2017年5月12日金曜日

市民ケーン

コンテンツ享受って昔はテレビと本の時間がメインで。せめぎあっててわかりやすかったけど。今はスマホにパソコンにタブレット。スマホっていってもユーチューブやらゲームやら。ユーチューブひとつとってもコミュニケーションメインでネタテキに楽しみたいって人やエロいのもふくめてトニカク観まくりたいって人いてソレゾレ。テレビと本まぁ雑誌ね。それがメインだった牧歌的な時代。フォークが流行れば歌本とギター買って。エアチェックが流行ればコンポねだってfm雑誌買って。バラエティ番組と雑誌の時代。イカテン流行ったら。ベース買って。雑誌にメン募だして。ぴあシティロードでライブハウス知って。デモテープ持ち込んで。トニカクそれでもいつでもテレビと本が中心にあった。その間にゲーム機やウォークマンの時間が食い込んできたに過ぎなかった。それが今は。だからミンナ最終的にはテレビに出れて雑誌に載れればをメザシテカツドウしてた。テレビと雑誌は売れたので。出れて載れればシューニューにツナガッタ。テレビと雑誌に変わるモノをアラタにつくろうとするのか。それともオルタナティブに流行っては消えたゲーム機やらウォークマンを模索するのか。ネタテキにウチワでモリアガッテ楽しみたい。それのサイタルものが90年代dj文化。ゴーインに売れるグッズをカレラはソーゾーした。12インチシングルやスニーカーだ。テレビと雑誌はケッキョク映画界とスキャンダル。つまりハリウッドバビロンなヤバいムードをタノシムモノで。ヤバさが常にバックボーンにあってこそ。ヤバさに金を出す。オモイデの定着が主なモクテキで。オミヤゲとして買う地方の民芸品とは似て非なる。なのだ。12インチシングルやミックステープに商品価値が出せたのもハリウッドバビロン的なヤバさをウマク演出できたからなのではないだろうか。純粋にモノやブツではなくコンテンツそのものに金が出せるか。ソーイッタコトをデジタルコンテンツは今ワレワレヒトリヒトリに問うているのではないだろうか。すべてのヒトビトが創造者として。すべてのコンテンツを素材として。真のdjが全財産を投げ売ってでも超貴重音源を手にしようとするようなドコマデモ純粋なキモチ。市民ケーンの薔薇の蕾。もしかしたら流行っては消えゆくオルタナティブでマニアックなゲーム機やウォークマンや12インチシングルやスニーカーが多すぎるのではなく。まだまだ全然スクナスギルのではないのではないだろうか。誰もが欲しがるコンテンツをナンコも作る時代も一つ作って値を吊り上げる時代もオワッタ。この世にたった一つしか欲しくなるようなコンテンツがないニンゲンにすら欲しく思えるコンテンツをナンコも作れば良いのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿