2018年2月27日火曜日

科捜研の女 SEASON 13 File 15 & Last File

先日おなじような老人アパートでいたましい火災が現実におきている。しかし。こうした松本清張や三島由紀夫の遺伝子をかんじさせる予言的社会派ミステリーはたやしてはならないとおもう。旧遊廓のような存在感ある木造。今では近所でも噂のあやしげな老人アパートになっている。そこでおこる住人の不審死。どこかホラーなカメラワークも中々魅力的だ。また住人の老人達が一人一人個性的で存在感があるのでどこか俺達の旅的な青春群像劇の雰囲気さえある。各々複雑な過去をかかえてこの老人アパートにながれついたような感があるがくわしくは一切かたられない。そこがまたハードボイルドしててよい。また大家がわかい女でセレブ気どりのあそび人なのも対比的でよい。一昔前なら相応の年代の名脇役をはいししっかりと戦争の傷痕や心の闇をえがき妖怪めいた老人達がうごめく重厚なゴシックミステリーといった所だろう。 結局事件性のない物への徒労な科学捜査だったがあぶりだされる事で当初洋館の怪物にみえた老人達が実は各々人生に真摯にたちむかっているダークヒーローだった事がわかってくる。そこがまた311後の前むきサバイバルな作品っぽくもありノートルダムの鐘以来の古典のよさもかんじさせてくれた。

2018年2月25日日曜日

帰還兵

未開の地って程ではないけれど田舎に突然ヘリコプター軍団が襲来するってのはやはりおそろしい。都会なら機動隊とかすぐたすけがきてくれる。田舎のドライブインだ。もう観念するしかない。そんなベトナムの村人が遭遇した恐怖とおなじ物を本作のアメリカの片田舎の住人達はあじわう。それも何の前ぶれもなく自然災害のように不条理に。そこにこそ本作のリアリティーがある。荒唐無稽のsfホラーのようだがしっかり日常が戦場化する点においてゴジラ1954のような正統的戦争映画なのだ。観客にもどうしてこんな事になってしまったかとかんがえてしまう隙をあたえない。ありえる事だ。事実自分達はおなじ事を既におこしている。そんな風におもわせる。アブナイ作品なのである。そういう意味では新トワイライトゾーン1985中のヤングアダルトでライトノベルな物と世評ではなってしまっているが。単に娯楽職人監督とはいいきれないふりきれたロックな監督の手によっているだけに独立した作品としてみた場合その反戦メッセージというか風刺は。しっかりと重くうけとめなくてはいけない。はまるとヤバいドラッギーな魅力にみちているからだ。80年代の作品だが。それもテレビの30分ドラマだが。その後の現実のアメリカの911テロや乱射事件や311をかんがえるとある意味封印作品級かも。サントラも一聴だとピーガブもろパクリに換骨奪胎したブルースハープ曲の無害な胡散くささでよい意味で一寸お洒落な安手のMTVにもみえる本作。そのかくされたぬき身のアブナサをよい意味で隠蔽してる。ってのもあるかも。その演奏は何処かブルースでレクイエム。

2018年2月24日土曜日

バイパスの夜

田舎ホラーのシチュエーションとしてよくある物にヒッチハイクがある。この場合ヒッチハイカーの方が異常者で常にドライブインに先まわりして執拗に都会からきたドライバーをつけねらうというかドライバーの前にどうやって移動するのか超自然的に出没してドライバーをふるえあがらせるそんなのがまず一つ。また別の場合だが逆にドライバーの方が異常者で界隈をいつも車でながし都会からのヒッチハイカーをひろっては殺害して山中に遺棄というかそんなのも又一つ。兎に角そんな風に田舎ホラーでは田舎の人間には時にとんでもなくおそろしい奴がいて都会からの余所者越境者はよくよく心すべしというような物。そこで本作。何がすばらしいってその両方をかねそなえている。山をながす異常者のタクシードライバーその車に付近の山小屋にでも潜伏していたのか逃走中の凶悪犯がのりあわせるのだから。そのスリルと結末が正にストロング級だ。外は嵐。密室の車内。山中。峠の崖の上。カーラジオのニュース。逃場なしのすさまじい心理戦がくりひろげられる。結末にいたっては正に山ならではの怪談か都市伝説か。田舎ホラーの魅力が濃縮されたような作品。

2018年2月21日水曜日

落日の決闘

まず上野隊員の様子がおかしい。でもそれが山の霧の逆マイナスイオンにでもあてられての異変とかんがえるといかにも山の怪談しててよい。少年の不良ぶりもよい。田舎の薄ぎたなさもよい。細部はギャグがちりばめられているのに全体をおおうトーンはどこかシリアスでいかにもな田舎ホラー。トンネルからいきなりとびだしてくる等身大ウルトラマンは悪魔のいけにえのようだ。くらい森せまいマット社用車内の隊長と女性隊員なんて。ヤバい位の社内ナントカな大人のいけないムードをかもしだしてるし。またそれをのぞきみる不良少年。別荘がからむのもまたよし。また怪獣もこの位いつにない強烈すぎる位のキャラでこそ人間ドラマ部分の変なあつみと整合するのかも。最後は少年更正の男ナミダなメデタシメデタシでしめくくられるのもイイ。今回の上野隊員のハチャメチャダークヒーローぶりは見事な主人公といってよい。見事なある意味かえってきたウルトラマンスピンオフ。上野隊員回。

2018年2月20日火曜日

ガラダマ

一種の秘境物と筆者はみている。ダムの底にしずんだ村。そこ出身のわかい女二人。しずんだ村がどこか南極の氷の下の古代都市を連想させる。そこ出身となると女達は神秘めく。巫女めく。そこにねらいをさだめておくられてきた刺客ガラモン。まきこまれるレギュラー陣。そんな本作の秘境探検物さを決定的に印象づけてくれるのが村の子供達。事態が深刻な局面をむかえた途端まったくでてこなくなってしまう。あれだけドラマをひっぱってきていたのにだ。おかしい。高所からみておどろいている様子なんかが一寸でもえがかれたってまったく不思議ではないのに。わかい女達のおどろきようもうすい。イチノタニ博士の方がよっぽどおどろいている。そんな森の中の木霊のような精霊めいたわかい女達や子供達がでてきた時点においてすでにもう本作は筆者には近郊秘境物の変則的傑作。追伸。さてモスラのインファント島やマタンゴ島だが。あれは地図的空間的にいっての絶海の孤島的秘境ではない。脳内の秘境だ。平和への切実ないのりがもたらした理想夢であり邪悪な性的欲求や放射能への恐怖からのがれようと常用したドラッグの幻影。そんなながれにあって。からの。本作のダム地区である。この脳内近郊秘境も。宇宙の未知の電波が。もしくは錯綜する現代の都会の電波公害が。ダムが水をとどこおらせたように。みえない電波ダムがそこにはあって。よごれたサイケでノイジーな電波のたまり場になってしまってて。人間の脳に影響を。あたえた。あたえうる。そんな結果とか仮説とかとしての。眼前のカタストロフのマボロシ。シミュレーション。というシュールなとらえ方もできるのだ。そんな夢おちっぽいかんじというか。ボーヨーとしたドラッギーなとらえ方の方がやはり筆者的には心地よい。やはり吸血地獄ににている。やはり永久不滅天才名コンビジルシ作だ。ツッコミ所満載ととりたいヤツはとればよいのだ。前回の三つ数えろもだが。筆者はどこまでもそんな癖がつよいがみえづらい。どこかかたりたらずでなげっぱなし。そんな監督脚本チームの擁護派だ。映画とは心地よい悪夢でよい。理解なんかできなくてよい。しみるワンダーさえあればよい。

2018年2月18日日曜日

三つ数えろ

依頼人の元将軍の屋敷はどんな地区にあるのかわからない。広大な事だけはわかる。棟の中にあるのかつながっているのか部屋のドアをあけるとそこは温室になっていて熱帯植物のしげる中。防寒重装備の車椅子の老人それが元将軍。きわめてブキミで仙人か妖怪のような存在だ。さてそして事件の発端となる殺人現場だが容疑者がいきなり自宅か別荘かでころされてしまう。その地区はなにやら近郊住宅街で雷鳴悲鳴までとどろきまるでホラー映画のような立地とシチュエーション。で本作は一粒で二度おいしい前半後半ふたつの事件で構成されている訳なのだが。すべての事件が容疑者のあのホラーな自宅か別荘かで重要な局面をむかえているのだ。そこがいかにも名作にありがちな古典的閉鎖空間密室劇密室劇していてよいのか。まったくふるさがない。本作。たしかに演技こそ見所なのだろうが筆者的にはミステリーというよりどこか怪奇なかんじがただよっていてそちらの方にこそひかれる。いりくんでおもわせぶりなストーリーはもはや怪談といいきってさしつかえない。そうハードボイルド物というよりフィルムノワール気味。人より場所や光や闇といった物の方がなにやらザワザワしていてキモいのだ。そしてついに仙人妖怪めいた依頼人の元将軍は二度とでてこなかった。やはりきわめてブキミだ。そして鍵となる先任の探偵も会話にはでてくるものの会話中の名のみで回想にすら姿をみせない。まるで謎の死をとげた先任の家政婦とかがでてくるゴシック洋館怪奇劇のようだ。あげくブキミにもまだどこかでいきていてなんとメキシコで死の床にあるとかいってるし。あと探偵のクルマのダッシュボードからとびだす拳銃はそのシカケがトンデモな発想な割には実に入念かつ重厚に円谷レベルの小道具としてかっこよくつくりこまれているのでまるで特撮スパイ物のsfチックな秘密兵器をみせられているかのよう。そんなこんなでこの監督を。なぜ筆者がすきなのかもがまた一寸判明した次第。

2018年2月8日木曜日

東海道お化け道中

本作は妖怪版必殺シリーズでもあり時代劇版仁義なきシリーズな集団ヤクザ抗争劇でもある。ヤクザが悪でならず者ならば妖怪は悪も悪。凶悪凶暴なくるいきったアウトローどころかモンスターである。そういうついわすれがちな事を再認識させてくれる。特に大人に。そうそして本作はネタバレになるからふせておくが怪物的純愛をえがいたラブロマンスいや純愛の怪物性をえがいたラブミステリーでもある。仁義の墓場か広島死闘編か。夫婦愛父娘愛をこえたある意味もうひとつの菩薩愛なのか。妖怪愛とでもいうべき純粋な愛の存在。執念。そんな事すらつかれた大人の筆者にきづかせてくれた。オバケ妖怪怪獣イコールお子様向そんなゆるキャラ的視点に日夜辟易している筆者としては爽快きわまりない好設定による日夜本ブログでかたっている持論の理論的反証ともなってくれた。つまり必殺シリーズというのは悪のしたで悪にくるしめられている小庶民を悪の更に上をいく悪がこらしめてくれるいややつざきにしてくれるアンチヒーローピカレスク暗黒街物の爽快感。だとすると本作は更にその上をいく魑魅魍魎ダークファンタジー。で正に本作の妖怪はころし屋の上をいくジェイソン系殺人鬼な訳でありその爽快感もころしの残虐さも貫禄も正にこれぞボーントゥ必殺という所の物となっていて爽快きわまりないという事がいいたいのだ。あと東海道の宿場宿場には土地土地の親分さんがたがいる。その設定がいわゆる股旅物だとすると。本作の中で妖怪みずからがいってもいるが。実はよくかんがえてみればわかるが宿場宿場の親分さんがたが入植する何百年何千年も前から妖怪という親分さんがたがそんな宿場宿場峠峠をとりしきっていたんだよなって事におもいあたる。そんでもってその親分さんがたのスケールもスゴミもヤクザでいう所のその器量ハンパなく人間の比ではないという事におもいあたる。で本作ではある見方をすれば人間ヤクザ一家と妖怪ヤクザ一家の勝負は歴然の一大デイリで。そんなカタルシス場面がラストに用意されている。が。その残虐さ非情さは仁義なきシリーズの比ではない。あたり前だ。相手は人間ではないのだから。その殺戮方法は文字どおりホラー。本作。はなっから妖怪物とうたったガメラ併映の子供企画の股旅物だから子供だましととってしまいがちだがもし純然たる大人向の股旅物として。そうザガードマンの怪談シリーズのような。タイトルもかえ予告もなく予備知識なく本作をみせられたらどうだろうか。その爽快感はある意味東映残酷エログロ路線さえもこえるブキミさオモシロさかもしれない。そうそう本作どこかオハナシがセーラー服と機関銃っぽい。妖怪一家もののけ組。セーラー服と機関銃のめだか組にまけてないかっこよさだ。一家。がデイリに勝利し山の中のホコラの。事務所。にたのしげに帰還するラストシーンの現代的。そう現代的。かっこよさといったら。傑作ジュブナイル。

2018年2月7日水曜日

呪いの壺

殺人回路美女と花粉果てしなき暴走と終盤ここにきて犯罪の規模が急に拡大する。sriのおかげでオオゴトにはどれもいたらないがどれも一歩まちがうとサイバーテロやパンデミックや大暴動への発展の可能性をさりげなくひめていてさすが大づめと感慨しきり。京都買います狂鬼人間ゆきおんなはその余韻もしくは番外編とかんがえると本作のひめる破滅のポテンシャルは絶大で正にピークというにふさわしい。リュート物質の埋蔵量からかんがえるともしそれが上空から白昼晴天ばらまかれたらとおもうと。そういえばライシャワー刺傷事件というのが東京オリンピックの陰で発生しその事件は犯人像の点と治療の輸血の点でそれぞれ本怪奇大作戦中の狂鬼人間と吸血地獄のエピソードにつながる社会的変化を実は当時水面下まきおこしていたのだ。いやそれどころかライシャワー発言なる物まで存在しなんとその内容というのが広島長崎につぐ第三の核標的それこそが京都だったという物。そしてその危機はおわってはいない。近未来戦争御用達な戦前からの半導体資源鉱山を京都はもしかしたらいまだ数おおくゆうしているかもなのだ。リュート物質もあながち比喩だけではないという事。一体この因縁めいた筆者的都市伝説。筆者この怪奇大作戦のあまりの巨大さにここにきて今さらながらもてあまし気味なのだ。よい意味で。

2018年2月6日火曜日

吸血地獄

衝突の際のわれるフロントガラスに。ぶちまけられる血しぶき。いかにも象徴的にみせようという意図なのか。特殊効果をもちいての。陳腐ともとれてしまうその劇画的演出。しかしエンディングのスタッフロールのやはり抽象グラフィックな特撮へと見事につながってしまっている。そしてそのままいきなりの葬儀シーン。それは何かフラッシュバックのような唐突さで。我々の目にとびこんでくるのでみているこちらの時間感覚は完全にそこでふっとび以降くるわされっぱなしになる。そしてやたらひきのロングを多用したドキュメンタリーのようなカメラワークの多用も異常だ。演技者以外にも無関係な人物がいつも画面にはいっているし必然性のないワンシーンワンカットな長まわしはやはりみているこちら側の時間感覚をわざとくるわそうという意図にしかおもえない。そうかとおもうと後半。舞台がホテル内にうつってからはやたらと画面がくらい。それも特に廊下。まるで怪奇映画の古城にでもまよいこんでしまった映研学生の学園祭レベル8ミリ作品かとおもってしまう程だ。そしてやはり決定的にサイケデリック。ロックの轟音のイメージ。とかさなるのが冒頭の吸血鬼の警官への急襲。小ばしりだしゴクゴクとまるでコーラでものんでるかのような音たててるし。メイクもすごいし。サイケでパンクでアナーキーな以上筆者偏愛故の吸血地獄。ドラッグフィルム説仮説検証メモ終了。

2018年2月5日月曜日

青い血の女

sriは民間のチームで基礎科学のチカラだけで怪奇犯罪にのぞむ。応用巨大科学や高度工業技術な武器も銃も警察手帳な権威ももちあわせてはいない。そこがいかにも街の私立探偵めいていてドラマに日常的なリアルさアダルトさのふかみをあたえている。さてそんな探偵などとしてふとして事件にかかわったばっかりにねらわれたり容疑者にされたりはたまた運命を左右する謎の女と恋におちたりなんかして犯罪の闇の迷路へとふかくまよいこまされていく主人公。そうした内容をドイツ表現主義やゴシックロマンの手法をもちいて映像化した物それがフィルムノワールだ。吸血地獄が全編ドラッギーなカラフルな悪夢だとしたら本作は夜という魔の刻がしかけてきた暗闇という魔物がみせる漆黒の悪夢。そんな視聴者をトリップさせる所。共通している。本作。正にフィルムノワールである。フィルムノワールといえばファムファタールである。運命の女である。悪女とはかぎらない。本作での運命の女は老人を家までおくってくれた親切な気のいいヤリ手風のOLだ。もしくはホステスかバーのママか。三沢の車の中でまっていたせいで三沢とまちがわれ結局。人形にころされてしまう。三沢としては複雑だ。たがいのちょっぴりな親切心たがいのちょっぴりな好意が一瞬。交錯した夜の大人の男と女。そんな実にオシャレなアダルト気分が一瞬だがこのクダリにはあらわれていて筆者。大すきだ。おくってやるといってみずしらずの男の車にのってまっているんだもの。sriマークがついてたからミーハーなヒーローにあこがれる少女気分もあったかも。また一夜のちょっとよっぱらっての上のワンナイトラブめいたロマンスではあったかもしれないがもう悲恋といってしまってもよい。また女だてらに車が運転できたばかりに人形はますます三沢と勘ちがい。しっかり三沢の身がわりとなってくれたのだこの女。三沢にとっては正に運命の女だ。夜と共にあらわれ闇と共に永遠にきえさった夢の女。フィルムノワールとしての本作を何倍にも魅力的にしてくれている。スタイリッシュでモダンな存在だ。本作もう一人。運命の女がでてくる。殺人人形をあやつっていたあのゴシックでドロドロとしたあの不気味な女のようなアレ。かたや犯人容疑をかけられ孤立無援の単独捜査を実行する男。かたや膨大な資産にうもれ広大な屋敷で余生をもてあます男。そんな中でであったそれぞれの女。それは見事に対称的だった。その出あいとわかれのカタチも。

2018年2月2日金曜日

吸血地獄

真夜中のカーボーイのラストパートの長距離バスでの二人の絶望的な逃避行。実は真夜中のカーボーイという映画はすべて長距離バスの中での夢の中の出来事としての出あいと死別だったのでは。バスで偶然となりあわせたヤク中同志。バスの中でキメての。それ以外のニューヨークの地は夢の中の土地で。そこでおこった事も何もかもすべて夢だったのでは。何故なら。はじまりもおわりも長距離バスそして長距離バスだったからだ。すでにジョーの横の席にはテキサス発の時点で瀕死のラッツォがいたのでは。十字架上のキリストのように。フロリダまで。ラッツォはジョーにとっての疫病神だったのか。それともすくいの神だったのか。バス旅行は地獄めぐりだったのか。ジョーがトラウマをこえ人生をあらためるために用意された天国いきだったのか。そんな戯言いいはじめたらきりがないとおっしゃるかもしれない。スケアクロウだろうがイージーライダーだろうがすべてそんな話ですべて夢おちだという事にできてしまうじゃないかとおっしゃるかもしれない。がそれこそがラストがすべて主人公の不条理死なニューシネマのドラッグフィルムとしてのニューシネマのニューシネマたる所以なのでは。そこで実は本作も。いたいたしいそんな真夜中のカーボーイのラストパートだけをきりとったようなドラッグフィルムだったのではないだろうか。冒頭の事故から直接につながっての浜辺によこたわる二人。それが正解なのでは。その間の本編すべては死に際の走馬灯でしかなかったのでは。それもヤクをきめていたが故のバッドトリップとしての。悪夢。そうそんな風に悪夢めいて混乱させられる要因。ひとつとしては幻覚の主体者が周作だけではなく時としてニーナの幻覚も同列でかたられているからなのではないだろうか。ニーナが吸血鬼に変身する時はかならず画面に周作がはいっていないし周作は変身の事をかたらないしおどろいてもいない。これは幻覚がニーナ主観とかんがえなくては整合しない。またsriが全員いつものキャラではない。まるで紋きり型ののっぺらぼうな人物になってしまっている。町田はいつの間にかきえ地元の刑事の方が大活躍するし的矢所長は人のよい子の父親の側面しかみせない。さおりはでてきすらしない。牧野村もまるでその辺の温泉街の田舎の輩にしかみえない。なぜか。それは周作がつくりあげた世界上の存在だからだ。ちょうど惑星ソラリスにでてくるソラリスの海が潜在意識を材料につくりあげたカタチだけのあれのような物。ニーナの義父がころされ義父にニーナが性的虐待をうけていたっぽい事もにおわせる描写があるがあれはあきらかに周作主観のおもいこみ過多の幻覚であり一方義母が島まできてくれて二人をころしてすべての罪をかぶってくれでもするかのような描写あれはあきらかにニーナ主観幻覚である。それだけ義母はニーナにおさない頃からやさしくせっしてくれていたのだろう。実になけてくる。本作。湾岸道路をつっぱしっていてダンプをよけそこねガードレールをこえ崖下の岩場の浜辺へ。実際におきたのはただそれだけ。全編二人の幻覚が錯綜しているだけのドラッグフィルム。ラスト。冒頭とおなじ印象的な音楽がながれる中。砂浜によこたわる二人。そしてスタッフロールテーマソングクレジットバックのあの映像。みちていく血潮のあの鮮烈な特撮イメージあれこそがすべてをあらわしていて本作吸血地獄その物だったのだ。本作。吸血鬼物でもなんでもなかった訳である。それどころかいつもの怪奇大作戦でさえもなかったのだ。ドラッグフィルムきわまっての。とんでもないメタドラマだったのである。スタッフが意識してかせずか。怪奇をかくれ蓑に世にもかなしい青春ドラマこそがここにしかけられていたという訳なのだ。丁度。ウルトラマンなるフォーマットをそっくりかくれ蓑にしたあのやはり世にもかなしき青春ドラマあの帰ってきたウルトラマンのように。

2018年2月1日木曜日

醉いどれ天使

ごみすて場に雨水がたまって沼化したのか。底なし沼がひあがってしずんでいたごみがあらわれ。それをききつけそれを目あてとし下層の者達がふきだまった結果。ハードボイルドなよごれた街ができあがったのか。そんな瘴気たちこめる妖怪のような沼こそが実は本作の主人公。まぁ都市なんて物はいつの時代にも所詮皆そうやってでき存在しつづけほろんでくはかない厚化粧の廃墟にすぎない。といえばいえるのだろう。そういえば自分もそんなsf短編を過去にかいたっけ。すてさるにはもったいない設定なので発想メモをさがしだしてみよう。たしか近未来水没した新宿西口と干潮の時にだけたちあがる東口の多国籍ブラックマーケットが舞台だったようにおもう。話をもどす。沼にたちむかうよいどれ医者。実にブラックなんとやらとかどろろな手塚治虫漫画っぽい。本作はsfである。ファンタジーである。ミフネは沼の瘴気で胸をわるくした自暴自棄のヤクザではない。ミフネは沼の瘴気でゾンビ化して沼からはいあがってきた沼にすてられていたヤクザの死体にすぎない。運命の風にただ翻弄されるだけの空虚な存在の人形が沼の瘴気で束の間の命をやどしただけのピノキオ的存在にすぎない。だからこそよいのだ。本作ゾンビ物である。だから題名に医者とうたわずファンタジーっぽく天使とうたっているのだ。とにかくミフネのゾンビメイクとゾンビ演技。それが見所。そしてとにかくあわれみとか感情移入を終始はねのけるハイテンションな怪人演技に終始するミフネが見事。本作を心地よいかわききったホラーへとしっかりと昇華してくれている。かつ千石規子がそのそんなミフネの骨をまるで黄泉の国へともちさる役目をおおせつかった不吉な魔女のような怪女優っぷりでしめくくる。見事にはまりラストもあやしい雰囲気でホラーずきの筆者は壮快きわまりない。あんみつ屋にむかう真人間二人の理性主義だけではうすっぺらい教条映画になってしまっていた危険が充分にある。スリリングなジャンルレスな一本が天に祝福され見事はじけた極上sfホラーな一本だ。絶望的な場面に陽気な郭公ワルツながれるとこなどまさにロメロゾンビのラスト。