2016年12月4日日曜日

フランケンシュタイン対地底怪獣

一見平板なシナリオに見えるけれど以外と巧妙だ。両モンスター共いつどこに現れるかが分からない。そのサスペンス。このサスペンス。海が舞台で使われるのが常套で効果も満点よく使われる。しかし本作は山である。ここで地底怪獣の設定が活きる。まるで瞬間移動のように神出鬼没。そしてココが重要。土屋嘉男の役柄が潜水艦上がりの石油掘削技術者だという点。実に巧い。一方フランケンシュタインの方は柳田国男の山人の概念を付与されていると見て間違いない。それも突飛ではない。フランケンシュタインの元となった西洋人の死体は多分スイスやドイツの山岳地帯の出身。大いに。有り得る事だからだ。心臓だけになってもその身体記憶は如何ばかりか。山の奥の洞窟を見つける能力や塩の道などと学術視される獣道や暗い谷底深くの地図にも載らない複雑な隘路を察知する能力。備わっていて不思議はない。この辺の描写は本作にも次作のサンダの振る舞いにも出てくる。この神出鬼没の両者プラス人間側の追跡の攻防が本作の肝だ。次作のような対自衛隊の攻防の派手さはないがどこか。復讐するは我にあり。とか。指名手配犯映画のようなサスペンスがあって個人的には次作よりも本作の方が好きだ。さて書きに書きまくってきた本作の事は今回でそろそろ終わりにしたい。そこで最後に。本作の音響の世界の素晴らしさを。エレキインストと定番伊福部節の対比が味わい深く実に濃密な90分。まるでデヴィッドボウイのロウのようなニューウェーブなサントラ。まずは座頭市モードのロードムービー寄りの荒涼かつ哀愁の伊福部が炸裂している点。パリテキサス張りのアンビエントブルースなメロディは耳に残る。 そして序盤に通奏低音のように使われる重苦しいフランケンシュタインの心臓の鼓動。最早これは音楽であり音楽であるところのゴジラの咆哮と同次元のフランケンシュタインその物を象徴するアイコン。シルシ。なのだ。確かにドゴラの流用かも知れない。ガイラのキシェーッの方がウケるかも知れない。しかし本作の。この心臓音は深い。フランケンシュタインその正体はカタチではなく現象である。波動だ波だ音だ。と言うこの形而上的な神話的な遺伝子工学的な量子物理学的な凄さ素晴らしさ。正に生命とは何かを身体感覚。ヘビメタフリージャズノイズインダストリアル次元で説いているのではなかろうかとさえ思えてくる。それは脳髄ではなく自律的な筋肉のカタマリ。そう生命とは頭でっかちな物では無く実に素朴なキン肉の躍動その物だと言う事。放射能をモノトモセズ廃墟の中を走り回って遊んでいた幼生フランケンシュタイン。それは裸足のゲンのハッチャケっぷりに通じていると言う事。

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