2018年5月30日水曜日

日本沈没

前半が名探偵タドコロを主人公としたミステリー映画なら後半はマッドサイエンティストタドコロの発狂そして失踪をえがいたホラー映画。ホラー映画だからまともな庶民はえがかれないえがかれるのはゾンビのような群集ばかりそう地獄にうごめく亡者あの新東宝映画地獄のイメージだ。屋外は瓦礫だし屋内の壁はことごとくひびわれ照明もくらいホラーといってさしつかえない。しかしまた本作ホラー映画としてもちょっと特殊で災厄をもたらすところのモンスターがとにかく抽象的で正体不明。しいていうなら巨大暴走aiコンピューターならぬ巨大な地震列島その模型的現象学シミュレーターおよびマスメディアと国際諜報戦略とでもいおうか。かぶさるのもミニマルでアンビエントな音響というか音楽というか。その無機質さ単調さはいつのまにか脳内にしみわたり壮大な無常感としていすわってしまう見事というしかない。ぶっとんだ悲劇すぎる悲劇においては実物の人間の死なんかより文楽人形などの人体破壊のほうがときとしてより悲劇的にうつるのとおなじ。ドラマ版日本沈没リメイク版日本沈没のような光学合成メインの特撮やcgではこうはいかない。そう本作にドラッグ効果はない。ではいったいどんな効果か。本作どこにもパニック映画のテイストがみられない肩すかしもいいところいやあくまでもよい意味で。特撮シーンは独自の美意識をもちすぎてしまっておりなんらパニック描写に貢献していない。特撮シーンそのものごっそりと奇妙なモンスターと化してしまっている。いやはやとにかく本作のもつなんともいえない手づくり感不気味にアナログな人肌感これは非常に冒険的先進的なこころみで。ときとしてマットーなパニック映画としては破綻や退屈とうつるかもしれない。げんにワタリ老人宅での火山灰なのか死の灰なのか屋内外といわずふりそそぐシーンは完全に一昔前の時代おくれなやすっぽいオバケヤシキ映画そのもの。グランギニョールのハマープロホラースタイルだ。しかしそのおかげか人間ばなれしたアンドロイドのようなワタリ老人の側女ハナエのなんとうつくしくりりしくホラーばえしてしまっていることか。そしてその姿は前半の震災でなくなったヤマモト総理夫人の遺影とかさなりのりうつりよみがえったかのようで不気味だけれど涙なくしてはみれない。やすっぽいゾンビメイクもはなはだしいタドコロの不意の再登場もやはりそうで。不気味だけれど涙なくしてはみれない。本作ホラーなのになけるこれこそ鎮魂である。映画自体が古代神前儀式となっている。だからヒットもした。

2018年5月29日火曜日

生きものの記録

まずひとつ主人公の名は中島喜一中島といえば中島春雄さんだ。そうゴジラの中の人本人も出演している。精神病院の医者にはフランケンシュタインの博士ガス人間当人もでている。しゃれているではないか。ふたつ目は喜一のしんだ妾の子供で成人しているのに彼にあまい喜一の月々の小づかいを宛にほうけている義理の腹ちがい息子がでてくる。その彼が今風ひきこもりにみえ実にリアル。後ひとつ音楽についてである。基本的に映画音楽といえるのはテーマ曲だけで劇中いわゆる映画音楽は一切でてこない。効果音のつかい方がこれまた実にしゃれているからだ。先のひきこもり息子のかけるレコードの音としてだとか完全に演技と同期させてオリジナルサウンドトラックを使用してしまっている。これはある意味ミュージカルでありオペラである。ノンマルトの使者で少年のクチパクオカリナにうまくサントラがかぶさるシーンがあるがあれとおなじ。純粋映画音楽としてはそのテーマ曲一曲のみそれもたった二度冒頭それとなんとエンドマーク後の闇の中フルコーラスでフルメタルジャケットがおわった映画館の闇の中で突如ストーンズの黒くぬれがひびきわたるあの手法これが超ダークサイドというか漆黒の暗黒宇宙電波感満点でめちゃめちゃバッドトリップさせられこわいのなんの。筆者はあのマタンゴのラストをおもいだしてしまった。特撮ネオンの人工東京に夜なのになりひびきつづける建築用杭うち機の打撃音それにかぶさる無気味な音楽。そういえばひきこもり息子はいちはやくマタンゴ化した。

2018年5月26日土曜日

よみがえった岩石怪獣

カメラマン役の東京氷河期をすくったおとうさんの偏執と漂泊っぷりが田所博士をおもわせ実によい。ファイヤーマンのシリーズ設定と日本沈没にはかなりの相関関係がみられる。ファイヤーマン。怪獣発生原因が。宇宙からの侵略とか放射能とか公害とかではなくおもに近海の地殻変動によるものとされている。防衛組織も。既存じゃなく緊急国家プロジェクト的に仮設されたもので国際的な規模をもたない。装備も民間調査用潜水艦からの転用が主要戦艦。わだつみに魚雷がセットされたようなものが毎回大活躍する。メンバーも大半が博士で体育会系じゃなく理系。母体がどちらも海洋開発センターとかなんとか。どうだろう日本沈没のd計画にとてもにていると筆者おもうのだが。おまけに基地というか本部というか内装が両者そっくり。自動ドアじゃない。まさに事務所というかんじで。もろd計画本部。制服なんか日本沈没に潜在する民族主義的なテーマを意識してなのかどうなのか。どこぞの作家の私設民兵組織風。まぁその組織の歌自体がとてもよくできたアニソン特撮ソングのようだったのでどちらがどうとかこうとかいえないのだが。で傑作回の本作。怪獣がでてくるにはでてくるのだが派生的に出現するのみ。メインのモンスターは。水。そういきている水による水害こそが敵なのだ。どうだろう。日本沈没してやしないだろうか。特撮も本家におとらずよくできている。それは本作にかぎらずで。ファイヤーマン全体にいえるのだが。炎や水の特撮がとにかく過剰で。スタッフがいかに日本沈没をリスペクトしているかつたわり筆者ひどく好印象なのだ。最後に。ファイヤーマン。番組後半にいたり舞台は山村に限定されていき。その村の子供と心かよわせるようなエピソードがふえてくる。うがったみかたすぎるかもだが。日本沈没の設定をとりこみ。というか設定にみずからとりこまれ。大半の臨海都市部は消滅した。そういわんばかりなのだ。だとするとすくいのない日本沈没にファイヤーマン。ほのかな希望の光をともしているようで当時の子供達がどれだけちからづけられたことか。震災後の子供達がどれだけちからづけられることか。ちょっとなけてくる。

2018年5月22日火曜日

日本沈没(1973)

まずd計画って名称がしぶい。ある日。貧乏民間科学者のタドコロが間がりしているタドコロ研究所。路地裏レンガづくりの古ビルだ。黒澤映画よいどれ天使といったオモムキ。のもとへ三人の謎の男がたずねてくる。ナカタ。クニエダ。そしてミムラ。第一線級の科学者と政府直属の人物。ナカタとクニエダなんかもうfbiってかんじでスパイ映画なオーラ全開。さすがにアタッシュケースから極秘ファイルってほどじゃないがクニエダが鞄の重要機密書類をみせるところなど。もりあがること。もりあがること。他のメンバーだが話はちょっとさかのぼる。タドコロは盟友ユキナガと。過去ある調査をおこなっていて。なかなか見所のある青年とであっていた。オノデラである。オノデラはタドコロにdメンバーとして大抜擢される。ちょうどそのころオノデラはレイコという女性とであっていた。このレイコ。いまいちヒロインというほどのハナがないので本作がかたられる際あまりよくかたられないがちだがやはりdメンバーでの存在だとしたらどうだろう。いしだあゆみ実にあうとおもうのだが。ぜひ一度d計画本部に顔をだしてほしかった。そこでその本部なのだが。これがまたかっこいい。タドコロ研究所の地下。スタッフ最新機器完備と耐震補強で始動。あのファイヤーマン第二話でのsaf の内装は。ここからきていたのか。そっくりだ。路地裏のレンガビル地下に人しれず重要機密施設があるなんてわくわくするではないか。そして。d計画本部ファーストシーン。もうそれはそれはめちゃめちゃかっこよかった。

2018年5月14日月曜日

変身

ウルトラq#22。恋人は水辺で消息をたち水辺で発見された。水にさらわれたと解釈できる。やはり全編女性のみた幻覚。蝶の鱗粉に幻覚作用があったのだ。女性も吸入しているので途中から蝶が巨大化してみえたのだ。延長というかその重症化が恋人の巨人化。そこで博士が重要となる。そう精神科医とその患者という関係だ。よくある夢おちミステリーものの定番設定。幻覚には蝶の鱗粉だけが関与したのではない。多分に女性の性的深層心理も反映している。ミシマの音楽をおもいおこし筆者そうとらえたほうがおもしろいとかんじた。やたらでてくるグンプクたちのマッチョイズムもミシマ同性愛的なものもふくめ。やはり性的深層心理の幻覚らしさをもりあげやくだっている。巨人はたちきられるように。女性の残酷な言葉によって。元の姿にもどる。この博士の光線はもしかしたら彼女にほどこされた電気療法の比喩ではないだろうか。彼女の内的独白と同時に作用してすべての幻覚が解消したのではないだろうか。水辺でだきあうふたりだがどこか女性のマリッジブルーは解消してはいないような後味のわるさがのこる。さて蝶だが。巨大化してからの蝶のほうがよくできているのは本作がまさにドラッグフィルムたるゆえんでじつはそうみえるだけ。巨人の描写もいつもの円谷本筋の怪獣的なそれじゃなくどこかドラッギー。そしてやはりそのほうが本作にじつによくマッチしている。もし本作をちゃんと映画にしたならば怪獣映画になってしまうだろう。30分という魔法の尺はまさにドラッグフィルムの天国だったのだ。円谷一はそれにきづきさらなるドラッグを開発する。そうウルトラファイト。5分だ。

2018年5月13日日曜日

パシフィック・リム

あのドイツ映画U・ボートをみたときの興奮がよみがえった。本作。とんでもない傑作潜水艦映画だった。ロボットはヒトガタをした特殊潜水艦だとおもおう。大戦中のドイツや日本のアクロバティックな発想の潜水艦開発をかんがえればじゅうぶんにありえる設定である。地下の潜水艦基地を丁寧にみせてくれるところなどはなによりもうれしい。そのスケールや空気感までが手にとるようにわかるほどまでにつくりこまれている。それぞれの潜水艦。あえて潜水艦としたい。の隊員というかクルーも超個性的で。まるで香港の場末に存在する見世物小屋のフリークス。とくに科学班がしっかり科特隊やウルトラ警備隊っぽくコメディー担当なのがよい。しかもTACの梶隊員のようにジャンキーときている。とにかく敗戦濃厚な決死のドイツや日本。おいつめられたレジスタンスの一斉蜂起をおもわせワクワクしっぱなし。大平洋の底ふかく次元の裂目から怪獣が次々と襲来するなんて。まるで巨大な地球の下水へとつづく排水口から気色わるい公害奇形生物がわいてくるようなムズムズ感で。実に生理的実感さえある。とにかくあの映画U・ボートもそうだったが。べたつく垢や汗や血のリアルな潜水艦のきたなさが本作も最大の魅力になっている。その点でいえば本作も。追記。わがライフワークジャンル下水道映画の範疇にはいるのでは。それもクトゥルー神話規模の暗黒宇宙下水道映画。

2018年5月12日土曜日

噴煙突破せよ

死火山の火口沼からなんの説明もなく突然発生した天然の精神ガス。それが原因の集団発狂こそ本作の正体。ある意味ウルトラマン全回中でもすごくホラーな回。冒頭に多数の鳥の死骸がでてくるがあれは呼吸ができなくなったとかでしんだのではない。ある種類のわたり鳥がガスによって帰巣本能とか方向感覚とかをくるわされ本来すめない寒冷なこの地にまよいこんでしまったための凍死。かくしてフジ隊員一人が調査にむかう。唐突に登場するホシノ隊員はフジ隊員のみた幻覚。どうみても登場のしかたが唐突すぎる。しかもこの幻覚のホシノ隊員はフジ隊員の性的願望深層心理的なものを反映してかすごくたのもしい。小型ビートルの操縦までこなす。とにかく本作。後半ほぼ全部。ガスで昏睡状態のフジ隊員が入院中にみた夢。現場におきざられたようにポツンとただうつしだされるだけの小型ビートル。そのいかにも遭難していますといわんばかりの所在なさがすべてを象徴している。水没現場でひきあげられる事故車のようなオモムキだ。そして車中から意識不明のフジ隊員がはこびだされ病院に収容される。目にうかぶようだ。さいわいにもやっと回復。フジ隊員そのパジャマ姿がいかにながいあいだ病院のベッドで意識不明だったかをものがたっている。怪獣事件など実際にはまったくなかった。すべては夢おち。事実みまいのみんなも時間をかけてじっくりめかしつけたような背広姿だし。用意された退院いわいも変に豪勢だし。やはり夢おち確定作。

2018年5月11日金曜日

噴煙突破せよ

モスラ対ゴジラは放射能の。架空のその作用。精神汚染。それにさらされた三名の。怪獣大戦争はジャンキー青春スターニックアダムスの。サンダ対ガイラはラスタンブリンの。そう三作とも幻覚であり見事なb級洋画風ドラッグフィルムとしてみれる。モスラ対ゴジラはどこかゴジラ対ヘドラをおもわせニック独壇場の怪獣大戦争は理由なき反抗にサンダ対ガイラはウエストサイド物語につらなる。たしかに空の大怪獣ラドンのように前半がいかにもな導入部なら後半がまるごと事故の後遺症による幻覚だとわかりやすいのだが。この三作にかんしてはトーンが前半後半にてしまっており後半の破天荒な幻覚が脚本演出上のハタンにみえわかりにくくスムーズにトリップできなかった。素直に娯楽としてたのしめなかった。どこか生硬でチグハグ。そこが難点。以上本作のことが一切でてこなかったが。本作もそう。本作たしかにおもしろい。そしてどこかつきぬけるポテンシャルももっていそう。でもただただその生硬さチグハグさにモヤモヤ。そしてそれを当所マゾヒスティックに本作の不気味さだなどと筆者みずからいいきかせにげていた。しかしわかったのだ。ケムラーの毒ガスは身体にではなく精神に作用するのだと。だとすると本作ことごとくガゼン大傑作なことが判明。そうケムラーさえ幻覚で。なにもじつは出現しなかった。なにもじつはおこらなかった。

2018年5月10日木曜日

噴煙突破せよ

本作の毒ガス怪獣ケムラーだが口の中が一瞬いなびかって毒ガスが噴出されるなんてまるでアッシャー家の沼がその四次元体内に存在するかのごときシュールさ。声といい色といい形といい宇宙怪獣でもない妖怪でもない。かといってありきたりの怪獣にはないあきらかにコズミックかつゴシックホラーな雰囲気を全身にまとう名怪獣。ふとおもった。惑星ソラリス原作ではなく映画版だが。惑星全体が精神感応する海におおわれているとされている。しかし筆者おなじタルコフスキー監督作ストーカーの湿地帯のイメージにひきずられてか実はあれは前文明の科学がのこした化学物質にまみれ汚染された広大な底なし沼であり。幻覚作用をもつみえない瘴気を発生するソラリスの沼なのでは。そんなかんじで本作も。火口にできた不気味な沼から正体不明の瘴気が突然発生。まきこまれたフジ隊員。とんでもない幻覚。それがあの怪獣ケムラーだったのでは。おおきくなったりちいさくなったりフジ隊員もともと不思議の国のアリス体質。今回などはまさにねむれる森の美女で。そうウルトラqのあの悪魔ッ子のような。結論。冒頭火口におちていくリンゴもいかにも象徴的な本作。怪獣版不思議の国のアリス。見事すぎるダークファンタジーだったんじゃないだろうか。

2018年5月9日水曜日

噴煙突破せよ

筆者。モスラ対ゴジラ。怪獣大戦争。サンダ対ガイラ。この三作のこのましい見方がずっとよくわからなかった。いずれも巷では人気作というかオタクうけがよい。対となる。キングコング対ゴジラ。地球最大の決戦。フランケンシュタイン対バラゴン。こちらは素直にたのしめた。筆者。まだまだなのかと意気消沈。そこでひらめいた。どこかハタンがすぎて筆者にはどうしても失敗作としかみえなかったこれらオタク人気作。そうサイケなドラッグフィルムとしてみればよかったのだ。ロックオタクの資質で怪獣オタクに対抗。だなんてわけでもないのだけれど。ドラッグフィルムに失敗もなにもない。どうせすべてよい意味でのb級ジャンクフィルム。一時的なトリップ用日用嗜好品。映画の原形のぞきからくり。つまりその創成期から自明のこと。そして怪獣物こそドラッグフィルムの温床で本作もじつはドラッグフィルム。全編幻覚の。夢おち作品。ホラー映画キャリーがパニック映画ベンが良質の思春期映画でありえたように怪獣映画は幻想映画として青春映画にも純愛映画にもうけとりかたひとつでどうにでもなる。そんなヤバい可能性をつねにひめている。それをいっちゃなんでもありのおしまいじゃん。かもしれないが。