2018年4月25日水曜日

海底科学基地

典型的なパニック映画のスタイル。30分ドラマパッケージにハリウッドばりの娯楽要素がコンパクトにつめこまれているそれも10年先行して。あくまでパニック優先で怪獣はそえ物だがそれらしくやはりコンパクトにまとまったよいデザインの怪獣。パニック物としてのシナリオレベルはたかくにがみさえふくむ大人の味。タワーリングインフェルノのような落成記念パーティーから物語ははじまる。当時すでに海ほたるな管制エントランスが設定されシンゴジラ冒頭さえ彷彿その近未来海浜風景にはおどろかされる。キリ番来場の少女と要人の二人が科特隊のエスコートで海猿のレガリアのような通常部外者たちいり禁止エリア施設最前線海底ドームに招待される。海底ドームがポセイドンアドベンチャーのように浸水そして酸素不足に。救出には科特隊の重機ではちかづけず小型潜航挺が外部組織から調達される。ここがまた日本沈没のわだつみのようでメカもだが調達の経緯もリアル。さらにそれに搭乗し救出にむかう救助隊メンバー。今回の実質的主人公フジ隊員とイデ隊員まるで少女をたすけるエイリアン2のハリウッドヒロインと田所博士のような鬼才科学者。ちょっとリプリービショップコンビのようでもある点が不気味。そんな二人がむかうのだからワクワクももりあがる。一方もろ災害孤立化した現場では密室タイムサスペンスの人間模様がくりひろげられる。 極限状態でのムラマツ隊長と要人との大人な軋轢。子供達の健気さ。パニック物としてホントよくできている。葉巻をすう要人にたいしてムラマツ隊長が空気をよごさないようにしましょうと提言するところなど環境問題サミットなディスカッションっぽくもありやはり限界状況シンゴジラ前線基地を彷彿。酸素ボンベをつけ施設上部への詳細な移動サスペンスがまたポセイドンアドベンチャーしている。救助隊到着ドラマは最高潮にフジ隊員など聖母のような崇高さであの潜水おばさんのよう。そういえばムラマツ隊長の酸素不足演技も最高だった。せきこみ方が先程の空気汚染の風刺にもなっていてそればかりかこの状況でさらなる感染症の発症かそんなふくみさえもたせた恐怖演技ともとれる名演技。さすがだ。解決後の親子再会シーン空港でのエアポートシリーズのそれのようにこれでもかというくらいよくねられていて感涙。またウルトラマンとの怪獣チェイスがぬるっと深海でおこなわれるのもいつもよりおくゆかしくそこも好感。ある意味ウルトラマンの正義超人らしからぬクトゥルー不気味宇宙人ぶりが意図せずでてしまっているようでホラーといえばいえるかも。ところでこのゼネコン総裁の要人というか財界大物なのか政府高官なのかちょっとあやしい。だってそもそもこの海底ドーム常勤スタッフがひとりもいないし一体なにかを自動掘削でもしているのか使命もふせられている。まるで私的な要人専用核シェルターで都市伝説巨大地下空間のような雰囲気さえただよってくる。したしみやすさを隠蓑にした政治的陰謀がよぎり国家的社会実験軍事シミュレーションのようにもみえる。そんな背景で登場する怪獣なので下水道の巨大ワニではないが未知の埋蔵エネルギー物質の影響での巨大生物またはメカニコングのような掘削用ロボット怪獣そんなことまで想像してしまう。そうじて本作にはおおきくよい意味で予想をうらぎられ筆者個人的なライフワークジャンル暗黒下水道映画としてもみようによってはみえてしまえるのでラッキーなひろい物。結論。70年代パニックスペクタクルを先どりしているどころか80年代パニックホラーさえ先どりしていた。追記。地上での怪獣バトルだがウルトラファイトのようでよいかんじに全体からういていてメタフィクションかシミュレーションとしてたのしめる。だって。海底科学基地。あまりに。そっけない。教材のような。そのタイトル。

2018年4月23日月曜日

かまいたち

以前。怪奇大作戦シリーズ中の吸血地獄が全編バッドトリップ幻想のドラッグフィルムだとかいたように本作。全編ヤング地方出身下町工場労働者の屈折した夢精な性夢。あのイージーライダー冒頭では薄ぎたない整備工場敷地界隈を無気力にゾンビのようにただうろうろしているだけの若者群像がえがかれる。仕事をしているのかヤクのとりひきをしているのかドキュメンタリーなのかなんなのか曖昧なへんな空気感ばかりがただよっていた。本作もあれみたいだ。たしかに夢オチ構造ドラマなふにおちないシーンが結構みうけられる。冒頭からあんな下水道のなかのような空間での死体見分はいくらなんでもひどすぎる。たとえ死体が無残すぎて置場にこまったとしても。ありえない。喫茶店アロワナショー。ありえない。違和感バリバリなサーボーつり人形退場ストリップショー。ありえない。ラストソングクレジットのサイケさと直前のシュールさ。ありえない。でも読者はそんな曖昧で重箱隅なことをかいてどうなる。オタクらしくきっぱりと長野卓監督の工藤栄一監督ばりな光と影の演出がどうのこうのとかけば。と筆者につっこまれるかもしれない。だって筆者。訳のわからないユーチューブな中二病映像作品もすきだし訳のわからないボーダーレスな文章もかきたい。だらだらと手もちぶさたでくるくるまわすシャーペンとか。そんな日用品との。そんなジャンクフードとのつきあいのようなくされ縁づきあい。うすくながく。みとめてほしい。だって本ブログタイトル日用映画劇場なのだから。

2018年4月22日日曜日

ゴッドファーザー PART III

ゴッドファーザーがニューシネマだと筆者する理由に。そしてゴッドファーザーシリーズがニューニューシネマとしてスピルバーグやルーカスの一連の例の人気シリーズものとおなじようにコッポラにとってのそれだと筆者する理由に。ゴッドファーザーはギャング映画ではないという筆者の見解がある。そうゴッドファーザーは戦争映画だ。それもベトナム戦争を発端とし冷戦構造に集約される。恐怖での敵の鎮圧という劇場型のナチズムさえこえたテロ型最終戦争ポストモダンウォー。ポストモダンウォーに勝者も敗者もない。はじめもおわりもない。ただ地球規模の汚染が心身に蔓延し内的宇宙が精神のダークサイドにのみこまれ魂のすべてが泥沼と化す。それもこれもすべてダースベイダーやカーツ大佐につながるマイケルコルレオーネの新人類な人格によっている。それどころかその後コッポラはそんなやはり新人類な実在のある人物の伝記映画さえ手がけてみせる。日本のある作家だ。みずからの遺作を隠蓑にその最終回を無惨な形で自壊させるとみずからはといえばホラー映画のダークヒーローを夢み実際そうなってしまった。そんな作家。コッポラはしななかったけれど本作以降その関係作品はやはりホラーよりの方へと傾斜していった。そう本作はホラーオカルト作品。エクソシストのような。そうみると。両作すくなくとも賛否両論青春派女優が主演をつとめ。よいかんじなb級感で。共通している。そのようにみなおすと。そういった身内贔屓な欠点すら。いとおしくなり。マイケルが慟哭し一瞬でふけきってしまう荒唐無稽さ。あの特殊メイクすらよくおもえてくる。この大シリーズを完結させるためには。特撮の技術の進歩をまつしかなかった。見事な大団円。

2018年4月20日金曜日

ゴッドファーザー PART II

ラスト。とってつけたようなかんじといい。物故した者ばかりがつどうところといい。ヴィトーもうつらない。不気味。まるで傷天最終回のようだ。皆幽霊なのか。バスのなかからオサムをよぶアキラも不気味だったが。マイケルの入隊を唯一人肯定して手をさしのべてくれたフレド。なけてくるが不気味。そう。なんだか本作のこのシーンもどこかかるい。なんか傷天同様オフザケのようにもみえる。ミステリーゾーンの火星人は誰だのラストのような。だからか。よけいにえきらないあとあじのわるさ。で。本作。縦横無尽な時間構成空間構成もふくめ。1や3からおおきくういてしまっていて。ロードムービーなかんじもあって。もっともよい意味で破綻気味のニューシネマ色つよくおもうのだがどうだろうか。だらだらとながい悪夢のような幻想映画ドラッグフィルムのようにさえかんじられる。ディスカッションしてる内容も正体不明の不気味な日本軍。その真珠湾攻撃。スケールは人類史にまでおよびダークサイド感も半端じゃない。マイケルのふかすぎる孤独と暗黒面がきわだつ。ソニーやフレドの無垢さも。

2018年4月19日木曜日

女優

以下ネタバレ気味注意。信頼できないかたり手物がすきならオススメ。とだけしておき。該当者と世にも奇妙なファンはここでよむのを中断。退室して早速みていただきたい。以下特撮オタクむけ記述。一番気にもなって感心もしたのが。カウンセリングしている医師の背後にうつりこむ不自然に豪華なav機器群。当初。特殊医療機器のセットがわりとしてかなんかにでもつかわれているのかな。などともおもったりもしたが。なんと。しかし。それがラストの病室の監視カメラシーンへの。伏線のようなようでないような。そんなかんじになっていようとは。とにかく放送局もびっくりのav機器重装備。カメラ。スタジオ。エキストラだらけの。テロリスト。スパイ逆スパイが横行する。sf近未来監視応酬社会が時代設定。なのか。ガキ使わらってはいけないオモシロ精神病院が本作の舞台。つかわれる小道具がすべて伏線的に雄弁。演技脚本に目をむければ。普通に大人のサイコミステリー物をねらってつくられたのだろうが。いきおい。美術や特殊効果の。病院の。雰囲気。空気感。の方に目をむけると。ドリフ屋台くずし少年探偵団的特撮物として俄然たのしめる。スペクタクル。だ。みようによっては。その流用セットなどのしたしみやすい味わいのおかげで。よいかんじにやすっぽい。怪人二十面相的駄菓子屋世界としてもさらにたのしめる。まさにウルトラファイトならぬ。怪奇大作戦ファイト。わかるかなぁあ。よい子だったオジサンオジイサンにはわかるよね。本作。筆者想定外のほりだし物。だった。世にも奇妙な物語の中でも。かなり私的上位ランク。な名作。怪作。珍作。

2018年4月18日水曜日

ザ・インターネット(1995)

やっぱりテレ東午後ローのちょいふるめのラインナップははずれがない。インターネット版エクソシスト。老母を施設にいれている呵責をもった主人公。その孤独のふかさもカラス神父をおもわせる。カラス神父が悪魔以上に不気味な存在におもえてしまったのと同様に主人公べネットやジャックのハッカー達が原始インターネットやテロリスト以上に不気味におもえてしまった。サンドラブロックの個性がいきたダークヒロインぶり。バイオニックジェミープティット。笑。以来のあたり役。でも一番不気味だったのは途中からでてきて途中であっけなくけされたカウンセラー。カウンセラーといえばエクソシスト2だし。

2018年4月17日火曜日

吸血地獄

たしかに火垂るの墓の兄妹の死は実際餓死だとしても映画のえがかれかたは末期の走馬灯な幻想として曖昧にされている。のっけからもう全編客観現実ではない。じつはずれたところからかたられた主観非現実だった。だから全編生物化学兵器工場の炎上による致死物質の飛散汚染大量死へとおおきく話がもられおきかわっていたとしても不思議はないしそうも解釈できる演出。だから筆者はあの沼に有害致死物質がふきだまっていたとかいた。それだけではない。空襲直後のくろい雨だが目や傷口でうけた者は多数で実際救護所で目をあらってもらっている者が列をなしていた。もしかしたら母親の死も傷口からの汚染による急性中毒かもしれない。だからアニメ反戦映画火垂るの墓は近未来bc戦争への警告となりえ実際なりえている。sfホラーの手法がとられている。そこで本作怪奇大作戦吸血地獄だが。これも実際は男女二人のジャンキーのたんなるドラッグ死で本来はよいのだろう。しかしこれもまた全編走馬灯だと筆者は確信する。そしてやはり近未来警告ホラーとして話がもられている。吸血鬼化症状となっているがあれはもろ感染によるゾンビ化だ。しかもゾンビ化しつつあるニーナは健気にも周作にはかみつかないようにと必死にたえ苦悶していた。そうじつは近未来の人類滅亡ゾンビ禍からのカップルの避難逃走劇というじつに壮大なスケールの物語。だから二人は客船で南へにげた。人類滅亡物で客船をつかうのは常套で世界大戦争や黒沢清の回路バイオハザードでもおなじみ。大分全域に戒厳令がしかれる件もまさに人類滅亡ゾンビ物な大スケール。吸血鬼一匹にしては大袈裟すぎる。実に吸血地獄は復活の日のような壮大なロマン巨編だったといえる。最後はみずからの手首をかじらせ感染後投身。結論。末期の走馬灯という手法はある意味ほぼきんじ手なビンボール気味の超変化球。夢おち以上に強力な手法だ。しかもその末期たるかたり手が火垂るの墓では今日は何日だなどという限界症状だし吸血地獄ではジャンキーだし。ととにかく信用にたらないかたり手。ドラッグフィルムの体裁をフルに利用している。しらないうちに走馬灯がもられていても文句がいえないように巧妙に二重にしかけられている。まるでドグラマグラ。ずるいとしかいいようがない。でもそうせざるをえない理由があった。つくり手のせっぱつまったいまここでつくらねば。そんなあつすぎる作品への過剰なおもい。ニューシネマはことごとくラストで主人公がしぬ。それはすべてのっけから走馬灯の幻想のドラッグフィルムだったということ。ということは火垂るの墓も吸血地獄もニューシネマだということ。せっぱつまったおもいでつくられた映画はことごとくニューシネマにドラッグフィルムになる。地獄の黙示録もそう。ミシマのホージョーノウミもか。

2018年4月16日月曜日

カッコーの巣の上で One Flew Over the Cuckoo's Nest (1975年)

カッコーの巣の上で One Flew Over the Cuckoo's Nest (1975年)ヘアー Hair (1979)ラグタイム Ragtime (1981)アマデウス Amadeus (1984)とリアルタイムでみてきたがどれも印象にうすかった。なくなったという事でユーチューブでカッコーの巣のラストをみなおしてみた。インディアンが水のみ場その物を怪力でもちあげ窓からすてる件は正義超人が敵の本部侵入に成功し世界支配者の悪のコンピューターを基地からひきはがし勝利するような特撮っぽいカタルシスにみちていて最高。だった。寡作で奇妙に職人娯楽監督っぽくもある。ハリウッドで活躍したヨーロッパ系監督らしいといえばらしいといえる。ミロス・フォアマン。もう一度たどりなおしたい監督の一人である。

2018年4月14日土曜日

火垂るの墓

あかい幽霊は黒沢清やニコラスローグでおなじみだし冒頭で荒野へなげすてられるドロップ缶にはいった骨片の謎も今村昌平の復讐するは我にありの骨空中静止の謎とかぶる。そして全編が幽霊による回想なところはもろシックスセンスでしかもさきどりだし本作見事なまでに意味深で快調な出だしのスリラー映画ホラー映画しかも傑作。ゆえに。くらい反戦映画などという陰気なレッテルがはられおかげでエンタとしてのパンクとしてのポジティブさが年々うしなわれ抹香くさい芸術じみたかびくささばかりがめだってしまうようで実にくちおしい。本作しっかりアニメゆえの拡張された映画的身体性にみちている。節子はもちろん。細部にかいまみえる少年セイタの性衝動っぽいトマドイや怒りや反抗心も見事な。くらくギザギザな青春映画だ。特に空襲火事場泥棒に迄おちぶれ無法を謳歌し映画的に躍動する件は。自動機械戦争という殺人とセッパつまっての窃盗。どっちが重罪。といわんばかりだ。ニューシネマのようでパンクだしロックだ。無垢のみがすくいのポストモダン時代の人間の終焉歴史の終焉のスタンスで本作はかたられている。裏テーマの化学兵器にたいするいかりの昇華の結果のカタストロフィーな荒唐無稽さもゴジラからの東宝の伝統だ。雨どころか横穴の沼の水も人心もことごとく軍需工場の重化学物質いや未知の化学兵器材料か。それもオキシジェンデストロイヤーばりの終末物質。に汚染されていた。ヤバめな森の中の謎の横穴防空壕跡と沼もホント不気味。なぜつかわれず放置されたのか。なぜ大人達はちかづこうとしなかったのか。子供達ばかりが心霊スポットのようにあそぶばかり。ホント野坂原作の映画には傑作がおおい。エロ事師しかり。とむらい師しかり。誰か全漢字題三部作も映画化してくれないものだろうか。骨餓身峠死人葛死屍河原水子草乱離骨灰鬼胎草。対岸の高台の邸宅もきもちわるい。被弾し炎上する軍需工場地帯の幻影とかさなる。蓄音機の音が霧のように沼の上をすべり少女の幽霊が一人あそぶ。ひびきわたる空襲アナウンスの音色の幻聴のような酷薄さとかさなる。典型的なゴシックホラーの仕たてだ。この躍動からのこの落差。こわいし不気味なのだがなんともホスピタブルにいやされる。のも事実。特に真夏の夜の性夢か。暗黒にぬりつぶされた観艦式。筆者的に最高。これこそがゴシックの。ホラーの効用である。本作。この際。元祖ゴスロリアニメの。そのパンク的精神的古典とでもいいきってしまおうか。そして。くりかえす。まちがいなくあの沼は汚染されている。ホットスポットのような汚染地帯で予言的でさえもある。いや。あった。としてほしい。ドロップ缶におさまってしまう迄に汚染物質に侵食されていたそんな悪夢は近未来sfホラーの絵空事の中でだけでホントもう沢山なのだから。

2018年4月13日金曜日

悪魔はふたたび

ウルトラqウルトラセブン間の過渡期としての初代ウルトラマンはシリーズ全体が邪神いりみだれる暗黒宇宙ホラーな超異色シリーズ。そして初代ウルトラマンは超不気味でダークな存在。本作のモンスターも怪獣のような姿をしているが怪獣ではない。すくなくとも恐竜由来の生態はもちあわせていないだろう。カプセルの中で液体化している姿はまさしくバイオテクノロジーがうんだ人造生命体。それも東京より前の謎の都市工業文明がまちがってうみおとした危険きわまりない産業廃棄物。都会の路地裏に潜伏していたチンピラ二人のようなバニラアボラスその姿がたのしい。米軍基地の中の街のような英語看板だらけのミニチュアセットをあばれまわるヤンキー愚連隊か。派手な赤と青のイデタチはさながらバイオテクノロジーがうんだAKIRAのようなかなしき不良少年達の集団抗争劇のようでもある。いやはや。でも相当にメイワクだしブキミだ。本作タイトルの悪魔はふたたびそれそのままうけとりスティーヴンキングアメリカンゴシックホラーとしての方を存分にたのしみなおすとヒーロー正統派とはまったく別のクトゥルー物の端緒がひらけてくる。福山博士はもろラヴクラフトだし金属板はネクロノミコンか。うれしい事にこんなかんじはイデ隊員とともに戦えマイティジャックにそのままうけつがれたがその後がうけつがれなかった。残念。

2018年4月12日木曜日

吸血地獄

火垂るの墓の兄妹が大人になる事をこばむかのようにして秘密基地ゴッコな防空壕跡でのオトギバナシ的生活にころがりおちるように突入する件。真夜中のカーボーイの二人にとってはユリカゴだったのか。低運賃長距離バスのせまい座席。傷だらけの天使やゲッタウェイのラストでじつはユートピアだった事が判明する。ゴミのまう夢の島。いずれも最下層自滅自閉の極だが。あらがえない何か甘美なくろいファンタジーへの萌芽が確実にみとめられる。怪奇大作戦本作の二人も若者らしいハウステンボスやディズニーランドといった場所でなく中年不倫カップルのように秘宝館めいた温泉地の観光地獄の方をえらんでいる。この低空飛行自閉したかんじ。きわめて甘美。そしてやたら不自然にくらい廊下をもつホテルはダークファンタジーの舞台として超最適。もはや宇宙のはてのダークサイド。そこへとおちこんで。なおそこでくりひろげられるのは。およそシリアスではない淫靡で下世話なドタバタ喜劇のようなsri牧と野村らとのオイカケッコ。まさにディズニーランドのアトラクションよりたのしいといわんばかり。皮肉なダークファンタジーさがみちみちている。とくに牧のハイテンションぶり。民間のドブサライのような犯罪捜査チームにはいる位しかなかった屈折した天才青年科学者像がはやくも爆発している。ドラマはいっきにクライマックスへ。離島の崖から転落する二人。またこの転落の仕方がよい。たかさにためらって足をすべらせたかのようなあっけなさブザマサ。イヌジニめいていて実にカッコイイ。おまけに二人の転生をまったく祝福する気どころかますますのろわしいものにするかのような。海面には汚染されたアカシ。ドスあかい赤潮さえ。結局何もおこらなかったんじゃないか位の無力感虚脱感。ここまで迷走汚濁もきわまると一周まわって爽快でさえある。そんな事を本作の神業演出はおしえてくれる。たしかに京都買いますのラストのたたみこむような汚濁演出もすばらしい。しかし本作はかるがるとその上をいっているとしたい。そう物語はいつの間にかセカイ系へと自閉してしまっていた。そればかりではない。そのうえやはりいつの間にかセカイその物も汚染の極にたっしてしまっていて。なにもかもがもはや終末。いや終末の予感余韻さえ存在しない。すべてがダークサイドにのみこまれていくばかり。そんなドスぐろいスペクタクルの爽快感。そこに。みる者は30分だけだが。孤独でなく連帯をみいだす。そう最下層自滅自閉のオタクまけ犬たちの暗黒大連帯。じつはこれこそが怪奇大作戦のもつ永遠最大の魅力で今やっとあばかれつつある本質なのではないだろうか。50年目の円谷金城コンビがしかけたとんでもない時限おき土産。

2018年4月11日水曜日

ウルトラ警備隊西へ

舞台は新東宝のラインシリーズに登場するような。多国籍で。いかがわしい。異邦人や宇宙人が暗躍する国際港湾都市神戸。そんな神戸に。さらにゼットンっぽい巨大ロボットまで出現。もうたのしくて仕方ない。要人をつれてのロードムービーじたての出だしには筆者個人的にもうワクワク。それどころかルート上に防衛軍自慢のシークレットハイウェイが点在でそのシュールさたるや抜群。どこまでひろいんだ防衛軍基地。笑。くわえて二重スパイの御都合主義な展開もb級新東宝感全開でエキサイティング。劇場映画ばりの豪華さをねらいおもいいれつよく丁寧につくられたせいかまったくふるさをかんじない。なにより神業のような脚本。前編後編で一本の劇場映画どころか前編一本後編一本としても充分通用する程。とくに後編のダンとドロシーの宇宙人同士による波止場での地球の運命の議論は本作をディスカッションドラマたらしめていて大島渚の諸作や三島由紀夫の美しい星をおもわせ重厚。しかしそれにしてもこういう作風だとキリヤマ隊長ははえる。で潜入捜査の面々の変装はといえば。あのmjの面々にくらべアレだが。そこがまたsriの面々っぽくてご愛嬌。リーヴ版スーパーマン同様。リンダハーディスティーのリケジョスーパーヒロインぶり。プラス震災前の神戸埠頭その暗黒街物な波止場っぷり。それらが堪能できるという点で。涙なしではみれない程の永遠傑作。

2018年4月10日火曜日

火垂るの墓

あかい幽霊は黒沢清やニコラスローグでおなじみだし冒頭で荒野へなげすてられるドロップ缶にはいった遺骨も今村昌平の復讐するは我にありそのものだ。そして全編が幽霊による回想なところはもろシックスセンスでしかもさきどりだし本作見事なまでにスリラー映画ホラー映画の大傑作。大傑作ゆえにくらい反戦映画などという陰気なレッテルがはられエンタとしてのポジティブさが年々うしなわれ抹香くさい芸術じみたかびくささばかりがめだってしまって実にくちおしい。化学兵器にたいするいかりの昇華の結果の荒唐無稽さはゴジラから君の名はまでの東宝の伝統なのに。

2018年4月9日月曜日

侵略する死者たち

病院の地下の死体槽からきえた10体の死体。基地へとおしよせるあるく死体たち。地球防衛軍メディカルセンター内はといえば基地の警備班と応戦し負傷した死体たちがつぎつぎとはこびこまれ混乱はさながら野戦病院。ベッドにおききれない死体は床隅にまで放置される。10体目のあるく死体だが巧妙にも基地地下の下水道施設内部を移動し中心部をめざしていた。そんなふうになにからなにまで本作。冒頭も深海の岩影をすすむ輸送潜水艦と。地下迷宮感全開で息さえつまりそうな全編閉鎖空間密室劇。そのおかげかラストの宇宙空間でのウルトラセブンウルトラホーク敵ステーションの戦闘シーンが異次元のすばらしさ。星ひとつない宇宙空間セット。飛散しない爆破片。点滅するだけの不気味な砲撃。なにもかもがまるで宇宙空間らしくない地下下水道内でのそれのような悪夢じみた閉塞感なのだ。こんな宇宙の雰囲気はあの外宇宙暗黒宇宙を舞台とした暗黒神話クトゥルーsfホラー映画エイリアン以来。というか本作のほうが何十年もさきどりしていた。

2018年4月4日水曜日

空の大怪獣ラドン

前半と後半ではトーンがガラッとかわる。もしかしたら後半は主人公の末期の夢なのでは。主人公佐原健二は物語のどこかの時点で死んでしまったのでは。安蘇の高原でさまよう主人公を恋人白川由美が目視するシーンがあるのだけれどもなぜかいつもそのシーンに筆者一番戦慄させられる。まるで主人公が亡霊となって恋人にあいにきたそんなかんじがするからだ。そう何度みても本作筆者的には怪獣映画とはおもえないそんな高度なショッキング演出技術満載のテクニカルカラーならぬテクニカルホラー映画なのだ。さて今一度みなおす事にするとしよう。監督本多猪四郎のホラー神ぶりを篤と。

2018年4月3日火曜日

悪夢が生んだ植物魔人

リチャードキールえんじる植物魔人。当初は睡眠実験の被験者の無意識を吸収し活動するエネルギー体にすぎなかったが被験者の死後は下水道内にすみつきそこの汚物を食用とし成長する完全に生物的な公害怪獣となってしまった。冒頭の汚物まみれで医院の待合室にねそべるコルチャックは空の大怪獣ラドンの記憶喪失の主人公同様かなり衝撃的だ。こんな臭気さえただよってきそうな汚濁感と倦怠感はゴジラ対ヘドラ級でなかなかこんな作品はない。それもこれもダークシティーたる大都市。シカゴが舞台だからこそ。本作ではそんなシカゴの文字どおり物理的な地下や裏どおりのみならず社会学的な下層や暗部さえ存分にあじわえ都市論ずきな筆者は大満足だ。