2018年6月30日土曜日

壁ぬけ男

魔都東京を舞台にして東宝映画変身人間シリーズのテイストをそのままに。テレビドラマとしてスタートさせようとしたのが怪奇大作戦シリーズ。本作はそれを端的無難に体現しようと紆余曲折をへて急遽第一作にもってこられたものでもある。そこで。つづく話数の諸作品でおしだされる怪奇大作戦本来の強烈さ。これはいったいどうしたことなのだろう。このシリーズ前期10作の。いまとなってわかる的な。この強烈さこそ怪奇大作戦の本質とまではいわないが決定的な印象づけになっている。そうみてまちがいない。そう人体破壊描写である。映画以上の洗練を獲得した円谷特撮技術のさえを最大限にいかした。これら残酷シーンはいまみても充分すぎるくらい衝撃的だ。泡をふいて白骨化する人体。すさまじい人体自然発火現象二連発。結晶氷結し粉々にとびちる女体。グビグビとダイナミックな音をたてての吸血。内臓のようにぶちまけられる機械部品が不気味すぎる人造人間におけるところの人体破壊。火口をはいあがろうとする硫黄まみれのゾンビ。生首の高速飛行。すさまじいばかりである。しかしそうした過激さはすぐにおさえられる。そのため一部にはなかだるみだとひょうするものもいるそんなさらなる中期10作。電波汚染交通戦争人間蒸発など当時の加害被害をこえた暗部をえぐるような重厚な社会派ドラマの様相さえていするようになってくる。しかし筆者はこの中期10作があればこその怪奇大作戦だとおもっている。後期のような普遍性ではなく。まさにあのベトナム戦争時代の。まさに高度成長のひずみがあらゆるところにみうけられるところの。まさにあの時代。あの瞬間でしかなしえなかったテンションがみなぎっている。たしかに前期の。まだのこる乱歩的建造物風景のなかでアップデートされ洗練された残酷特撮をもちいての怪人怪盗ミステリーもよかろう。しかし世紀をまたぎのこったかどうかはうたがわしい。そして後期終盤6作ともなるとかなしい人間の内面までえがきふかい余韻をのこす。それはあたかも人類滅亡後の荒涼とした心象風景のようでもある。過去のレーザーディスク化時のパッケージタイトルが以上全三期をそれぞれ恐怖人間スペシャル魔界殺人スペシャル妖奇幻想スペシャルとしなかなかに見事であったことをしるしおおいなる敬意をひょうしつつここに拙稿怪奇大作戦概観の筆をおくこととしよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿