2012年4月2日月曜日

仁義なき戦い

無法時代。二人の若者の菅原文太演じる広能と山方がヤクザ社会を冒険する話。ちょうどあしたのジョーがボクシング社会を冒険するように。広能と山方は丈と西。刑務所内で広能と兄弟分になる梅宮辰夫演じる若杉は力石。力石がチャンピオンを夢みるいいやつだとすると松方弘樹演じる坂井はホセか。力石が充分チャンピオンを臨める存在なのに青春の友情の方をとるように若杉も広能へと歩み寄り青春に死すが坂井は青春を捨て実際山方の恋人を大人として坂井は妻にしている坂井は大人の醜さも受け入れ登りつめる。広能は彼によってヤクザ社会の真実を教えられる。とにかく乱世に男はどう生き抜くかを教え魅力的な若者群像を描ききっている。

2012年3月31日土曜日

殺人魚フライングキラー

バカップルだらけのリゾート。何かが起こりそう。沈没船での水中セックス。何かが起こりそう。霊安室での肝試し。何かが起こりそう。祭りの日の夜這い。何かが起こりそう。幸福快楽の絶頂から真っ逆さま。定石ですね。あの本陣殺人事件も結婚式後の離れでの初夜からの。ですもんね。タワーリングインフェルノもパーティーからの。です。あと本作でわすれてはいけないのがジャマイカロケ。あの007ドクターノオと同じ。レゲエ映画として楽しみましょう。音楽はちょっと変だけど。面白い音楽つかわれてます。

2012年3月29日木曜日

3年B組金八先生第2シリーズ

なぜ本作がすばらしいかというと荒谷二中が実はメインなのだがそれを桜中という客観視点から描いている。だからこそ荒屋二中が不気味で凄みがでているのだ。直接荒れた学校を見せるのではないメタ的手法によって本作は時計仕掛けのオレンジ系デストピア管理社会近未来SFものとしてよくできているのだ。沖田浩之の浮き世離れしたルックスと無機質なたたずまいがものすごく効いている。

2012年3月23日金曜日

3年B組金八先生第2シリーズクソまみれの英雄達

第2シリーズだけはその時代もあって教師ものでも学園ものでもおさな妻ものでもなく偏差値売上貿易高と真綿で首を締めるような管理社会デストピア当時の日本を舞台にした集団劇である。バブルへと盲目的にまっしぐらの愚かな時代。時計じかけのオレンジと腐ったミカンという符合。そして同時期のふぞろいの林檎たち。特にクソまみれの英雄達のエピソードはまるでトイレの下水管から下水道を通じて一団がデストピアからユートピアへの脱走をはかっているかのような寓話的爽快感がある。本シリーズがなによりもデストピアものとして成立している影の立役者として川津祐介演じる英語教師上林の存在がある。善悪を超えた完全無欠な教育用ロボットのようだ。ハードアクション系役者の面目躍如といったところか。

2012年3月18日日曜日

ヨコハマBJブルース

食えないブルースシンガーが探偵のまねごとをやる。元刑事だがあくまでもシンガーがメインだ。寂れたライブハウスではシャブの密売ならぬピンクフロイドのブートレッグの高額取引が行われてたりしてておもしろい。洋画のロンググッドバイを元にしたというけれど私にはシンガーが探偵をやってやっかいなことになるという顛末からタクシードライバーが一人SATまがいをやってトンデモなことになる洋画タクシードライバーをこの映画には感じるがどうだろう。とにかく主人公がエキセントリックなところは今もってかっこいい。まぁまわりはそれどころではない狂った連中ばかりだが。当時はレコードを売るためにプロモがわりに映画が撮られていた。それくらいレコードや音楽の方がエラかったのだ。しかし今では優作のレコードよりこの映画の方がまた陣内のバンドロッカーズよりバーストシティがイズミヤのレコードより監督映画の方がという風に逆転してしまっている。感慨深くもそこには考えさせられる課題が私にはあるように思われる。

2012年3月14日水曜日

アメリカン・グラフィティ

郊外の小さな町での閉鎖世界ワンナイト形式。若者グループのそれぞれが並行して描かれるグランドホテル形式。玄人うけする設定。しかしそれよりウルフマンジャックが闇の世界の吸血鬼兄貴のようで異界としてのラジオ局スタジオをこんなことだってできるぞ的に少年探偵気取りで捜す冴えない主人公のストーリーが隠れた主軸となっているところがあのミツバチのささやきやスタンドバイミーみたいで今でも通用する一編のホラーファンタジー映画然としててよい。タクシードライバーのスコセッシ演じる変な客がウルフマンジャックと重なる。共に主人公が変身する契機を与えるメフィストフェレスである。

2012年3月13日火曜日

猿の惑星345

まず第三作。これはすり替えがバレそうでハラハラドキドキってわけじゃなくすり替えられてたんだぁっていうドンデン。次の第四作。これは喋れたんだぁっていう第一作の設定ではなく喋れるのに喋れないふりをするそれがバレるかどうかでハラハラ。第五作。一種のユートピアのなかでの密室殺人。それが暴かれる。まぁというふうにどれもちゃんとミステリーの小ネタが仕込んであるところがイイわけです。

2012年3月2日金曜日

怪獣総進撃

怪獣のゾンビ化キングギドラに群がってボコボコにする本作ではキングギドラは怪獣ではない生物ではない兵器だからボコボコでもいいのだ怪獣たちももはや怪獣ではないゾンビであるボコボコでもいいのだ事実次作では怪獣はこのよに存在しないことになっているしそのまた次に登場した怪獣はヘドラというもはや怪獣が腐ったようなものだし。

2012年2月29日水曜日

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

こうよみかえてはどうだろうか。吸血鬼と人間を人間とゾンビにおきかえる。相棒をうしなった主人公は人間の生き残りをもとめてニューオーリンズからパリへとむかう。そこで地下のシェルターの人間のコロニーに落ち着き先をみるが内紛からコロニーは消滅。ふたたびニューオーリンズへともどる。誇り高き滅びゆく吸血鬼族も不死の退屈から吸血プレイにも刺激をみいだせなくなっていき退廃していく。それはゾンビが本能で瞬間を充実していきるのに対して人間は長い絶滅への衰退をいきなくてはならずゾンビ狩りもいずれむなしくなっていくのとオーバーラップしている。本作に描かれるペストや南北戦争下の人間世界のみにくさ。娼婦などが性と食に特化されている感じ。とてもゾンビ的。

2012年2月28日火曜日

タクシードライバー

ヒップホップ前夜の荒廃の極にあった当時のニューヨーク。本作は日記の朗読で進行していくところがポエトリーリーディングをおもわせヒップホップにつうじる何かを感じる。ニューヨークパンクがパティスミスやリチャードヘルなどどちらかというとロンドンポップの美術寄りに対し文学寄りであったように時計じかけのオレンジに対して本作はとても文学的に感じられる。ヒップホップロックンロールそしてストリートロックが常にカリスマを必要としその血を吸って巨大な産業となったように本作の後こうした都会派アクションはハリウッドを席巻し数多くのスターを生んだ。いわくダイハード。しかし私はこうした流れに抗してきたように思う。911をきっかけにポエトリーリーディングに自身もハマった。しかし東京の片隅のムーブメントですら先のハリウッドバビロン的罠からは逃れる事ができなかった。それほどこのストリート系は呪われたジャンルなのだ。私はダブやブルースを取り入れどうにか逃れた。スプリングスティーンにしたってネブラスカでブルースに立ち返りボーンインザUSAではひとりベトナム戦争をでっち上げ法螺話的虚構化で煙りにまいて逃げ切った感がある。あのジャケットの前向きではなく後ろ向きの顔のない匿名性と高度に機械化されたサウンドプロダクション。

2012年2月27日月曜日

最後の猿の惑星

シリーズ後半3作はゾンビ3部作に重なる。本作は死霊のえじきのように共存の方法が模索されている。森は開放系として描かれているがここは死霊のえじきの研究所のように閉鎖空間と考えた方がいい。世界規模では核戦争にまで発展したとはいえ戦争状態は終わってはいない。森という恵まれた密室が内と外から世界に浸食されていく。どうせ放射能があるんだったら2300年未来への旅のようにガラスのドームのセットにするとかプリズナーナンバー6のように開放系だが侵入脱出が困難なシークェンスを用意しとくべきだったかも。でもだからこそラストの血の涙がいきるのか。猿惑シリーズはラストシーンが売りだもんな。

2012年2月25日土曜日

タクシードライバー

青春の名画は中年の目で見方をかえることでふたたび魅力的になるようだ。たとえば時計じかけのオレンジ。当時は主人公のアレックスのアンチヒーローぶりにばかり目がいっていたがやはりこれはアンチユートピア系近未来SFの社会派集団劇としてみる方がいまでは気にいっている。アレックスは審判のKのような存在とみるべきだろう。若者の力づよさより不良少年のいたたまれなさをアレックスとその仲間のなかにみればそうみえてくる。逆にタクシードライバーは当時のニューヨークの荒廃とタクシードライバーという存在のうらぶれ感でヒーローものというより街をえがいた映画とばかりおもっていたがその後ターミネーターとかロボコップとかでてきてやはりトラビスはアクションホラー系アンチヒーロー。そうみるほうがよくおもえてきた。タクシードライバー姿はスーパーマンの新聞記者姿のようにおもったほうがよい。トラビスというタイトルにして続編をとる。舞台はベルリン。とか。でもブレイド3部作みたいで失敗しそうだけど。でもスコセッシえんじるへんな客なんてなんか吸血鬼みたいでそれとしてみるととんでもない名演だった。