2018年6月30日土曜日

壁ぬけ男

魔都東京を舞台にして東宝映画変身人間シリーズのテイストをそのままに。テレビドラマとしてスタートさせようとしたのが怪奇大作戦シリーズ。本作はそれを端的無難に体現しようと紆余曲折をへて急遽第一作にもってこられたものでもある。そこで。つづく話数の諸作品でおしだされる怪奇大作戦本来の強烈さ。これはいったいどうしたことなのだろう。このシリーズ前期10作の。いまとなってわかる的な。この強烈さこそ怪奇大作戦の本質とまではいわないが決定的な印象づけになっている。そうみてまちがいない。そう人体破壊描写である。映画以上の洗練を獲得した円谷特撮技術のさえを最大限にいかした。これら残酷シーンはいまみても充分すぎるくらい衝撃的だ。泡をふいて白骨化する人体。すさまじい人体自然発火現象二連発。結晶氷結し粉々にとびちる女体。グビグビとダイナミックな音をたてての吸血。内臓のようにぶちまけられる機械部品が不気味すぎる人造人間におけるところの人体破壊。火口をはいあがろうとする硫黄まみれのゾンビ。生首の高速飛行。すさまじいばかりである。しかしそうした過激さはすぐにおさえられる。そのため一部にはなかだるみだとひょうするものもいるそんなさらなる中期10作。電波汚染交通戦争人間蒸発など当時の加害被害をこえた暗部をえぐるような重厚な社会派ドラマの様相さえていするようになってくる。しかし筆者はこの中期10作があればこその怪奇大作戦だとおもっている。後期のような普遍性ではなく。まさにあのベトナム戦争時代の。まさに高度成長のひずみがあらゆるところにみうけられるところの。まさにあの時代。あの瞬間でしかなしえなかったテンションがみなぎっている。たしかに前期の。まだのこる乱歩的建造物風景のなかでアップデートされ洗練された残酷特撮をもちいての怪人怪盗ミステリーもよかろう。しかし世紀をまたぎのこったかどうかはうたがわしい。そして後期終盤6作ともなるとかなしい人間の内面までえがきふかい余韻をのこす。それはあたかも人類滅亡後の荒涼とした心象風景のようでもある。過去のレーザーディスク化時のパッケージタイトルが以上全三期をそれぞれ恐怖人間スペシャル魔界殺人スペシャル妖奇幻想スペシャルとしなかなかに見事であったことをしるしおおいなる敬意をひょうしつつここに拙稿怪奇大作戦概観の筆をおくこととしよう。

2018年6月28日木曜日

吸血地獄

もしヒーロー的冠をつけなかったとしたら。ただにげのびるだけをテーマにした海外ドラマ逃亡者のようなテイストだったとしたら。仮面ライダーや人造人間キカイダーはそのルックスのキモさから本作のようになっていたのではないだろうか。たとえばキカイダーだが。悪の教授ギルがはっする超音波がその不完全な良心回路に作用し一時的にだが殺人機械になるような興味ぶかい設定がなされている。大体は人間体時でそれはおこるが。人間体時でも超音波をきかせられるとキカイダーの姿に強制変身させられ。そのおぞましい左右非対称の姿で人間をおそうとしたら。これはこわい。それはそのままニーナの48時間毎の吸血鬼化のシーンにつなげられそうだ。また仮面ライダー的要素をとりいれて。周作が科学の知識をみにつけニーナをなおそうとsriに入隊。結果ある程度のコントロールがきくようになりニーナもsriの活動に。その怪力と特殊能力で協力。二号ライダー編のようにニーナのあの変身体キャラはコミカルな期待にも充分こたえられるとおもうのだが。笑。シルバー仮面等身大編などは以上のような特撮と青春アウトロー路線の。ロードムービーのこころみだったようにおもう。そういう意味でも本作はこれらマニアック特撮作品の嚆矢だったのではないだろうか。はやすぎもしマニアックすぎもしで当時ではまったく理解不能だったろうが今となっては。

2018年6月25日月曜日

死体くさい

これは巷にあふれかえるゾンビ物にたいする痛烈な批判をふくんだ実にオシャレなサイコスリラーだ。通常たしかにゾンビの巨大な群衆がにおいつまり死臭や腐敗臭とともにえがかれることはまずない。そういえば怪獣も。とにかく強烈なにおいがともなうとかんがえられても当然で不自然ではないはずである。ところでゾンビの運動能力だがどうやらそれは我々のかんがえるところの眼や耳での感知そして骨や筋肉をつかっての発揮それとはまったくことなる運動原理からなりたっているようだ。たとえば皮膚が硬化し昆虫の外骨格のようになって骨の役目をするとか。もはやロボット。とにかくゾンビ体とは死体ではなくまったく別のブツなのではないだろうか。単に死体の脳にかえなんらかの人工物をうえやはり人間の身体原理で運動を復帰させる。そんな単純なものではなさそう。たとえそうだとしてもあのようなうごきが可能だろうかとてもそうなるようにはおもえない。と。かんがえるとゾンビとは遺伝子レベルいや素粒子レベルからの変容で血や肉はまったく別の有機物いや有機物無機物をこえた未知の物質になってしまっているのかも。たとえば暗黒宇宙ブラックホールを構成する暗黒物質ダークマターとか。でも個人的には暗黒宇宙暗黒物質は下水道のにおいがするとおもっている。そうなると死臭など発生しない。そう結論づいて早々に話はおわる。で本作世にも奇妙な物語死体くさいだが。内容がどうとかこうとかというより以上のようにゾンビなるものを再度根本から考察しなおさせるチカラにあふれたマレな作品であって。そういう意味ではメタレベルに位置するゾンビ物だといえまたそうしたメタレベルな鑑賞をしてこその作品そういえるのでは。それはきわめてオシャレなことのようにおもわれる。

2018年6月23日土曜日

漂流教室

たしかに真面目で象徴的な。かなしい災害および戦争映画でもある。しかし911や311すらこえてしまった今みなおすと時や時間というものがいろんな意味で。ある種のすくいでもあるんじゃないか。そんな感想もいだく。ホラー映画のジャンルも本作当時から相当の進化をとげゾンビ系ビザール系アニマル系sf系シチュエーション系サバイバル系とあふれかえったが。しかし本作のような時間ホラーは今もって貴重だ。大林監督はいくつもの時間モノをてがけついに本作でホラーに挑戦した。そしてほぼ成功している。本作はサバイバルホラーではないのだ。当時ではそんなことがわかろうはずもない。時間そのものが監督その独特の映像とタイム感覚によって凶器や狂気となる瞬間がえがかれているようにおもう。同監督作ハウスが家にとじこめられ系ホラーならさながら本作は巨大な砂時計にでもとじこめられて時間という魔に翻弄される少年少女をえがいた。といったところか。

2018年6月21日木曜日

トーテムの眼

リメイク版ウルトラqウルトラqダークファンタジーの一本。少女漫画的な展開のアイドルホラーとしてたのしめばよい。ただトーテムの置物を最新のaiスピーカーだとかんがえると。俄然。一気に。そのオチもふまえ。12チャンネルの都市伝説番組を彷彿し。わらってばかりじゃいられなくなる。死体のかくし場所はときくと。わからないといい。モノマネをしてとたのむと。黒猫のモノマネをする。そしてにわかに壁にヒビがはいり。。

2018年6月19日火曜日

吸血地獄

本作怪奇大作戦吸血地獄。ニーナの朝倉家の屋敷をひとつのディストピア社会になぞらえるとまた別の側面がみえてくる。朝倉家の屋敷の敷地はそうとうに広大で最初に巡回中の警官がおそわれるところからみてもアメリカ郊外型高級住宅街的なクローズドでゲーテッドなオーバーセキュリティー環境だとおもわれる。庭での鑑識風景がながまわしのワンシーンワンカットでとられていてその広大さがうまく表現されている。ニーナは一種の愛玩用性奴隷ロボット。レプリカントのような存在なのかもしれない。一寸表現過激すぎだが。だから不老不死プログラムがその身に設定されていた。吸血体質はそのプログラムのバグだ。周作とともにドラッグやスポーツカーというささやかな若者の武器のチカラによって屋敷からの逃亡をはかるも。所詮。義父によって屋敷に蹂躙されどこまでも管理される宿命的存在。後半のホテルにしても義父のもちものにちがいない。吉原炎上や家畜人ヤプーをおもいおこせばよい。はなれ瞽女おりんや必殺仕置人第一話でもよい。あと原田美枝子版地獄とか。そんなかなしい女の物語ともとれる本作。あの名作映画浮雲にもにて。そして。矢吹健の暗黒演歌。あなたのブルースのプロモーションビデオにでもつかえそうなアダルトなおもむきの後半。義母には。強権な義父にかしずきつつもどこかニーナのかなしい身の上にたいしての。複雑な嫉妬や屈折した同情がかいまみえる。警官の拳銃をうばおうとしたところなど。南のはての島にまでにげきったニーナと周作の二人だったが。世界はどうやらもはやどこまでも屋敷が自己増殖遍在化したような管理社会。ディストピア化してしまっており二人にいき場はなかった。よごれた血ばかりがはてしなく海をそめていく。もし二人のあいだにあかん坊でもできていれば新猿の惑星や赤ちゃんよ永遠になどのようなテイストも加味されたことであろう。

2018年6月18日月曜日

侵略する死者たち

本作ウルトラセブン侵略する死者たちには細部に非常に不気味な点がいくつかある。意図されたかは不明。謎の爆発が世界で頻発している。とされている。病院がでてくるがなにやらすごく業務が煩雑で混乱している。ぬすまれたデーターの転送先とされるk地区。あたりは草ぼうぼうで廃墟が点在しているような広大な無人地帯。これはあのタルコフスキーのストーカーにでてくるゾーンそのもの。その出自さえもたぶんおなじ。これらを総合すると安全なのは防衛軍基地内およびその周辺だけで。どうやら巷はパンデミックかなにかで。世界はほぼほろんでしまっているようなのだ。まさにストーカーやイレイザーヘッドの世界。だとすると劇中。世界の防衛軍基地の機密とかなんとかいっているがその実。残存人類のシェルターの所在およびそのセキュリティーシステムの詳細が明記されているものなのかもしれない。となるとシステムを攻略されること即人類破滅完全滅亡を意味しているわけで本作の最重要機密事項その移送は人類史上最大のミッションとさえいえることになる。ポーの小説赤死病の仮面にでてくる巨大な黒柱時計。2001年のモノリスっぽいと同時に。サイバー最終戦争後のメインフレーム中央サーバーコンピューターっぽく。インターネットによる世界支配を象徴しているもののようにおもわれる。城の内部の描写。退廃したエリートな住人もなにやら独裁コンピューターのサーバー施設とそこのスタッフのよう。そうおもえなくもない。時をつげる時だけまじめに仕事をする。時をつげることが。=起動作動およびプログラム発動のような意味をふくんでいたりしそう。パンデミックをさけ要塞にたてこもり残存する人類。その王もなにやら不気味なaiめいて人間にみえない。要塞化したその城の描写はまさにバイオ攻撃はもちろんのことサイバー攻撃からのセキュリティーシステムのありかた。および高度監視社会そのものの象徴のようでさえある。さてものものしすぎる本作における地下金庫へのマイクロフィルム移送ミッション格納シーンなのだが。どうやら赤死病の仮面冒頭のものものしさとおなじたぐいで地下巨大コンピューターへのハードディスクからのデーター転送その象徴的儀式的前時代的描写と筆者かんがえたがどうだろう。マナベ参謀が王で。地下金庫は独裁コンピューター本体。王は独裁コンピューターにつかえる者でしかない。シャドーマンはまさにそれを攻略せんとおくりこまれた諜報工作員。その超進化最終形態。バイオ+サイバーかねそなえたような存在で。もはや人間ですらない。本作の中。そんなとんでもない事態がおこっているのではないだろうか。まさに赤死病の仮面にでてくる仮面の男それが複数形で敵から外部からおくりこまれてきたようなものなのだ。これはたまったものではない。 金城哲夫円谷一コンビはウルトラqにおいてポーのアッシャー家の崩壊をモチーフとしたクモ男爵をとっている。その金城円谷ラインの上原正三円谷一コンビでとられた本作がやはりポーの翻案で赤死病の仮面がすわ。モチーフとされていたとしてもなんらおかしくない。

2018年6月16日土曜日

怪談・壁からでる幽霊

犯人のバタくさく同時にどこかマリオネット的なロボット的なラリっているようなえがきかたが魅力。企業管理社会のダークサイドにおちた男の変容と破滅の物語。演出脚本の妙がひかる。アバンタイトルのオープニングまでがながい。10分ちかくある。しんだ被害者の死体を背おうのではなく足をもちさかさにしてモノとしてはこぶところ。など。とにかくこの犯人ウデっぷしのつよさはフランケンシュタインばりでその人間ばなれしたところがもはや悪党をこえてしまっておりにくいどころかバケモノ的哀愁すらかもしだしている。だからか魅力的なダークヒーローにもみえどこか爽快ですらある。黒猫につけられた顔の傷でさらに犯行かさねるところなど。神出鬼没のワープ黒猫の不気味さと対になっててフランケンシュタイン対黒猫というタイトルでもつけたいくらいだ。ザ・ガードマンという普通の大人のドラマとしてみればたしかに怪作だがガキムケの特撮モノとしてみればきわめて正統的な大映ブランドのバケネコ怪談映画となっている点はどこか次元がねじれ変でおもしろい。たぶんそれは硬質なカラーフィルム撮影の画質とサイケなカメラワークによるところがおおきく。それがほどよく劣化しているからか。それになんといってもあのレトロかっこいいザ・ガードマンのエレキインストのテーマ曲。特にエンディングでのスローめのサイケアレンジ。一種の。あの時代。ベトナム戦争当時の空気感。そのドラッグフィルムなニューロックさ。がある。同監督の吸血鬼ゴケミドロはまさにその意識的具現。ニューロックとベトナムとホラー。の合体。そりゃタランティーノもリスペクトする。余談だが。コッポラの地獄の黙示録は合体をあとおいでこころみようとしたモノ。しかし音楽のつかいかたでキューブリックのフルメタルジャケットにまけている。キューブリックのロックな暗黒音楽センスはとにかくすごやば。

2018年6月15日金曜日

解散無用

のっけからハードな。そうハードというしかない。ハードボイルドすらこえている。ただハードというしかない。ゴッドファーザーや仁義なき戦いのような実録集団抗争劇のようでもあるがさらにもっとふかい暗黒さがたちこめている。そしてその暗黒さはドラマがすすむにつれシリアスな破天荒さに。しいていうならゴッドファーザーパート3や仁義の墓場のようなそのてのもののシリーズ最終作番外作そしてついに極北にいたる。とそんなかんじか。たしかに主水の仕置シーンにはそうとうなカタルシスがある。つきさしたまま串ざし状態にして手もつかわずえぐるようにして木戸のなかにたたきこむなんてあまりみないほどのバイオレンスさだ。しかしそれでもまだちょっと暴力的な時代劇でほかにだってあるといえばいえる。そうなのだそれよりなにより本作を最高傑作たらしめているのは巳代松と鉄がもはやホラーやsfに登場するような人外なものになってしまっているところ。それも筋のとおった。大人な。旧必殺仕置人シリーズがワルがワルをしまつするテーマだったとしたら本シリーズ新必殺仕置人は本作において人外のバケモノがワルをしまつするそんなところにまでたっしている。子供むけの妖怪的バケモノではない大人の鑑賞にたえうるバケモノ。初作のゴジラのような。巳代松役の中村嘉葎雄はほぼ全編セリフがない。そうとうの登場場面がありながら拷問演技でつらぬきとおす。これはふつうのドラマでかんがえるとたしかに特殊で前衛的とすらいえる。たとえば岸田森がまったくの無セリフでとおしたファイヤーマン地球はロボットの墓場そんなかんじ。そして大八車での異形の仕置はもはや仕置ロボである。子連れ狼の乳母車の装甲車化戦車化に匹敵。つづく鉄だが。手を炎にくべられ放置されしんでいてもおかしくない状態。にげこんできた辰蔵の前にあらわれた鉄はもはやゾンビといってよい。いやゾンビよりこわい。なぜならその演出が手首のオバケそれも黒こげのそんな怪奇映画そのものな演出だからだ。そこにはもはや主水の仕置のようなカタルシスはない。先の巳代松の仕置ロボットによる仕置それと同等の特撮的おもしろさがまさっている。それはいかにも前衛的世界すらこえた虚無的世界。特撮地獄におちいった筆者みずからを自己批判させるチカラすらもっている。おもしろがってばかりでよいのかと無慈悲にもとうてくるのだ。生きるとは。悪とは。それはそのあとの主水の日常シーンで頂点にたっする。そうここでの主水はただたんに賄賂な悪徳役人ではすまないスゴミがただよっている。そうそれはもはや狂人のおもむきなのであった。ある意味必殺シリーズはここに終焉をつげたといってよい。主水の死ならぬ。発狂。で。

2018年6月8日金曜日

吸血地獄

あの吸血鬼メイクはあくまでも手段であり達成でもなんでもない。光学処理され音をつけられはじめて意味をなす類のもの。だからメイクだけを静止画として無断引用しやれやりすぎだとかはまったくもってナンセンス。特定のブログを攻撃しているわけではないのであしからず。事実まず最初の登場からして稲光とのセットでその幻想効果が最大限に発揮されるよう設計されていた。鏡の前や砂浜での二重露光には無声映画的ノスタルジーさえある。ホテルがなぜあんなにローキーなのかにしてもあのメイクをバロック的グランギニョールとして最大限にホラーばえさせる意図やはり高度な映像設計の一環。あとたかい崖のうえでのロングショットも偶然にうつりこんだ感のサブリミナルな心霊写真的効果をねらってのもの。本作はあくまでも薬物による吸血鬼幻想であり吸血地獄にみたてての売血制度告発そうビデオドラッグバッドトリップムービーと大島渚な観念ドキュメンタリーの合体それこそが本作の正体。本作に内容なんかない。イリュージョンとメッセージの奔流もはやドラマのていすらなしていない。かろうじてあるとするならば無軌道な若者の自堕落な青春そのあげくの自滅ただそれだけ。ウルトラファイトの怪獣のように男女がちちくりあってわかい男ふたり牧と野村がじゃれあっているだけ。吸血鬼なんかでてくるわけがない。しかしだからこそ怪奇大作戦随一の特撮効果メインでみせきる超力技の超特別編となっている。筆者は印象だけでひっぱるという点で本作を京都買いますと双璧にみている。金城円谷の名コンビその貫禄なくしてはけっしてなしえなかった佐々木実相寺の華麗さをうけての真逆の作風でいどんだまさに黒びかりする一本。佐々木実相寺はビビったとおもう。ラストクレジットのタイトルバック映像なんか特にそう。そのレトロだが重厚なスタイリッシュさを筆者はおおいに支持したい。金城円谷コンビはとっくにウルトラqで特撮の究極をなしておりウルトラマンからはほかの演出脚本をひきはなしすでに第二期ウルトラシリーズのさきがけとなるようなこころみを開始していた。ましてやコンビ最終作である本作にいたってはもうはるかかなたの余人の理解をこえた次元にたっしている。

2018年6月5日火曜日

かまいたち

前におなじ怪奇大作戦の吸血地獄が全編幻覚のドラッグフィルムだとだんじた筆者だが本作もそんなかんじがしてならない。野村がさんざんなめにあうところといい牧がその狂気の部分をあらわにする回そんな意味からしても同様なかんじがしてならないのだ。だとすると吸血地獄同様ほりさげればほりさげるほど堂々めぐりになってぬけられなくなってしまいそうな本作。筆者にとっては相当に危険な問題作そのうたがいはどうやらかなりの確率で濃厚なようだ。吸血地獄においても一部まるで日活ロマンポルノをおもわせるような皮膚感覚レベルでの淫靡さそんなものをかんじさせるシーンが散見されていたのだが。こと本作にいたってはほとんどもう四畳半同棲映画そのものなトーン。ロケーションにさえなってしまっている。これが三沢メインだと青い血の女のようなフィルムノワールになり牧メインだとおなじ夜と鬱でもこう。そこがまたよくもあったりするのだが。なにがいいたいのかというとポルノとドラッグフィルム。両者ともに物語以前にトリップ用の実用品としてこの両者は共通しているのではないだろうかということをいいたいのである。ホラーにもそんな実用品的なところがたぶんにある。そう日常への視神経からのプチスリルの注入だ。だからホラーついつくるほうもみるほうも意図せずよこすべりし足をすくわれがちなのではないだろうか。つまり本作や吸血地獄そのほかもろもろの諸作品をまえにしてホラーとしてみた場合かなり逸脱や破綻がめだってしまうようならいっそ意図的にドラッグフィルムとしてみてしまおうと。とまぁそんなところである。犯罪逃走映画を下水道映画としてみる。それとおなじようなものである。タイトルクレジットの下水ながれこむドブ川にひっかかったバラバラ死体の腕。見事なまでに下水道な汚濁感。つづく死体検分シーンにしてもその立地なにやら下水道内の正体不明な地下にしかおもえず。おちる水滴の反響音さえきこえる。犯行自体が橋の上でしかおこなわれないのは真空切断機の設置とか効力の事情によるものだろうがバキュームカーのようなその切断機のフォルムはとにかくグロい。いずれにしてもつねにドブ川を背景に凶行がおこなわれるという点ではやはり下水道をつよく意識せざるをえない。鑑識が川底をさらうシーンはひとつのハイライトにもなっている。また現場に去来する野次馬全員を個々にうつしてその写真の束を夜どおし床にひろげて検分するシーンがあるが。これにしてもなにやら全然sri本部内とは到底みえず地下の巨大空間でおこなわれているような印象それにつづく暗室シーンにしてもだ。とにかくいろんな角度でアンダーワールド。地下とか下水道とかのキーワードがぬぐえない。そんな本作なのである。とどめは半地下のようなくらい喫茶店でのアロワナショーである。もうこうなっては下水道の巨大ワニである。なにもかも下水道下水道である。下水道はなにも垂直方向にばかり底がぬけているのではない。なんと牧の暗黒推理は犯人のはたらく町工場の裏庭が犯行現場へと水平方向に底がぬけてしまっていることをみぬいてしまう。そう町工場は。町は。すべては。象徴地下世界の最暗黒ターミナルに存在していたのだ。都市の地下をあみのめのような下水道をつたいいたるところのマンホールから神出鬼没する殺人鬼そんな恐怖をまたべつの暗黒絶対恐怖として宇宙的にえがいた。そんな下水道映画の傑作それが本作だ。本作とおなじ上原脚本にもうひとつおよそ清浄とはいえない横須賀の海や河川で暗躍する水棲人間をえがいた24年目の復讐があるがあれもやはり暗黒下水道映画といえる。被害者をまっくろな水の中にまっくろな男がひきずりこむ過程をタールの海にねっとりとえがいたそのタイトルクレジットそのなんとその暗黒なことよ。

2018年6月4日月曜日

ウルトラ兄弟永遠の誓い

ふやけた造形なのでそうでもないがセブンガーがもしキングジョーみたいだったら本作がある意味ウルトラの星の超重要ミッション回だとしっかりつたわったとおもう。戦闘ロボ輸送作戦にはちがいないのだから。たしかに郷の顔面拘束と前半のシリアスさはそれっぽさをつたえてはいる。そして後半のレオ帰ってきたウルトラマンの謎の月蝕コラボ技もまぁよしとしよう。それよりなによりすごく好感がもてたのはマックの宇宙ステーションの内装だ。当時はザットもそうだったが装備のデザインがとにかくダサいとかんじた。しかしよくかんがえるとマックの宇宙ステーションはある種の巨大戦艦なわけでそれに基地ひとつぶんの戦力が一極集中されているわけだ。とかんがえればゴチャゴチャのわけのわからないこのuボートな混沌とした内装そしてその閉塞感は戦闘の極限状況さをつたえるのにはひどくやくだっているのではないだろうか。のちに全滅することまでかんがえればますますである。たしかにマットもハードな軍隊だったがレオのマックはもう悲壮感マックスでレオの物語ってじつはマックがメインのダンが主人公のそういう物語だったとしてみるのも一興かと。

2018年6月1日金曜日

くたびれ損の骨もうけ

背景に河川の護岸コンクリートがひろがっているどこか近未来な光景しかしカメラをひくとうつりこむのはゴミの山やっぱり終末未来だった。ということでここはすでに土手下の川の敷地で河川敷もしくはひからびた川の底のなれのはてなのだろうか。もしくはあのターミネーター2にでてきたような蓋のない巨大な下水溝か。いずれにしても怪獣達は河原者の被差別民族である。その証拠に彼等この川の底のなれのはてのさらに底を日々ほりおこしてしのいでいる。それどころか争奪戦までえんじている。本作を最下層大暗黒下水道映画といわずしてなんとしよう。それにしてもウルトラファイト。怪獣への愛と哀愁がみちあふれている。セブンも怪獣の一匹としてえがかれているのが超好印象。