2018年3月20日火曜日

座頭市血笑旅

加藤嘉が人間味のある小さな寺の和尚を演じ本作のすべてを最後でかっさらっていくのだがこれは後の砂の器で行者を演じやはり作品のすべてを大きく実はかっさらっていっていたのとどこかで深くつながっているように思えてしかたがない。また金子信雄もなんとも微妙なつかみどころのない父親像兼親分像を演じるのだがこれもやはり後に仁義なきシリーズでなんとも微妙なつかみどころのない旦那像兼親分像を演じることになるのだからこれまた因縁めいているとしか言いようがない。とにかく本作は何がすばらしいかってその映像美。いつもは荒野か地獄のようなんだけど本作に限っては花畑や紅葉そしてぬけるようなまるで東宝特撮のような青空でここは極楽かといわんばかりなのである。絶対夢おちでもしそうだな位の現実感のなさなのだ。話も単純きわまりなくまるでプロモーションビデオなシリーズ中異色でメタフィクショナルな本作なのだ。その分音楽も素晴らしく実在の地方の子守唄の超印象的な旋律が何度も色々に編曲されて繰り返し流されてくる。そんな夢のような旅からまた地獄のような旅路にもどった市がひとふしやはりあの旋律を力なくうたい本作は終わる。これは砂の器で現実はすべて地獄で。ただ父親との旅だけにしか結局生きることしかできずその後現実の父親とも会おうともせず犯人の作曲家は曲の中でだけあの父親と会えるものとしたものと構造的には同じなのかもしれない。とにかくこの二作はあのパリテキサスやゴッドファーザーパート2のように音楽が作品のほぼすべてを握り語っているそういう類いの作品である事に間違いはない。以下筆者心声。そうかゴッドファーザーパート2はロードムービーだったのか。いま気づいた。納得。

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