2012年2月29日水曜日

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

こうよみかえてはどうだろうか。吸血鬼と人間を人間とゾンビにおきかえる。相棒をうしなった主人公は人間の生き残りをもとめてニューオーリンズからパリへとむかう。そこで地下のシェルターの人間のコロニーに落ち着き先をみるが内紛からコロニーは消滅。ふたたびニューオーリンズへともどる。誇り高き滅びゆく吸血鬼族も不死の退屈から吸血プレイにも刺激をみいだせなくなっていき退廃していく。それはゾンビが本能で瞬間を充実していきるのに対して人間は長い絶滅への衰退をいきなくてはならずゾンビ狩りもいずれむなしくなっていくのとオーバーラップしている。本作に描かれるペストや南北戦争下の人間世界のみにくさ。娼婦などが性と食に特化されている感じ。とてもゾンビ的。

2012年2月28日火曜日

タクシードライバー

ヒップホップ前夜の荒廃の極にあった当時のニューヨーク。本作は日記の朗読で進行していくところがポエトリーリーディングをおもわせヒップホップにつうじる何かを感じる。ニューヨークパンクがパティスミスやリチャードヘルなどどちらかというとロンドンポップの美術寄りに対し文学寄りであったように時計じかけのオレンジに対して本作はとても文学的に感じられる。ヒップホップロックンロールそしてストリートロックが常にカリスマを必要としその血を吸って巨大な産業となったように本作の後こうした都会派アクションはハリウッドを席巻し数多くのスターを生んだ。いわくダイハード。しかし私はこうした流れに抗してきたように思う。911をきっかけにポエトリーリーディングに自身もハマった。しかし東京の片隅のムーブメントですら先のハリウッドバビロン的罠からは逃れる事ができなかった。それほどこのストリート系は呪われたジャンルなのだ。私はダブやブルースを取り入れどうにか逃れた。スプリングスティーンにしたってネブラスカでブルースに立ち返りボーンインザUSAではひとりベトナム戦争をでっち上げ法螺話的虚構化で煙りにまいて逃げ切った感がある。あのジャケットの前向きではなく後ろ向きの顔のない匿名性と高度に機械化されたサウンドプロダクション。

2012年2月27日月曜日

最後の猿の惑星

シリーズ後半3作はゾンビ3部作に重なる。本作は死霊のえじきのように共存の方法が模索されている。森は開放系として描かれているがここは死霊のえじきの研究所のように閉鎖空間と考えた方がいい。世界規模では核戦争にまで発展したとはいえ戦争状態は終わってはいない。森という恵まれた密室が内と外から世界に浸食されていく。どうせ放射能があるんだったら2300年未来への旅のようにガラスのドームのセットにするとかプリズナーナンバー6のように開放系だが侵入脱出が困難なシークェンスを用意しとくべきだったかも。でもだからこそラストの血の涙がいきるのか。猿惑シリーズはラストシーンが売りだもんな。

2012年2月25日土曜日

タクシードライバー

青春の名画は中年の目で見方をかえることでふたたび魅力的になるようだ。たとえば時計じかけのオレンジ。当時は主人公のアレックスのアンチヒーローぶりにばかり目がいっていたがやはりこれはアンチユートピア系近未来SFの社会派集団劇としてみる方がいまでは気にいっている。アレックスは審判のKのような存在とみるべきだろう。若者の力づよさより不良少年のいたたまれなさをアレックスとその仲間のなかにみればそうみえてくる。逆にタクシードライバーは当時のニューヨークの荒廃とタクシードライバーという存在のうらぶれ感でヒーローものというより街をえがいた映画とばかりおもっていたがその後ターミネーターとかロボコップとかでてきてやはりトラビスはアクションホラー系アンチヒーロー。そうみるほうがよくおもえてきた。タクシードライバー姿はスーパーマンの新聞記者姿のようにおもったほうがよい。トラビスというタイトルにして続編をとる。舞台はベルリン。とか。でもブレイド3部作みたいで失敗しそうだけど。でもスコセッシえんじるへんな客なんてなんか吸血鬼みたいでそれとしてみるととんでもない名演だった。