2018年3月29日木曜日

さらばウルトラマン

やっぱり本作ホラー回である。岩本博士のフジ隊員殺害シーンは一番の山場だ。その他にもホラー要素がてんこもり。ウルトラマンの技をプログラマブルにことごとく粉砕していくゼットンの圧倒的なつよさ。チビッコの筆者にとってもトラウマ級で当時の子供達全員にあたえた絶望的無力感はもはやホラー以外の何物でもなかった。次の週からはキャプテンウルトラなどという似非ウルトラシリーズだったし。ゼットン。肉片となってさえ空からふりそそぎおそいかかる。ハヤタの記憶喪失ぶりがその痴呆的表情とあいまってかなり不気味。詳細不明のちいさな新兵器が急転直下な事件解決をもたらすのも不条理きわまりなく。本作。全編がスピーディーに展開して唐突におわる悪夢のジェットコースターか。きわめて白昼夢めいている。すべてをダークヒーロー平田昭彦がかっさらっていったという点でウルトラマンはウルトラqのスピンオフでやはりどこまでもダークなダークファンタジーだった。

2018年3月27日火曜日

死を呼ぶ電波

本作は筆者的には電波公害パニック物だが電波ノワールな復讐犯罪劇としてスタイリッシュにつくられている。でも犯人は父親の復讐にとりつかれているというよりも電波電磁波といったそんな物その物の方にとりつかれてしまっているようにみえる。そこに筆者復讐をこえた巨大な狂気をかんじてしまうのだ。そこで筆者一番おそろしかったのが犯人所有のマンションの管理人室が秘密基地になっていてそこで犯人がおいつめられた時。画面の中に東宝映画電送人間の電送装置のような物そんな物さえそこに存在していてそれがうつりこんだ時だ。人類その物を憎悪し復讐しようとしていたのか。多分怪奇大作戦スタッフいつもの洒落だろうがこういうメタフィクショナルな恐怖を子供相手に嬉々としておこなうスタッフの人間性の方こそこわい。笑。

2018年3月25日日曜日

果てしなき暴走

被疑者アイドル少女歌手の車をおう特殊三沢車両のやすっぽいヒーロー特撮っぷりにはいまさらながらもえなおしてしまった。青い血の女の時の三沢の絆創膏姿以上にいたいたしいどころかどこか三沢が実験動物にでもされてしまったかのようなきもちわるい悪夢さだったからだ。本作も青い血の女同様ストーリーはさておき三沢キャラのハードボイルドさ加減と大都市東京の魔都さ加減をアンビエントとひらきなおり不粋につっこんだりせず粋にフィルムノワールとしてその雰囲気のみをあじわいたい。なぜなら三沢のハードボイルドキャラは今となってはちょっといたいが暗示される大都市東京の魔都さ加減は今でもじゅうぶんに不条理ホラーなのだから。フィルムノワールといえば霧だが全編スモッグにおきかわりもうこれは公害ノワール。

2018年3月23日金曜日

白い野獣(1950)

近未来。世界最終戦争の結果。世の男性はことごとくゾンビ化。特に悲惨なゾンビ窟にいたが感染をまぬがれたか感染したが未発症の女達が風光明媚な郊外のシェルターに保護収容された。すべてはシェルター内閉鎖空間群像劇としてかたられゾンビの跋扈する外の世界の様子は直接にはえがかれずシェルターにおよぶ個々の影響によってのみ外のその荒廃っぷりが間接的にしれるようにえがかれている。だからつい最悪の惨状を想像してしまうので余計にこわい。この辺は実にさすが安定した演出力でゾンビ群のでないゾンビ映画として実にワクワクさせられっぱなしの筆者。シェルターをきりもりするのは山村聰と女医の二人。二人は女達にいずれふたたび外の世界へでてもゾンビとの接触をつよい意志と生活力で排除でき自立できるようにまで女達にはなってほしいとねがっている。高潔なこの二人は俗な男女の仲を超越そんな高邁な理想でのみむすびついているのだった。本作。女メインの映画なので腕に職をもち完全自立した女医がめだつ。そんな中。岡田英次が。収容された女のひとりをたずねてくる。ゾンビでこそないがもともとドーテー気質の上過酷な戦場で心の傷をおい中二病をひどくこじらせたようになってしまっているゲスでダメンズな男だ。たずねこられた女は動揺する。その他。ついに発症してしまい隔離の為軍用車両で護送されていく女。自覚のない妊娠が発覚する女。やはり発症し失明宣告をうける女。シェルターといえども過酷な現実が次々とつきつけられる。ある日そんな中で全員に外出許可がでる。束の間の外の自由な空気だ。そして先の女は岡田英次の元へ。岡田との時間は泥沼の陰惨なものにおわる。結局その他の女達にはおくれたが女も無事シェルターにもどる。おってきた岡田も山村にさとされひとりゾンビ禍の中をいきぬく覚悟をかためいつか女をむかえにこれるようにつよくなると宣言し女とは目と目でわかれかえっていく。無事赤子も男児がうまれる。そんなかすかな希望の中あの視力をうしなった女が朝やけの中ひとりたちつくしあたらしい朝をぬくもりとしてゆたかに全身でかんじようとしている。それこそはこの女個人としてだけではなくシェルターいや全女性こそがゾンビ禍の不条理をももはや運命としてしっかりとうけいれ外の人類全男性がゾンビ化した今。それでも前をむいてつよくいきていこうとする新。人類。女。の姿であった。

2018年3月21日水曜日

ミイラの叫び

冒頭。布をかけられ担架ではこばれるロングショットは特撮物というより大人の刑事物を思わせる程シリアス。そんなミイラがはこびこまれる科学センターも通常どんな研究をしているのか。不気味な施設。もしかしたら死体蘇生か。徐々にホラー感はたかまっていく。本作しっかり下水道物。として筆者偏愛。そのわけそのシーンだが。まずミイラが逃げ込んだとされる下水道入口での被害者の痕跡がこれまた不気味ときた。ヒトガタのチョーク跡に血が点々だ。そして定番の下水道内追跡劇となるのだが。特に本作はその追跡劇のクライマックスが下水処理場なのが良い。施設はガス室のような近未来sfなひややかさで。屋外地上というよりなにやら地下の延長下水道の中継地点。めいた閉塞感があって雰囲気満点だ。たとえるならゾンビのショッピングセンターとその車の消えただだっ広い駐車場。幼少の頃の初見がトラウマになったのも頷けミイラの最期も汚水プールに落ちて浮かんでいるとかダーティーハリーばりの汚濁感もよいとは思ったが食事時の子供番組だったし。怪獣出現ウルトラマン登場となるのだがこの頃のウルトラマンはヒーローというより不気味な謎の宇宙巨人といった趣。かけ声というより不気味な唸り声を終止あげて怪獣ととっくみあっている。勝負がつき廃墟に横たわる怪獣の亡骸。おもいっきりかぶさるbgmがおもいっきり悲しい。さて本作変身を解くというか合体を解くシーンまで描き完全無欠ヒーローとしてのウルトラマンとしては不自然なかんじをあたえるかもしれないがそれは伏線で。オチをイデの定番ギャグハヤタウルトラマン説へともっていき悲壮感を緩和。かろやかに終結する為。だった。納得。とにかく初期ウルトラマン独特の混沌としたウルトラqな感じも相乗効果なミイラ男物のホラー回。そういえば旧ウルトラマンはそんな感じで番組前半のヒーロー物感薄い混沌とした所が魅力で。筆者は好きだ。逆に新ウルトラマンの帰ってきたでは番組後半の方がウルトラブレスレット設定になったりブレスレットに逆襲されたり身体バラバラにされたりレギュラー死んだりで正統派ヒーロー感薄れたその混沌ぶりが魅力だ。そんな風に帰ってきたウルトラマンは弱いヒーローに後半なっちゃったけど最終回に次郎くんの最大のピンチを救ったという所から。もしかしたら後半の新マンは人類のヒーローなんかではなく次郎くんをただ守っていただけなのかもしれない。そんなことを考えていたら旧マン。番組とおしてのイデとハヤタのその深すぎる奇妙な友情をおもいださずにはおれなくなってしまった。旧マンってハヤタだけでなくイデの事もホントに好きだったんじゃないかなぁ。マンがじいさんでハヤタとアキコの息子がイデつまり孫のかわいさをえがいている。やっぱり正統派ヒーローじゃない。セブンやスーパーマンら正統派は恋人を愛した。

2018年3月20日火曜日

座頭市血笑旅

加藤嘉が人間味のある小さな寺の和尚を演じ本作のすべてを最後でかっさらっていくのだがこれは後の砂の器で行者を演じやはり作品のすべてを大きく実はかっさらっていっていたのとどこかで深くつながっているように思えてしかたがない。また金子信雄もなんとも微妙なつかみどころのない父親像兼親分像を演じるのだがこれもやはり後に仁義なきシリーズでなんとも微妙なつかみどころのない旦那像兼親分像を演じることになるのだからこれまた因縁めいているとしか言いようがない。とにかく本作は何がすばらしいかってその映像美。いつもは荒野か地獄のようなんだけど本作に限っては花畑や紅葉そしてぬけるようなまるで東宝特撮のような青空でここは極楽かといわんばかりなのである。絶対夢おちでもしそうだな位の現実感のなさなのだ。話も単純きわまりなくまるでプロモーションビデオなシリーズ中異色でメタフィクショナルな本作なのだ。その分音楽も素晴らしく実在の地方の子守唄の超印象的な旋律が何度も色々に編曲されて繰り返し流されてくる。そんな夢のような旅からまた地獄のような旅路にもどった市がひとふしやはりあの旋律を力なくうたい本作は終わる。これは砂の器で現実はすべて地獄で。ただ父親との旅だけにしか結局生きることしかできずその後現実の父親とも会おうともせず犯人の作曲家は曲の中でだけあの父親と会えるものとしたものと構造的には同じなのかもしれない。とにかくこの二作はあのパリテキサスやゴッドファーザーパート2のように音楽が作品のほぼすべてを握り語っているそういう類いの作品である事に間違いはない。以下筆者心声。そうかゴッドファーザーパート2はロードムービーだったのか。いま気づいた。納得。

2018年3月19日月曜日

過ぎし日

そのむかし警察とはガス灯を点灯する者、であったという。都市文明論的な犯罪抑止の基本とは、を考え直すには良い例である。犯罪抑止といえば本作の主人公はタイムスリップする者の方ではなく、その未来から来た不審者の、リンカーン暗殺予言をひとり信じようとした警察官の方である。以下ネタバレ注意。暗殺はその警察官によっても阻止できなかったが、うかばれなかったその警察官のホテル従業員のその子孫が、歴史の微妙な改変によって、街の防犯名家として名士となっていたというのが、本作のオチである。それはどこか笠地蔵的な小さな慈善が報われる、おとぎ話的ホノボノさに満ちている。まさに地道にガス灯を点灯してまわった当時の地味な警察官の仕事、それこそが実は科捜研とか解剖法医学的な物であり、現代において立派に花ひらいた、そんな事をツクヅク感じさせる。本作そういう意味では、或る過去の記録に残らない人情駐在さん物語、として観ると実に面白い。苦い物語だが一筋の光があるという点ではミニ砂の器級の名作としたい、気も。

2018年3月17日土曜日

空間X脱出

とだえたことのない人類の宇宙開発。地球の人工衛星軌道上には膨大な宇宙ゴミの蓄積を認めざるを得ない近未来現状。漂う個々のゴミは時として妙なカタチで集積し異常な重力をもち異常な空間を生じさせると蜘蛛の巣のように旅客機さえも捕らえ遭難させるという。そうそれこそが本作の空間xである。宇宙規模最悪究極の汚染ヴァンアレン帯。訳のわからない宇宙線放射線とびかい宇宙細胞宇宙遺伝子未確認放射性物質なんでもござれの魔窟だ。不気味に赤く変色したクサムラを進軍するソガアマギ両隊員。森の中なのにまるで陰気な廃病院の中のように反響し響き渡る声。常に苛立たしいナースコールのようなベルの音。その主はまるでコンビナートが擬人化したかの如きセミ型の宇宙巨人。沼にハマればそこは底無し沼で。毒々しい色とりどりの亜硫酸ガスがいたるところから噴出。神経毒さえふくんでいるのか二人の精神はもはや崩壊ギリギリ。見上げる上空に巨大な地球さえみてしまう。しかしそこはヒーロー番組。セブンやホークの活躍で二人はすくいだされる。しかし集積して一時的に成立していた疑似空間なので時が来ればバラバラの素粒子に帰し虚無の淵へか次元のハザマへかかき消えていくなか間一髪での脱出はアクションをこえてやっぱりsfホラー。またいつどこにあらわれるかわからない空間x。本作のこわさは空間というモンスターであって怪獣や宇宙人ではないというところ。おっと宇宙蜘蛛を忘れてはなるまい。まさに汚染の象徴のような存在として空間xに繁殖。常にその排気口から有毒ガスを噴射し続け鉛色のバイオ金属っぽい表皮の色が不気味だ。ベル星人もイイ。意図不明だし。仙人か幽霊のような存在と思わせておいていきなり倒れたセブンに対してタコ殴りならぬタコ蹴りの高速連射はサイコパスの豹変っぽくてこわい。

2018年3月16日金曜日

吸血地獄

崖っぷちをドライブ中のカップル。文字通りだし何かを象徴してもいる。運転する男がやたらハイテンションだ。もうれつに事故のフラグがたちまくっている。酒に酔っているのかヤクでもキメテイルノカ。案の定対向車をよけきれず正面衝突いやよけたせいで崖下におちた。どっちなのかその辺が曖昧なままいきなり画面は葬式現場にきりかわる。ここのきりかわりは何度みてもぶつぎり感がすごくやはりきわめて異常としかいいようがない。加えて死んだ女の棺からとりだしたのか棺におさめようとしているのか男は薬物の小瓶を手にし。こんな物のまなければなどといっている。これもよくかんがえると変だ。なにより葬式の様子が。その他大勢のふるまいが我関せずで現実的手ごたえが全くない。どこかが変。何かがちがう。円谷一。氏の演出の他の作品。ウルトラセブン侵略する死者たちの冒頭。第三病院をフルハシがたずねた時の応対のちぐはぐさとか。ウルトラqあけてくれの冒頭。一平がおいてきぼりをくらう所の唐突さとか。よくにた異様さなのだ。やはり本作。もう異次元トリップ夢おちな。ドラッグフィルム感バリバリにふりきれてしまっている。そんな一氏はさりげなくなにくわぬ顔でドラマにメタフィクションという地雷的なモンスターをここ怪奇大作戦でも子供相手に平気でぶちこむようなそんなトリックスターなのだ。結局本作ラストのナレーションまでまきこんで大風呂敷の大嘘っぱち。真実は崖下におちた車。海岸なのか山肌なのかはわからない。岩の間にドクドクとみちるしんだ女の血糊。さながら郵便配達は二度ベルを鳴らす。そんなエンドロール部分。冒頭の事故シーンと正味それだけであって。吸血鬼がどうとか死後復活がどうとかドラキュラの末裔がどうとか実はすべてなかった事なのだ。ただヤクは。ヤクをキメての運転は。アブナイですよとさらりとながしてうまくかわしている様子だけだったのだ。スポンサーが製薬メーカーだったり売血など当時のギリの時事的話題をあつかっていたりというのもあるかもしれない。それだけにすぎなかったよい意味での陳腐すぎるストレートすぎるテレビ三面記事ウィークエンダー再現フィルムな内容。そうだからこそ本作。まさに奇跡的ドラッグフィルムたりえている。成功失敗を越えた作例で。筆者はその魅力にはまってしまって金輪際ぬけだせそうにもない。

2018年3月13日火曜日

侵略する死者たち

本作は怪獣が登場しない三部作。としてウルトラセブンマニアの間でかたりつがれる名作だ。しかし本当にそうだろうか。ラスボスの宇宙人は姿をみせないとされている回としてもかたられる本作だが。ラスボスはあの宇宙ステーションその物なのでは。宇宙ステーションというか巨大な円盤というか。かたちもなにやらおかしいし。おおきさも中途半端だし。使途不明な物体だ。なにやらスクラップの集合体めいている。そこで筆者はあれを怪獣といいきってしまう。名づけてデスシップ。そうさまよえるオランダ人ではないがあれは宇宙の幽霊船なのだ。ミステリーゾーンにでてきたあれとおなじ物。宇宙人ではなく地球人の搭乗員が。いまだみずからの死をうけいれられず。船内では死体が。ダンのいう念力とやらで。操縦しつづけている。ミイラ化した死体の散乱する中。影がうごめき機器だけがみずからうごいているシーンを想像するとこわい。巨大なうごく墓標。そう。そういう意味ではあれは円盤でも宇宙ステーションでもない。モンスター。れっきとした怪物怪獣だ。一種の。着ぐるみではない操演怪獣。そうだとしてみれば内部にとりこまれてどこかにつれさられそうになるウルトラセブン。あれは実はどんなはげしい攻撃よりもこわい。つまりなぜならそうあれは黄泉の国へとわれらがウルトラセブンをつれさろうとせんとするやばすぎる儀式だからだ。だとすると俄然。先の小さなコップにとらえられる小さなウルトラセブンあれも児戯めいた物にみえていたのだがそうではなかった事がよくわかる。よくよくかんがえると本作かなりこわい。そしてなにより最後のダンがとる電話。あれこそは死者からの電話。だったのだ。本作のゾンビは人をかじってしなせこそしないがいきたまま冥界へとさそってしまう能力をもっている。そののろいがウルトラセブン最終回だとするとメタメタにこわい。おそわれた通信担当隊員のその後が気になる。もしかしたら電話はその通信担当隊員からの物だったりして。

2018年3月10日土曜日

恐怖の電話

公衆電話の送話口にジャストフィットする殺人装置のかっこよさ。さらに急遽パワーアップさせようとしてか。なにやらUSBメモリーそっくりのような物を接続した時にはホントおどろいた。すごい先見性だ。被疑者役の女がイイ。わざとなのかすぐに気をうしなう所とか気のよわい女を擬態するニューロ悪女っぽい。そんな女にたいするマッド牧。どこか異常性欲者のように終始サディスティックだ。特に無響室に監禁し轟音をあびせるなどまるで拷問である。そのせいかここにきて牧が悪魔ばらいのエクソシストにみえ女のニューロな不気味さは頂点に。直後。悪魔つきがとれたように入院するが。そこでつきそうのが三沢なのがまたイイ。本作。怪奇大作戦番組としてあさい回なので。SRI の組織としての魅力がほぼほぼ皆無。しかしそのおかげでイイ感じにニューロな悪女に翻弄される男二人。男女三人の群像劇になっててこれはこれで貴重だ。

2018年3月9日金曜日

殺人回路

高層ビルという閉鎖空間で徐々においつめられていくかんじはそういうのがめったやたらでてくるあの事件記者コルチャックをついおもいだしてしまった。そして事件解決後主要人物二人がビルの屋上でしみじみとかたりあうシーンなんてのはやはりあの科捜研の女やシンゴジラでおなじみ。そんな既視感満載の本作だがさすがの円谷特撮といわんばかりで。その光学合成技術とキャラクター造形センスはすばらしく。うつくしき殺人者3Dダイアナの魅力は他の追随を当時も今もゆるさない。そして平田昭彦という魅力的な真犯人の刑事コロンボばりの倒叙ミステリーでもある。

2018年3月3日土曜日

遥かなる我が家

ミッキーカーチスに伊武雅刀。中々ロックしたキャスティング。で。ラストでボックスの中から女性の死体があらわれるがあれは今回の火災現場のビルの地下か隣にずっとあった物なのだろうか。それともたちいり禁止になったのをよい事にあらたに何者かにもちこまれた物なのだろうか。それともそもそも今回のビルではなくまったく別のビルで。純粋に次回への前ふりなのだろうか。もう何が何かわからない。アンナチュラル。とにかく本作というか本ドラマの魅力はカソーケンとはことなりラボ自体が不気味な点にある。ラボのメンバーも何やら全員最終的には犯罪者だった的な物のようにもみえる。グラサンの葬儀屋というか霊柩車ドライバー。地味に不気味キャラたってるし。さてさてラボその立地にかんしてだが。マチナカなのかマチハズレなのかただやけにひろそうで研究実験学園都市みたいで毎回不気味である。舞台となる街も東京っぽくなく最後とんでもないすべてはシミュレーションでした的なおわり方でもしそうな仮想都市にかんじられる。おわりのない女性無差別連続殺人死体遺棄事件がずっと街に闇の影をおとしセブン的な犯罪都市な得体のしれなさを更に増幅してる。それでもそれが本ドラマのグロテスクに異形な。ゆがんだ魅力の根幹をなしていると筆者はおもうのでカソーケンとはまったく別物としてたのしんでいる。一寸前のおなじtbs金曜ドラマ枠のわたしを離さないでのように。あとウィキったらプロデューサーが一寸ホラーよりのベテランみたいだし。

2018年3月2日金曜日

実は本作は大空港とならんで筆者的には泣けるパニックというかホラーというかそんな作品なんです。大空港は犯人夫婦のせつなすぎる純愛が裏テーマになっていたとおもいます。で本作では。都会からほれておってきた男と田舎の因襲でわかれさせられたのにあきらめきれずこの小さな町にのこり教師をしているそんな不器用な女アニーがでてきますが。やはりその純粋さ健気さと実に大人の事情なかんじが子供の頃にはわからなかったんですがオッサンとなった今はそれがそれはそれはもうあじわいぶかくかんじられてしまって仕方ないのです。そんな気のイイ女性。邦画ならさしずめ演歌なスナックのママといったところでしょうか。を鬼畜ヒッチコックはズタボロにしてころすんです。だから益々泣けますね。恋敵でもある女主人公メラニーとの奇妙な友情もあってかどんどんアニーの方はハカナゲになっていくんです。そして遂に鳥達の餌食となります。しかし最期までしっかりと子供。そうわかれさせられた男の妹なんですがね。男をあいしつづけているアカシかのごとく。その妹へもあいするキモチをもちつづけ最期まで命がけでまもってケナゲなのでした。この辺が初恋をひきずっててもそしらぬふりでつきあう幼なじみとかでてくるスモールタウン物の青春群像アメグラ調をおもわせてもうくすぐったいような郷愁をよびさまされる筆者。何ともいえません。その最期の姿なんですが。鬼畜ヒッチコックはもう尋常じゃない程にサディスティックに無様なシニザマを彼女にさせます。ある意味ゴッドファーザーのソニーのズタボロ死体の頭を更に足蹴にさせたコッポラ以上の鬼畜ぶりです。

2018年3月1日木曜日

CARGO2013

ネット上で話題になっていたゾンビショートムービー。その後カーゴと題され長編化されたがゾンビ物はこういう超資本主義的無資本主義的な日用品っぽい禅っぽい位置の実験短編とかな存在感が何処かにあう。ナイトオブザリビングデッドも因果なパブリックドメインだし。何の前ふりもなく運転席でめざめる主人公。もうここで筆者は夢おちとしたい。何故ならこういう泣けるホラーはそうとる事で更になけるからだ。何度もかいたが帰ってきたウルトラマン吸血地獄しかり。結局主人公は頭をうちぬかれ赤ん坊は女性に救出される。この救出した女性を筆者は冒頭の車内でゾンビ化した母親としたい。そう本作大半のシーン。主人公は母親の方で。かわりはてててすぐにはわからなかったが。子をつれ行方不明だった父親の末期の夢だったのだ。父帰る。