2017年10月31日火曜日

光る通り魔

本作よくみると燐光人間。実はセミやカゲロウのようにはかない存在で大半の生命力を阿蘇の火口から東京への移動でほぼほぼつかいはたしていたのでは。というような描写が散見される。単なる光学合成と模型と効果音でえがかれるキャラクターなのだが実に計算されつくした性格づけ特撮演技設計だ。当初は事故とみせかける知能すらあったのにその出没と退散が次第に徘徊めいてくる。最期は花嫁と人形の区別すらつかずすがりつくようにしてはてる。ここには液体人間やゾンビにみられる残存意識だけが行動原理の人間のナレノハテとしてのモンスターがもつ傷ついた動物や怪獣につらなるあわれさが凝縮されておりそのヒューマニズムをこえてアンチヒューマニズムめく宇宙生命愛はモンスターキャラクターをこわいだけむなしいだけの無常や空虚におわらせず文字どおり作品をなけるホラーにまでおしあげている。これは漆黒の怪奇大作戦後半にはない薄明の魅力で。かすかなすくいでもある。実験装置の中でかわいげにちょろちょろする鉱物生命体の表現がここでいきてくる。こんなあじわいは筆者偏愛の吸血地獄と双璧で当初は周作の薬物依存をたしなめていたはずのあの健気なニーナが次第に吸血マシーンとかしていくあわれさ。あれもあの高度に計算されつくした特殊メイクと光学合成の実に見事なモンスター設計があってはじめて成立したといえる。

2017年10月19日木曜日

荒鷲の要塞

要塞化された山間の古城への侵入と脱出の大作戦。スパイがらみのせいでのっけから計画はつつぬけ。あっという間に実行部隊はたった二人に。麓の温泉地が平時とはうってかわって大スペクタクルの舞台とかすところは巨大な密室といったかんじで筆者一人勝手にもりあがる。それが存分にいかされているのがロープウェイでのこれでもかといわんばかりの特殊効果むきだしの異常な高所感バリバリのアクションシーン。ナバロンの要塞の要塞は絶海の孤島の断崖でみるからにアクション映画映画していたが本作の要塞は本来なら怪奇映画のそれのようなドラキュラ城めいた立地でおかげでいりくんだ二重スパイばなしが俄然いきてきてなにやら映画全体が戦時怪談のようにさえかんじられてくる。ラストの米軍イーストウッドのセリフ。次の作戦はイギリス人だけでやってくれがダークにわらえる。テレ東の午後ローでやるふるい作品はよいのがおおい。たぶんわかいスタッフのチョイスにもかなう時をこえた底力で潜在していた作品ばかりだからだろう。定番の名作からちょっとはずれた作品の再見再評価ができてこれはこれで筆者的には非常にうれしいのだ。

2017年10月13日金曜日

海の虹に超獣が踊る

虹の貝殻を集めると、海で死んだ父親が帰って来る。薄ら寒い怪談の様でもある。そんな幻想に逃げ込んで、少年は現実を見ようとしない。しかし少年は乗り越える。それは命を賭ける程の危機だった。父親は円谷英二の事だと思う。過去の遺産や先人の偉業に、逃げてばかりでは駄目だ。そんな新生円谷プロに向けての、切実な気概を感じてしまった。aの本作。人間ドラマとすれば、海洋奇談めいた、異形な感じさえするが、ジュブナイル少年ドラマとして、素直に見直すとqの鳥を見たのような、どこか懐かしい深い味わいがある。