2017年5月31日水曜日

マックス号応答せよ

巨大原子力船に巨大スパナその他ホーク発進にポインター大活躍sfガジェットが満載テンコモリの本作。昭和の駄菓子屋の店先やスクラップ工場裏の楽しさが見事に蘇る今こそ観るべき感イッパイのパンクなスチームパンク作品としてゼッサン再評価中。

2017年5月30日火曜日

妖怪大戦争(1968年の映画)

上から目線してて恐縮だが脚本がよくできている一粒で二度おいしい。まず敵側だがのりうつった一人目の代官がたおされそこでおわらず二代目代官が赴任してきてふたたび彼にのりうつることで人間体のイメージがうわのせされ敵キャラのあつみがさらにました。初代が目をつぶされやられ二代目がアイパッチをしている、これなどゾンビ的不気味さがましてよいし吸血鬼が一族に末代までたたる感もありスケールもましてよい。次に味方側だが最初は少数精鋭の戦隊物っぽかったが途中から正義の日本側妖怪達はなにやら菌のような気のような群体エネルギー体というくらいに日本全国からあつまってきてその元気玉な体でもって西洋型君臨独裁者タイプの妖怪を最終的にたおす。これもまた地球細菌が火星人をたおす的でエコsfチックに気がきいていてよい。一時間ちょっとのコンパクトさなのに大河ドラマの気配すらあるツボをえた気のきいた脚本を特撮アンド本編演出が見事に再現、キャストもキグルミ生身ふくめ見事な演技、チームワークのどこまでもよいかんじが心地よい。そんな本作の自然体さなのか本作、ハタンやキワダチをこのむ評論家筋よりごくごく一般の映画ファンからの支持の方がたかいことに納得。妖怪をとおしてのその江戸ヒケシのような心意気は必殺シリーズに代表される庶民派集団時代劇を今一度かんがえるのに最適な一作。

2017年5月29日月曜日

吸血地獄

本作やクモ男爵そして侵略する死者たちになぜこうもひかれるのか。こうかんがえてみた。これらが無声映画時代のモノクロ作品だとしたら。たしかに非常に、につかわしい。クモ男爵などもろにそのものずばりだ。のこる本作と侵略する死者たちもその現代のテレビドラマ作品としてみたばあいのマイナスともなりうるいくつかのシーン。たとえば本作の吸血鬼メイク。無声映画時代のモノクロ作品だとしたらそのグランギニョールなかんじはプラスにこそなれけっしてマイナスではない。異様に、くらいホテルの屋内撮影も遊園地のオバケ屋敷とかんがえればやはりグランギニョール的にプラスしている。侵略する死者たちのコップ内のウルトラセブンもクライマックスの、これもやはり異様に、くらい宇宙空間での戦闘シーンもことごとく現代のテレビドラマ作品としての異常な過剰さがすべて無声映画時代のモノクロ作品だとプラスポイントとしかいえなくなってしまう。qのそのたずさわったすべての作品が例外なく傑作である円谷一。いかにウルトラqのそのグランギニョールな無声映画時代のモノクロ作品的というフォーマットがふさわしいものだったかがわかろうというもの。

2017年5月26日金曜日

蒸発都市

逃避願望ひいては人間蒸発。オウムのように若者を惹き付ける宗教団体施設とか暴走集団アジト。そんな一寸うすよごれたイメージさえ浮かぶ蒸発都市。ひんやりとしたビルの谷間ひびき渡る声とともに蒸発したダンの面影を追うアンヌその足先に当たるダンの持ち主を失ったレーザー銃。このシーンが抜群に好きだ。qのガラダマのラストのようなひややかさ。本作はダンの蒸発というワードもテーマだ。ダンとアンヌの深いほりさげがさすが。けっきょく暴走族のイメージってイージーライダーな逃避の都会版だと思う。1950年代アメリカのホットロッドとの直接的な繋がりは薄いように思う。つまり生粋の都市文化ではなく。というより郊外型表層文化その都市流入の先駆けといった側面のほうが大きいような気がする。逆にいえば暴走族映画たとえば狂い咲きサンダーロードなどは郊外に架空の都市が存在したという設定なので郊外に蒸発した都市が突如として出現するという本作とは実によく似た構造の作品だったのではないかと思う。場違いに郊外に出現したビル街や破壊神ウルトラセブンが放つその薄っぺらな嘘臭さは昨今のショッピングモールやテーマパークが放つ中華ポストモダン臭それのように感じられる。そういえばきれいさっぱり車の消えた大通りセブンとダンカン巨体どうし猛スピードで追いかけっこその都市の疾走感まさに我が物顔の族と白バイ。アンヌとフルハシのコーラの件もなんかハスッパでそれっぽい気分だし。彫刻化した警察官の眼が監視カメラなんてのも妙に印象に残る。そんなふうにして本作qのクモ男爵やマンの恐怖のルート87そして占い霊媒繋がりなファミリープロットや黒い罠を彷彿。サイコビリーでサイバーパンクなアメリカ南部ゴシック調の郊外型ロードサイド系フィルムノワールとしてみなおすと新しい発見に満ち満ちていて飽きのこない逸品に筆者感じられて嬉しい。アンヌとフツハシが迷い込むビル街はなんかサイコのベイツモーテルにも通じるホラー調で敵の潜むコントロールルームには離れの母屋みたいな不気味ささえある。この一寸ジャンクなフィルムノワールな味わいはどうしてもアートしちゃうヌーヴェルヴァーグな実相寺昭雄演出にはない円谷一演出の独壇場で真骨頂。キリヤマ隊長の明日を捜せでも見せた暗黒街物っぽいニヒルキャラ。フルハシ隊員のドライアンドクールな敵秘密部屋潜入破壊工作。タケナカ参謀と霊媒師ユタ花村のホテルでの密会めいたアダルトな会見。側近の老婆がいい味で掛かってる音楽のダビーでサイケなことサイケなこと。この疾走するモンドな断片寄せ集め感はやはりウルトラセブンというよりウルトラマン。みどころ多し。ききどころ多し。つっこみどころのダンの行方とビル街の放置も以上のような見方だと逆に効果をあげているのでは。

2017年5月24日水曜日

妖星ゴラス

主人公役の久保明はハヤタ隊員役の候補だった。ゴラスへ宇宙船で接近を試みるも衝撃により記憶喪失に陥る。このシーン。まんまウルトラマン誕生である。ウルトラマンのように衝突こそしなかったが赤い球体とゴラスのビジュアルがそっくりだった。また記憶喪失という点においてもよく似ておりハヤタも実は最終回に至るまで記憶喪失という設定になっていた。そう考えるとハヤタの衝突は規模こそ小さいがやはり前代未聞さという点においてはそれがウルトラマン誕生の瞬間であることそれにかわりはなくゴラス最接近と同等の特撮史に輝く超大イベントだったということを本作の久保明は見事に立証しているのではないだろうか。そんなこんなでビートルの登場といううわべだけでなく本作も世界大戦争フランケンシュタイン対地底怪獣と並びウルトラマンいや特撮ヒーローの有する深い本質を語る上では決して避けては通れない。ウルトラマン最終回でのハヤタの記憶喪失に関してはネット上でも物議を醸しているが彗星衝突程のレベルでの誕生契機は他のウルトラヒーローには見られない。怪獣被害レベルがほとんどだ。そこに特殊性が凝縮されている。何億年かわからないがウルトラマンの赤い球体はブラックホールレベルの物で彗星とかというより小宇宙別世界その塊それとの遭遇と捉える。その遭遇レベルはクトゥルーレベルの神話性を有しているはず。だから精神とか肉体とかどうとかの二元論近代思考そのものからしてウルトラマンでは無効なのでは。鍵はやっぱり本作にありここから議論は始められなければならないのでは。

2017年5月16日火曜日

子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎

もはや乳母車がハイスピードのアクションツールと化している。子連れライダーのスノーバイクは仮面ライダーのサイクロン号を越えている。大五郎が乳母車と一体化し電子頭脳となり自力走行自力攻撃すらする。前後左右上下に可動式装甲と飛び出しナイフを配しトゲトゲの装甲車仕様に変形した姿は無敵。もしかしたら核にも耐えうるのでは。装甲車内でレバー操作している大五郎はアムロかシンジか。敵も敵で山奥のオンミョージ軍団はソクシンジョーブツ地底ゾンビ怪人を甦らせる。その戦法も父子にからむすべての人をことごとく惨殺し恐怖感に苛ませ発狂させるというヒョーローホラー責め。以上デマカセを羅列しているような書きっぷりになっているようにみえるがすべて事実である。しかしこんなのはあまい。なんといってもこれだけはやってはいけないのではないだろうかと絶望的になる所業。それは音楽だ。デヴィッドボウイの1984年とムソルグスキーの禿山の一夜を合体させてしまっている。嗚呼。こうして見直して見るとケナしているような書きっぷりだが最大の賛辞である。

2017年5月12日金曜日

市民ケーン

コンテンツ享受って昔はテレビと本の時間がメインで。せめぎあっててわかりやすかったけど。今はスマホにパソコンにタブレット。スマホっていってもユーチューブやらゲームやら。ユーチューブひとつとってもコミュニケーションメインでネタテキに楽しみたいって人やエロいのもふくめてトニカク観まくりたいって人いてソレゾレ。テレビと本まぁ雑誌ね。それがメインだった牧歌的な時代。フォークが流行れば歌本とギター買って。エアチェックが流行ればコンポねだってfm雑誌買って。バラエティ番組と雑誌の時代。イカテン流行ったら。ベース買って。雑誌にメン募だして。ぴあシティロードでライブハウス知って。デモテープ持ち込んで。トニカクそれでもいつでもテレビと本が中心にあった。その間にゲーム機やウォークマンの時間が食い込んできたに過ぎなかった。それが今は。だからミンナ最終的にはテレビに出れて雑誌に載れればをメザシテカツドウしてた。テレビと雑誌は売れたので。出れて載れればシューニューにツナガッタ。テレビと雑誌に変わるモノをアラタにつくろうとするのか。それともオルタナティブに流行っては消えたゲーム機やらウォークマンを模索するのか。ネタテキにウチワでモリアガッテ楽しみたい。それのサイタルものが90年代dj文化。ゴーインに売れるグッズをカレラはソーゾーした。12インチシングルやスニーカーだ。テレビと雑誌はケッキョク映画界とスキャンダル。つまりハリウッドバビロンなヤバいムードをタノシムモノで。ヤバさが常にバックボーンにあってこそ。ヤバさに金を出す。オモイデの定着が主なモクテキで。オミヤゲとして買う地方の民芸品とは似て非なる。なのだ。12インチシングルやミックステープに商品価値が出せたのもハリウッドバビロン的なヤバさをウマク演出できたからなのではないだろうか。純粋にモノやブツではなくコンテンツそのものに金が出せるか。ソーイッタコトをデジタルコンテンツは今ワレワレヒトリヒトリに問うているのではないだろうか。すべてのヒトビトが創造者として。すべてのコンテンツを素材として。真のdjが全財産を投げ売ってでも超貴重音源を手にしようとするようなドコマデモ純粋なキモチ。市民ケーンの薔薇の蕾。もしかしたら流行っては消えゆくオルタナティブでマニアックなゲーム機やウォークマンや12インチシングルやスニーカーが多すぎるのではなく。まだまだ全然スクナスギルのではないのではないだろうか。誰もが欲しがるコンテンツをナンコも作る時代も一つ作って値を吊り上げる時代もオワッタ。この世にたった一つしか欲しくなるようなコンテンツがないニンゲンにすら欲しく思えるコンテンツをナンコも作れば良いのだ。

2017年5月8日月曜日

マンモスフラワー

ビルの隙間や下水道などの人目につかない都市の空間へと知ラヌ間に巨大食虫植物が枝や根を伸ばし都市そのものが怪物と化し、いつの間にか我々は、その内部に取り込まれた虫のように体液を吸い取られ消化される。そんな悪夢のようなイメージが本作の前半で。後半は怪物の最期と、植物系モンスターの常だが、その本質がエコ的に見て善なのか悪なのか、根源的難問を突きつける。結局マタンゴやゾンビも同じで。植物化やゾンビ化の恐怖とは巨大な全体に取り込まれ、個としてのアリカタを奪われる怖さ。野蛮の本能と遺伝子のノリモノという事態に支配されて、それでよし。と出来ない近代人のアキレス腱を突かれる。確かに、そういう類いのホラーが一番怖い。皇居の、お堀に伸ばされた蔦はテンノー制なミシマ的問題すら突きつける。

2017年5月7日日曜日

海底原人ラゴン

マンのラゴンの崖落下シーンがもしかしたらqのそれの流用だったかなとおもい確認のため再度視聴してみた。流用ではなかった。それよりタイトルバックにひかれた。水中カメラでの海中をたちのぼる気泡。24年目の復讐。

2017年5月5日金曜日

大爆発五秒前

初期のウルトラマンって独特の魅力がある。フランケンシュタイン対地底怪獣のフランケンかサンダが仲間が危機に陥ると毎週山からサッと降りて来てその窮地を救いサッと山へ去って行く。もしくはその不死身さでバラバラになって生死不明のまま終わる。そんな哀愁の巨人獣人なフゼイがある。ヒーローじゃない。怪獣と同列のモンスター。異形のダークヒーロー。ラゴンはqの中でも非常にクトゥルー神話的な怪獣で本作のマンますます神話的な謎の巨人めいている。またラゴンの撮られ方もガイラっぽくてホラーだしマンとのバトルからはサンガイを彷彿。qラゴン編のサスペンスな感じがストレートにスケールアップしてる。本作。ラゴン再登場編を超えて。もはやフラバラサンガイオマージュ編というオモムキで。あのジラース。ゴジラオマージュ編に並ぶ。シーンとしても山の崖の中段に引っ掛かった核弾頭へと命の危険かえりみず手をソッとのばすとこなどフランケンが高島忠夫を助けるとこと重なってグッとくる。また世界大戦争で使われたあの特徴的な禍々しい核爆発の火球特撮が流用されているしマンがフランケンと同様。原爆への耐性が強いことも暗示し。静かな反核メッセージ。あと巨人サイズのラゴンが小さな人形のようになって墜落していく崖。そんなスケールの崖。サイズ的に有り得ないと思え府に落ちなかったが。放射能のため人格崩壊巨大化狂人化。ラゴンの出現の悲劇的なジャミラを越える事情を考えれば殺獣光線でリアルに焼き殺したりするよりは夢が残って良いか。と思えてきた。そういったとこがサンガイって見ていてやりきれないので余り好きではない。海底火山での最期の時。ガイラ。もう光線で弱りきっていたように見えるから。ラゴン。それとも最期くらいは人間サイズに戻してやろうというスタッフの優しい心遣いか。

2017年5月4日木曜日

レッドマン

霧立ち込める中世の森の中から。ガラモン登場。もはや生前の面影はどこにもなく全身は腐敗しきってゾンビそのもの。やけに牙だけが目立ち吸血鬼にも見える。枯れ木立越しの決闘シーンがゴシック。最後は柄が十字架状の槍で串刺しにされる。あおむけに倒れ柄の十字架部分が墓標のようになる。メフィラス登場。古タイヤなどが不法投棄された山間の荒れ地。今付近に死体を埋めた犯人同士の仲間割れか。ぎらつく太陽の下で揉み合う両者。呑んでいた刃物にいきおい余って。

2017年5月3日水曜日

円盤が来た

ラストに鳴り響くサイレン昼休みではない。円盤か星間ミサイルの空襲警報。セブンの世界は近未来の星間戦争有事下。瓦礫は積み上げられ基地以外は爆撃のためかコトゴトク荒廃している。フクシンのように難民化しヤクに溺れる者多数。荒廃の極に達っしている。そんなベトナム状況下での。全てはフクシンの幻覚だった。そんな落ち。これが本作の実体。ペロリンガ星人などハナッカラ存在しない。だからサイケデリックな姿で戦闘もサイケデリックな音と映像。ウルトラ勲章授与とかデタラメ。第四惑星の悪夢はゴダールだったが。リチャードレスターばりの皮肉に満ちた痛快サイケ編。

2017年5月2日火曜日

『緊急指令10-4・10-10』「海獣半魚人の反逆」

たぶん怪奇大作戦24年目の復讐の水棲人間も本作の半魚人のように犯罪に加担させられたかさせられそうになったか。可能性はじゅうぶん考えられる。もしくは手探りで川や池の底でヘドロの中からいわくつきの貴金属をすくいあげ細々とその筋の輩と裏取引してたか。海の洞窟や都市の下水はいつだって組織と切り離せない。あの美女と液体人間ではないが。可能性はじゅうぶん考えられる。同時に。汚染された河川。体にも心にも悪影響がしっかりあるはず。そんな感じは天本英世の演技からもじっさい感じ取れる。本作の半魚人の身の上も脳を提供させられた男の身の上もすさまじいもので。両者どこからつれてこられたかなどのはっきりとした背景は語られないが。陰謀うずまく下層社会にひろがる。人身売買臓器密輸的な。闇の深さが垣間見える。そしてその中で利用され捨てられるどん底の名もなき犠牲者たち。これぞ暗黒街。さてもう一度本作。怪奇大作戦同様。子供番組にしては。そのオープニングからして暗黒街ものテイスト溢れるシーン。最初から楽しむとするか。

2017年5月1日月曜日

24年目の復讐

本作前半と後半の落差が良い。横須賀の如何わしさとビッチテイストの女。御決まりの乱闘。正に東映女番長っぽいイエロースプロイテーションムービー。それが島に渡ってからは打って変わって戦争の傷跡を巡っての重いディスカッションドラマに。同じく怪奇大作戦傷だらけの青春名編シリーズ。筆者勝手に命名。吸血地獄と双璧。吸血地獄の落差は前半が重々しい捜査調だが後半が日活藤田敏八調。