2017年4月16日日曜日

故郷は地球

ジャミラ。悲劇の平和の巨人という点。フラバラのフランケンシュタインを思わせる。子供の時には彼を怪獣と馬鹿にして。セーターを被り真似をした。残酷な事をしたと後悔している。彼の顔は同じドイツ人ならフランケンシュタインの顔がパッと区別つくように同じフランス人ならパッと区別がつく程で。個人の人間の面影をしっかり残しているし。傴になって全身がひび割れてしまっているが。怪獣なんかではなく巨大化した人間体なのはセリフから自明なはず。なのに我々は。思い切り怪獣に寄せたフィルターでしか見れなくなってしまっていた。当時は。でも。今は。そして人間衛星。悲しい響きだ。彼が乗っていた円盤形のロケットから。ミステリーゾーンの幻の宇宙船を思い出してしまった。墜落した人間衛星が成仏できず。永遠に軌道上をさまよい続けるという物。国際平和会議。偽善だ。工場や学園や原発。誘致の裏利権で見せ掛けの発展を遂げた。地方のブラック企業城下町のウスッペラな雰囲気が漂う。犬神家っぽい陰鬱な村。避難民が抱く柱時計に業の深さと差別の連鎖を見てしまう。本作でのウルトラマンは登場シーンも短く。格闘も殆どしない。冷たいロボット兵器ソノモノに見える。格闘の舞台のミニチュアセットも良くできている。いかにも会議の為に急ピッチで開発された地方実験都市で。田園に不似合いな近代デザインの総合ビルがぽつぽつと。テーマパークのアトラクション施設のように。点在するだけなのが本当に寒々しい。その寒々しい人工開発地区を背後に。冷たい雨の中。造成中の泥にまみれ一人孤独に。のたうちまわるジャミラ。ムルチと帰ってきたウルトラマンの公害企業工場の敷地内での雨の格闘シーンも良いが。本作の格闘シーンの痛ましさは桁外れ。なにせ人工降雨ミサイルの洗礼を浴びせた上にウルトラマンのジェット水流。たぶんそのせいでジャミラの死体は川の濁流となって。きれいさっぱり海へと運ばれたのだろう。何事もなかったかのように。そして雨上がり虹かかる逆光の中。会議に向かうセレブの人々。皮肉にもジャミラも宇宙飛行士というセレブだった。木霊するイデの叫び。でもこれは社会派の告発の叫びではない。あくまでもジャミラの悲惨さの。会議の欺瞞さの。ウルトラマンの冷酷さの。開発地区の寒々しさの。そういった近未来のゴシック感アイテムをクトゥルーホラー作品として相対的に際立たせる為の道具でしかない。実相寺監督のその後の作風から氏が本作で何をめざしていたかがわかる。脚本の佐々木氏には悪いが。乱歩的なグロテスク趣味だ。プロレタリア文学的告発ではない。イデの過剰さはそのグロテスク趣味のなかの範疇だ。本作は円谷一のミイラの叫びと双璧のホラー回として楽しむべきだ。怪獣使いと少年も超兵器R1号も。あっ。今気がついたけどR1号ってR62号の発明から来てるのかも。そして前も書いたけどホラーの社会的効用なんてものは社会の病巣の治療そのものでも病としての戦争や公害の告知告発でもない。治療計画構築モラトリアム。あくまでモラトリアムとしてしか機能しない。だったらホラーは不用だ。という結論にはならない。困難に慌てるのではなく困難の前で一旦。グッとこらえ立ち止まる。しっかと見詰め。ではどうするか。その余裕。その勇気。その機会を与えてくれる。つまり不用ではなく無の効能。不用者はカッコ悪いが。無用者。ムヨウモノ。の言葉の響きは。なぜかどこかカッコいいのと同じ。無用の用というやつである。ジャミラ。あんたかっこいい無用者だぜ。

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