2017年1月27日金曜日

侵略する死者たち

死んだ人間の影は床や壁に転写されシャドーマンになるのだろうか。そしてシャドーマンを見たり触れたりした者は気や命を失い、やはりその影も命を失ったその場に染みついてシャドーマンと化し、やがて動きだすのだろうか。単に幽霊と定義するより、こっちのハードSF仕様ゴーストの方がよほど気色悪い。ゾンビや吸血鬼に近づいているからだろうか。いずれにしても本作、死体が自ら歩いて防衛軍基地を目指したことにちがいはない。まさにロメロの死霊のえじきを彷彿させる。死体は、それぞれ基地への路上でポインターに轢かれたり、みごと基地内部に潜入した個体も地下道で乱射殺された。具体的な描写は、ないが大部分の個体がゲートで捕獲されメディカルセンターや死体収容室に運ばれたのだろう。そして、そのなかにはまだ動ける個体もあってフルハシを背後から襲ったのだろう。いずれにしても何者かによる、この侵略手法は相当におそろしい。なぜならゾンビのように噛まれた者だけがゾンビになるのではなくゾンビからゾンビが転写する二次元ゾンビ。神出鬼没だしセブンをも封じ込めるほどなのだから。幸いに本作では気絶者はでても死亡者はでてないが、世界観はリングや黒沢清の回路を完全に先取りしていた。確かに回路のようにインターネットや通信網に幽霊が侵入された日にゃ地球防衛軍も狼煙や素手で戦うしかない。まさに、これこそ史上最大の侵略。ついに本作でウルトラシリーズ後にも先にもない禁断の侵略者、死者を早くも出してしまっていたのだ。そう考えると、あのセブンを捕らえた宇宙ステーション。回路に侵入した死者たちが動かしていたのであって後付けのユーリー星人などではなく正に幽霊ステーション幽霊船からの攻撃だったのだ。これはコワイ。


2017年1月26日木曜日

盗まれたウルトラ・アイ

東京K地区。宇宙戦争戦時下、親を失った不良少年少女や孤児達の街。街外れには枯野ばかりが拡がっている。アキラとかエヴァを彷彿させる景観だ。着ぐるみの出ない三部作は、どれも寒々しい近未来ディストピア風景が描かれている。最終回では世界の主要都市が壊滅しているというのに野球か何かのラジオかテレビの生活音だ。これは多分過去を懐かしむ為の海賊放送か何かで場末の飲み屋での演歌に通じる物と筆者は見る。しかし、これこそが薔薇色の近未来を舞台とするウルトラマンと正反対のウルトラセブンの世界観ズバリなのだ。地球防衛軍の軍族の家は洒落た洋館だが庶民は下町どころかスラムな感じに描かれる事が多い。この点が丸ノ内のビジネス街や山ノ手の子供家庭が多いウルトラマンと大いに違う。本作は宇宙の孤児としてのマヤとダンの極めて深いテーマを秘めた小さな触れ合いのジュブナイルドラマ。その傑作。

2017年1月25日水曜日

史上最大の侵略

最終話。前編はダンの煩悶とアンヌの純愛が錯綜して大人になった今観直すと田宮版白い巨塔に迫るかと言う位の重厚な心理描写だ。後編は、これまでの要素を全て盛り込んだ正に集大成。ダンが基地の窮状を盗み見るシーンでのビデオシーバーはガジェットを越えて神々しさすら。アンヌを乗せ駆け付けるポインターも眩しい位だ。セブンに加勢するホーク編隊は、その頼もしさからかマイティ号のように見えた。ダンは生きて帰れたのか。それとも途上で力尽きたのか。深い余韻を残すシナリオライティング。金城渾身の思いに涙を禁じ得ない。世界大戦争の引用も表面上にだけとどまってはいない。宝田星二人の悲恋は、そっくりそのままダンとアンヌに受け継がれている。