2019年11月30日土曜日

ミステリーの達人 ドクターKの失敗

冒頭。子供の秘密基地でもありそうなクサッパラ。紙芝居のような演出。聖地巡礼なるオタク用語がネックの話だったが捜索対象をオタクどころか文盲の元受刑者へと松本清張ばりのスケールに純化。そのせいでオタク用語の聖地巡礼がまさに四国巡礼か聖フランシスコの巡礼ばりに深く重く。京都界隈のたった一日の巡礼エリアだったがスケアクロウなアメリカンロードムービーのような抒情さえたたえてナイス。そのスケール感はまさに砂の器といったところ。劇中劇に少年探偵団風がからんだこともありキーパーソンの小説家がまるで怪人二十面相のようにも。乱歩と清張の世界がジュブナイルファンタジーの手法によって見事に融合。名演。名作。特筆はマリコがまるで少年探偵団の少女メンバーのようにキュートで健気な活躍っぷりだったこと。あと蒲原のわんぱくさも探偵団しててよかった。そういう意味でもファンタジー回。先週の鉄オタといい二週つづいてオタクが被害者のエピソードだったが二作ともおもいっきり全年代オタク擁護の感動作に仕上がっていてこんなリアルタイムな御涙頂戴は好感。

2019年11月10日日曜日

吸血地獄

本作ニーナを完全主人公の物語としてみなおすととんでもないものがみえてくる。主人公役が外人俳優で。こちらからの感情移入がしにくくなるようにわざわざとしてある。という観点から。まるで人形浄瑠璃の心中モノや歌舞伎の四谷怪談そんな中世不思議グランギニョル人形音楽劇な人工様式美の色彩を帯びてくる。といおうとおもえばいえるからだ。ドラッグ地獄に堕ちていくグラサンロッカーな飼い主を必死で守る背後霊守護神ペットの物語とでもさえいおうか。そうハチ公忠犬物語のようでさえもある。ラスト。崖の上での。周作の手首から血をすうニーナ。あまりにも哀れ。というより。あれは健気の姿なのではないだろうか。主人公の傷を舐めるセラピードッグのような。そんな風にみえてきはしないだろうか。それを突き落とすようにして自らも身をなげる周作。そんな愚かな周作さえ赦すニーナ。そう本作はあのフェリーニの道なのだ。ニーナの顔が元にもどるのは周作への憐れみ。あれはもはやニーナは菩薩となったアカシ。ニーナはジェルソミーナ。映画浮雲。森の妖精の化身がベトナムから日本についてきて戦争に心身傷ついた男たちに尽くし尽くしきったように。本作はポーランドからついてきた少女吸血鬼の無垢。イノセントを描ききっている。死んでも死ねずどこまでも周作のあとをけなげに付き添ったニーナ。周作の名を呼ぶニーナの声が耳からはなれない。

2019年11月8日金曜日

育てよ!カメ

見事な下水道映画である。虚言癖の少年がギャングに誘拐され下水道のアジトに連れ去られる。持っていた亀が巨大化。逃げ出すギャング。好立地とばかりに少年は下水道の秘密基地での。現実から逃避した夢と幻想まみれの亀との暮らし。を始める。そんなある日。亀によってさらに地下の下水の大洋へと少年は導かれる。そこにはマンホールチルドレンのようにして暮らしていたのか。先の戦争犠牲者の少女の幽霊が竜宮城の乙姫としてムー帝国のマンダを従え君臨していた。少年は戦争犠牲者のような汚濁の姿に変えられてしまう。しかしそれは少年の下水の汚水に溺れた際の悪夢だった。無事少年は帰還。しかし下水道に繁殖したその不思議なトリップ作用を持つ下水亀は子供達に大流行。高度成長を虚言癖に。忘れ去られた戦争を隠された下水道に。なぞらえ高度成長を痛烈批判。