2017年4月6日木曜日

白い顔

傑作和製ホラードラマとしての怪奇大作戦を語る時に忘れてはならない事の一つとして、既なる海外産スラッシャームービー射程の人体破壊描写の試みがある。緻密な円谷の特撮だからこそ成し得た冒険的だが確信犯的な試みだ。本作では白昼のオフィス街での阿鼻叫喚の人体発火なる極めて今日的で、テロさえ彷彿とさせる人体破壊が正しく衝撃的だった。白い顔の乱歩趣味はテレビの前の当時の子供達へのサービスだと割り切れるとして、後半の湖畔の洋館での正統派ゴシックホラー調は見事な物で、現代的なスラッシャー調との接続は奇跡的だ。待てよ。ここに白い顔がクッションの役割をしているのかも。だとすると実に巧妙。CG時代で今ならもっと凄まじいシーンも手軽だろうが自粛風潮と放送コードから実作は望んでも無理。緩い時代だった当時とは言え、万能の特撮技術が冴えていたとは言え、躊躇なく人体を溶かしたり砕いたり燃やしたり切り刻んだり。やはりベトナム戦争や赤軍派テロに対するスタッフの祈りとか思いのような物を感じずにはおれない。ヒッピーじみた反戦運動とはまたちょっと違う怪奇大作戦前期の持つそのメッセージは今も熱い。後期は後期で環境問題への深い問い掛けと人間の業への言及。

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