2017年2月18日土曜日

空海の密室

京都には因襲に満ちた街が無数にあって本庁の所轄を超えた捜査線上には異形の地元住民が魑魅魍魎のように容疑者として浮かんでは消える。この路線で毎回が怪奇大作戦の京都編チックだと視聴率は落ちるだろうが筆者は個人的には大好物。なのだが。本作も、あえて本作と呼ばせてもらう、禍々しく渦巻くキャンパス内の空の色も良かったし、世界遺産という設定も、敷地内に強行建築されたプラザなる巨大建築物も、良し。合成感、剥き出し。荒唐無稽な密室トリックが実際にアッケナク起こるところなどは懐かしい昭和のドラマ感。

2017年2月16日木曜日

零下140度の対決

八甲田山的な軍隊物の緊張感で、ダンの彷徨と原子炉復旧の苛酷な作業のニホンバシラで物語は始まる。かたや幻想的な白一色の吹雪、かたやリアルに怒号の飛び交う地下の暗闇、対位法な画面の魅力は話に迫力を与えている。しかし魅力の本質は、そこではない。ホークと飛行怪獣の空中戦から察するに、寒波は想像以上の広範囲に及んでいる。これは、もはや局地的危機シミュレーションを越えて世界滅亡スケールなニュアンスだ。セブン後半に於ける金城作品。ノンマルト、蒸発都市、そして最終話。すべて、そうしたニュアンスがある。そこが最大の魅力だ。地球ナショナリズムな軍事ミッションっぽい物の方が好かれやすい特撮ファン界でのセブン。そうした傾向の中で金城作品は、あくまでも前作ウルトラマン的な、明朗で壮大な宇宙絶対平和をテーマとして貫こうとしている。また勧善懲悪ぎみな軍事ミッション物系にしても、金城の筆になると、カッコいいだけでは収まらないスケールの大きさで、時にトンデモなどと揶揄されたりさえもする。しかし、それも、今で言うセカイ系などと整理同一視される波に押し流されない、気骨とでも言うか、切実な祈り、さえ、そこ、に込められているがゆえの、暴走、で、あって。だから彼の作風は時と共に破綻の苦汁さえ滲ませていった。しかし金城は苦汁を滲ませる事を厭わなかった。最終話には、苦汁をも込みで、それでも透明な絶対平和のユートピアを見ようと、意志のような物を感じる。その為に妙にカタニチカラが宿ってしまっている。そのチカラを偶然が祝福し、名作、に仕上がっている、というわけでもない。しかし、だからこそ、作家性の強く出た、極めて稀有で豪快に大団円な完結編となっている。本作は、その最終話に繋がる、やはり、稀有な分水嶺。

2017年2月7日火曜日

美女と液体人間

ゴジラも美女と液体人間もドイツ表現主義映画テイストの青春ドラマである。ゴジラが青年マッドサイエンティストの純愛を描いたフィルムノワールだとすると、美女と液体人間はプラーグの大学生のようで、ふぞろいの林檎たちや愛という名のもとにっぽい青春群像劇だ。ただ登場人物の自殺したチョロ的存在が液体人間化して復活してしまい騒動になってしまってはいるが。

2017年2月6日月曜日

怪獣総進撃

と言っても映画の方ではない。帰ってきたウルトラマン第1話の方。やはり郷の死までと復活後の異様さが際立っているように見えた。特に岸田森が。彼こそが郷の死の世界つまりウルトラマンの世界への水先案内人なのではないだろうか。世界を一変させるトリックスターだったのではないだろうか。郷のレースへの復帰の意向を驚くほど冷淡にはねのける。その豹変演技は正に怪奇大作戦での狂鬼人間に通じる凄さだ。だからこそ抜け殻のようになって怪獣のもとへと車を飛ばす郷の件がロードムービーのようにさえ感じられるのだ。24年目の復讐で牧が猿島へと船上の人になるシーンと重なるドラマチックさだ。岸田のこの演技力で第2話までの郷のウルトラマンとしての不全感を補強しているからこそ稀に見る自然さでウルトラマン登場を描くことができている。ちなみに第2話での郷は地に足のつかないタビニン寅さんのよう。 初代ウルトラマンが視聴者を橋渡す狂言回しイデに正体を訝られることで補強したのと好対称だ。