2016年12月20日火曜日

世界大戦争

富士山ごしの東京方面をおおいつくすキノコ雲。これは現実ではないが、われわれは、よく眼に焼きつけねば。そして、ことあるごとに観かえさねば。とくに特撮ファンならば。みなれたタイプの特撮シーンが、これほどまでの存在感で、まがまがしく見えた作品が、ほかにあっただろうか。これほどまでに無力感、無常感で視覚メッセージたりえたことが、ほかにあっただろうか。善人役でならした俳優が極悪人役で登場したり。ひとなつっこい愛されレギュラーキャラがドラマ中盤で悲劇的に死んだり。そんなバッド311な想定外感。誤作動感。資本主義のグローバル化と兵器の自動化によって本作の脅威は古くなるどころか。その点が、まず恐ろしい。滅亡の発端が狂気や絶対悪の独裁者個人ではなくて善意のきわめて庶民的人間的な雰囲気の現場なのも。連邦軍同盟軍とされているだけで日本以外の為政者や軍の司令官は、国民や兵士の前にさえ、まったく姿を見せない。その動向を知る手だてはラジオや無線での音声のみ。しかし、それがインターネット時代の今。ものすごく厭な皮膚感覚レベルのリアリティで筆者の、わたしには、迫ってくるのだ。筆者の、わたし自身、アイドルやスポーツチームや株や政局を、他人の不幸を、まるでストーカーのようにsns上に四六時中追っかけてばかりで、むなしい日常でしかないからだろうか。

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