2023年9月30日土曜日

いくぞブレーザー第12話

ガラモン操縦器の小型ガラダマはフワフワと不気味にとんでいく。たいして。チルソナイトソードの制御装置であるブレーザーのメダルはそこらじゅうにぶちあたり破壊。あげく壁をぶちぬいて暴走ぎみに爆走した。

2023年9月29日金曜日

墓場から呪いの手

 円谷には東宝変身人間シリーズなる一連がある。本作その系譜とみると俄然おもしろくなる。男を主人公とみれば。ありふれた恐怖劇にすぎない。しかし女の事件簿な哀しき女版変身人間シリーズだとするとどうだろう。犯人の男によって女は腕人間にされてしまった。女としての根拠をことごとくうばいさられてしまったのだ。乳房も子宮もバラバラにされて。女は指輪とあかいマニキュアのながい爪それだけがみずからにのこされた女としての存在根拠といわんばかりに。地面をその爪でひっかき不快な音をたて進撃する。復讐というにはあまりにも不器用でただ実存につきうごかされているだけにみえる。あまりにもせつなすぎる女モンスターの姿。本作。牧紀子の鬼気せまる死体名演技からはじまり愛する男ととの墜落死でおわる。みるみるミイラ化していく腕人間。指輪とマニキュアばかりがものいいたげだ。これはガス人間水野が花輪のもとで黒こげの姿に実体化するのとかさなり。そのやりきれなさはハンパない。藤千代の腕の中でではない。名声の残骸の花輪の下でである。腕女も男のもとでではない。すぐそこに相手がいるのに戦争でひきさかれた男女のようなこの絶対的な孤独感。バラバラにされたのではなくこの女は元々バラバラだった空虚な女。それが男にみつぐ事で一瞬かがやきまた無にもどっただけなのかも。そうかんがえるといかにもむなしい。

2023年9月28日木曜日

第7話

科捜研のセットに撮影用の機材をそのまま流用したり。70年代的低予算感もかなりでてきた。もどってきた。あと今回の話のように。犯罪というより庶民的純愛をとりあげたり。やはり70年代的な雑多なb級z級感がいとおしい。オイルショック期の特撮や刑事ドラマのように。とことん低予算低スペックでつづけてほしい。

2023年9月25日月曜日

マルサの女2

実は本作。前作とはかけはなれてて。日本沈没。人間革命。ノストラダムスの大予言。につらなる東宝特撮社会派路線の異形の大政治宗教映画。公開当時はどうしても伊丹映画としてしか認識できなかった。それはしかたないこと。それくらい伊丹十三は時の人だった。そしてそれは天国と地獄が黒澤ブランドつよすぎで。東宝特撮社会派路線の傑作と認識されなかった事情とおなじ。でも天国と地獄の。あの煙と阿片窟。東宝特撮特殊美術の威光以外なにものでもない。本作も冒頭とラストの崖崩れ。やはり東宝特撮特殊美術の威光以外なにものでもない。今にしてみればそれはすごくわかるはず。すくなくとも自分にはそうかんじられてしかたがない。統一教会ロシアウクライナ問題なんかも。本作の視点をそのまま世界地図にひろげたとしかおもえないくらい。それほどの先見性。

炎上1958大映

市川崑まだリアルな初期で実録風とさえいえ市川雷蔵現代劇演技初でまだ地なのか素っぽくパンク。文芸映画というより。いわゆる90分枠の娯楽映画のフォーマットでえがかれたフィルムノワールスタイルの怪奇ミステリー。ピカレスクなダークヒーローとしてテロリストをみごとにえんじきっている。その火の粉の特撮面からいえば怪奇大作戦。呪いの壺の原点にあたるしキモいメンヘラ演技面からいえば仲代達矢中村玉緒ご両人ミゴトにハードボイルドしていて岸田森斎藤チヤ子の京都買いますの原点にあたる。怪奇大作戦ファンにとっては神映画。あの火の粉状の炎リュート物質の発色に違いない。三島作品でリュート物質によるテロがえがかれているなんて。もはや美しい星なみのsf度はゴジラ第一作級。東宝大映特撮マニアなら。もっと話題にすべき名作。

襟裳岬1975日活

秋吉久美子の歌謡三部作は話題になるが忘れられた山口いずみの歌謡映画。同時にカルト映画としても忘れられている。が。かなりの完成度だしカルト度。よくある複雑奇妙な男女二人の。遺骨を伴っての抒情ロードムービーなのだが。遺骨の生前が。その日常が。その人物像が。余りにも詳細に濃密に描かれる為。主人公が唐突に死ぬヒッチコックのサイコのようなショックホラーにしか見えないのだ。

2023年9月21日木曜日

第6話サバイバル72時間

同窓生ではないから震災でなくなった美少女に嫉妬したわけでもない。でも今回の真犯人。マリコをも殺害しようとしているし。美人へのなにかダークなものをかんじる。そこが今回の胸糞ポイント。怪奇大作戦がそうだったように胸糞要素をめいっぱいもりこめるからこその。偏愛の科学犯罪捜査モノ。

2023年9月17日日曜日

親と子⁠/⁠ウルトラマンブレーザー

人間態とブレーザーとの意思疎通や境界が曖昧なのはブレーザーの精神年齢がおさないからだろう。今回もテレビの赤ん坊に反応したり親子怪獣に同情したり。たぶんウルトラマンタロウとおなじく人間態との合体の瞬間がブレーザーの精神態の誕生だったのだろう。初戦でのワイルドさはブレーザーが幼体ゆえのことだったのだ。

2023年9月15日金曜日

岬の兄妹(1019)

真夜中のカーボーイのリメイクとして観た。身体を売る美形とビッコの醜男。本作では妹と兄。最後の兄にかかってきた電話は再びクビの電話だと思う。不吉なラストシーンである。兄が妹を殺そうとする直前に見た足が治る夢だが。本家の砂浜を駆ける夢とオーバーラップする。今度こそ本家同様に家を追い出される事になるのだろう。本作。本家と同じく不景気が如何に過酷で。残酷な結末を弱者にもたらすか。を描いており。立派に本家同様。社会派映画としての機能を果たしている。見事な告発。

2023年9月14日木曜日

第5話

宗野賢一監督。前話と二連投だが前話は挨拶がわりで氏の職人技庶民性がでたにとどまっていた。が本作は持前の胸糞オカルトな部分が全開で。たのしい。今回の主人公エクソシストっぽい風貌の心理カウンセラー氏が被害者被疑者両方をプロファイリングするところから俄然もりあがる。といっても被害者の声は霊媒師ではないのできけない。そこで科捜研が植物の声をきく。被害者は大学を中退しずっとひきこもっていたのだ。悪魔憑きか。いやどうやら植物に異常にこだわり。憑かれるがごとくひきこもったものらしい。しぬ前に花をたべたりして不気味といえば不気味。ちょっと怪奇大作戦の美女と花粉っぽい。みずから遅効性の毒の花粉のようなフェロモンをまきちらす植物学の美人女教授はモンスター。毒にやられたゼミ生徒は次々と淫蕩な悪魔に憑かれたようにひきこもり悶々となる。なかなかに胸糞だ。

ゴーストシャーク(2013)

どことなく悪魔のいけにえや溶解人間をおもわせるぬるっとしたカメラワークだ。夕陽が印象にのこるのだ。そんなかんじで鮫にのろわれた入江の部落が舞台。因襲の老人と無法の若者がせめぎあう。せめぎあうだけで人物がふかく描写されない無機的即物的な群像ホラー。水のあるところならプールからトイレから自由に移動可能な四次元ザメ。でもそんなふうにミラーマンとかのハードsfチックよりにかんがえず。仮面ライダーの怪人のようにガバガバな演出のザルさゆえの神出鬼没さそれがきわまったとかんがえたほうがおもしろいしこわい。ただ。飲料水生活水にまぎれた病原菌による鮫の幻覚をともなう感染症映画としてみると。それもこわい。それよりも凶事の兆候の青白い光をチェレンコフ光とみるほうがもっとこわいかも。タイムリーだし。

2023年9月12日火曜日

武蔵野夫人

ヴェンダース小津の東宝作品がよかったのでゴダール溝口の東宝作品ということで期待してみてみる。撮影はゴジラ浮雲の玉井正夫だ。いわゆる白樺林をセレブが散策するジャンル映画としての高原映画。地平線のむこう東京への爆撃がゴジラチックな特撮。婦女子に配給される青酸カリ。防空壕ほってたらでてくる人骨。いやがる婆にうれしそうに手にしてちかづく爺。婆即死。墓場で爺遺言即葬儀シーン。ギャグかとおもうぐらいまがまがしい。爺葬儀中の空襲警報でいきなり戦後にタイムスリップ。謎の復員兵帰還でまきおこる犬神近親相姦異常性愛相続ミステリー。季節がいつも夏なのは地球によくにたパラレルワールド武蔵野パークをえがいたタルコフスキーチックな田園sfだから。音楽も映画音楽というより遊園地や行楽地でながれる宣伝音のような過剰さで武蔵野ふくめ戦後のすべてがテーマパークで作り物。といわんばかり。田中絹代がウエストワールドのユルブリンナーみたいなロボット感でまさに武蔵野夫人その電池がきれたかのようなこときれかた。武蔵野パークの創立者先代進藤英太郎博士によって建造された乙女ロボットが武蔵野パークから一歩もでないで武蔵野パークをけなげに一人まもりぬく。なかなかせつない。で本作もしかしたら赤線地帯にまさるともおとらずの自分大切な心のわすられぬ作品になるかも。風と共に去りぬ級だ。田中絹代はロボットみたいだが同時に少女のようでもある。とんでもない名演だ。戦災でやけだされ千と千尋な奉公にだされた孤児のようにえんじている。武蔵野が東京の下町のようなストリートにみえる。それも洋画っぽくニューヨークのコニーアイランドばり。

2023年9月9日土曜日

ヒエロニムスの下僕

ヒエロニムスの下僕。ウルトラqダークファンタジー。ずばり本作筆者的に下水道映画の大傑作とさせていただく。男がハンカチを液化されたさい。手の平の一部も液化されたのか。いたそうだった。ヒエロニムスマシーンの作動音はまるで排水口がたてるあのゴボゴボいう不快音そのもので下水道映画マニアとしてはたいそう心地よく興味ぶかかった。本作。そんなウルトラqダークファンタジーのなかの一本。さかのぼりウルトラq2020年の挑戦での人間消失だが。あれは素粒子化して異次元にとびさったわけではない。一瞬のうちに液体人間化しそうみえるだけ。水たまりに足をかけた瞬間きえているようだがそうではない。水たまりと同化してしまったのだ。冒頭に謎のスライムが登場しそれに接触して人がきえているのをおもいだしてほしい。あれはまさに映画美女と液体人間そのもの。さらに。しらべると。スタッフも意識して意図的に映画の設定をテレビにもちこんだとかかれている。ということで以上をふまえての本作の解説である。ぜひよんでふまえてほしい。本作はそれでその不気味さこわさが二倍ましになるのだから。かさねがさね本作筆者的に下水道映画の大傑作とさせていただく。脚本の高橋洋はやはりリングという下水道映画をものにしている。レンタルビデオ屋の床下に古井戸があってそこにはやはり恐怖の液体人間貞子がひそんでいた。そんな映画だ。下水道世界なるものを可視化したラストカットの冒険も見事な本作ヒエロニムスの下僕だが液体人間は井戸地下水道下水道がその棲息域だ。液体ということで液晶画面のなかにもはいりこむことさえできる。インクや現像液にまぎれポスターや写真にもはいりこむことさえできる。一種の二次元人でもある。リングも本作もテレビやビデオのなかに人がとじこめられる。それはほんとうに気もちわるいイメージだ。かくして。液体人間たちはいつもはくらくふかい魂のダークサイドをおもわせる下水道世界のなかで悶々としているのだが。雨ふりの夜など窓にべっとりはりついたり。液晶画面から液晶画面をわたりあるいたり。して。液にふれたものをやはり液体人間にしてしまう。謎を謎のまま。にして。

オトノホシ

ガラモンは名前ではない。ガラダマに積まれたモンスターだからガラダマモンスターその略。ガラダマの飛来は侵略ではない。原子炉そのものの不法投棄である。セミ人間は清掃局員もしくは演歌ずきなダンプの運ちゃんつまり底辺労働者。廃棄場に派遣されガラモンを誘導。エイリアンのゴミ運搬宇宙船員って設定もたいがいに底辺だったが。ガラダマのガラはガラクタのガラでゴミアクタの意味もある。もはや侵略以上の始末の悪さか。ガラモンはロボットである。それも大きさすらまちまちな三流大量生産品。なぜならガラモンそのものが移動可能な原子力発電所だから。手や足の装甲は剥がれやすく使い終わったら使い終わったで厄介な旧式の原子炉。それを廃棄物用コンテナであるガラダマに乗っけて宇宙の果てから地球に向けて奴ら片っ端から廃棄しているのだ。ついでにゴミにICチップタグを付けるように電子頭脳の小型のガラダマまでおまけして。しかしそんなエコロジーな文明批評や詳細説明は表立ててやったんでは効果半減。ヘドラがそう。説明し過ぎ。そういうのは背景におしとどめてこそ真の文明批判なのだ。その点ウルトラqはすばらしかった。ゴジラ第一作もそうだし怪奇大作戦もそう。だからガラモンが動く廃原子炉であり制御不能で口からメルトダウンするとかという設定よりもいったん電波を遮断されるとふたたび電波を流してももう二度と作動しない点。つまり電波は墓場つまりゴミ捨て場所定位置への一度きりの誘導電波にほかならないという何かひどく無常感漂うあのラストそう文楽とか能とか今回のラストタンゴっぽい設定演出編曲の方が世紀を越えて残る古典においては何倍も重要なのだ。

2023年9月8日金曜日

007ゴールドフィンガー

スパイ映画と探偵映画のちがいはどんなところだろうか。事件へのとっかかり。か。探偵映画はあやしい美人の依頼人が事務所をおとずれ。スパイ映画はハイテクなツールで連絡がはいり探偵映画のようにむこうからではなくこちらから秘密基地めいた場所を訪問しこうるさい上司から詳細をきく。ところから物語がはじまる。第一作第二作でのボンドはどこか探偵めいていた。おかげでしっかりハードボイルドしてた。しかし本作のボンドはかかわる女という女がしんでゆくしハードボイルドというよりどこかボーヨーとしてて人間失格な太宰治みたい。つまりいきた人間感がなくその不死身さもどこか幽霊っぽいということ。そこが本作の。いや本シリーズの自分としては最大の魅力。逆に悪役が人間くさい。ブレードランナー味といえばよいのか。そんな傾向はいよいよ定着していくが本作が一番あやしくて怪作なシリーズ第三作。

2023年9月7日木曜日

フェイクプラスティックプラネット(⁠2019⁠)

実は死んでいた系ジャンル。ディストピア奇妙な界隈の場末のネカフェには女の幽霊がいる。幽霊だから自分がいきているのかしんでいるのかわからない。こんな設定だとやりようによっては幽霊が自分の死因をさぐる幽霊探偵。クローンかサイボーグか異形の自分をうんだ組織をつきとめ復讐するSFアクション。解決しない不条理アートムービー。つまりミステリー調SF調アート調イロイロ料理することもできる。そんなことをおもいながらみはじめた。結果どれでもありでどれでもなかった。ホラー映画というよりもエクソシストタイプのオカルト映画だった。タクシードライバーのようにブルーススプリングスティーンなニューヨークダウンタウンストリートロッキンなあついテイストがいい。ラストの唐突な成仏も。炊き出しとかの場で上映されてそうなカソリック教会勧誘宗教映画。主人公の子の演技はもうちょっとだが親友で茶髪の子がよかった。

2023年9月6日水曜日

ゾンビの誕生ナイトオブザリビングデッド1968

正に仁義なき戦いのような集団抗争劇。立て籠った家はまるで都市のように広い。広く感じる。こういうパノラマ表現がロメロはホントうまい。恐怖と謎に満ちた二階。二界か。女の独り暮らし。だったのか。ノーマンベイツの母親か。そして地下室の地下グループのその唐突な見事な登場の仕方など続猿の惑星などは勉強すべき点が。拠点は本部は一階か地下室か。のディスカッションも素晴らしい。クライマックスははからずもの二階と一階のチームプレーで一瞬だが無敵要塞のおもむきに。ラストでの地下室の使い方そのスケール感。正に教科書というか密室ゾンビ劇の原点にして聖典。