2016年9月30日金曜日

『ウルトラファイト』「怪獣残酷物語」

ゴミや水死体ばかり流れ着く、此の世の果ての幾つかの、その一つの吹き溜まりのような、岩場の打ち捨てられた入江、ここは宇宙の果てでも在るのか、二体共に宇宙怪獣で、繰り返される悲しき咆哮なのか霧笛なのか、ブラッドベリの名作さえ喚起させられたり、怪獣の実存の奥深さに思いを馳せさせられたり、突然の断末魔の叫びと、流れ着いたゴミなのか、朽ち果てた流木なのか、二つの墓標の瞬殺名ショットには、ウルトラファイト、その悲しき本質までも見せ付けられたようで、実際には聴こえもしない、後に残る海鳴りが、遠く無常感を盛り上げつつ、いつまでも脳内にリピートし続けている、その一大事な感じは、昼下がり、不意の12チャンネル、二時間の吹き替えパゾリーニ映画を一気に初見させられた時のような、凄い余韻。

2016年9月29日木曜日

『ウルトラファイト』「潮騒は俺の子守唄」

ここは子供達の夢の理想郷怪獣島。どこかとぼけた怪獣くん達が時に無邪気なケンカイタズラしながらも公害も受験も交通事故もなにひとつない。などというおめでたさを見事なまでに粉々にまで打ち砕く子供向け番組色微塵も皆無のヘビーな一編。音楽がハーフスピードダウンで流用されているのか異常。

2016年9月25日日曜日

『怪談新耳袋』「赤塗り」

真っ赤な付け爪の真っ黒な人間に主人公の女子学生が襲われる。 それも非常外階段付きのビルが舞台。 最早これは『怪奇大作戦』の「美女と花粉」のオマージュか後日譚かと。 そうとしか、この中年オタクには思えない。 思いたくない。 だって楽しいから。 主人公の友人の住む、このビル。 普通のマンションにしては1階のドアのロゴが会員制か何かのジムっぽいロゴに見える。 もしや、あのトルコ風呂を経営していた会社が大成長しての、その系列会社の、そのロゴだったりして。 だとすると、もうこれは叫びたい位、怖い。 オチなんか、だって、もう、あの作品が元ネタか、どうかは責任持たないが、あの作品を知っている、この身としては。 不気味な友人を前にしての、あの直後の主人公の変わり果てた姿を思うと。 犠牲者は爪がボロボロになり全身真っ黒になって呼吸困難で死に至る。 だから幽霊は点け爪だったのだ。 怖。

2016年9月24日土曜日

美女と花粉

怪奇大作戦の驚異の先見性の1つが、ここにも。まだ花粉症という呼称すら一般的でなかった時代。花粉の有する最凶のアレルギー反応が一瞬で人を死に至らしめる、などというトンデモ発想にまず感服。さらにそれは怪奇大作戦の裏テーマであるところの公害環境汚染問題つまりアレルギー物質の氾濫さえも、先駆的に暗示していて、ヤバい。ほぼ後半全部を使い動機と顛末が密室劇仕立てで語られるところなどは、もはや神話的ですらある。牧のSFテイスト、助さんのハードボイルドも、いいが本作のような複雑な事件の時は、やっぱり所長に現場御登場願いたい。その不条理でトンデモな空気感は所長にしか出せない。あの光る通り魔のラストカットでのシェイクスピア演劇のようなオーバーアクション。

2016年9月23日金曜日

青い血の女

助さんものは牧カラーに染まりがちな本シリーズ怪奇大作戦の中でも、その醸し出すハードボイルドさが堪らない魅力を放っている。そう筆者は得心している。特に本作はそれが濃厚で、主人公が犯人にされ容疑者として怪我を負ったり行動を監視されたりと、ハードボイルド探偵もの定番の手法が、さらりと採り入れられている。さらに助さんの捜査中、事件に巻き込まれ非業の死を遂げる女が描かれているが、彼女は単なる通りがかりの被害者ではない。助さんと好意を交わす程にはなっていないが、本来ならばそれなりの出逢いと別れが描かれる宿命の女ファムファタール。まさにハードボイルド定番の存在で、全編ほぼ夜のシーンに煌めく刃物も、ピストルで撃ち砕かれる人形も、フィルムノワールな、私的偏愛の、極上とまではいかないが、一作に違いない。蛇足かもだが。助さんの名誉のために言っとく。額の十字絆創膏姿は、チャイナタウンのジャックニコルソンばりに、かっこいい。

2016年9月19日月曜日

ゴジラ対メガロ

自分は本作が嫌いではない。主人公の兄弟には家族がいない。ジェットジャガーへの執着も尋常ではない。兄は、あのフランケンシュタイン博士めいている。訳あり孤独のマッドサイエンティスト。今風のオタクの感じもある。かなりの先取りだ。その創造物が世界を救う構図。第一作に通じるからだ。フランケンシュタイン対地底怪獣に通じるからだ。ゴジラ対ヘドラ。ゴジラ対メガロ。メカゴジラの逆襲。木枯らし紋次郎。挫折全共闘な。茫漠。荒涼たる70年代世界。

2016年9月18日日曜日

モスラ対ゴジラ

自分はどうしてもいや自分だけではないかもしれないが本作モスラ対ゴジラが何か腑に落ちない。理由を考えてみたい。キングコング対ゴジラは手放しでゴジラシリーズと切り離して観賞できるのになぜか本作モスラ対ゴジラはこれが一体モスラシリーズなのかゴジラシリーズなのか未だ判然としないでいる。そこに原因があるように思う。ゴジラの逆襲はゴジラシリーズ第二作ではない。そう思うことは自然にできる。二代目ゴジラの第一作だからだ。三大怪獣。これはキングギドラものだ。 誰も空の大怪獣ラドンの続編だとは思わない。 大戦争。これはX星人もの。新怪獣は出ない。南海。エビラもの。いや新世代交代スタッフデビュー作。まだまだ手探りの実験作。準備作。息子。ここでやっと二代目ゴジラシリーズ第二作となる。だけど対戦シリーズではない。本格的二作目はヘドラまで待つことに。総進撃。時代設定が違う。オール怪獣。これは完全に異色作。そして対ヘドラ。ここで二代目ゴジラシリーズ第三作となる。本格的対戦スタイルから言えばここでやっと第二作目。続くガイガン。メガロ。ここで一旦終了。モスラ対ゴジラはモスラシリーズ第二作。モスラ続編。ここらへんでそう自分はそう言い切らせてもらう。いや言い切らせてほしい。ズバリ。早すぎたのだ。モスラ対ゴジラは。ゴジラ対ヘドラのテイストが出せる70年代まで待てば良かったのだ。あのようなダークな作風でインファント島を描いて欲しかった。海岸の村人や子供を描いて欲しかった。悪者も若者たちみたいに描いて欲しかった。その末路も。70年代のゴジラがああなったんだったらさぞ70年代のモスラも。いやはや観てみたかった。

2016年9月16日金曜日

ウルトラマン

行ったこともない土地の会ったこともない他人と或る日突然自分が入れ替わってしまう。初代ウルトラマンがそうである。ただしハヤタの場合いきなり自分の前にM78星雲の光景が広がったわけではなくどうやら意識を失っていたようだ。最終回でそれがわかる。一方ウルトラマンはその日から地球の風景の中で生活することになるわけだがどうやら彼はすでに地球のこともハヤタの内面もすべてインプットしていて驚くこともなくまた周囲を驚かせることもなくハヤタを装い生活を始める。ってなことをちょっと考えたりするとちょっと楽しい。あとカフカの変身もちょっと曲解してみる。やはりちょっと楽しい。主人公ザムザは何処か遠くに出張していて或る朝目覚めたらそこは出張先のビジネスホテルなんかではなくなっていていつの間にか我が家の自室に戻っていた。ただし我が家の自室のゴキブリとして、、、、、、、ザムザのほうはご存知例の小説のようにその後のことは運ぶので置いといて。以前帰ってきたウルトラマンは心踊るヒーローものなんかではなく不条理で物悲しい変身譚だと書いたがこういうことだ。郷秀樹はウルトラマンの超身体を得て戸惑う。問題なのはと言うか想像するだにケッサクなのは出張先のザムザの身体に憑依してしまったゴキブリのほうだ。ゴキブリはザムザや郷秀樹のように悲嘆したり動揺したりするだろうか。もしかしたら奴らはそのとんでもない環境適応能力で淡々とそれまでの日常と同じように振る舞うのではないだろうか。大変なのは周囲のビジネスホテルスタッフとかでは。突然何やらその日からひとり客室から客が姿を消したと思ったら得体の知れない巨大な人影をしたゴキブリの気配に怯えその素早い動きの突然の出現に右往左往することになるのだから。こうなるとこれは立派なホラーである。でもこの顛末。初代ウルトラマンのドラマもよくよく考えれば同じなのでは。ビジネスホテルスタッフが科特隊なだけで。笑。

2016年9月9日金曜日

青い血の女

水子供養のための祠へと、納められるような、素朴すぎる、人形というより、ヒトガタと称する方が、似つかわしい、造形のアレ。独居老人宅のゴミ屋敷化問題や、老人施設内での殺人が、珍しくもなくなるような、そんな日常が、現実に訪れようと、誰が、予想しえたであろうか。その先見性が、ますます先鋭化する、怪奇大作戦。

2016年9月8日木曜日

虹の卵

開発都市への途上にある村。村の古老なのか、言い伝えを子供たちに聴かせる。子供たちは開発都市流入組の子供たちなのだろうか、村の自然が珍しいのか冒険しきりで遊びまわっている。土着の怪獣が現れ開発都市へ輸送中のウランが紛失する。子供たちの児戯のおかげかウランは無事発見、過程で村の古老とも子供たちの心は深く通う。開発都市は怪獣のため全壊、都市計画は頓挫するのか加速するのか。少なくとも、そんなことより、人と人の心が通い会うことのほうが、まず必要。そんなことを言っているように思うが、どうだろう。1960年代までは本作のように山間の開発がテーマのものがメインでダムやトンネルなど、ウルトラqやマンにはそんなのが多かった。あと怪奇大作戦の霧の童話とか。しかし1970年を境に開発対象は海側のほうへとリアルが移ったように思う。それを踏まえ、本作や霧の童話を脳内で海側に舞台し直して鑑賞してみる。そんな視点で私的問題作モスラ対ゴジラを、無難作ガメラ対ギャオスの収まりの良さと比較してみると面白い。当時1960 年代前半作キングコング対ゴジラも三大怪獣も大戦争も山間系なのだがモスゴジだけが海側系。そのせいなのか、モスゴジだけが際立ってエコ的文明批評要素が自分的にはブレブレに見えるのだ。以後しばらくゴジラシリーズは、このエコ要素を放棄。対ヘドラに至り復活したかに見えたが、やはりブレブレは続き、今に至る。ブレブレで良しとする今風派の人は、それでもよいだろうが、古い人間の自分にはどうしても引っ掛かる。怪獣には、特撮には、常に、エコ要素な環境問題とセットであって欲しい。その点、真の?怪獣ものとしての怪奇大作戦の素晴らしさよ。

2016年9月7日水曜日

日の果て

円谷特撮ファンにはこたえられない超豪華キャスト。電送人間、怪奇大作戦、ウルトラマンレオ。よってたかって地獄の黙示録じみた終末感に満ちた密室劇を展開してくれる。思弁にならずアクション寄りでライトな展開で上映時間も短く後味も爽やかだが背後の重い重いテーマがじわじわと押し寄せてくる。名作だと思う。1954年。独立プロ作品。

2016年9月5日月曜日

赤い殺意

超先取りのメガネ女子に萌える。何よりもうらぶれたストリップ小屋でのバンドシーンが最高。ドラム、ギター、ペット編成で ーこれは間違いなくフリージャズだ。編成といい、選曲といいー なんとギターは殿山氏。名作に相応しいスタッフ泣かせな ー特殊撮影も冴えているー 名シーンが満載。今村作品の奥ふかさと懐ひろさには驚愕。