2017年4月14日金曜日

続・猿の惑星

彼らは核ミサイルの御神体に祈りを捧げる。彼らにとって核は使う物ではなく有って然るべきな心の支え。だからこそなのか。心の平安が保て念力やテレパシーが使えるのは。我々は実に平和な存在なのだと言わんばかり。それってもしかして核を、抑止力および戦略のカードとしてのみ機能させ見せ掛けのパワーバランスに漂い原子力の平和利用なら全て善しとばかり、とことん未来まで推し進めた結果の男根崇拝チックな戯画ではないのか。念力やテレパシーは核制御技術の副産物としてのITパワーの喩えではないのか。さらにあろうことか、普通に喋れるのに、それを快楽の為に、過剰にドラッグのように常用しているようにしか見えない。これでは、まるで反戦をお祭りネタとしてしか使わなかった対立側のヒッピーと同じではないか。そして最後の呆気ない幕切れは、たった一人の一寸した偶然でスイッチは簡単に押されてしまうのだという現実を象徴しているのではないだろうか。猿の惑星五部作の中でも最も破綻したトンデモ番外編な本作が今でも有効だという事実には何か生々しく気色悪い思いを筆者は拭い切れないでいる。純粋に正邪飲み込んでの正常な諸行無常のループ五部作としての本来の猿の惑星が早く楽しめるように世界がなって欲しい。チャールトンヘストンがトランプに見えて仕方ない。自分は今、本作に躓いている。舞台が舞台だからだ。問題は全て禁制地帯に捨て去れば良いという猿の考え方。全てはセブンK地区な、そんな汚染されたスラム以下の場所で起こっている。だから太陽を作った男のジュリーみたいな奴らがカルト集団を作って潜伏しててもおかしくないし好戦的なゴリラは戦争ゲームを楽しみに来るだろうし何が起こっても不思議のない無法地帯。当時のアフリカのような所。しかし、こんなトンデモ作に今だ試されるような現実世界。重ねて言う。これで良いのか。

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