2016年12月29日木曜日

謎の恐竜基地

早すぎた超豪華版ウルトラファイト。まだウルトラマンが奇っ怪な宇宙人然としてた頃なので高笑いも全く不自然ではない。というか逆にアトラク用ダメ着グルミとしても受け止める事が出来てジラースのパチモン感と整合している。ゆえにゴジラ対ウルトラマン世紀の一戦は大いに盛り上がる。少年探偵団っぽい科特隊ワッペンが正に今回の一大イベントを象徴する子供たち垂涎の記念品に見える。贅沢に使われるオプチカルプリンターシーンは前期ウルトラファイトのバンクフィルム使用を思わせ正に仁義なきウルトラ頂上作戦第1号。

2016年12月28日水曜日

白い顔

湖畔の洋館。地下の実験室。父親を狂わせていたのは全てこの定番の呪われた場、こそ、だった。母は娘を置いて逃げたのではないだろう。きっと母親は、自殺したか何かで、この邸その物と言える存在になり、亡骸は湖に沈められた。アッシャー家の崩壊を思わせて凄絶。だから、そこから何もかもが狂った。洋館の炎上は罪の浄化を具現し、その特撮は悲しく美しい。ラストの残されし者同志の父娘の抱擁は泣ける。sriの窓から見えるビル街は都会の儚さを具現して、そのミニチュアは矢張、美しい。逆にレーザー光線の光学特撮は見せない。そこが本作にリアルな重量級犯罪感を与え素晴らしい。見せる所と暗示する所が絶妙だ。醜さがテーマゆえか、この上も無く美しい作品だ。亡き母の亡霊が演奏しててもおかしくないピアノ。それをテープレコードのトリックと重ねる。この怪奇大作戦前期特有の人体破壊ホラーと乱歩趣味の絶妙ブレンドは本当に捨てがたい。

2016年12月25日日曜日

美女と液体人間

暴力もない。血の一滴も流れない。けれども、このうえもなくバイオレンスを感じさせる。みどころは、人体破壊のみ。血まみれ東映バイオレンスの良きライバルでホラースラッシャーの先駆。それこそが、本作の、正体。精密な東宝特撮だからこそなしえたカラーワイドスクリーンで見る華麗なる人体破壊描写。そのカタルシス。ダラっとドロっとした退屈さ。だからこそのクライマックスが。ひとつは、漂流船に乗り込むシーン。ひとつは、警官隊がキャバレーに突入するシーン。そこに現れる液体人間。おかげで現場は、もうドタバタの、バイオレンスまみれに。笑いさえこみあげてきそう。用意周到に時間をかけて計算されつくした画面設計だが、まるで、仁義なき戦い、の手持ちカメラ撮影のデイリのシーンでも見ているかのような、カオスなメマイ、さえおぼえる。ニンゲンが、あっという間に溶けるって、スゴイ。

2016年12月23日金曜日

恐怖のルート87

恐怖のルート87。タイトルからしてアメリカンニューシネマ時代のB級ホラーみたい。実に良い。飛行する怪獣がどこからともなく現れ国道上の車両を襲うだけの不条理さも。国道沿いの救護所が出てくるが貧相さと事務的な施療ぶりが不吉な場所の定番。ハイウェイ沿いの寂れたドラッグストアやドライブインを連想させハヤタの草むらへの逃走が実に萌える。石像も名作エクソシストを連想させる。少年をホームに訪ねる件はカラス神父が老母をホームに訪ねる件に重なって。ホラーはホラーでも乾いたアメリカンゴシックさのカーホラー。金城の沖縄とアメリカ南部は風土的にどこか通じるのかも。怪獣も後のクルマニクラスとかと違い実体がしっかりあってファンタジーに流れないでしっかりモンスター物を固持。石像と。高原から眠りを覚ます怪獣の相似は高度な偶然でまとめ。さすがの脚本。ヒドラ。どこかメキシコの山の奥ででも静かに眠りについてほしい。アキコのしょったセリフのオチもキュートだし。ウルトラマン。金城節が鮮やかな一本。ポーな同じくカーホラーの。qのクモ男爵が観たくなる。

2016年12月22日木曜日

故郷は地球

ジャミラ。悲劇の平和の巨人という点。フラバラのフランケンシュタインを思わせる。子供の時には彼を怪獣と馬鹿にして。セーターを被り真似をした。残酷な事をしたと後悔している。彼の顔は同じ西洋人ならパッと区別がつく程で。個人の人間の面影をしっかり残しているし。傴になって全身がひび割れてしまっているが。怪獣なんかではなく巨大化した人間体なのは自明なはず。なのに我々は。思い切り怪獣に寄せたベクトルでしか見れなくなってしまっていた。当時は。でも今は。人間衛星。悲しい響きだ。彼が乗っていた円盤形のロケットから。ミステリーゾーンの幻の宇宙船を思い出してしまった。墜落した人間衛星が成仏できず。永遠に軌道上をさまよい続けるという物。国際平和会議。偽善だ。工場や学園や原発。誘致の利権で見せ掛けの発展を遂げた。地方の企業城下町のウスッペラな雰囲気が漂う。犬神家っぽい陰鬱な村。避難民が抱く柱時計に業の深さと差別の連鎖を見てしまう。本作でのウルトラマンは登場シーンも短く。格闘も殆どしない。冷たいロボット兵器ソノモノに見える。いっそのこと。登場させず人工降雨ミサイルでトドメった方が良かったか。超問題作。

2016年12月20日火曜日

世界大戦争

富士山ごしの東京方面をおおいつくすキノコ雲。これは現実ではないが、われわれは、よく眼に焼きつけねば。そして、ことあるごとに観かえさねば。とくに特撮ファンならば。みなれたタイプの特撮シーンが、これほどまでの存在感で、まがまがしく見えた作品が、ほかにあっただろうか。これほどまでに無力感、無常感で視覚メッセージたりえたことが、ほかにあっただろうか。善人役でならした俳優が極悪人役で登場したり。ひとなつっこい愛されレギュラーキャラがドラマ中盤で悲劇的に死んだり。そんなバッド311な想定外感。誤作動感。資本主義のグローバル化と兵器の自動化によって本作の脅威は古くなるどころか。その点が、まず恐ろしい。滅亡の発端が狂気や絶対悪の独裁者個人ではなくて善意のきわめて庶民的人間的な雰囲気の現場なのも。連邦軍同盟軍とされているだけで日本以外の為政者や軍の司令官は、国民や兵士の前にさえ、まったく姿を見せない。その動向を知る手だてはラジオや無線での音声のみ。しかし、それがインターネット時代の今。ものすごく厭な皮膚感覚レベルのリアリティで筆者の、わたしには、迫ってくるのだ。筆者の、わたし自身、アイドルやスポーツチームや株や政局を、他人の不幸を、まるでストーカーのようにsns上に四六時中追っかけてばかりで、むなしい日常でしかないからだろうか。

2016年12月19日月曜日

キングコングの逆襲

ドクターフーの北極基地の奥がエレメントエックス採掘の坑道になってたのが萌えた。死霊のえじきの基地も奥が坑道になってて実験材料つまり資源としてのゾンビを貯蔵してたからだ。コングに催眠装置を埋め込み飼い慣らそうとしてんのも死霊のえじきのバブ氏と重なる。いわんや超巨大な昇降エレベーターのビジュアル。

2016年12月18日日曜日

24年目の復讐

戦時怪談として見直すと非常に整合する。ベトナム戦争時の横須賀。ここも戦場なのだ。水棲兵士の伝説に憑かれた男が隊を離れる。彼は姉を戦争で喪っている。そして未だに良心の呵責に苦しんでいる。それが異常な水棲兵士への執着をもたらした。普段は大人しい男が暴力沙汰を起こし失踪。極めて必然だった。失踪した男を探す隊の捜索は戦場の奥の前の戦争の伝説の戦地に及ぶ。追い詰められた水棲兵士。全身にダイナマイトを巻き付け自爆する。この感じ。どっかで見たような。そう。地獄の黙示録。巨大な戦艦群を目前に燃え上がる水棲兵士のボート。地獄の黙示録の闇夜の殲滅爆撃と同様。ニヒリズムはピーク。反戦意識など消し飛ぶ虚無感。それこそが戦争の本体と言わんばかり。それぞれの王国のパノラマが猿島要塞跡地でありアンコールワット風なのもイメージがオーバーラップし重い。だからこそエンディングは救いのギャグだったのだろう。

2016年12月17日土曜日

吸血地獄

暴力としての吸血。旧来、怪奇映画の吸血シーンそれは血の接吻と呼ばれたりして擬似性交っぽく描かれてきた。が本作は違う。血こそ一滴も流れない。が。そのゴクゴクという音。ほぼ一滴も残さずという発言。あのメイク。かなりショッキングだ。コドモムケユエニソウナッタ。明示こそされないが連ねると、ある種の相当に過激な人体破壊描写だ。だとしたら、つまり意図せず本作はムードよりリアル、怪奇よりホラーに急接近してしまっている。アクロバチックな作風だ。そして本作は落ちぶれ果てた若い男女を描いている。ウミタダレタ生活は松竹ヌーベルバーグで日活ロマンポルノだ。しかし、そう思わせてパートナーの死別と吸血鬼化。一種のトンデモジュブナイルへと雪崩れ込む。コドモムケユエニソウセザルヲエナカッタ。結果。ホテルでの四人のカケアイは、その照明の物理的暗さだけにトドマラズ実に下世話でデバガメチック。そのドタバタなヤンチャっぷりは相当に楽しい。制限制約の中での冒険が意図せずトンデモな結果を出した好例。暴力としての吸血とチカマツ世界のドタバタ喜劇化。トンデモない大発明。まさに。怪奇。大作戦。の成果。

2016年12月10日土曜日

宇宙大怪獣ドゴラ

石が降る。その旧約聖書めく事象のおかげで本作は陳腐なsfに終わるのをしっかりと免れている。実はこれはこれで実に凄いことなのだ。しっかりと暗黒宇宙神話のヤバいダークマター感を撒き散らしクトゥルーやウルトラqに連なる世にも貴重なコズミックホラーの先駆ダークファンタジーの傑作たりえている。もちろん特撮によるところ大なるはせんこくごしょうち。ただし、それだけではダークファンタジーたりえない。単なるミステリアスな悪女を越えて暗黒宇宙の邪神にさえ、つかえるかの如くのダークヒロインな巫女。そうとまで思わせてくれる程の若林映子その風貌とその演技それらの素晴らしさなくしては絶対にダークファンタジーたりえなかったであろう。ガラモンの逆襲の義那道夫と同様に。さてさて総じて、もともこもない大怪獣なる、その陳腐なタイトルは、ひどく災いしてドゴラの宇宙知性が動物なみ怪獣なみと先入してしまいそうになる。たしかに劇中ドゴラの振る舞いはただの捕食行動っぽくはなってはいる。しかし遥かに人智を越えた暗黒宇宙の邪神スケールの知性。そんなヤバい何かが、ドゴラの背後に感じられはしないだろうか。宇宙細胞なるものが、われわれの宇宙の原子や分子で構成されているとは限らない。未知の宇宙の暗黒物質や反物質で構成されているかもしれないのだ。そして、それはそれ自身、精神と物質未分化の運動原理かもしれないのだ。怪獣では片付けられないような何かかもしれないのだ。ドゴラのカタチに使徒な気配を感じる方ならば是非。一度一歩踏み込んで世にも香ばしいダークファンタジー臭を禍々しくも本作の端々に強引にでも嗅いでみるのも一興かも。とにかく、このドゴラと、その物語には古代生物っぽい東宝怪獣を越えて既にウルトラqな孤高のモダンさが、うかがえ筆者は今見ても、ちっとも古さを感じないのだ。むしろ新しい。

2016年12月4日日曜日

フランケンシュタイン対地底怪獣

一見平板なシナリオに見えるけれど以外と巧妙だ。両モンスター共いつどこに現れるかが分からない。そのサスペンス。このサスペンス。海が舞台で使われるのが常套で効果も満点よく使われる。しかし本作は山である。ここで地底怪獣の設定が活きる。まるで瞬間移動のように神出鬼没。そしてココが重要。土屋嘉男の役柄が潜水艦上がりの石油掘削技術者だという点。実に巧い。一方フランケンシュタインの方は柳田国男の山人の概念を付与されていると見て間違いない。それも突飛ではない。フランケンシュタインの元となった西洋人の死体は多分スイスやドイツの山岳地帯の出身。大いに。有り得る事だからだ。心臓だけになってもその身体記憶は如何ばかりか。山の奥の洞窟を見つける能力や塩の道などと学術視される獣道や暗い谷底深くの地図にも載らない複雑な隘路を察知する能力。備わっていて不思議はない。この辺の描写は本作にも次作のサンダの振る舞いにも出てくる。この神出鬼没の両者プラス人間側の追跡の攻防が本作の肝だ。次作のような対自衛隊の攻防の派手さはないがどこか。復讐するは我にあり。とか。指名手配犯映画のようなサスペンスがあって個人的には次作よりも本作の方が好きだ。さて書きに書きまくってきた本作の事は今回でそろそろ終わりにしたい。そこで最後に。本作の音響の世界の素晴らしさを。エレキインストと定番伊福部節の対比が味わい深く実に濃密な90分。まるでデヴィッドボウイのロウのようなニューウェーブなサントラ。まずは座頭市モードのロードムービー寄りの荒涼かつ哀愁の伊福部が炸裂している点。パリテキサス張りのアンビエントブルースなメロディは耳に残る。 そして序盤に通奏低音のように使われる重苦しいフランケンシュタインの心臓の鼓動。最早これは音楽であり音楽であるところのゴジラの咆哮と同次元のフランケンシュタインその物を象徴するアイコン。シルシ。なのだ。確かにドゴラの流用かも知れない。ガイラのキシェーッの方がウケるかも知れない。しかし本作の。この心臓音は深い。フランケンシュタインその正体はカタチではなく現象である。波動だ波だ音だ。と言うこの形而上的な神話的な遺伝子工学的な量子物理学的な凄さ素晴らしさ。正に生命とは何かを身体感覚。ヘビメタフリージャズノイズインダストリアル次元で説いているのではなかろうかとさえ思えてくる。それは脳髄ではなく自律的な筋肉のカタマリ。そう生命とは頭でっかちな物では無く実に素朴なキン肉の躍動その物だと言う事。放射能をモノトモセズ廃墟の中を走り回って遊んでいた幼生フランケンシュタイン。それは裸足のゲンのハッチャケっぷりに通じていると言う事。

2016年12月3日土曜日

フランケンシュタイン対地底怪獣

ウルトラマンはガンダムやエヴァンゲリオンやウルトラセブンのようなリアルな悩めるヒーローではない。ウルトラマンは宇宙人の宇宙船と地球人の宇宙船の衝突というあり得ない惨劇その中での死から誕生した。キセキでありグウワであり別世界物語である。そのことを忘れてはならない。ここが水爆実験から誕生したゴジラと同様。正邪まるごと飲み込んだヒーローを越えたヒーロー。ダークヒーローたるユエンなのだ。確かにゴジラにもウルトラマンにも悩めるヒーロー成長するヒーローとしての変節は刻み込まれている。しかしそれだけだと今の時代にまでは残れてはいないはず。巨人の星の主人公とあしたのジョーの主人公。どこが違うか。あしたのジョーは力石をその手で死に至らしめたという最悪の惨禍としての青春の終わりのその瞬間にダークヒーロー足り得。だからこそ。その後のジョーの物語。どこかそこはかとその登場人物すべて狂気にじませ永遠の妖しい魅力。オーラを放ち続けているのだ。本作のダークヒーローフランケンシュタインの誕生も人類史の一大惨禍たる原爆だった。そう誰もが以下の事を。忘れていたのだ。ウルトラマンも実はダークヒーローだったことを。つまり本作の最大の価値はそのことをつねに思い出させてくれウルトラマン神話の原点中の原点たり続けているところにあるといってまさに過言ではない。さらにここでいうウルトラマン神話とはウルトラマンが正義とか悪とかではなく根本的にメイフマドウな暗黒宇宙の暗黒物質のアナザーサイドな物理法則アナザーサイドな精神法則に負って産まれ行動しているということ。それを説いている。あの名作エイリアンさえクトゥルー神話に負っていることを忘れて観るならば面白さはサンブンノイチだということ。エイリアン2信者やサンガイ自衛隊信者は筆者がどうかその立場。現実の政治や現実の宗教などとは無縁の。はっきりいってほぼトンデモなメタな自分だけの仮想宗教の立場。からものを言っていることを。この日用映画劇場を書いていることを。察し批判しないでいただきたい。ワタシもアナタガタを批判シナイカラ。

2016年12月1日木曜日

フランケンシュタイン対地底怪獣

書き出したら止まんなくなっちゃった。笑。あと土屋嘉男がイイね。高島忠夫ニックアダムス水野久美。特に水野久美が。何か皆さんマットの隊員のよう。ニックは南隊員。高島は岸田隊員。そしてキリッとした母性と言うか銀座のママ感が実に良い水野久美は丘隊員。そして土屋嘉男は加藤隊長に変わって登場した伊吹隊長。本作での登場の仕方がまるで伊吹隊長の初登場の時とか郷が窮地に陥った時に登場する伊吹隊長のようでメチャメチャ格好イイ。まさにこのレギュラー布陣で連続ドラマ化したら。sriならぬ放射能やバイオハザード対策組織。毎回違ったバイオ怪獣。常に移動し山の中に住み彼らの窮地にフラリ現れるフランケンシュタイン。怪奇大作戦並みに永久保存人類遺産。