまう筆者。笑。死刑執行人役の温水洋一氏もとても不気味ないいかんじ。とにかく本作。個人的になんといってもすばらしいところは世にも奇妙な物語ならではのスタジオセットおよび美術につきる。どことなくヒョウキン族のセットにもつうじる演歌の花道チックな独特のやすっぽさ。わざとらしさ。ホラーというより志村けんのだいじょうぶだぁなコントを連想してしまう。だいじょうぶだぁ。先日もやっていたがとにかくセットがいい。つづいてほしい。だからこそよけいにシュールがかんじられ頭がよい意味で混乱しプチトリップさせてもらえるらしい。しかしそれよりなにより本作。ひさしぶりの個人的ライフワークジャンル。下水道映画の存在をおもいおこさせてくれたことに感謝。舞台設定まるで拘置所刑務所にはみえない。不思議な近未来強制労働水道施設のよう。だからこそよけいに屋内シーンのすべてが上記したセットの魅力のおかげもあって。とにかく不気味な下水道にしかみえない。そう彼ら坑内作業者っぽい。そこのところがホントすばらしい。ライフルをもった看守といい近未来ディストピアsfなかんじにあふれている。

2018年10月16日火曜日

留守番電話

女優の旧式のアンドロイドっぽさと留守番電話というやはり旧式のガジェットのとりあわせがマッチしていて妙なサイバーパンク感がある。とくにガード下の殺害やら公衆電話ボックスのきたなさがそれをあおっている。なにせ声を自由に何とおりにもかえられるなんてアンドロイドにきまっている。多重人格のサイコ女による自作自演それにひっかかった男の不幸なる。定番と解釈されている本作だがネタバレされてしまうとこのようにそういうとらえ方だけではおもしろさが半減してしまうようだ。なのでそっくりのアンドロイドとしてその後の展開を想像してたのしもう。ターミネーターのように。10分にもみたない超短編だからこそのたのしみ方だし普遍性ではないだろうか。

2018年10月13日土曜日

眠狂四郎 人肌蜘蛛

烏だらけの不気味な森をぬけ母の墓まいりにと寒村をおとずれる狂四郎。墓守の老人はかたる。里はあれはて民は奴隷化したと。その領主の居城。まさに硫黄谷の底ふかく崖にはりつくドラキュラ城かアッシャー家というおもむき。すむのは近親相姦めいた兄妹。兄はちょっとマッドサイエンティストな狂気の毒物マニア。界隈は毒か硫黄泉に汚染され。そのせいか気の毒にも妹のほうは血をみないと頭痛がするという謎の業病をやんでいる。まるでフランケンシュタインとあわれな女吸血鬼コンビである。ここまで脇が強烈だともはや主役はくわれ単独作番外編のおもむき。独立した時代吸血鬼ものとしてたのしめる。かなしい兄と妹の悲恋心中物語としてもかなり重厚だ。狂四郎は三角関係エロ相手役の狂言まわしへとよい意味でなりさがっている。本来のダークヒーロー大活躍な時代劇。本作に期待しないほうがよい。あくまでも怪奇映画としてたのしんだほうがよい。けれどただの怪奇でおわらないところが本作の。本シリーズの。市川雷蔵のすごさである。強烈なニヒリズムがすべてをのみこみ後味のわるさをすべてラスト一瞬のクールネスでふきとばす。ネタバレになるので一言。江戸からの隠密が鍵。

2018年10月9日火曜日

輪廻の村

30分にもみたないが起伏にとむスペクタクルな脚本は。まるでダイジェスト。逆に急展開ぶりが。スリリングかつシュール。なにげに主人公が絶叫美人風で大根なのも。b級ホラー的ポイントたかし。ところで本作なにより感心したのは村人の数のすくなさ。前世の復讐をちかった者が都会からひきつけられるようにまるですこしづつ飯場のようなこの村にあつまってきたのであろうことがしのばれる。その設定が実によい。輪廻の村というより殺人者の村のタイトルがにあいそうなほどにハードボイルド。すべてはあのあれはてるにまかせた墓地だけからはじまったのだ。墓石もなくまるで工事現場か造成地。そのなげやりなそのかわききった荒涼さが実に心地よい。そのおかげでしめった横溝くささがまるでなく。ゾンビ村やドラキュラ村のような風情に。

2018年10月6日土曜日

マタンゴ

欲求充足型社会か不安除去型社会か。目のない海亀の標本をみつけるシーンがある。方向感覚機能を喪失し本能がこわれた状態の。それは核実験の放射能の影響のサンプルだった。どっちが先なのか元なのかはよくわからないのだが。あの世界残酷物語。それに登場し卵をうんだ後。海へとかえれず陸側へ陸側へとさかのぼり太陽の熱で乾燥死してしまうあの海亀。あれと非常に酷似しているようで気色わるくも印象的。だから。海鳥さえさけてしまうようなこの島。なのに。このそんな奇形海亀だけは上陸そして産卵している。その不気味さ。更にそんな海亀の汚染卵を平気で食し。それどころか高額で取引までしてしまう船員くずれ。船員のこの生へのリアルへの執着の描写はすごい。そしてそのリアルな船員くずれと女をうばいあう事になるのが。ドリーミーな流行推理作家。このチーマーとオタクのような対立の図式。それはそのままベトナム志願兵かヒッピーか。更には核戦争派かドラッグ宗教派か。今でいえば。リア充かネトゲ廃人か。311をふまえると。原発ジプシーかラノベ作家か。そのどちらに人類の将来をみるかにつながっていそう。結果として。船員はいちはやく銃弾にたおれ。作家はやはりいちはやくマタンゴの虜に。いかにも象徴的かつ対照的な誰よりもはやい二人の最期だった。しかしそれよりも何よりも誰よりも。唯一の生存者かたり手である新進気鋭の若手イケメン心理学教授。彼のラストでのあの顔。放射能の影響なのかマタンゴ胞子の影響なのか。が一番こわい。現代人の内面の真の姿をつきつけてくる。本作。東宝変身人間シリーズ番外編とされているが。むしろ。日本沈没ノストラダムスの大予言そんな東宝トンデモ絶望sfハチャメチャ終末パニックサバイバル路線。その大元祖大原点。

2018年10月4日木曜日

クモ男爵

蜘蛛にかまれた娘は気がふれてしまい森の奥ふかくおどりながらまよいこみ底なし沼にはまってしんでしまった。やがて娘はよみがえると沼からはいあがるも既にその姿はおそろしい蜘蛛へと変化していた。かなしみのあまり気がふれた父親は蜘蛛の娘とくらすうちに。みずからもすこしづつ蜘蛛へと変化していったのではないだろうか。沼は超自然的な能力をゆうする。魔としてえがかれているのではないだろうか。その霧の成分が人をして狂気たらしめ死者をして蜘蛛に変化せしめる。以上をしっかりふまえると。本作。登場人物達のその後がひどく気にかかる。たしかに蜘蛛は退治され無事にげのびたにはにげのびた。でも沼におちた二人にはしっかりと沼の毒がすくなからず影響していたそれをわすれてはならない。一人は熱にうかされ。もう一人は意識なくオカリナをふきつづけた。そうではなかったか。ここには。さいわい一時的ではあったが。沼の。人を狂人たらしめる能力がしっかりとあらわれていたといわざるをえない。それだけではない。蜘蛛にかまれたとも推察できる詩人。彼のその後となるともっと気にかかる。彼は後に蜘蛛へと変化したのではないだろうか。もしかしたら灯台で所員をおそった蜘蛛は彼なのではないだろうか。冒頭だけ現在事象で。タイトルあけからはその蜘蛛になった彼が。蜘蛛の脳で。今の蜘蛛の身の上をうれい。きっかけとなった過去の事件を回想したそういう描写だったのではないだろうか。もしそうだとするとこれはこわい。