2016年3月25日金曜日

吸血地獄

ヤク中の金持ち青年と孤独な吸血鬼の家出娘が今でいえばハウステンボスかディズニーランドのような当時ベタな温泉街のナントカ地獄というテーマパークをデート気分で無軌道な青春っぽく行く先々衝動的な殺人犯すというホラー版ボニーとクライドのようなロードムービーに二時間あったらなったはず。でも三十分でまとめるにはそういう王道的な描き方は絶対無理。なので捜査陣視点にしようとするもそれでも三十分枠苦戦している。しかしはからずも幸運なことにマトヤ所長というどこか謎めいて慈善家か宗教家めいた人物の視点をとりいれたことでコロンブスの卵してしまっている。もしマキというヘルシング視点で動かしていたらことごとく陳腐化し失敗していただろう。それくらいこの吸血地獄という回は京都買いますの何倍もデリケートなテーマを有し怪奇大作戦そのものからも大きく逸脱してウルトラcならぬウルトラqして大傑作たりえている。壮大な金城円谷ゴールデンコンビの怪獣怪物愛に満ち満ちた置き土産。母親が警官の銃を手にし直後身投げ切なすぎる。育ての親に報うなる日本的情感にはただただ涙。

2016年3月15日火曜日

光る通り魔

辺境周縁に追いやられたものたちはただ怨念のみを糧にして生きのびてきた。それこそが怪獣であり、支配なる近代思想を根本理念とする宇宙人や悪の組織とはあきらかにちがう。だからこそ怪獣は人類と敵対こそすれ同時にひどく現代人をひきつける。光る通り魔の燐光人間こそまさに怪獣でありその駆動力の怨念はハンパない。うちすてられみすてられた人間のクズ人間のゴミ流れ着き吹き溜まる自殺名所。その頂に口を開けすべてを飲み込み赤く燃えるブラックホール。そんな南の端の火山の火口から、そう東京にまでただ這いずってやって来たのだ。

2016年3月2日水曜日

ガラダマ

ガラモンは名前ではない。ガラダマに積まれたモンスターだからガラダマモンスターその略。ガラダマの飛来は侵略ではない。原子炉そのものの不法投棄である。ガラダマのガラはガラクタのガラでゴミアクタの意味もある。もはや侵略以上か。ガラモンはロボットである。それも大きさすら、まちまちな三流大量生産品。手や足の装甲は剥がれやすく使い終わったで厄介な動力は旧式の原子力。それを廃棄物用コンテナであるガラダマに乗っけて宇宙の果てから地球に向けて奴ら片っ端から廃棄しているのだ。ついでにゴミにICチップタグを付けるように電子頭脳の小型のガラダマまで付け。しかし、そんなエコロジーな文明批評は表立ててやったんでは効果半減。ヘドラがそう。そういうのは背景におしとどめてこそ真の文明批判なのだ。ゴジラ第一作はそうだし怪奇大作戦もそうだ。だからガラモンが動く廃原子炉であり制御不能で口からメルトダウンするとかという設定よりも、いったん電波を遮断されると、ふたたび電波を流しても、もう二度と作動しない点。つまり電波は墓場つまりゴミ捨て場への誘導電波にほかならないという、何か、ひどく無常感漂う、あのラスト。文楽とか能っぽい設定の方が世紀を越えて残る古典においては何倍も重要なのだ。