2018年4月17日火曜日

吸血地獄

たしかに火垂るの墓の兄妹の死は実際餓死だとしても映画のえがかれかたは末期の走馬灯な幻想として曖昧にされている。のっけからもう全編客観現実ではない。じつはずれたところからかたられた主観非現実だった。だから全編生物化学兵器工場の炎上による致死物質の飛散汚染大量死へとおおきく話がもられおきかわっていたとしても不思議はないしそうも解釈できる演出。だから筆者はあの沼に有害致死物質がふきだまっていたとかいた。それだけではない。空襲直後のくろい雨だが目や傷口でうけた者は多数で実際救護所で目をあらってもらっている者が列をなしていた。もしかしたら母親の死も傷口からの汚染による急性中毒かもしれない。だからアニメ反戦映画火垂るの墓は近未来bc戦争への警告となりえ実際なりえている。sfホラーの手法がとられている。そこで本作怪奇大作戦吸血地獄だが。これも実際は男女二人のジャンキーのたんなるドラッグ死で本来はよいのだろう。しかしこれもまた全編走馬灯だと筆者は確信する。そしてやはり近未来警告ホラーとして話がもられている。吸血鬼化症状となっているがあれはもろ感染によるゾンビ化だ。しかもゾンビ化しつつあるニーナは健気にも周作にはかみつかないようにと必死にたえ苦悶していた。そうじつは近未来の人類滅亡ゾンビ禍からのカップルの避難逃走劇というじつに壮大なスケールの物語。だから二人は客船で南へにげた。人類滅亡物で客船をつかうのは常套で世界大戦争や黒沢清の回路バイオハザードでもおなじみ。大分全域に戒厳令がしかれる件もまさに人類滅亡ゾンビ物な大スケール。吸血鬼一匹にしては大袈裟すぎる。実に吸血地獄は復活の日のような壮大なロマン巨編だったといえる。最後はみずからの手首をかじらせ感染後投身。結論。末期の走馬灯という手法はある意味ほぼきんじ手なビンボール気味の超変化球。夢おち以上に強力な手法だ。しかもその末期たるかたり手が火垂るの墓では今日は何日だなどという限界症状だし吸血地獄ではジャンキーだし。ととにかく信用にたらないかたり手。ドラッグフィルムの体裁をフルに利用している。しらないうちに走馬灯がもられていても文句がいえないように巧妙に二重にしかけられている。まるでドグラマグラ。ずるいとしかいいようがない。でもそうせざるをえない理由があった。つくり手のせっぱつまったいまここでつくらねば。そんなあつすぎる作品への過剰なおもい。ニューシネマはことごとくラストで主人公がしぬ。それはすべてのっけから走馬灯の幻想のドラッグフィルムだったということ。ということは火垂るの墓も吸血地獄もニューシネマだということ。せっぱつまったおもいでつくられた映画はことごとくニューシネマにドラッグフィルムになる。地獄の黙示録もそう。ミシマのホージョーノウミもか。

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