2017年12月17日日曜日

怪獣使いと少年

川のこっち側は河原になってはいなくて護岸整備され工場がたちならびその奥が生活圏になっているかんじだ。さて川のむこう側だがどうやら河原は川の畔だけではなく更に更に奥までつづいているようにかんじられる。たぶんインドはバラナシのガンジス川の両岸のようになっているのだろう。たぶん川むこうとよばれる地帯は産業廃棄物の夢の島のようになっていて公害怪獣がでる位の噂は以前からたっていたのだろう夢の島のゴキネズラみたく。だから街の者は冒頭に物陰からみている女ホームレス以外は誰もちかよらなかったのだが北海道からながれながれてきた少年には事情がわからずついまよいこんでしまったのだろう。この辺の事情が隊長のかたりでさりげなく表現され更に隊長が托鉢姿で川むこうをパトロールしているところなど実にニクい。隊長がゴキネズラとかの公害怪獣に詳しい事がここで期せずいかされている。

2017年12月16日土曜日

幻の宇宙船

以下未見者要注意バリバリネタバレです。でつづけるが本作での死者達はまるでタイムトラベラーでありテレポートエスパーである。そこが興味ぶかい。ただタイムトラベラーテレポートエスパーだけどありがたくも何ともない。なぜならいつどの年齢の時にとばされるかわからないしいつどの居所にとばされるかわからないのだ。そうやって永遠に自分の自由にならないツギハギの人生をただよわさせれている存在それが本作での死者の定義だ。しかも本人達はみずからがしんでいる事がわからずいつの頃からか人生がツギハギなってしまったそんなかんじにしかおもえなくなってしまっていてそんな今の境遇に常に苦悩している。そんな彼等を生者からみたならばそりゃ神出鬼没だろうしそんな彼等をそりゃ幽霊だといってしまうのも無理ない事。

2017年12月10日日曜日

侵略する死者たち

本作は何処か怪奇大作戦のプロトタイプのよう。そこで怪奇大作戦式にしてみなおしてみたい。主題歌前のテーマジングルで主題歌にいかずいきなり海底護衛潜水艦シーンとする。グッとよくなる。ポインターが男をはねたすけおこしてへんなにおいがするというところまでがアバンタイトル。そのタイミングでサブタイトルからのテーマ音楽。バックでは医療センターでの死体のはこびこみや急なおきあがりのためのドタバタがつめたくつきはなしたようにえがかれる。手前味噌だが正に怪奇大作戦気分だとおもう。音楽がおわって本格的にドラマ開始。あのドンデンドンデンで死体が消えた病院にむかうポインター。きりかえしてのヘリコプター着陸。実にクール。終結もステーションのセブン捕獲カプセルがホークの光線によって解除されふたたびセブンが飛来するところで本編では勇壮な主題歌のインストになるがここを完全に怪奇大作戦とおなじ構成にして主題歌まるまるのエンドクレジットとしてしまう。すべておわったとみせかけ。基地にもどった隊員達のクダリからあのラストのダンの顔芸までを太陽にほえろとか科捜研の女のあのなごみシーンっぽくえがく。どうだろうか。でもやっぱりこんな事をかんがえればかんがえる程怪奇大作戦とおなじで一時間物だったらとの夢想がますますつのってしまうばかりなのだが。やめられない。

2017年12月2日土曜日

怪獣総進撃

この第一話は岸田森ふんする坂田健こそが主人公である。そして帰ってきたウルトラマンとは極論すれば本作一作につきる。事故によって足をうしないとうとう愛弟子の命までをもうしなわさせられた因果なカーレースという夢。夢の残骸の流星号にガソリンをかけみずからもやすシーンのなんとドラマチックなこと。本作はヒーロー物でも防衛隊物でもなんでもない。刑事をやめて探偵になった男が相棒をうしない探偵をやめる。片目をうしない現役をやめトレーナーになったボクサーが愛弟子をうしないボクシング界をさる。そんな話のレーサー版でありそれを徹底的なハードボイルド手法でえがききったらついにはsfみたいになってしまった。そんな前代未聞のすばらしすぎる男の物語。それくらい他をあっして鬼気せまる演技をしている主演岸田森なのだ。よみがえった郷をみるその目完全に幽霊をみる目。当初死者である郷の方の感情をよみとろうとしてどこか不条理な靄のかかったような作風におもえてしまっていたがそうではなかったのだ。坂田の感情をよみとればよかったのだ。本作の後日談となる第二話。こちらはハードボイルドから一転。でも主演はやはり岸田森。さっていく隊長と郷の車をいつまでもかなしげにみつめる演技は意味深だし。直後のアキだけをのこし次郎をだいてその場をさる演技の見事な事。ラストは星になった郷をアキがみあげている。郷の幽霊は映画ゴーストのようにしてまた寅さんのようにしておとずれそして永遠にさっていった。極上のファンタジーだ。

2017年11月28日火曜日

TOKYO!

一部三部はたのしめた。主題曲がすばらしくジャンルとしてはエレクトロニカとされているがベース音がきいていてストリートロックのインストってかんじで疾走するストリートムービーのしめくくりとしてなによりも本作をたかめてくれている。それにひきかえ二部はゴジラや怪奇大作戦24年目の復讐を引用しているが改悪以外の何物でもない。逆に如何に24年目の復讐が疾走するストリートムービーとしてすぐれているかがわかったのでありがたき感謝感謝ではあるのだが。

2017年11月26日日曜日

探偵はBARにいる

畜産科のやる気のない万年留年大学生のようにみえるが驚愕のヒーローパワーをかくしもっている。グリーンホーネットの加藤か。いつもねてばかりいるのは実は陰でトンデモなクローン研究をしているからだ。そうクローンなのだ。そんななにをかんがえていていつ敵にまわるかもしれないそんな野獣しすべし型ダークヒーローとあぶなっかしいまきこまれ体質の探偵。

2017年11月13日月曜日

呪いの壺

日光や空気にふれると周辺環境を一瞬に消滅させるのが本作のリュート物質ならゴジラの水にふれると周辺環境を一瞬に消滅させるのがオキシジェンデストロイヤー。よくにた超危険物質。その発動後の荒涼たる終末風景。いや暗黒宇宙の原初の風景か。その無常をもうちくだくような究極のニヒリズムは想像するだにおそろしい。ブルーススプリングスティーンのパンクどころではない暗黒のロックンロールやjgバラードの小説とおなじように円谷はウルトラマンのようなヒーロー物でさえもこんなダークサイドスピリットを黒々と内包している所がこわい。

2017年11月12日日曜日

散歩する首

このテンポはあるのだがゴチャゴチャしたかんじはドキュメンタリータッチともリアルともまたちょっとちがうあえていうならば実録は実録でも仁義なき戦いタッチ。ということでしらべてみると本作の小林監督もある意味深作監督と同根の東映ノワールの名手だったらしい。一歩まちがえばハチャメチャギャグに。でも本作のようなダメダメフランケンシュタイン博士物だとこういうタッチで結果よかったのでは。ジャガーの眼は赤いが陰気なダークヒーローなら本作の犯人はまたあいすべきズッコケマッドサイエンティストというところか。黒薔薇昇天な牧の片鱗もちょっとすけてみえかわいい。おそすぎた50年代感というよりはやすぎた70年代感。

2017年11月10日金曜日

点と線・1958年/東映

⼀般的イメージからの社会派ミステリーでも鉄道トリックな推理ゲームでもない。そこが実に筆者のこのみにあっていてやはりこの監督にこの主演である。⾳楽もジャジーでハードボイルドの⽅へと⼼地よくバイアスがかかっている。予想外によかったのが⾼峰三枝⼦のファムファタール感で。その境遇から時刻表オタクなモンスターとなり犯⾏の計画⽴案者に⼼ならずされてしまう悲哀。阿佐ヶ⾕の邸宅でのクライマックスは洋館ゴシックなシェイクスピア悲劇にもにてすばらしい⼼理的緊張感。⼼中にみせかけた犯⼈が⼼中にたおれる。⽪⾁だ。因果な怪談っぽくもある。

2017年11月9日木曜日

怪奇大作戦 ジャガーの眼は赤い

上記のようにかくとスピンオフ気味な劇場用映画版にもみえる。2時間ちかいけだるい作風でみてみたい。本作は仮想現実がテーマというよりその耽溺者の悲劇といった方がよい。霧の童話の犯人もそう。霧の童話は霧つまりガスの中に幻覚成分が混入され霧そのものがスクリーンにもなって被験者をバーチャルにつつみこみ幻惑するというもの。ただの幻惑ならよいがどうやら犯人側の動機には絶望が色こく破滅は必然であり結末で事件の村は全滅するが何か村そのものが例のガスに元々芯まで汚染されてしまっていて村人自身が鬱でみずからダムの栓的なものをあけてしまったかのよう。で本作だがシナリオ少々ハタンはいなめないが演出はするどく廃園つき洋館ずまいなんて。家系の没落さがきわだっててどこかこの二作はつうじているよう。ヤツハカ村やパノラマ島をモダンにしたっぽい。特に本作はコロンボ古畑マナーの魅力的な。犯人を主人公とする倒叙誘拐町田刑部物。更にイケメンダークヒーロー物としてもとてもすてがたい。義手のウルトラセブンはクールどころかもはや寒々しく正にダーク。また本作や霧の童話のような子供ずきの正統派ヒーロー三沢活躍回はダークヒーローな牧がコメディリリーフにまわっててお茶目だ。一人前キドリの野村はといえばトータス号でさおりと子供じみたデートで背のび。くれぐれも人身事故に注意してほしい。って果てしなき暴走の伏線になってるってか。

2017年11月8日水曜日

点と線/1958年・東映

まだAmazonとYouTubeで予告編をみただけだがマイティジャックファンならみておかなくては。音楽もジャジーだし。主演も主演だし。監督も監督だし。科捜研なはじまり方だし。鉄道ミステリーだし。

2017年11月7日火曜日

エイリアン3

sf映画エイリアンが新鮮だったのは宇宙開発といえば現場作業も当事者である科学者がになうというそれまでのどちらかというとセレブで小綺麗だったイメージを宇宙といえどもそこはあくまで辺境。危険地帯という事にかわりなく鉱山労働者のようなアラクレ達の物語とした方がリアルとした点。現場は薄よごれたダークな物となりノムギトウゲな女性と使い捨てaiばかりで上層はブラック企業めく。そこでエイリアンシリーズ。4は更にだが吉原の苦界かそんな現場での女の孤軍奮闘をえがいているという点では風と共に去りぬからの伝統鉄板の細腕銃後メロドラマな女性映画といえばいえる。それはそれでよいのだが作をかさねる毎に第一作にあった異界感が希薄となりただ過酷な現場現場だけしてくるのは如何な物か。筆者はエイリアンシリーズに暗黒宇宙の影の惑星の驚異と脅威をえがける新時代のクトゥルー物の可能性をみているのだが今ひとつになってしまっている。

2017年10月31日火曜日

光る通り魔

本作よくみると燐光人間。実はセミやカゲロウのようにはかない存在で大半の生命力を阿蘇の火口から東京への移動でほぼほぼつかいはたしていたのでは。というような描写が散見される。単なる光学合成と模型と効果音でえがかれるキャラクターなのだが実に計算されつくした性格づけ特撮演技設計だ。当初は事故とみせかける知能すらあったのにその出没と退散が次第に徘徊めいてくる。最期は花嫁と人形の区別すらつかずすがりつくようにしてはてる。ここには液体人間やゾンビにみられる残存意識だけが行動原理の人間のナレノハテとしてのモンスターがもつ傷ついた動物や怪獣につらなるあわれさが凝縮されておりそのヒューマニズムをこえてアンチヒューマニズムめく宇宙生命愛はモンスターキャラクターをこわいだけむなしいだけの無常や空虚におわらせず文字どおり作品をなけるホラーにまでおしあげている。これは漆黒の怪奇大作戦後半にはない薄明の魅力で。かすかなすくいでもある。実験装置の中でかわいげにちょろちょろする鉱物生命体の表現がここでいきてくる。こんなあじわいは筆者偏愛の吸血地獄と双璧で当初は周作の薬物依存をたしなめていたはずのあの健気なニーナが次第に吸血マシーンとかしていくあわれさ。あれもあの高度に計算されつくした特殊メイクと光学合成の実に見事なモンスター設計があってはじめて成立したといえる。

2017年10月19日木曜日

荒鷲の要塞

要塞化された山間の古城への侵入と脱出の大作戦。スパイがらみのせいでのっけから計画はつつぬけ。あっという間に実行部隊はたった二人に。麓の温泉地が平時とはうってかわって大スペクタクルの舞台とかすところは巨大な密室といったかんじで筆者一人勝手にもりあがる。それが存分にいかされているのがロープウェイでのこれでもかといわんばかりの特殊効果むきだしの異常な高所感バリバリのアクションシーン。ナバロンの要塞の要塞は絶海の孤島の断崖でみるからにアクション映画映画していたが本作の要塞は本来なら怪奇映画のそれのようなドラキュラ城めいた立地でおかげでいりくんだ二重スパイばなしが俄然いきてきてなにやら映画全体が戦時怪談のようにさえかんじられてくる。ラストの米軍イーストウッドのセリフ。次の作戦はイギリス人だけでやってくれがダークにわらえる。テレ東の午後ローでやるふるい作品はよいのがおおい。たぶんわかいスタッフのチョイスにもかなう時をこえた底力で潜在していた作品ばかりだからだろう。定番の名作からちょっとはずれた作品の再見再評価ができてこれはこれで筆者的には非常にうれしいのだ。

2017年10月13日金曜日

海の虹に超獣が踊る

虹の貝殻を集めると、海で死んだ父親が帰って来る。薄ら寒い怪談の様でもある。そんな幻想に逃げ込んで、少年は現実を見ようとしない。しかし少年は乗り越える。それは命を賭ける程の危機だった。父親は円谷英二の事だと思う。過去の遺産や先人の偉業に、逃げてばかりでは駄目だ。そんな新生円谷プロに向けての、切実な気概を感じてしまった。aの本作。人間ドラマとすれば、海洋奇談めいた、異形な感じさえするが、ジュブナイル少年ドラマとして、素直に見直すとqの鳥を見たのような、どこか懐かしい深い味わいがある。

2017年9月30日土曜日

メカゴジラの逆襲

ゴジラをくわんばかりの、平田昭彦の狂気の名演という点で、その見ごたえはゴジラ第一作にせまる。しかし本作、昭和ゴジラシリーズ最終作というより、怪獣の身体をもたされてしまった、人間電子頭脳とでもよぼうか、女サイボーグその悲恋物語で、子供むけとは到底おもえない、きわめておもくにがい後味は、変身人間シリーズ、その番外編か最終作とでもしたい位だ。強大な破壊力をゆうしてしまい、それを行使してみずからが、その代償をしはらえればよいが、しはらえなく、いきのこってしまった場合の、人間いやもはや怪物の、想像をぜっする苦悩は、原爆爆撃機の乗員や、某新興宗教教祖の例、その後を、かんがえてもらえばよい。余談だが、人間電子頭脳という事で、ナサの計算手の女性をえがいた、ドリームという映画がある。参考になるだろう。

2017年9月29日金曜日

吸血地獄

48時間ごとの殺人をくりかえしながら、はてへはてへとおいつめられていく、わかい二人。死体の遺棄現場にわざわざ、金竜地獄などを、えらんでいるところなどをみると、それがたとえ、まがい物の、仏像テーマパークだとしても、なんらかの宗教性をえたいが為の、あがきにみえる。にくくてころしたのではない、被害者にたいする彼等なりの、せめてものなとむらいの気もちが、いじらしい。やがて青年みずからの血を、あたえる羽目にまで、状況は悪化の一途をたどる。しかしそれさえ束の間。青年は薬物中毒者であり、その錯乱の度あいをます精神、更にはクスリづけの身体。彼女に血をあたえつづけるにしても、絶望的な限界としての、ゴールは目にみえている。そして遂には対岸の島を、しに場所としてえらび、旅だつ。ここからの件は実に荘厳で、まるでインドでの、河岸をめぐる聖地巡礼のようだ。島は、とっくに彼岸にあって、おわりなき地獄めぐりの日々の、二人がやっとたどりつけた、荒涼としたターミナルとしての、ガンジス対岸、その地なのか。よこたわる二人をあらう波音と、バロックな音楽の、アンサンブルは、いかにもゴシック的で、崇高。本作にはポストモダンな宗教の救済が、しめされているようだ、オウム的なそれと対極な。

2017年9月27日水曜日

侵略者インベーダーは隣りにいる

侵略の武器は、プラスチック爆弾ならぬ金属爆弾。マンション上空をただよう重金属ufoも、めちゃめちゃシュールだ。隣室の住人が殺害憑依され、自由に自室にでいりされる恐怖。近未来タワーマンションでの、しらぬ間の、侵略者によるライフラインテロ。最上階ならではのセレブな孤立のこわさが、よくでている。主人公達による決死の救出劇。爆発炎上阿鼻叫喚の最中、等身大のミラーマンが、いきなり廊下にあらわれる。変身道具は瓦礫の中のコンパクト。天井裏の光ケーブルでも移動したのか、目の前に突然、とびおりてきて、女インベーダーをおそう。そのすさんでて、ホラーなかんじは、正に変身人間。崩落の中から巨大な姿をあらわすのも、どこか雪山の悪夢のようで、正にダークヒーロー。オープニングもミステリアスだし、ラストが国際空港なのもよい。セキュリティなど、高度な都市論を内包している。ミラーマン第二話。ライフラインがテーマで、金属感鉱物感で全編をおおう、その作風が何処か、あの変身人間シリーズをおもわせ、それら要素その物が、作品世界その物にすらなっている。小道具やセットの、雄弁な事、雄弁な事。マテリアルかつインダストリアル。もはやポストモダン芸術の域。都会的をこえ都市的。ここに、もうひとつの幻視された、1980年代近未来東京がある。変身人間シリーズの更なる昇華である。

2017年9月20日水曜日

市民ケーン

少年は宇宙金属鉱床といっしょに、かいとられた。母星からおさなくしてひきはなされ、地球でマルチメディア王になった、孤独な異星人の生と死の物語。史上最高の洋画作品かどうかは、うたがわしいが、個人的な史上最高のsf洋画作品には、まちがいない。新聞記者なので裏スーパーマンな悲劇のダークヒーローだし、エイリアンとかの、鉱物運搬宇宙貨物船の、イメージもここからだし。

2017年9月17日日曜日

死体置場モルグの殺人者

淡々と数日間を即物的に心理や幻想をまじえる事なく直線的にえがいていく。そうする事で実質的な本作のメインである死体保存室なるモンスター空間が怪物的に屹立する。形をかえたドラキュラ城である。ゾンビ達は人肉こそくらいはしないがひとしきり活動して棺桶のような死体槽にかえり羊水のようなホルマリンの中で休息する。デロリンマンならぬホルマリンマンだ。何処までふかいのかこの死体槽。錘をつけて底ふかくしずめられている死体は数も歴史も膨大で秘伝のタレのようになってしまっているのでは。それとも時空をこえる冥界との出入口なのか。暗黒宇宙暗黒物質電送装置なのか。死体保存室。それはある意味白い巨塔な大学病院体制を揶揄しているのか。それともウルトラセブン侵略する死者たちの前日談でホルマリン星人の秘密前線基地なのか。怪奇大作戦の初期といいこの恐怖劇場アンバランスの初期といい全部エイリアンなどのハリウッドモダンホラーに総パクられっぱなしだけど実に冒険的偉業だった。本作の途中唐突に登場する坂野なる人物。アッシュかよな最高のブキミアンドロイドキャラ。以上タイトルもモルグ街の殺人にひっかけてたりもするので上記のような筆者のバカ批評もあながち的はずれではないと自己弁護しつつ筆をおく。

2017年9月15日金曜日

歩く死体

ネット上には有料無料あふれる動画がある。その昔はウルトラマンのジラースならジラースがその一週間の間中自分はおろか学級の大半の男子の脳内をしめたしエクソシストやドラゴン危機一髪が一年中脳内にいすわりつづけた。本作のような初期の世にも奇妙な物語の名作も翌日の女子高では話題になっただろう。それほど一作一作のもつ効力がおおきかった。しかし今やその効力は一瞬の物となり誰もが生活のほとんどをささげコレクションのパーフェクトをなしとげたマニアのような倦怠をせおってしまっている。たしかに映画とかドラマとかといいつづけてればそうだろう。けれど動画なるもの。それは映画だろうか。ドラマだろうか。動画は動画。まったくあたらしい何かではないだろうか。はなっから倦怠を退屈さをうめこまれているモンスター。それが動画ではないだろうか。映像による都市伝説とでもいう。自分はそのあいすべきちいさなモンスターを日用映画とよんでいる。本ブログは批評ではない。動画における倦怠や退屈さと対峙しながらあの頃の真にモンスターだった映画やドラマの幻をおおうという無謀なその記録だ。で本題。雪山のセット。なぜこうも効果的なのだろう。ロケではこうはいかない。女の死体をひきずる男の不気味さ。でオマケ。こんな都市伝説がある。みずから殺した弟子の女の死体を人形とおもいこみもしくは人形の中にかくし共に旅をしている腹話術師がいていつのころからか人形にころされるという強迫観念にさいなまれるようになったというもの。第三者の目にはあきらかな腹話術師の狂気だが本人にはそれがわからない。

2017年9月5日火曜日

黒い家

黒い家だけが異常なのではなく、どうやら映画全体の舞台となる、地域全体が異常なようだ。所轄警察はパトカーを使用せず、ヘリや無線だけで、行動しているようにみえる。もしかしたらヘリも、無人遠隔操縦なのかも。ぐるりと地域をとりかこんでいるのは、コンビナートやガスタンクばかりだ。この地域は隔離された、工業廃棄汚染物質に汚染された、高度汚染地帯なのかも。すむ住人達も、コンビナートのむこうの、正常な地域からすてられてきた、ハイジンばかりなのでは。それを保険会社としょうする、当局がデータベースで、管理しているのかも。さらにもっといえば、ハイジン同士で、当局によって、コンビナートのむこうから、保険金殺人ゲームを、えんじさせられているのでは。しかも不動のはずの、データベースを、当局に作為され放題で。その当局とグルなのか、本社、なる存在、すごく不気味だ。森田芳光監督。1999年。

2017年8月30日水曜日

大魔神逆襲

人類の神話的苦難を思わせる冒頭の魔神に寄る火の七日間シーンが効果的。本作は過酷な絶滅後世界。楢山節考をベースにした四聖人少年達の死から再生への神話である。山岳風景と緩やかな流れの演出が崇高でさえある。僅かなシーンだが捨てられた婆様の甦りのような北林谷栄が神々しい。女子供ばかりの大半が死に絶えたような小さな小さな限界村。男達は地獄谷で強制労働させられている。本作最早近親相姦に寄る繁殖さえ寄せ付けないとでも言わんばかりに前二作と打って変わって女優不在。ここまで来ると逆に清々しい。男達の地獄谷での強制労働は火器の為の硫黄採掘だとされているが核兵器の為のウラン採掘に見ようと思えば見えさえする。そんな地獄のような景色の荒涼とした地獄谷。ハンセン病患者の働くタタラ場か。やる方もやらせる方も生身だ。汚染による登場人物全員死亡めいた救いの無さが全編に漂う。巨大な排気塔が原子炉のように不吉に聳え立っている。それを尽くゼロに帰すかのように魔神が踏み潰して行く。ラスト。杉坊の神様の連呼が切実。この杉坊が一寸自閉症っぽくてそこが又聖性を感じさせる。

2017年8月28日月曜日

眠狂四郎無頼剣

眠狂四郎はタイムトラベラーだった。円月殺法とはなにか。剣は時計の針をあらわしている。その逆回転をみせられた相手は、一分間が一時間にもかんじられ、まちきれずきりかかってしまう。しかしその距離は1メートルが1キロに、体力の消耗も一時間分、なのできりかかったその時すでに、相手はほぼ力つきている。

2017年7月13日木曜日

蘇る地底の怪神

邦題にまどわされてはならない。原題も一寸ちがうとおもう。エナジーイーターというより、オーバーチャージャー。リメイクするとおもしろいかも。謎の携帯バッテリー集団異常発火。ペースメーカー患者連続人体発火。サスペンスもりあがるとおもう。正体はインディアンにつたわる、不定形エネルギー体マッチモニード。巨大液体窒素装置での凍結作戦。コルチャックが液体窒素に、ふれまくっても無事な所とか、怪物の姿がただの巨大な目の絵とか、昭和な特撮のゆるたのしいかんじは、わかる人でなくては一寸キツイかも。地階で比重のおもい窒素なのだから、この階より下の階へはいかない。凍傷より酸欠で即死なはず。マッチモニードがすいこんだか。当時の特撮って音楽や音響が、最高にいかしていたと再確認。ICカードやICチップや電気自動車。バッテリーがいたる所に遍在する現在。過充電爆発ってほぼ都市伝説なのは、わかってはいるのだけれども、誰もがどこかついついかんじてしまう、あの潜在的恐怖を見事についている。

2017年7月12日水曜日

許されざるいのち

本作は怪獣物ではない、主人公は怪物は郷の幼なじみ水野の方だ、郷も怪物だ。ここがふかい。つまりポーのアッシャー家の崩壊その翻案でホラー物。動物と植物のハーフ、男と女のニューハーフ、郷と水野の同性愛、そんな連想。三角関係で複雑な微妙で見事な演技の岸田森、そんな所の方が見所なのだ。美女と花粉がさおりと伸子のどこかレズっぽさだとすると本作は郷と水野の正に、はやすぎたボーイズラブ物。二人の少年時代の子役のイケメンぶりをみよ、水野にとってレオゴンは子供というより恋人だった、郷との再会の時をみよ。両者異常なよろこび方だし、すぐ独身がどうのこうのとかって展開になるし。とどめはボーイズラブGSの最終兵器PYGの花太陽雨。シンジとカオルの芦ノ湖。

2017年7月2日日曜日

マイノリティ・リポート

このまま生体認証技術がすすむと、生体情報をぬすむ意味がます。生体情報を血液とたとえると、情報をぬすみ悪用する輩、そう吸血鬼が真実味をおびてくる。それもあたらしい吸血鬼だ。首筋にそっと牙をあてる。被害者の首筋にはアイシーチップが。吸血鬼の牙は高度なよみとり機で、接触非接触でよみとってしまう。病歴から遺伝子情報まですべて、アイシーチップにおさめられ、犯罪者は過去の犯行どころか、未来の犯行も予測されかねない。本作は最新麻薬がらみで、血液的な物を暗示している。もう一度ニュータイプの、吸血鬼映画として観かえしてみたい。バチカンには今後の災厄と犯罪が、すべてインプットされている。その予言データを盗み変更する、それこそが犯罪者達テロリスト達の、存在理由とさえいえるようなった。まさに情報とは清浄な血液で、それをかきかえる悪魔の行為とは、まさに吸血鬼による吸血行為、その物といえはしまいか。かきかえようとするものと、かきかえさせまいとするもの、その息づまる攻防のドラマ。犯罪予知物なるあらたなジャンル。でもこれって科学捜査物と紙一重。怪奇大作戦やエックスファイルが、背後にふかく吸血鬼物の闇を常に、かかえてきたのはむべなるかなで、いかに先進的だったかがわかる。余談だがそんな風にして、ゴッドファーザーシリーズを、ギャング一家ではなく吸血鬼一家の、それとして観かえすと、いかにも難解だったパート3が、邪道なまわり道だが少し理解しやすく、かんじられるかも。

2017年6月9日金曜日

24年目の復讐

特に後半の猿島での一連と所内での一寸ながめの戦争談義からやはり本作はまぎれもなく終戦にかぶせた御盆の怪談そのものなのではとおもうようになった。島で再会する千恵子がどうもあの千恵子であって千恵子でないような気がしてきたのだ。どこか亡霊か巫女めいてさえいるようにおもう。手わたされた柿はまるで霊性がそなわっているかのように牧は一気に戦争の幻覚へとひきこまれていく。そしてそのままみちびかれるように水棲人間の住居へだっていきつく。そしてなによりもモーターボートはためこむだけためこんだダイナマイトをのせてつっこむかとおもわせ自爆炎上する。多分水棲人間は一大決戦の時の為にとその潜水能力を酷使し色々な所から武器弾薬をぬすみあつめていたのだろう。それなのにだ。何かにみちびかれているようにしかおもえない。そのはかない花火のような火柱だって今ふたたびの真珠湾攻撃や神風特攻というよりなにか鎮魂の為のあの川へとながされる灯籠ながしその物のようにさえおもえる。そして所内での牧の謎かけとあのオチである。どうだろう。怪談してはいやしないだろうか。

2017年6月7日水曜日

バラージの青い石

バラージはこれで神を祀る必要がなくなりチャータムは神性と超能力から解放されもしかすると苦界に身を沈める遊女のようにどこかの王の下にでも嫁ぐのだろう。このまま老人達に交じりありふれた宿場の女として老いてゆくとは思えない。今いる老人達と共に静かに滅んでゆくバラージの姿を遠くから見守るようなどこまでも哀しい宿命の女の姿の方が似合っている。やがてこの紛争地帯も未消化の鉄屑が砂に混じるアントラーの巣だけが主を失い寂しげに点々とするばかりの兵どもが夢の跡の古戦場めいてゆくのだろう。

2017年6月3日土曜日

ダン対セブンの決闘

ウルトラファイトのもつあの白昼夢のような世界が巨大なスケールでえがかれる。全編とおしてまるで江戸川乱歩のあのパノラマ島での出来事のようだ。タイアップのせいか夏やすみの家族旅行で一人およぎつかれてめざめたら誰もいないホテルの一室。そんななんとも表現しがたい不思議な感覚に丸一日おちこんでしまう蜃気楼な本作。

2017年5月31日水曜日

マックス号応答せよ

巨大原子力船に巨大スパナその他ホーク発進にポインター大活躍sfガジェットが満載テンコモリの本作。昭和の駄菓子屋の店先やスクラップ工場裏の楽しさが見事に蘇る今こそ観るべき感イッパイのパンクなスチームパンク作品としてゼッサン再評価中。

2017年5月30日火曜日

妖怪大戦争(1968年の映画)

上から目線してて恐縮だが脚本がよくできている一粒で二度おいしい。まず敵側だがのりうつった一人目の代官がたおされそこでおわらず二代目代官が赴任してきてふたたび彼にのりうつることで人間体のイメージがうわのせされ敵キャラのあつみがさらにました。初代が目をつぶされやられ二代目がアイパッチをしている、これなどゾンビ的不気味さがましてよいし吸血鬼が一族に末代までたたる感もありスケールもましてよい。次に味方側だが最初は少数精鋭の戦隊物っぽかったが途中から正義の日本側妖怪達はなにやら菌のような気のような群体エネルギー体というくらいに日本全国からあつまってきてその元気玉な体でもって西洋型君臨独裁者タイプの妖怪を最終的にたおす。これもまた地球細菌が火星人をたおす的でエコsfチックに気がきいていてよい。一時間ちょっとのコンパクトさなのに大河ドラマの気配すらあるツボをえた気のきいた脚本を特撮アンド本編演出が見事に再現、キャストもキグルミ生身ふくめ見事な演技、チームワークのどこまでもよいかんじが心地よい。そんな本作の自然体さなのか本作、ハタンやキワダチをこのむ評論家筋よりごくごく一般の映画ファンからの支持の方がたかいことに納得。妖怪をとおしてのその江戸ヒケシのような心意気は必殺シリーズに代表される庶民派集団時代劇を今一度かんがえるのに最適な一作。

2017年5月29日月曜日

吸血地獄

本作やクモ男爵そして侵略する死者たちになぜこうもひかれるのか。こうかんがえてみた。これらが無声映画時代のモノクロ作品だとしたら。たしかに非常に、につかわしい。クモ男爵などもろにそのものずばりだ。のこる本作と侵略する死者たちもその現代のテレビドラマ作品としてみたばあいのマイナスともなりうるいくつかのシーン。たとえば本作の吸血鬼メイク。無声映画時代のモノクロ作品だとしたらそのグランギニョールなかんじはプラスにこそなれけっしてマイナスではない。異様に、くらいホテルの屋内撮影も遊園地のオバケ屋敷とかんがえればやはりグランギニョール的にプラスしている。侵略する死者たちのコップ内のウルトラセブンもクライマックスの、これもやはり異様に、くらい宇宙空間での戦闘シーンもことごとく現代のテレビドラマ作品としての異常な過剰さがすべて無声映画時代のモノクロ作品だとプラスポイントとしかいえなくなってしまう。qのそのたずさわったすべての作品が例外なく傑作である円谷一。いかにウルトラqのそのグランギニョールな無声映画時代のモノクロ作品的というフォーマットがふさわしいものだったかがわかろうというもの。

2017年5月26日金曜日

蒸発都市

逃避願望ひいては人間蒸発。オウムのように若者を惹き付ける宗教団体施設とか暴走集団アジト。そんな一寸うすよごれたイメージさえ浮かぶ蒸発都市。ひんやりとしたビルの谷間ひびき渡る声とともに蒸発したダンの面影を追うアンヌその足先に当たるダンの持ち主を失ったレーザー銃。このシーンが抜群に好きだ。qのガラダマのラストのようなひややかさ。本作はダンの蒸発というワードもテーマだ。ダンとアンヌの深いほりさげがさすが。けっきょく暴走族のイメージってイージーライダーな逃避の都会版だと思う。1950年代アメリカのホットロッドとの直接的な繋がりは薄いように思う。つまり生粋の都市文化ではなく。というより郊外型表層文化その都市流入の先駆けといった側面のほうが大きいような気がする。逆にいえば暴走族映画たとえば狂い咲きサンダーロードなどは郊外に架空の都市が存在したという設定なので郊外に蒸発した都市が突如として出現するという本作とは実によく似た構造の作品だったのではないかと思う。場違いに郊外に出現したビル街や破壊神ウルトラセブンが放つその薄っぺらな嘘臭さは昨今のショッピングモールやテーマパークが放つ中華ポストモダン臭それのように感じられる。そういえばきれいさっぱり車の消えた大通りセブンとダンカン巨体どうし猛スピードで追いかけっこその都市の疾走感まさに我が物顔の族と白バイ。アンヌとフルハシのコーラの件もなんかハスッパでそれっぽい気分だし。彫刻化した警察官の眼が監視カメラなんてのも妙に印象に残る。そんなふうにして本作qのクモ男爵やマンの恐怖のルート87そして占い霊媒繋がりなファミリープロットや黒い罠を彷彿。サイコビリーでサイバーパンクなアメリカ南部ゴシック調の郊外型ロードサイド系フィルムノワールとしてみなおすと新しい発見に満ち満ちていて飽きのこない逸品に筆者感じられて嬉しい。アンヌとフツハシが迷い込むビル街はなんかサイコのベイツモーテルにも通じるホラー調で敵の潜むコントロールルームには離れの母屋みたいな不気味ささえある。この一寸ジャンクなフィルムノワールな味わいはどうしてもアートしちゃうヌーヴェルヴァーグな実相寺昭雄演出にはない円谷一演出の独壇場で真骨頂。キリヤマ隊長の明日を捜せでも見せた暗黒街物っぽいニヒルキャラ。フルハシ隊員のドライアンドクールな敵秘密部屋潜入破壊工作。タケナカ参謀と霊媒師ユタ花村のホテルでの密会めいたアダルトな会見。側近の老婆がいい味で掛かってる音楽のダビーでサイケなことサイケなこと。この疾走するモンドな断片寄せ集め感はやはりウルトラセブンというよりウルトラマン。みどころ多し。ききどころ多し。つっこみどころのダンの行方とビル街の放置も以上のような見方だと逆に効果をあげているのでは。

2017年5月24日水曜日

妖星ゴラス

主人公役の久保明はハヤタ隊員役の候補だった。ゴラスへ宇宙船で接近を試みるも衝撃により記憶喪失に陥る。このシーン。まんまウルトラマン誕生である。ウルトラマンのように衝突こそしなかったが赤い球体とゴラスのビジュアルがそっくりだった。また記憶喪失という点においてもよく似ておりハヤタも実は最終回に至るまで記憶喪失という設定になっていた。そう考えるとハヤタの衝突は規模こそ小さいがやはり前代未聞さという点においてはそれがウルトラマン誕生の瞬間であることそれにかわりはなくゴラス最接近と同等の特撮史に輝く超大イベントだったということを本作の久保明は見事に立証しているのではないだろうか。そんなこんなでビートルの登場といううわべだけでなく本作も世界大戦争フランケンシュタイン対地底怪獣と並びウルトラマンいや特撮ヒーローの有する深い本質を語る上では決して避けては通れない。ウルトラマン最終回でのハヤタの記憶喪失に関してはネット上でも物議を醸しているが彗星衝突程のレベルでの誕生契機は他のウルトラヒーローには見られない。怪獣被害レベルがほとんどだ。そこに特殊性が凝縮されている。何億年かわからないがウルトラマンの赤い球体はブラックホールレベルの物で彗星とかというより小宇宙別世界その塊それとの遭遇と捉える。その遭遇レベルはクトゥルーレベルの神話性を有しているはず。だから精神とか肉体とかどうとかの二元論近代思考そのものからしてウルトラマンでは無効なのでは。鍵はやっぱり本作にありここから議論は始められなければならないのでは。

2017年5月16日火曜日

子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎

もはや乳母車がハイスピードのアクションツールと化している。子連れライダーのスノーバイクは仮面ライダーのサイクロン号を越えている。大五郎が乳母車と一体化し電子頭脳となり自力走行自力攻撃すらする。前後左右上下に可動式装甲と飛び出しナイフを配しトゲトゲの装甲車仕様に変形した姿は無敵。もしかしたら核にも耐えうるのでは。装甲車内でレバー操作している大五郎はアムロかシンジか。敵も敵で山奥のオンミョージ軍団はソクシンジョーブツ地底ゾンビ怪人を甦らせる。その戦法も父子にからむすべての人をことごとく惨殺し恐怖感に苛ませ発狂させるというヒョーローホラー責め。以上デマカセを羅列しているような書きっぷりになっているようにみえるがすべて事実である。しかしこんなのはあまい。なんといってもこれだけはやってはいけないのではないだろうかと絶望的になる所業。それは音楽だ。デヴィッドボウイの1984年とムソルグスキーの禿山の一夜を合体させてしまっている。嗚呼。こうして見直して見るとケナしているような書きっぷりだが最大の賛辞である。

2017年5月12日金曜日

市民ケーン

コンテンツ享受って昔はテレビと本の時間がメインで。せめぎあっててわかりやすかったけど。今はスマホにパソコンにタブレット。スマホっていってもユーチューブやらゲームやら。ユーチューブひとつとってもコミュニケーションメインでネタテキに楽しみたいって人やエロいのもふくめてトニカク観まくりたいって人いてソレゾレ。テレビと本まぁ雑誌ね。それがメインだった牧歌的な時代。フォークが流行れば歌本とギター買って。エアチェックが流行ればコンポねだってfm雑誌買って。バラエティ番組と雑誌の時代。イカテン流行ったら。ベース買って。雑誌にメン募だして。ぴあシティロードでライブハウス知って。デモテープ持ち込んで。トニカクそれでもいつでもテレビと本が中心にあった。その間にゲーム機やウォークマンの時間が食い込んできたに過ぎなかった。それが今は。だからミンナ最終的にはテレビに出れて雑誌に載れればをメザシテカツドウしてた。テレビと雑誌は売れたので。出れて載れればシューニューにツナガッタ。テレビと雑誌に変わるモノをアラタにつくろうとするのか。それともオルタナティブに流行っては消えたゲーム機やらウォークマンを模索するのか。ネタテキにウチワでモリアガッテ楽しみたい。それのサイタルものが90年代dj文化。ゴーインに売れるグッズをカレラはソーゾーした。12インチシングルやスニーカーだ。テレビと雑誌はケッキョク映画界とスキャンダル。つまりハリウッドバビロンなヤバいムードをタノシムモノで。ヤバさが常にバックボーンにあってこそ。ヤバさに金を出す。オモイデの定着が主なモクテキで。オミヤゲとして買う地方の民芸品とは似て非なる。なのだ。12インチシングルやミックステープに商品価値が出せたのもハリウッドバビロン的なヤバさをウマク演出できたからなのではないだろうか。純粋にモノやブツではなくコンテンツそのものに金が出せるか。ソーイッタコトをデジタルコンテンツは今ワレワレヒトリヒトリに問うているのではないだろうか。すべてのヒトビトが創造者として。すべてのコンテンツを素材として。真のdjが全財産を投げ売ってでも超貴重音源を手にしようとするようなドコマデモ純粋なキモチ。市民ケーンの薔薇の蕾。もしかしたら流行っては消えゆくオルタナティブでマニアックなゲーム機やウォークマンや12インチシングルやスニーカーが多すぎるのではなく。まだまだ全然スクナスギルのではないのではないだろうか。誰もが欲しがるコンテンツをナンコも作る時代も一つ作って値を吊り上げる時代もオワッタ。この世にたった一つしか欲しくなるようなコンテンツがないニンゲンにすら欲しく思えるコンテンツをナンコも作れば良いのだ。

2017年5月8日月曜日

マンモスフラワー

ビルの隙間や下水道などの人目につかない都市の空間へと知ラヌ間に巨大食虫植物が枝や根を伸ばし都市そのものが怪物と化し、いつの間にか我々は、その内部に取り込まれた虫のように体液を吸い取られ消化される。そんな悪夢のようなイメージが本作の前半で。後半は怪物の最期と、植物系モンスターの常だが、その本質がエコ的に見て善なのか悪なのか、根源的難問を突きつける。結局マタンゴやゾンビも同じで。植物化やゾンビ化の恐怖とは巨大な全体に取り込まれ、個としてのアリカタを奪われる怖さ。野蛮の本能と遺伝子のノリモノという事態に支配されて、それでよし。と出来ない近代人のアキレス腱を突かれる。確かに、そういう類いのホラーが一番怖い。皇居の、お堀に伸ばされた蔦はテンノー制なミシマ的問題すら突きつける。

2017年5月7日日曜日

海底原人ラゴン

マンのラゴンの崖落下シーンがもしかしたらqのそれの流用だったかなとおもい確認のため再度視聴してみた。流用ではなかった。それよりタイトルバックにひかれた。水中カメラでの海中をたちのぼる気泡。24年目の復讐。

2017年5月5日金曜日

大爆発五秒前

初期のウルトラマンって独特の魅力がある。フランケンシュタイン対地底怪獣のフランケンかサンダが仲間が危機に陥ると毎週山からサッと降りて来てその窮地を救いサッと山へ去って行く。もしくはその不死身さでバラバラになって生死不明のまま終わる。そんな哀愁の巨人獣人なフゼイがある。ヒーローじゃない。怪獣と同列のモンスター。異形のダークヒーロー。ラゴンはqの中でも非常にクトゥルー神話的な怪獣で本作のマンますます神話的な謎の巨人めいている。またラゴンの撮られ方もガイラっぽくてホラーだしマンとのバトルからはサンガイを彷彿。qラゴン編のサスペンスな感じがストレートにスケールアップしてる。本作。ラゴン再登場編を超えて。もはやフラバラサンガイオマージュ編というオモムキで。あのジラース。ゴジラオマージュ編に並ぶ。シーンとしても山の崖の中段に引っ掛かった核弾頭へと命の危険かえりみず手をソッとのばすとこなどフランケンが高島忠夫を助けるとこと重なってグッとくる。また世界大戦争で使われたあの特徴的な禍々しい核爆発の火球特撮が流用されているしマンがフランケンと同様。原爆への耐性が強いことも暗示し。静かな反核メッセージ。あと巨人サイズのラゴンが小さな人形のようになって墜落していく崖。そんなスケールの崖。サイズ的に有り得ないと思え府に落ちなかったが。放射能のため人格崩壊巨大化狂人化。ラゴンの出現の悲劇的なジャミラを越える事情を考えれば殺獣光線でリアルに焼き殺したりするよりは夢が残って良いか。と思えてきた。そういったとこがサンガイって見ていてやりきれないので余り好きではない。海底火山での最期の時。ガイラ。もう光線で弱りきっていたように見えるから。ラゴン。それとも最期くらいは人間サイズに戻してやろうというスタッフの優しい心遣いか。

2017年5月4日木曜日

レッドマン

霧立ち込める中世の森の中から。ガラモン登場。もはや生前の面影はどこにもなく全身は腐敗しきってゾンビそのもの。やけに牙だけが目立ち吸血鬼にも見える。枯れ木立越しの決闘シーンがゴシック。最後は柄が十字架状の槍で串刺しにされる。あおむけに倒れ柄の十字架部分が墓標のようになる。メフィラス登場。古タイヤなどが不法投棄された山間の荒れ地。今付近に死体を埋めた犯人同士の仲間割れか。ぎらつく太陽の下で揉み合う両者。呑んでいた刃物にいきおい余って。

2017年5月3日水曜日

円盤が来た

ラストに鳴り響くサイレン昼休みではない。円盤か星間ミサイルの空襲警報。セブンの世界は近未来の星間戦争有事下。瓦礫は積み上げられ基地以外は爆撃のためかコトゴトク荒廃している。フクシンのように難民化しヤクに溺れる者多数。荒廃の極に達っしている。そんなベトナム状況下での。全てはフクシンの幻覚だった。そんな落ち。これが本作の実体。ペロリンガ星人などハナッカラ存在しない。だからサイケデリックな姿で戦闘もサイケデリックな音と映像。ウルトラ勲章授与とかデタラメ。第四惑星の悪夢はゴダールだったが。リチャードレスターばりの皮肉に満ちた痛快サイケ編。

2017年5月2日火曜日

『緊急指令10-4・10-10』「海獣半魚人の反逆」

たぶん怪奇大作戦24年目の復讐の水棲人間も本作の半魚人のように犯罪に加担させられたかさせられそうになったか。可能性はじゅうぶん考えられる。もしくは手探りで川や池の底でヘドロの中からいわくつきの貴金属をすくいあげ細々とその筋の輩と裏取引してたか。海の洞窟や都市の下水はいつだって組織と切り離せない。あの美女と液体人間ではないが。可能性はじゅうぶん考えられる。同時に。汚染された河川。体にも心にも悪影響がしっかりあるはず。そんな感じは天本英世の演技からもじっさい感じ取れる。本作の半魚人の身の上も脳を提供させられた男の身の上もすさまじいもので。両者どこからつれてこられたかなどのはっきりとした背景は語られないが。陰謀うずまく下層社会にひろがる。人身売買臓器密輸的な。闇の深さが垣間見える。そしてその中で利用され捨てられるどん底の名もなき犠牲者たち。これぞ暗黒街。さてもう一度本作。怪奇大作戦同様。子供番組にしては。そのオープニングからして暗黒街ものテイスト溢れるシーン。最初から楽しむとするか。

2017年5月1日月曜日

24年目の復讐

本作前半と後半の落差が良い。横須賀の如何わしさとビッチテイストの女。御決まりの乱闘。正に東映女番長っぽいイエロースプロイテーションムービー。それが島に渡ってからは打って変わって戦争の傷跡を巡っての重いディスカッションドラマに。同じく怪奇大作戦傷だらけの青春名編シリーズ。筆者勝手に命名。吸血地獄と双璧。吸血地獄の落差は前半が重々しい捜査調だが後半が日活藤田敏八調。

2017年4月30日日曜日

電光石火作戦

ウルトラマンの舞台設定とは。有事の防衛軍基地と荒廃した難民生活区なウルトラセブンとは打って変わって。安全な近未来都市とそれを保障する郊外のライフライン供給施設とで成っている。郊外のライフライン供給施設には科特隊日本支部基地のような防衛拠点なども含まれる。基本。平和なので郊外のそれらの施設に於いては都市部からの子供達の社会見学なども行われる。ホシノくんの基地への自由な出入りはそうしたウルトラマン特有の事情にも依っている。都市部に関しては近未来科学技術で高度なセキュリティが保たれているが。その分。郊外のライフライン供給施設への大規模化。負担増。職務激化といった事態は否めなくなっている。本作など。そうした事情下でヒトタビ怪獣が出現すると。人類滅亡的スケールな被害に至るといったウルトラマン特有のトンデモな世界をシミュレーションチックに現出させていて興味深い。いい換えれば。ウルトラマンの世界観とは。ウルトラqと地続きでアンバランスだが平時といえばいえる。事件は生活空間というより浄水場とか精油所とかウラン貯蔵庫とか無機空間で限定されて基本。庶民を巻き込まず起き。本作のようにボーイスカウトが台風で孤立化したケースは別。現場が作戦と名付け英雄的に対処するミッションチック。シミュレーションチックな印象が強い。一方。ウルトラセブンの世界観とは。怪奇大作戦と地続きでズバリ有事といおう。事件はほぼ何処でも起こり得て。団地とかの生活空間といえどもセキュリティはほぼ皆無で。安心出来ず影響は簡単に及んで来る。防衛軍は前線で忙しく庶民には手が回らない。だからsriのような民間で自警するしか無い。

2017年4月29日土曜日

科特隊出撃せよ

ネロンガのその特徴的な可動式の角から発っせられる光線だが攻撃用の武器ではない。バラゴンの光る角を思い出して欲しい。あれは地底活動の為のヘッドライトだった。そうネロンガの光線はそのバージョンアップされた物だ。主に地底を照らす為に本来は使われる。だからアラシが喰らっても大した事にはならなかったのだ。ただやはりバラゴンの口から発っせられる地下掘削光線的な成分も少なからずそこには含まれていて人ではなくガスタンクなどに当たった場合などは地底の鉱物に反応するように金属を溶かすのか爆発炎上していた。いずれにしても攻撃用の武器ではない。こうした設定がいかにも上手く作用し実在しそうな生物感が醸し出されバラゴン同様ネロンガ名怪獣たり得ている。また透明時に発っせられる光線の軌道もイイ。サカサ稲光とでも言おうか。実に神秘的な光景に見える。本作。ネロンガ出現のきっかけと対峙の主賓が基本的にホシノくんでウルトラマンは助っ人でしかない。そこのところが非常にウルトラq的でウルトラマン中心の単純なヒーロー物にまだ固まり切っていない。そこが魅力。

2017年4月26日水曜日

悪魔と天使の間に・・・・

帰ってきたウルトラマンの郷秀樹だけが変身アイテムを貰えなかった。そんなことはない。変身アイテムよりもっと嬉しいアイテムを貰えている。そうウルトラブレスレットだ。それは一種の変身アイテムと言えるだろう。肉体ではなく心の。ブレスレットはいわばスイッチに過ぎない。今の郷ならブレスレットの強大なポテンシャルを充分制御できるだろうとふんだからセブンは与えたのだ。第二の命を分けて貰った当初その超身体を扱いあぐねていた郷とは違うのだ。そういう意味ではやっとここで初めて変身アイテムが正式に貰えたといえそう。当時はブレスレットだなんてダサい。女の子みたいだ。などと思っていたが今考えるとなんのなんの実に奥深い重いアイテムだ。だからゼラン星人との戦いは心と心そのもののそれだったと言えるだろう。11月の傑作群は全て郷の心の長足の成長を刻印している。歴代のウルトラマンの中でも体力は一番弱いかも知れないが精神力はピカイチだ。帰ってきたウルトラマン。ブレスレットの奴隷とかブレスレットこそ本体とかブレスレットのエネルギー充填用クレードルに過ぎないとかサンザンだけど裏返せばだからこそその在り方が人間ウルトラマン。心のウルトラマン。魂のウルトラマンたることを強く印象づける。

2017年4月22日土曜日

死者がささやく

怪奇大作戦。前期中期後期とざっくり分ける。前期。特撮人体破壊描写の早すぎた和製スラッシャーホラーが特徴。アラジンのエビゾリからの水圧死は超変則的人体破壊だった。なにより空想特撮シリーズ第四作としてのアクロバット的技術力の凄さは驚愕。中期。王道模索期。王道が模索されるっていかに怪奇大作戦実験的革新的だったかと言う事。後期。子供置き去り大人の人間ドラマ連発。ウルトラマン3クール目の時のように先が見えていたのでウルトラマン3クール目の時を教訓にスタッフキャストその時以上にやりたい放題やったって感じ。そして本作。幕切れがチャイナタウンなロマンポランスキーマナーのハードボイルドミステリー。真犯人の女のフェイダナウェイばりの組織の女としての秘められたその過去が知りたい。男と女の男女の深い関係が湯気のように臭い立つ温泉地で始まり温泉地で終る後期の幕開け。

2017年4月20日木曜日

吸血地獄

先日マンホールの中の人魚を観たんだが、その話、結局、妻に先立たれた男の幻想で、死体損壊中に逮捕。本作も恋人の事故死以後全編幻想だと言う見方もあって、元々、青年は薬物中毒だったし、シナリオのラストでは恋人ニーナの養母に射殺されるはずで、確かにその方がバッドトリップの悪夢と言うか、幻想には相応しい気もする。タイトルも本来は、吸血地獄・編だったらしい。そういえばATGの青春映画に、初恋・地獄篇ってのがあって、ググると養父に引き取られ性的虐待を受けていたとか記載、もしかしたら本作のニーナも。だからそれを知ってずっと何も出来なかった養母がせめて自分の手に掛けて、と言う事だったのか。いずれにしても何処までも抜け出せない、地獄を巡るようなバッドトリップ、薬物中毒の恐ろしさを伝え切っている。言及すればする程、何処までも魅力を増す本作だが、人の世の悲しさが時代を経る毎に増す。超弩級の名作。

2017年4月19日水曜日

地上破壊工作

あの地下人類の、バレバレアイメイクだが、逆転の発想と言うか、コロンブスの卵と言うか、ニップレスとかマエバリに通じる本来見えてはならないモノ、の卑猥さが想定外で出てる、外人だからか。彼等にとっては眼は性器と言わんばかり、ともとれる。第四惑星のロボット長官の何処までも俗物な卑猥さに通ず。カラーシーンのメイクのそれは今見てもやっぱりあれ、だったが、ただ、モノクロの地下世界シーンでのメイクのそれに関しては、今見た方が更に恐ろしい。モノクロって事でか、またセピアって事でか、8ミリ時代、まだ輸入盤全盛だった頃のブルーフィルムや後のスナッフフィルムを連想させる、からか。更に、体育館の中央にポツンと設えられたハヤタの寝台、シュールだし、衆人環視めいて、辱しめられているようで、やはり何処か卑猥。後年の監督のSMな作風に通ず。何と言っても、地下四万メートルの地下都市が地上そっくり、なんて、のは、やはり、第四惑星程の完成度ではないが、今見ても充分魔界な雰囲気が伝わって来る。それにしても実相寺監督の描くマンやセブンって時に対ジャミラや第四惑星や本作のように、巨大ロボットな冷酷な破壊神な禍々しいオーラを発するんだけど、平和の巨人視な筆者からすると一寸複雑な気持ち。

2017年4月18日火曜日

人間標本5・6

峠の山道での、路線バス連続転落事件。件のバスに乗り込み、潜入捜査の隊長。乗客の中に犯人が的な、バスジャックかと思いきや。バーチャル事故に巻き込まれ、孤立させられる隊長と女。導かれるように、山頂の研究所へ。研究所は既に宇宙人に占拠されていた。隊長と女の閉鎖空間ダイハードな、脱出劇が繰り広げられる。立て籠り犯の宇宙人、殺しても死なないゾンビキャラで、焼け爛れた顔して何度も襲ってくる。早すぎたジェイソン。本作。犯人一味が侵略宇宙人にしては青臭い小物感。三面怪人設定が不良少年グループのハロウィーン仮装に見える。そんな体で、刃物振り回したりしたら、それはそれで恐ろしいけれど。司令官も何処から指令を出しているのか。標本にされてしまった人々はその後どうなってしまったのか。謎は深まるばかり。隊長が意味不明な窮地に陥る事から、やはり所長が意味不明な窮地に陥る、怪奇大作戦こうもり男を思い出した。

2017年4月17日月曜日

オイルsos

さてジャミラからのウルトラ水流つながりというわけではないのだが。本作。とにかく都会的でシャープな外国映画っぽいスケールの映像感覚がドラマ部分特撮部分ともに筆者個人的にたまらない。キャストも嬉しい宮川吸血地獄ヤカベ刑事洋一。そして梅津栄に平田昭彦と豪華だ。いきなり開巻世界中の石油コンビナートが謎の連続爆発炎上。テロか。一転ホラー。点滅しながら異動する海中の光跡。テロリストの潜水艦か。なんかマイティジャックな出だしでワクワクする。と思わせての油獣ぺスター。その吸血コウモリ顔と悪魔の手のような造形はやっぱりホラー。円谷の一ちゃんってばホラーずきなんだから。都市における石油は人体における血液と同じだ。本作は逆吸血地獄。怪獣スケールの吸血鬼ホラー。吸血地獄はホラーサイズの怪獣物。こんなスゴいアクロバットを平気でやってしまう。画面の奥行きと転換のスピード感。テレビと映画の楽しさの両方を兼ね備えている。もうたまらない。ジェットビートルがまたかっこいい。ただの垂直離着陸小型偵察機扱いではない。全員が乗り込むプロトMJ号な万能戦艦扱いなのがなんとも嬉しい。ドラム缶流失いや失礼。大量のドラム缶投下シーンはまるでベトナムでのナパーム爆撃のようで皮肉な恐怖感さえ漂う。ドラム缶同士が洋上を嵐の前の静けさで断続的にぶつかり漂う音と特撮の不気味さ。後半の人間くさい話といい円谷金城。このコンビのこころざしの大きさと盟友感。ホント大人になって染みてくる。そしてなんといってもこのコンビでのウルトラマンの位置付け。本作でも怪獣退治は防衛軍の仕事。英二パパにまかせます。俺たちのウルトラマンはメカニコングのような戦闘ロボット兵器ではない。どっちかっていえばアトム寄りだぜっていわんばかり。ウルトラマンは消火作業とそしてなによりイデの心のケアの為に変身し身を呈して奉仕する。この見事なムラマツハヤタの隊長副隊長コンビ。その隊員への思いやりのコンビネーションプレー。この姿こそ後にセブン最終回でしっかり刻印されるウルトラマンの友であり平和の巨人としての姿なのだ。円谷金城コンビはホントにスゴい。その場限りの子供向け特撮を大人人生一生の名作映画に匹敵する男泣き人間ドラマにまで昇華させるのだから。ラストカットで垂直上昇するジェットビートルの腹が炎と油で煤けて大汚れしている。科特隊。プロフェッショナルの。仕事の証しだ。たぶんまたMJ号ばりに全員で乗り込んで基地に帰還したんだろうなぁ。それを会話とかでなくクールに映像で見せ切るアダルトなハードボイルド感覚。でも。ジェットビートルでの科特隊。MJ号やホーク1号と違って江戸の庶民の長屋か昭和のお茶の間のようでぎゅうぎゅう詰めなのがまた御愛嬌。

2017年4月16日日曜日

故郷は地球

ジャミラ。悲劇の平和の巨人という点。フラバラのフランケンシュタインを思わせる。子供の時には彼を怪獣と馬鹿にして。セーターを被り真似をした。残酷な事をしたと後悔している。彼の顔は同じドイツ人ならフランケンシュタインの顔がパッと区別つくように同じフランス人ならパッと区別がつく程で。個人の人間の面影をしっかり残しているし。傴になって全身がひび割れてしまっているが。怪獣なんかではなく巨大化した人間体なのはセリフから自明なはず。なのに我々は。思い切り怪獣に寄せたフィルターでしか見れなくなってしまっていた。当時は。でも。今は。そして人間衛星。悲しい響きだ。彼が乗っていた円盤形のロケットから。ミステリーゾーンの幻の宇宙船を思い出してしまった。墜落した人間衛星が成仏できず。永遠に軌道上をさまよい続けるという物。国際平和会議。偽善だ。工場や学園や原発。誘致の裏利権で見せ掛けの発展を遂げた。地方のブラック企業城下町のウスッペラな雰囲気が漂う。犬神家っぽい陰鬱な村。避難民が抱く柱時計に業の深さと差別の連鎖を見てしまう。本作でのウルトラマンは登場シーンも短く。格闘も殆どしない。冷たいロボット兵器ソノモノに見える。格闘の舞台のミニチュアセットも良くできている。いかにも会議の為に急ピッチで開発された地方実験都市で。田園に不似合いな近代デザインの総合ビルがぽつぽつと。テーマパークのアトラクション施設のように。点在するだけなのが本当に寒々しい。その寒々しい人工開発地区を背後に。冷たい雨の中。造成中の泥にまみれ一人孤独に。のたうちまわるジャミラ。ムルチと帰ってきたウルトラマンの公害企業工場の敷地内での雨の格闘シーンも良いが。本作の格闘シーンの痛ましさは桁外れ。なにせ人工降雨ミサイルの洗礼を浴びせた上にウルトラマンのジェット水流。たぶんそのせいでジャミラの死体は川の濁流となって。きれいさっぱり海へと運ばれたのだろう。何事もなかったかのように。そして雨上がり虹かかる逆光の中。会議に向かうセレブの人々。皮肉にもジャミラも宇宙飛行士というセレブだった。木霊するイデの叫び。でもこれは社会派の告発の叫びではない。あくまでもジャミラの悲惨さの。会議の欺瞞さの。ウルトラマンの冷酷さの。開発地区の寒々しさの。そういった近未来のゴシック感アイテムをクトゥルーホラー作品として相対的に際立たせる為の道具でしかない。実相寺監督のその後の作風から氏が本作で何をめざしていたかがわかる。脚本の佐々木氏には悪いが。乱歩的なグロテスク趣味だ。プロレタリア文学的告発ではない。イデの過剰さはそのグロテスク趣味のなかの範疇だ。本作は円谷一のミイラの叫びと双璧のホラー回として楽しむべきだ。怪獣使いと少年も超兵器R1号も。あっ。今気がついたけどR1号ってR62号の発明から来てるのかも。そして前も書いたけどホラーの社会的効用なんてものは社会の病巣の治療そのものでも病としての戦争や公害の告知告発でもない。治療計画構築モラトリアム。あくまでモラトリアムとしてしか機能しない。だったらホラーは不用だ。という結論にはならない。困難に慌てるのではなく困難の前で一旦。グッとこらえ立ち止まる。しっかと見詰め。ではどうするか。その余裕。その勇気。その機会を与えてくれる。つまり不用ではなく無の効能。不用者はカッコ悪いが。無用者。ムヨウモノ。の言葉の響きは。なぜかどこかカッコいいのと同じ。無用の用というやつである。ジャミラ。あんたかっこいい無用者だぜ。

2017年4月15日土曜日

3年B組金八先生第2シリーズ卒業式前の暴力

平和な下町に荒谷二中という荒廃した学校があってそこでは教師が生徒を地下室のようなところで体罰し生徒同士もトイレなどで陰湿ないじめをしている。荒谷二中は全校生徒にしてもほとんどうつしだされず数十人。不気味だ。騒ぎが起きているというのにだ。風景も薄汚れている。まるでお化け屋敷のようだ。騒動ですべてが明るみにでる。警察での荒谷二中の校長の疲れていたという言葉。疲労老齢の疲れたとも何物かにとり憑かれていたともとれてすべての張本人まぁ巨悪。そういうふうに原因が徐々に明らかにされていくところなど定番娯楽ミステリー調ホラー調でとても好感が持てる。本作に社会派などというレッテルを貼ってはいけない。もはやsf学園ミステリーかというくらいに娯楽に徹しているからこそ本作は古びないのだ。管理教育デストピア惑星からの逃亡生徒。まぁ未来からでもよいが。孤独な地球生徒。奇妙な友情。地球生徒と逃亡生徒は連れ立ってデストピア惑星へ。どこかnhk少年ドラマシリーズの雰囲気も。あって。教育現場の荒廃ぶり。ヒロくんの孤独なイケメンヒーローがなぜあんなに社会現象にまでなって本人を苦しませたか。当時の荒廃ぶりが想像以上だったからだ。

2017年4月14日金曜日

続・猿の惑星

彼らは核ミサイルの御神体に祈りを捧げる。彼らにとって核は使う物ではなく有って然るべきな心の支え。だからこそなのか。心の平安が保て念力やテレパシーが使えるのは。我々は実に平和な存在なのだと言わんばかり。それってもしかして核を、抑止力および戦略のカードとしてのみ機能させ見せ掛けのパワーバランスに漂い原子力の平和利用なら全て善しとばかり、とことん未来まで推し進めた結果の男根崇拝チックな戯画ではないのか。念力やテレパシーは核制御技術の副産物としてのITパワーの喩えではないのか。さらにあろうことか、普通に喋れるのに、それを快楽の為に、過剰にドラッグのように常用しているようにしか見えない。これでは、まるで反戦をお祭りネタとしてしか使わなかった対立側のヒッピーと同じではないか。そして最後の呆気ない幕切れは、たった一人の一寸した偶然でスイッチは簡単に押されてしまうのだという現実を象徴しているのではないだろうか。猿の惑星五部作の中でも最も破綻したトンデモ番外編な本作が今でも有効だという事実には何か生々しく気色悪い思いを筆者は拭い切れないでいる。純粋に正邪飲み込んでの正常な諸行無常のループ五部作としての本来の猿の惑星が早く楽しめるように世界がなって欲しい。チャールトンヘストンがトランプに見えて仕方ない。自分は今、本作に躓いている。舞台が舞台だからだ。問題は全て禁制地帯に捨て去れば良いという猿の考え方。全てはセブンK地区な、そんな汚染されたスラム以下の場所で起こっている。だから太陽を作った男のジュリーみたいな奴らがカルト集団を作って潜伏しててもおかしくないし好戦的なゴリラは戦争ゲームを楽しみに来るだろうし何が起こっても不思議のない無法地帯。当時のアフリカのような所。しかし、こんなトンデモ作に今だ試されるような現実世界。重ねて言う。これで良いのか。

2017年4月11日火曜日

侵略する死者たち

とにかく防衛軍基地の広大なエリアの中に存在すると思われる第三病院が不気味で仕方ない。ここは地球防衛軍基地。今は星間戦争戦時中。宇宙人からの生物化学兵器による攻撃も無くは無いだろうから、その未知の病原に向けての実験用死体を常に豊富に軍は確保必要とし てるはず。第三病院とは名ばかりで、実態は、基地外部から窓口としてヤバい手を尽くしてすら死体をかき集めている、地球防衛軍の、いちセクションに違いない。もう第三病院のある、あの街全体がホルマリンくさいはず。そんな企業城下町というか、理化学学園都市が、しれっと敷地内に存在する防衛軍も防衛軍で不気味この上ない。とにかく本作は宇宙人によるバイオテロが絶対にあり得る、あり得た、そんなことを、明示せず、暗示していたり、におわせていたりする、そんな内容だからこそ、よけいに怖いのだ。スポンサーが薬品メーカーだったから直接なバイオテロ。薬害とか伝染病は描けなかったのかも。地下道をゾンビのように徘徊するシャドウマン本体の 一人を撃ち殺す場面。あれが感染症患者だと考えると怖い怖い。想像してみて欲しい。狙われた街で小規模な精神バイオテロは描かれていたが本格的な伝染性バイオテロが防衛軍基地で起きる、起きた、その地獄絵図。きっと、そんな経験すら乗り越えての、あのポジティブさなのだ。ダンやウルトラ警備隊の面々は。ただただ凄いの一語に尽きる。まだある。盗まれた、世界の防衛軍基地の所在を搭載した極秘 データだが。転送先を辿る際に出てくる東京K地区。なんとなんと、そこには、草ぼうぼうの中に建つ廃墟ビル。このK地区。まるで震災か爆撃を受けた跡地にしか見えない。設定の近未来戦時中を踏まえると、先程、広大な防衛軍基地と書いたが、最早、日本中が基地化し、残る場所は尽く廃墟化してしまっているのではないのか、そんなふうにさえ考えてしまう。いや逆か。尽く荒廃した本土だからこそ、基地にするしかなかったのかも。特に本作は。まるで死霊のえじきか惑星ソラリスかと言わんばかりの閉鎖空間感終末感絶望感なのだ。冒頭の潜水艦では謎の爆発が世界中で観測されているとか言ってるし。何れにしても、なんと荒涼とした星間戦争時代なんだろう。トンデモ批評を自覚ついでに、更に続けさせてもらう。先のセブンがガラスコップに閉じこめられた時の物置と言うか、 倉庫と言うか、そのセット。テーブルの上に無造作に乗せられた椅子だったり埃を被った薬瓶だったりと、やけに生活感していたが、学校の怪談みたいで、これまた怖い。撮影所の片隅を、そのまま流用したりしたのだったら、それはそれで、その、虚実、日常非日常の、メタフィクションさが、更に更に、目眩がするくらい怖い。メタフィクションついでに、トンデモ批評をさらに畳み掛けさせていただくと、冒頭のメディカルセンター室内での都市伝説幽霊。もしかしたら、当時の子供たちの間で、そうさせようと、スタッフが意図的に仕掛けたとも。

2017年4月10日月曜日

妖怪・どろ人間

予想を裏切り中々切ない話だった。タイトルからもっと、妖・怪・泥・人・間だし狂暴な奴かと思ったらルックスも愛らしく出自も憎めず、ちゃっかりと我が愛するダークヒーローの一人に新たに加わってしまったではないか、その背中に木漏れ日の美しい影さえ背負い。その哀愁、よっ唐獅子牡丹。本作、柳谷寛のお巡りさんが全てを象徴していた。悪者達もただの与太者の集団かと思ったら、何か格闘術にも長けていて不気味な組織が背後にあるようで益々憎らしく、殺された泥サンゲリア男に加担したくなる。結局このお巡りさんがしっかり全員逮捕。このお巡りさん多分年取ってて居眠りなんかもするけど元々有能なので、きっと組織も摘発し潰滅してくれるだろう。そしてやはり電波銃が気にかかる。実に格好良い。銃身からアンテナさえ伸びていたりする。本作では泥人間の生前の頭のチタンに電波が反応。期せずして泥人間の正体を浮き彫りにする。もしかしたら銃から放たれた電波の影響は大きく、チタンに残る残存意識さえ目覚めさせ、無益な攻撃を止め自分を殺した男だけを追い詰めるような振る舞いにでたのかも。つまりここにきて泥人間、バクテリアの塊から真のゾンビになれた。そんな怪我の巧妙と言うよりモンスター物定番の、そんな人情味さえ溢れる、もはや男泣きレベルの銃の使われ方。実にハードボイルドで気が利いている。いやはや本作れっきとしたゾンビ物。それもかなりの逸品。

2017年4月9日日曜日

獣人雪男

なんとも不思議な味わいの本作。思いのほかテンポも良く、メリハリもあり、古さを全然、感じない。充分、ゴジラ第一作に肉薄する出来。少なくともゴジラの逆襲よりは良いと思うし、個人的今一作品、モスラ対ゴジラにも、本作のようなテイストを自分、望んでいたのだと噛み締める。全編、駅の待合室での回想と言う設定が、これまたクトゥルー物っぽく、暗黒宇宙的スケールを感じさせる。序盤は正統派雪山ミステリー。中盤は三つ巴の山岳アクション。そして終盤が特に味わい深い。たしかにロストワールドな秘境探検物ではあるけれど、ここでの雪男。一族の最後の生き残りとして、骨の散らばる洞窟の奥に、孤独に暮らし、その姿には、ゴシックムードさえ漂い、崇高なカタコンベの墓守にさえ見える。同時に、異星や人類滅亡後の地球にサバイバルした、伝説のダークヒーローにも思え、雪男の身の上に何故か深く同化してしまう。街や研究所などの近代的アイテムが一切、描かれていない。唯一、珍獣ブローカーのトラックだけ出て来るので、まるで自動車が宇宙船のように見える。だから善玉であるはずの主人公一派も含め、我々、都会人側の方が悪の侵略者のよう。怪獣物と言うより東宝特撮には珍しい、早すぎたエイリアンな、SFホラー物で、変身人間シリーズから、ちょっと浮いている、あのマタンゴに通じる作風。よって村人の異形を障害者的差別表現とし、ソフト化を自粛するのは全くの的外れ。あれは近親混血の結果での奇形ではない。バンパイアのように、各人、猿やら狼やら熊やらとの混血の結果で、立派なミュータントでありハイブリッド人間。村人全員それぞれが魅力的なモンスター達の、ティムバートンマナーなアダムスファミリー状態なだけ。確かに医療不足から怪我などの後遺症での不具者は何人か居ただろう。治療その物は出来ない。しかし施療者に判断基準を与え正確な治療指針構築の手助け位にはなる。ホラーの効用なんてそんなもの。以上でも以下でもない。

2017年4月8日土曜日

世界大戦争

朝鮮半島での停戦も束の間。北極海上、戦闘機どうしの小型空対空ミサイルが、交戦中に非核設定から核設定に切り替わる時の特撮表現が実に禍々しく不吉。

2017年4月6日木曜日

白い顔

傑作和製ホラードラマとしての怪奇大作戦を語る時に忘れてはならない事の一つとして、既なる海外産スラッシャームービー射程の人体破壊描写の試みがある。緻密な円谷の特撮だからこそ成し得た冒険的だが確信犯的な試みだ。本作では白昼のオフィス街での阿鼻叫喚の人体発火なる極めて今日的で、テロさえ彷彿とさせる人体破壊が正しく衝撃的だった。白い顔の乱歩趣味はテレビの前の当時の子供達へのサービスだと割り切れるとして、後半の湖畔の洋館での正統派ゴシックホラー調は見事な物で、現代的なスラッシャー調との接続は奇跡的だ。待てよ。ここに白い顔がクッションの役割をしているのかも。だとすると実に巧妙。CG時代で今ならもっと凄まじいシーンも手軽だろうが自粛風潮と放送コードから実作は望んでも無理。緩い時代だった当時とは言え、万能の特撮技術が冴えていたとは言え、躊躇なく人体を溶かしたり砕いたり燃やしたり切り刻んだり。やはりベトナム戦争や赤軍派テロに対するスタッフの祈りとか思いのような物を感じずにはおれない。ヒッピーじみた反戦運動とはまたちょっと違う怪奇大作戦前期の持つそのメッセージは今も熱い。後期は後期で環境問題への深い問い掛けと人間の業への言及。

2017年4月5日水曜日

吸血地獄

怪奇大作戦。毎回二時間ドラマを三十分にはしょったような体裁のせいでどこか懐かしのお昼のワイドショーの再現ドラマな下世話さと淫靡な雰囲気を知らず知らずのうちにまとってしまっている。特集の夏限定の怪談シリーズあなたの知らない世界などはもろ怪奇大作戦。だから吸血地獄最強エピソード説を筆者は唱えてしまうのだ。考えてみてほしい。外交官子女が不良大学生と謎の逃避行。少女に何が起こった。これをワイドショーワンコーナーうってつけ昼下がりの奥様好み女性週刊誌ネタ検証VTRと言わずしてなんとする。まさに吸血地獄はタイトルも含めその未解決な不可解さと過剰なまでのナレーション処理それに子供が真似さえしたくなって教育上よろしくない暴力的なまでの吸血鬼のあの造型でザ再現フィルムと言いたいそのスキャンダラスな味わいは怪奇大作戦中随一。後期の岸田森プロモビデオ化での三十分枠の乗り切り方とはまた違った魅力の乗り切り方を前期は持っていてその模索が時として奇跡的三十分を生んだ。

2017年4月2日日曜日

霧の童話

本作は霧つまりガスの中に幻覚成分が混入され霧そのものもスクリーンとなってよそ者をバーチャルに包み込み幻惑するというもの。ただの幻惑ならよいがどうやら開発の被害者であり真犯人でもある村人。犯行の動機には絶望が色濃く破滅への必然は免れようもなく結末で事件の村は全滅するが何か村そのものが例のガスに元々芯まで汚染されてしまっていて村人も大半がガスを麻薬的に常用。もともと村へ逃げ延びた敗残の落武者をなぶり殺しにしたような因襲深い村だ。代々罪の意識に苦しんでいたって不思議はない。そしてついに村人自身が自らダムの栓的なものを開けてしまったかのように見える。限界集落の絶望カルトな自爆テロ紛いの暴走。またその上に上にと罪深い開発が塗り重ねられていく。いつまた深層の罪の意識が噴出し自滅するかわからない。少年も含め村全体が素朴とかではなく現実味なくどこか浮わついている。ただ野辺の地蔵とコスプレのボケ老人だけが皮肉に村を見おろしている。

2017年3月24日金曜日

侵略する死者たち

黒沢清の回路に於ける幽霊の出自が面白い。幽霊の作り方ってのがあってドアの縁に赤いテープを貼り付けて、その部屋を開かずの間として一定期間放置する。そうする事によって、その部屋の中に幽霊を生じさせるというのだ。でも、ここから先が真骨頂。その幽霊を痛快なポストモダン仕様にバージョンアップさせさえしちゃったりする。その、やり方は、こうだ。幽霊のいる開かずの間にネット回線を引き込む。そして、その開かずの間を開かずの間のまま建物ごと解体して何も無い平地にしてしまっちゃうのだ。すると幽霊は居場所が無くなってネット回線の中へと避難。かくして嘗ては古典的な地縛霊だった幽霊はマトリックスの如くバーチャルの世界でポストモダンな最新型電子霊にバージョンアップ。見事な転生を遂げるというのだ。さて、ここで本作。シャドーマンの作り方でござい。回路での幽霊に相当するのが本作では病院の地下の死体槽に漂う身元不明の実験用の死体。それをネット回線を引いた部屋に相当する地球防衛軍基地に移送。なぜ地球防衛軍基地かって。それは、ですね。地球防衛の為に世界中いや宇宙中にセンサーを向け、あらゆる情報がテレタイプネットワーク化され、いうなれば究極の電子の要塞それこそが地球防衛軍基地だからなのです。そんな電子、電磁波、電波、渦巻く中に置かれた日にゃ動く死体だってゾンビなんかに留まっていやしませんって。神出鬼没のポストモダンゾンビ、シャドーマンへと大変身。そりゃ、しますよ。だんな。機密情報と一体化して宇宙空間に向けられたアンテナから衛星軌道上の廃宇宙ステーションの回路に侵入。廃宇宙ステーションに憑依のっとっちゃって自由に変形操作でミサイルやら超兵器やら自動生成。地球攻撃準備万端。そう、それが天下無敵のシャドーマン。いやはや凄い。だから本作を筆者は偏愛するのです。今風にリメイクなんかした日にゃバイオハザードなんか目じゃないっす。

2017年3月18日土曜日

散歩する首

怪奇大作戦中盤の中弛みとされている本作9、そして10、11、17、18、19。何か益々輝きを増してきているのでは。死体蘇生云々や首そして植物毒。科学犯罪ミステリーイディオムが満載。そればかりではない見直すと実に味わい深い田舎ホラーだった。互いに殺意ある男女の意味深な深夜のドライブと山中でのヒッチハイカーそして転落事故。典型的で実に良い。死体が運び込まれる山小屋の雰囲気も、また良し。ネズミを捻り潰す老婆。意味も無く山小屋の二階で死体を肴に酒盛りする村人達。もう典型的な田舎ホラーの道具立てで嬉しくなってしまう。クライマックスは例の男女で。女の死体を前にわざとらしい芝居を打つ男。と突然、起き上がる女。男が殺したと言わんばかりに男を指差す女。この恐怖。男は、いかばかりか。この男女の心理サスペンスの押し引き。短いシーンだが見事にホラーしまくっている。また、いつも秀逸なエンドソングシーン。今回は実に、お洒落なミニストーリー仕立て。

2017年3月17日金曜日

京都買います

リングは、呪われた破滅のプログラムがビデオテープへと貞子の念によって書き込まれ、再生されると、その恐るべきプログラムが発動してしまうというもの。そして、その動機も貞子の想像を絶する苛酷な身の上からの、追い詰められた末の、止むに止まれぬ切羽詰まっての、もの。そう考えると、本作と霧の童話も同様な、ような気が。霧の童話は、霧つまりガスの中に幻覚成分が混入され霧そのものがスクリーンとなって被験者をバーチャルに包み込み幻惑するというもの。ただの幻惑ならよいが、どうやらリングと同じく犯人側の動機には絶望が色濃く、破滅への必然は免れようもなく、結末で事件の村は全滅するが、何か村そのものが例のガスに元々芯まで汚染されてしまっていて、村人自身が自らダムの栓的なものを開けてしまったかのよう。そして本作。最初こそ窃盗的に仏像だけが電送されるが終いには美弥子の絶望の深さが装置に乗り移ったのか、装置が暴走してしまい電送先も訳の分からない別次元とかになって人間すら無差別に電送してしまうような事態に陥り京都全体いや世界そのものが荒廃の極に至って、その中を人類最後の一人だとでもいうように牧がさすらってしまっている。ケミカルを遥かに超える究極のドラッグともいえるARの絶望カルトな自爆テロ紛いの暴走。本作と霧の童話は、それを言葉少なに先見してしまっている。

2017年3月10日金曜日

袖志の女

なんか、もしかしたら本作この話。子連れ狼版の闇の奥で。地獄の黙示録を先取っていたのではないか。最後のグズグズな破綻っぷりも含めて。やはり奇っ作。女だけの山岳民族仕立ての特殊部隊。そして人としての情けからの、その完全殲滅。無や空や政略を武士道や男の友情や家族愛が一瞬ではあるが超えた幻のユートピアをここに筆者は見、感動する。まぁ、しかし、その風景。とにかく荒れ果てた造成地をロケ現場とした、その見事なまでの低予算っぷりと満身創痍の一刀という殺伐荒涼とした全シリーズ通じての記憶に残る凄まじさのディストピアだが。やはり有事のフィリピンのジャングルをロケ地とした地獄の黙示録に通じる一種の事件的作品。そう考えると地獄の黙示録は大作とか大いなる失敗作とかというより初期衝動の映画。まさに暴動の映画ではなく映画の暴動。ロックの映画ではなく映画のロック。

2017年3月8日水曜日

24年目の復讐

二人が水棲人間を誘き出す箇所で水棲人間が水に濡れていなかったのは逡巡していた証で味わい深い。牧が単独で街に消える箇所もイイ。流れるリズムセクションだけのモダンジャズ。あっ。こういうのはピアノが無くコード感が薄くモードっぽいのでモダンジャズというよりはフリージャズと言った方が良いのかも知れない。しかし格好良い曲だ。線路上を歩く風情。行方を追うメンバーや刑事達の大所帯は地獄の黙示録のカーツ捜索隊のようで又ヨロシイ。自爆シーンのミニチュア特撮はオープニングの港の夜景と対で、やはり本作も青い血の女と同様にフィルムノワール感が横溢しているからか何故かヒドク筆者は惹かれるのだ。

2017年3月7日火曜日

ジョーズ2

子供達の手作りヨットによる廃燈台岩礁への冒険海上ロードムービーな感じは非常に良かった。大魔神逆襲を思い出したゾ。犠牲者も少なく残酷描写も殆ど無い点が子供向き子供向けで好印象。ジョーズの造形や操演もメカメカしく良い意味でぎこちなくてロボ感強し。これはこれでサメ物というより殺人ロボット物として観ればオモムキがある。事実やられ方も火花散らしながらの感電死だし。

2017年3月3日金曜日

地獄のバスツアー

上から目線だが結構、感心した。ご都合主義なシナリオは昭和な感じで賛否あると思うが、とにかく小技と小物が効いていて画面が、お洒落で良かった。路線バス、密室集団劇、食べ物、殺風景な倉庫、猟銃、カウンターベジタリアン食堂、機動警官隊、小粋なニューヨークな70年代海外クライムドラマのテイストを感じた。これで音楽がバッチリきまっていれば傑作回と後世に胸を張って言えたかも。とにかくサブタイトルが最高。地獄のバスツアー。実は乗り合わせたのはマリコではなくアンドロイドで倉庫に駆けつけた科捜研メンバーの大ウシロに白衣でラスボスっぽく控えてたりしたらコレマタ、アメリカンばかSFで面白かったりするかも。

2017年2月18日土曜日

空海の密室

京都には因襲に満ちた街が無数にあって本庁の所轄を超えた捜査線上には異形の地元住民が魑魅魍魎のように容疑者として浮かんでは消える。この路線で毎回が怪奇大作戦の京都編チックだと視聴率は落ちるだろうが筆者は個人的には大好物。なのだが。本作も、あえて本作と呼ばせてもらう、禍々しく渦巻くキャンパス内の空の色も良かったし、世界遺産という設定も、敷地内に強行建築されたプラザなる巨大建築物も、良し。合成感、剥き出し。荒唐無稽な密室トリックが実際にアッケナク起こるところなどは懐かしい昭和のドラマ感。

2017年2月16日木曜日

零下140度の対決

八甲田山的な軍隊物の緊張感で、ダンの彷徨と原子炉復旧の苛酷な作業のニホンバシラで物語は始まる。かたや幻想的な白一色の吹雪、かたやリアルに怒号の飛び交う地下の暗闇、対位法な画面の魅力は話に迫力を与えている。しかし魅力の本質は、そこではない。ホークと飛行怪獣の空中戦から察するに、寒波は想像以上の広範囲に及んでいる。これは、もはや局地的危機シミュレーションを越えて世界滅亡スケールなニュアンスだ。セブン後半に於ける金城作品。ノンマルト、蒸発都市、そして最終話。すべて、そうしたニュアンスがある。そこが最大の魅力だ。地球ナショナリズムな軍事ミッションっぽい物の方が好かれやすい特撮ファン界でのセブン。そうした傾向の中で金城作品は、あくまでも前作ウルトラマン的な、明朗で壮大な宇宙絶対平和をテーマとして貫こうとしている。また勧善懲悪ぎみな軍事ミッション物系にしても、金城の筆になると、カッコいいだけでは収まらないスケールの大きさで、時にトンデモなどと揶揄されたりさえもする。しかし、それも、今で言うセカイ系などと整理同一視される波に押し流されない、気骨とでも言うか、切実な祈り、さえ、そこ、に込められているがゆえの、暴走、で、あって。だから彼の作風は時と共に破綻の苦汁さえ滲ませていった。しかし金城は苦汁を滲ませる事を厭わなかった。最終話には、苦汁をも込みで、それでも透明な絶対平和のユートピアを見ようと、意志のような物を感じる。その為に妙にカタニチカラが宿ってしまっている。そのチカラを偶然が祝福し、名作、に仕上がっている、というわけでもない。しかし、だからこそ、作家性の強く出た、極めて稀有で豪快に大団円な完結編となっている。本作は、その最終話に繋がる、やはり、稀有な分水嶺。

2017年2月7日火曜日

美女と液体人間

ゴジラも美女と液体人間もドイツ表現主義映画テイストの青春ドラマである。ゴジラが青年マッドサイエンティストの純愛を描いたフィルムノワールだとすると、美女と液体人間はプラーグの大学生のようで、ふぞろいの林檎たちや愛という名のもとにっぽい青春群像劇だ。ただ登場人物の自殺したチョロ的存在が液体人間化して復活してしまい騒動になってしまってはいるが。

2017年2月6日月曜日

怪獣総進撃

と言っても映画の方ではない。帰ってきたウルトラマン第1話の方。やはり郷の死までと復活後の異様さが際立っているように見えた。特に岸田森が。彼こそが郷の死の世界つまりウルトラマンの世界への水先案内人なのではないだろうか。世界を一変させるトリックスターだったのではないだろうか。郷のレースへの復帰の意向を驚くほど冷淡にはねのける。その豹変演技は正に怪奇大作戦での狂鬼人間に通じる凄さだ。だからこそ抜け殻のようになって怪獣のもとへと車を飛ばす郷の件がロードムービーのようにさえ感じられるのだ。24年目の復讐で牧が猿島へと船上の人になるシーンと重なるドラマチックさだ。岸田のこの演技力で第2話までの郷のウルトラマンとしての不全感を補強しているからこそ稀に見る自然さでウルトラマン登場を描くことができている。ちなみに第2話での郷は地に足のつかないタビニン寅さんのよう。 初代ウルトラマンが視聴者を橋渡す狂言回しイデに正体を訝られることで補強したのと好対称だ。

2017年1月27日金曜日

侵略する死者たち

死んだ人間の影は床や壁に転写されシャドーマンになるのだろうか。そしてシャドーマンを見たり触れたりした者は気や命を失い、やはりその影も命を失ったその場に染みついてシャドーマンと化し、やがて動きだすのだろうか。単に幽霊と定義するより、こっちのハードSF仕様ゴーストの方がよほど気色悪い。ゾンビや吸血鬼に近づいているからだろうか。いずれにしても本作、死体が自ら歩いて防衛軍基地を目指したことにちがいはない。まさにロメロの死霊のえじきを彷彿させる。死体は、それぞれ基地への路上でポインターに轢かれたり、みごと基地内部に潜入した個体も地下道で乱射殺された。具体的な描写は、ないが大部分の個体がゲートで捕獲されメディカルセンターや死体収容室に運ばれたのだろう。そして、そのなかにはまだ動ける個体もあってフルハシを背後から襲ったのだろう。いずれにしても何者かによる、この侵略手法は相当におそろしい。なぜならゾンビのように噛まれた者だけがゾンビになるのではなくゾンビからゾンビが転写する二次元ゾンビ。神出鬼没だしセブンをも封じ込めるほどなのだから。幸いに本作では気絶者はでても死亡者はでてないが、世界観はリングや黒沢清の回路を完全に先取りしていた。確かに回路のようにインターネットや通信網に幽霊が侵入された日にゃ地球防衛軍も狼煙や素手で戦うしかない。まさに、これこそ史上最大の侵略。ついに本作でウルトラシリーズ後にも先にもない禁断の侵略者、死者を早くも出してしまっていたのだ。そう考えると、あのセブンを捕らえた宇宙ステーション。回路に侵入した死者たちが動かしていたのであって後付けのユーリー星人などではなく正に幽霊ステーション幽霊船からの攻撃だったのだ。これはコワイ。


2017年1月26日木曜日

盗まれたウルトラ・アイ

東京K地区。宇宙戦争戦時下、親を失った不良少年少女や孤児達の街。街外れには枯野ばかりが拡がっている。アキラとかエヴァを彷彿させる景観だ。着ぐるみの出ない三部作は、どれも寒々しい近未来ディストピア風景が描かれている。最終回では世界の主要都市が壊滅しているというのに野球か何かのラジオかテレビの生活音だ。これは多分過去を懐かしむ為の海賊放送か何かで場末の飲み屋での演歌に通じる物と筆者は見る。しかし、これこそが薔薇色の近未来を舞台とするウルトラマンと正反対のウルトラセブンの世界観ズバリなのだ。地球防衛軍の軍族の家は洒落た洋館だが庶民は下町どころかスラムな感じに描かれる事が多い。この点が丸ノ内のビジネス街や山ノ手の子供家庭が多いウルトラマンと大いに違う。本作は宇宙の孤児としてのマヤとダンの極めて深いテーマを秘めた小さな触れ合いのジュブナイルドラマ。その傑作。

2017年1月25日水曜日

史上最大の侵略

最終話。前編はダンの煩悶とアンヌの純愛が錯綜して大人になった今観直すと田宮版白い巨塔に迫るかと言う位の重厚な心理描写だ。後編は、これまでの要素を全て盛り込んだ正に集大成。ダンが基地の窮状を盗み見るシーンでのビデオシーバーはガジェットを越えて神々しさすら。アンヌを乗せ駆け付けるポインターも眩しい位だ。セブンに加勢するホーク編隊は、その頼もしさからかマイティ号のように見えた。ダンは生きて帰れたのか。それとも途上で力尽きたのか。深い余韻を残すシナリオライティング。金城渾身の思いに涙を禁じ得ない。世界大戦争の引用も表面上にだけとどまってはいない。宝田星二人の悲恋は、そっくりそのままダンとアンヌに受け継がれている。