2016年9月18日日曜日

モスラ対ゴジラ

自分はどうしてもいや自分だけではないかもしれないが本作モスラ対ゴジラが何か腑に落ちない。理由を考えてみたい。キングコング対ゴジラは手放しでゴジラシリーズと切り離して観賞できるのになぜか本作モスラ対ゴジラはこれが一体モスラシリーズなのかゴジラシリーズなのか未だ判然としないでいる。そこに原因があるように思う。ゴジラの逆襲はゴジラシリーズ第二作ではない。そう思うことは自然にできる。二代目ゴジラの第一作だからだ。三大怪獣。これはキングギドラものだ。 誰も空の大怪獣ラドンの続編だとは思わない。 大戦争。これはX星人もの。新怪獣は出ない。南海。エビラもの。いや新世代交代スタッフデビュー作。まだまだ手探りの実験作。準備作。息子。ここでやっと二代目ゴジラシリーズ第二作となる。だけど対戦シリーズではない。本格的二作目はヘドラまで待つことに。総進撃。時代設定が違う。オール怪獣。これは完全に異色作。そして対ヘドラ。ここで二代目ゴジラシリーズ第三作となる。本格的対戦スタイルから言えばここでやっと第二作目。続くガイガン。メガロ。ここで一旦終了。モスラ対ゴジラはモスラシリーズ第二作。モスラ続編。ここらへんでそう自分はそう言い切らせてもらう。いや言い切らせてほしい。ズバリ。早すぎたのだ。モスラ対ゴジラは。ゴジラ対ヘドラのテイストが出せる70年代まで待てば良かったのだ。あのようなダークな作風でインファント島を描いて欲しかった。海岸の村人や子供を描いて欲しかった。悪者も若者たちみたいに描いて欲しかった。その末路も。70年代のゴジラがああなったんだったらさぞ70年代のモスラも。いやはや観てみたかった。

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