2016年3月2日水曜日

ガラダマ

ガラモンは名前ではない。ガラダマに積まれたモンスターだからガラダマモンスターその略。ガラダマの飛来は侵略ではない。原子炉そのものの不法投棄である。ガラダマのガラはガラクタのガラでゴミアクタの意味もある。もはや侵略以上か。ガラモンはロボットである。それも大きさすら、まちまちな三流大量生産品。手や足の装甲は剥がれやすく使い終わったで厄介な動力は旧式の原子力。それを廃棄物用コンテナであるガラダマに乗っけて宇宙の果てから地球に向けて奴ら片っ端から廃棄しているのだ。ついでにゴミにICチップタグを付けるように電子頭脳の小型のガラダマまで付け。しかし、そんなエコロジーな文明批評は表立ててやったんでは効果半減。ヘドラがそう。そういうのは背景におしとどめてこそ真の文明批判なのだ。ゴジラ第一作はそうだし怪奇大作戦もそうだ。だからガラモンが動く廃原子炉であり制御不能で口からメルトダウンするとかという設定よりも、いったん電波を遮断されると、ふたたび電波を流しても、もう二度と作動しない点。つまり電波は墓場つまりゴミ捨て場への誘導電波にほかならないという、何か、ひどく無常感漂う、あのラスト。文楽とか能っぽい設定の方が世紀を越えて残る古典においては何倍も重要なのだ。

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