2017年9月15日金曜日

歩く死体

ネット上には有料無料あふれる動画がある。その昔はウルトラマンのジラースならジラースがその一週間の間中自分はおろか学級の大半の男子の脳内をしめたしエクソシストやドラゴン危機一髪が一年中脳内にいすわりつづけた。本作のような初期の世にも奇妙な物語の名作も翌日の女子高では話題になっただろう。それほど一作一作のもつ効力がおおきかった。しかし今やその効力は一瞬の物となり誰もが生活のほとんどをささげコレクションのパーフェクトをなしとげたマニアのような倦怠をせおってしまっている。たしかに映画とかドラマとかといいつづけてればそうだろう。けれど動画なるもの。それは映画だろうか。ドラマだろうか。動画は動画。まったくあたらしい何かではないだろうか。はなっから倦怠を退屈さをうめこまれているモンスター。それが動画ではないだろうか。映像による都市伝説とでもいう。自分はそのあいすべきちいさなモンスターを日用映画とよんでいる。本ブログは批評ではない。動画における倦怠や退屈さと対峙しながらあの頃の真にモンスターだった映画やドラマの幻をおおうという無謀なその記録だ。で本題。雪山のセット。なぜこうも効果的なのだろう。ロケではこうはいかない。女の死体をひきずる男の不気味さ。でオマケ。こんな都市伝説がある。みずから殺した弟子の女の死体を人形とおもいこみもしくは人形の中にかくし共に旅をしている腹話術師がいていつのころからか人形にころされるという強迫観念にさいなまれるようになったというもの。第三者の目にはあきらかな腹話術師の狂気だが本人にはそれがわからない。

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