2019年1月27日日曜日

わたしを離さないで

数年前にわたしを離さないでというドラマがあって臓器提供して。もはやこの世にいない旧友などといっしょに聴いたおもいでのcdとおなじマイナーアーティストのcdを何十年か後に海辺のセレクトショップでみつけるシーンがあった。店長を大友康平がやっていた。彼は牙狼などで特撮づいてるのでよけいにそのシーンがいとおしくおもえたものだ。

2019年1月26日土曜日

博徒七人

まさに歴史上の謎陰謀おおき。時代の黎明薄明期。明治期のオモテムキイケイケな大日本帝国。修羅雪姫でもおなじみなおいしすぎる時代設定。暗黒時代。無法地帯。官権がほとんどおよばない機能しない無法地帯ゴマンで非情無情時代の設定だからこその痛快なそしてダークゴシックなおもしろさがここにはある。おちこぼれのさらにおちこぼれ。わすれられたヒトビト。バリアフリーヤクザ群像。これはもう特撮映画の怪獣たちそのものである。野性と純情しかもちあわせていないそんな魅力あふれる素材が子供うけするヒーローキャラへとフルにいかされている。バリアフリーヤクザ。連呼さえしよう。それをいいことに人造人間を道具のようにつかいすてては終末無法世界をぎゅうじろうとするネルフのような暗黒軍隊組織。憎々しいったらありはしない。さながら東宝の怪獣総進撃のような怪獣映画だ。仮想シマナガシ場オキノシマはまさに怪獣ランドである。第四新東京市である。怪獣と組織しかでないところがほんとうにすばらしい。だからこそ暗黒とはなにかをえがききれている。警察権力公権力は最後の最後にちゃかされてでてくるにすぎない。この脚本さすがだ。県警対組織暴力の萌芽をみた。権力とはの意識的対象化がなされているからこそできる作劇術だ。そしてえがかれる野性と純情。それは義理人情どころではない。さらに昇華されきっている。男。男。男。の世界である。爽快きわまりない。花をそえる松尾嘉代の頭の丸丸丸な点点点な女郎がまた最高である。つねにはんびらきの口元。が。これはあまりにも表現上危険すぎるとふんだのだろうスタッフ。設定上も台詞上も説明皆無。巧妙な演技でにおわせるだけにとどめている。そんなつもりなのだろうがどっこい筆者はみぬいた。彼女もうひとりのバリアフリーである。だから指輪のくだりも自然だ。裏タイトル博徒八人である。荒野の七人のようにメンバーいれかえつつシリーズ化してほしかった。しらべると続編があるらしい。しかし。封印。残念。とにかく見事な演技演出脚本である。それぞれの人物像があまりにも魅力的かつ重厚なので本作第一作の内容だけでも。充分大河ドラマとしても通用しそう。日本沈没73年版とならぶ火薬量も豊富なダイナマイト映画のかくれ傑作でもある。忍者部隊月光のような戦時忍者映画としてもみれるし。船上バトルや海中バトルはないけれど島も海の一部とかんがえれば立派にパイレーツオブカリビアンな海賊映画でありナバロンの要塞のような海洋アクション冒険小説映画化活劇ともとらえることができる。感動シーンも恋愛もある。超おとくな一本。音楽もすばらしい東映戦隊ヒーロー路線の超異色作。なぜそういうかというと。宣伝ポスターの七人のキャラそれぞれにつけられたキャプションがふるっているからだ。キャラ名の次に障害部位と必殺技がならべてかかれている。のだ。続編になると障害のない必殺技だけの新加入キャラもでてくるのだが。それも七人のメンバーとしてキャプションがつけられ紹介されている。障害のない場合は必殺技だけを表記。ということは障害と必殺技はセットということだ。つまり障害があればこその必殺技。日常不便な欠損部位に非日常戦闘武器をアダプトした。障害をおぎなうどころかヘンに増強してしまい人間ばなれな非日常身体になってしまっている。ナーンテユートンデモセッテー。これではまさにサイボーグそう改造人間ではないか。sfではないか。そう本作はサイボーグ009ならぬサイボーグ007いやそれをいうならサイボーグ00893か。それも実写版それも東宝のエスパイのような大人仕様。そんな作品である。すごいではないか。もう筆者のような特撮爺には今年封切リアルタイム作品かよな。ど真中ストライクな一本。まったくふるさをかんじない。ちょっと冷静になろう。そういえば仮面ライダーや海底大戦争などなど改造人間物って東映おとくいのジャンルだった。とにかくそんな今の東映をだれしられず。きずきあげたまさにカゲの功労者。いや功労作。それが本作。さらにどんどんしらべていくとネタバレまでされてて。主人公殉職やメンバー全滅で。とかではなく戦えマイティジャックのようにメンバー中一番の純朴善人あいされキャラの死で。シリーズ終焉というのもまたなかせてくれるじゃないか。

2019年1月19日土曜日

大怪獣ガメラ

大映マークからアバンタイトルのながれがとてもクール。ホリゾントの空の柄もいつもながら現実にはありえないダリのようなシュールさですばらしい。だからこそガメラ出現のタイミングではいる大怪獣ガメラのタイトル。いたって貸本漫画調なやすっぽさとうつるのだが白黒というのとあいまってシュールさからの大落差で超ポップ。みごとなでだし。国籍不明の不気味な爆撃機は。本作を冷戦期という情報暗黒時代におきたエリア51事件のようなできごととしてつよくいんしょうづけるのにひとやくかっている。灯台と怪獣という構図も。ブラッドベリの霧笛をおもわせるが原子怪獣現わるのようなとってつけた感はない。なんといってもそこに孤独な亀サイコ少年をからませたことで暗黒童話っぽさがきわだってウルトラcならぬウルトラqしてしまっているからだ。手足をひっこめ円盤のように飛行するのもわらってはいけない。あらゆる円盤事件はガメラかもしれないのだといっている。吉田義夫と浜村純そして左卜全のおかげでガメラが完全にゴジラ的な社会派怪獣ではなくなってホラーでダークで胡散くさいクトゥルー怪獣のようになってしまってて。そこがなんといってもよい。あとはラストにむかって荒唐無稽さのジェットコースターで。宇宙スケールきわまって。ゴジラのような哀愁もへったくれもなくsfでおわる。ガメラ第一作。ギララやガッパにはない低予算さで逆にいきのこることができゴジラにつぐ存在に。皮肉だが本作それくらいなんともいえないオンリーワンな魅力をもっているのはたしか。とにかくzプランなる謎の国際プロジェクトが秘密裏の人類選別火星移住計画のようでダークすぎ。

2019年1月18日金曜日

愛の亡霊

メキシコ革命期の荒野を舞台にした特撮西部劇恐竜映画があるのだけれどもみていてたのしいものである。そんなたのしさにつらなるものとして邦画ならではならば。股旅ものに怪談ものをからめたものがある。怪談昇り竜とか東海道お化け道中とか。そんな中の一本に本作もいれたいといったらおこられるだろうか。音楽もすばらしくオープニングがまずいい。人力車だが。まるでタクシードライバーのオープニングのあのぬるっと登場するイエローキャブのようだ。車屋儀三郎。屋号は車儀。人力車夫。体力勝負なある意味侠客である。酒もつよい。そしてそのかれがちいさいながらかまえた一家そしてその家屋。中世の古城ならぬ旧日本家屋だが黒びかりして重厚。そこを舞台とした昔気質の漢の年代記であり立派なゴシック劇である。それもヨーロッパというよりアメリカ中西部が舞台のトラック野郎ものにしてもにあいそうな。それくらいかわいた荒涼がひろがってる。そうどこか郵便配達は二度ベルを鳴らすをおもわせるところさえある。そのへんがにたようなジメジメした村視点のみでえがかれたやすっぽいよくある村落日本映画とはひとあじもふたあじもちがっている。あくまでもハムレットやリア王などのシェイクスピア作品にもつうじる主人ののろいが城におよび末代までたたる的なそんな中世大悲劇である。そしてサイコのような。いきなりあれだけ前半存在感をはなっていた主人公が。突然暗殺者にのりこまれあっけなくころされてしまって後半主人公が交代して別の映画のようになってしまうというところのメタミステリー映画でもある。田村高廣から。刑事というより私立探偵っぽい駐在。川谷拓三に主人公がチェンジしてしまうのだ。田村高廣パートはまるでゴッドファーザーパート2におけるデニーロえんずるところのビトーパート。とおい過去。どこか日本昔ばなしのようなえがかれかた。カメラもおくゆきのあるローキー。川谷拓三パートはまるでパチーノパート。カメラはハイキーで。画面はいかにも平面的で三面記事的で現代的な画質へと変化。パチーノと川谷。共通するはそのニューロティックさ。かも。ところで儀三郎暗殺の犯人グループである。吉行和子と藤竜也。どこか無自覚な。罪をおかしてあとになってはじめてことのおおきさにきづくテロリストのようにもみえる。でまくってはいるがどこか存在感がうすくストーリーをすすめるためだけの狂言まわしのようにもみえる。もしくは黒子か文楽人形のよう。それくらい近未来人的で。その性交場面さえ無機的にみえる。それはとにかく。田村高廣がほんとうにすごい存在感。たとえ分家の分家そのジナンサンナンでちいさなヒャクショウヤの出であったとしてもいまや家族をおもう家長としてのイダイサ。車屋という下層だがれっきとした職人としてのプライド。べっとりとその家屋にぬりこめられ。たかのようなそんな重厚な家屋の美術セットとそんな家屋をとらえるカメラはほんとうにすばらしい。アルジをうしなってからの家屋はというと。ひとりのこされた吉行和子がそこを舞台にしてじょじょにくるっていくすさまじさ。長女もイエをでていくし。ボヤをだしやけのこり再建されてからの家屋はというと。いよいよ廃墟感がすさまじくなる。もしかして長男はやけしんだのか。なんとも不穏な雰囲気の美術セットとカメラ。このゴッドファーザーパート3のコルレオーネ家のような家族没落のサマはなんともすさまじい。この段階で二代目当主な顔をしてまるでベトナムがえりか南軍くずれかのような藤竜也がイエへところがりこむ。と。冒頭とそっくりな儀三郎不在宅既視感な二人のブキミな密会シーンに不思議突然もどる。いきなりのタイムループ感。しかし。儀三郎の天の声。いや地の声か。それがまたもかぶさる。それもこんどは地獄の底からのようにまがまがしく。それはそれはおそろしいシーンだった。一瞬みているこちら側の精神までいかれてしまったかとあわてる。この手法。監督の必殺技で。帰ってきたヨッパライでもつかわれていたが本作ではより洗練されさえわたっている。もはやはやすぎるタイムループホラー映画といってさえよい。かくしてもろともに田村高廣ののろいは二人におよびジェットコースターのように終末へ。森の中の地下室のような古井戸から発見される儀三郎の死体もそんなふうにしてみなおしてみると八つ墓村の洞窟死蝋やリングの床下井戸をはるかにこえてはるかにおそろしくうつる。というよりどこか王や神のミイラのようなこうごうしささえ。いやはやクロサワにひけをとらない。クロサワにはやはり夢という特撮映画があるが。いやそれ以上な。あのぶっとい梁の日本家屋のもつ漆黒の魅力のもと。あらゆるものすべてがしらずしらずのうちにうしなわれていってしまっていた転形期薄明時代。その霧と闇にうごめく魑魅魍魎を存分にとらえきって。あっぱれな世界のオーシマ日仏合作逆輸入特撮怪奇映画。

2019年1月13日日曜日

マタンゴ

マタンゴは間接的ゾンビ映画だ。だって人間がキノコになってそれを人間がたべてまたキノコになるんだもの。キノコは元人間である。キノコの正体は胞子である。胞子は粘菌のように条件さえととのえばみずからの意思でうごくことができるようになる場合さえある。緊急指令1041010のドロ人間がそうだ。地中の。分解一歩手前の腐乱死体に胞子がとりつき生前の残留思念と胞子の意思がむすびつきゾンビのように復活した。サンゲリアの半世紀前ゾンビなんかがその好例だ。そうかんがえるとマタンゴ。あのマタンゴの森はもしかしたら原住民の村落墓地だったのでは。うめられた死体が胞子に感染しキノコ人間もしくはキノコとしてよみがえった。そういうものなのかも。そうかんがえるとラスト。いきのこった主人公がふりかえるとマタンゴをたべてもいないのにその顔にはマタンゴ症状がすでに。あれって胞子が空気感染したとかいわれたりしているが。じつは彼。マタンゴの森でゆきだおれてしまっていったんはしんでしまった。だが胞子に感染しその状態でいきかえり日本にもどってきた。そうともとれるのだ。だとするとあのマタンゴの森ってチンケにみえるけど相当に不気味だ。

2019年1月11日金曜日

かまいたち

どうやら牧主演回とおもうから本作は難解なのであって。じつは本作。的矢所長主演回なのでは。それも牧のエヴァ的苦悩ではなく所長の鉄人28号的大活躍。それがストレートにえがかれているようにおもう。所長のかたる少年時代のかまいたち騒動のくだりなんかあまりにもしんにせまりすぎているからだ。どこか村の長老が村人たちへと伝説の妖怪ばなしでもしているようなそんな妙なスケール感と深淵さがある。じっさい本作での所長は出番も口数もすくないがその表情でじつにおおくのことをかたっている。まるでゴジラのセリザワ博士のようなかっこよさだ。所長主演回といえばこうもり男の回もそう。じつにシュールな回であった。この的矢所長という人物像ホントつかみどころがない。仙人というか。モーゼというか。そんな所長が巫女じみたサーボーをしたがえてかまいたちとの勝負にでるのだ。そのようにかんがえると。一般にいわれている動機なき殺人などという本作の社会派推理的解釈がじつは相当に偏狭であることがわかる。そう。宗教殺人。たとえばカミュの異邦人とか。そうした神学的旧約的背景。それくらい原罪と実存のふかい闇をかかえた事件。そっちのほうこそがよっぽど理にかなっている。どうだろうか。わかい女ばかりをそれもおなじ橋のうえでバラバラにしてころす。まるで古代インカとかのあらぶる神への供物祭儀のようではないか。そうなるとあのアロワナのえさやりショーのシーン。戦慄ものでさえある。こうしたゴジラのような暗黒神不条理絶対巨悪にささやかだが抵抗せんとする確固たるsri精神。あの。つり人形プラスコントローラーと。そしてそれをあやつり勝利する所長。その表情。ダークサイドをしっかりみすえみずからはダークサイドギリギリでふみとどまる。そのことの大切さ。それをあの表情はおしえていやしないだろうか。あわてふためく野村はもちろん。とまどいの表情の牧やいかりばかりな町田警部。すくなくともかれらよりあきらかに力づよい。さすが所長。

2019年1月10日木曜日

地球に落ちて来た男

本作の原作脚色はといえば。しっかりと経済小説しておるし起業家サクセスストーリーのポイントもちゃんとおさえ。個性的なメンメン弁護士オリバーや大学教授ブライスそして宇宙人ニュートンによる巨大新興企業ワールドエンタープライズその盛衰それらをてぎわよくていねいにえがこうとしている。それはたしかだ。登場するお茶目な運転手つき社用車もたのしいし暗躍する国家がらみの対抗勢力かれらとの攻防にしたっていたってスリリングだし。しかし感覚派監督ニコラスローグはというと。そうしたよくできた職人的脚本にそった波瀾万丈にドラマチックなあつい正統派大悲恋大河ロマン風演出からはどうやらはなれようはなれようとしているようで。どちらかというとダメセレブ同士の退廃的でズブズブななんにもおこらない腐縁すれちがいメロドラマそっちのほうを志向している。よって脚本と演出においてへんな解離がおこり全体がギクシャク。それが本作を一見ゲージツっぽく難解にみせている。これはデヴィッドボウイ自身のアーティストイメージにもおなじことがいえる。ボウイは一見ロッカーなビジネスマンミックジャガーとはちがう。ましてやゲージツ家でもない。本作のラストシーンをみよ。スターじゃない。ジギースターダストでもない。時代おくれなただのスターダスト。このズタボロさ。かっこよすぎ。さてそしてついにオリバーはころされニュートンは国家に拉致されてしまう。しかしバラバラになりそうになった会社や青春の仲間たちを維持せんがためとマドンナであるメリールー。えんずるはあのアメリカングラフィティーのキャンディークラーク。彼女は意図的に科学者と所帯をもつ。そこにはニュートンにたいする純愛がふかくふかくきざみこまれている。ブライスはブライスでミュージシャンにまでおちぶれたニュートンを必死でさがしあてる。ここにきて一見難解にみえていた本作。いかにもストレートかつシンプル。すばらしい腐縁メロドラマ。かつダメセレブ群像賛歌。で。同時に。あのアメリカングラフィティーにおとらずの。さわやかで。せつなすぎる青春映画その大傑作。

2019年1月6日日曜日

パーマネント野ばら

地方のパーマネント屋が舞台。ながれ者がきていつきそう。床屋じゃないから大丈夫か。でも薄幸天使な少女とそれをとりまくハハとババのコンビがオナジミのホラーキャスティングすぎてまるで復讐するは我にありのアイマイ宿みたいではある。もしくは千と千尋か。店にでいりする客もオミズなのがおおく田舎でたのしみもないし血の気やチソコ汁のおおそうなのもおおそうなので近親相姦関係が複雑そうで痴話殺人とかしょっちゅうおきてるっぽい立地はやはりホラー。で。やはり。でた。悪魔のいけにえアーンド八つ墓村なチェーンソー男。まさにきり株な所業。やはり本作最大のクライマックスは妖怪鬼婆への出張パーマか。感想。サイコホラーとしても主人公にトウがたちすぎているしさびしんぼうや時をかけるのようなせつないアイドル映画をねらうより山岳ホラーとして海岸より禁じられた遊びチック共同墓地な丘でおわらせたほうがよかったかも。でも最後を薄幸天使でおわらせたのはよかった。

2019年1月4日金曜日

正月スペシャル

ある意味ホラー回。爆破片は弾丸よりはやいそれにうちぬかれるようなものだとかさんざんおどしといて狂気の悲鳴とともに背中に無数の被弾。だもの。かかわった男がつぎつぎ不幸になるそういった魔性感ファムファタール感。というか業のふかいショーバイ科捜研そのオンナな雰囲気をまとったマリコがなんともダーク。真犯人の巧妙なダークサイドおとしこみ作戦だったのか。にしてもこのじわじわと。という悪はなかなかでこのてのふかい心の闇をかかえた犯人像。わくわくする。さて犯行だがヒトケのない山岳ミステリーと爆破サスペンスをからめた点がなかなかに荒涼でダウナーな気分をb級映画的にかもしだしてくれている。クライマックスも廃ビルだったし。住人がパニックになって無人。ゴーストタウン化した町を爆弾感知器もって爆弾処理にむかう一行その図はムチャクチャかっこいいとおもうので。もうちょっとスケール感つけてえがいてくれてもよかったのですが。最後にとにかくわすれてはならないのが上島竜兵氏。首おられころされたうえに死体を爆破処理され。それもついでに。しられぬまま土砂にうもれるなどというあまりにもなムザンさはさすが。にあうことにあうこと。土から顔だけでていたがあれは頭部だけで発見されたということなのであろう。すさまじいかつみごとな死体演技である。