2018年6月5日火曜日

かまいたち

前におなじ怪奇大作戦の吸血地獄が全編幻覚のドラッグフィルムだとだんじた筆者だが本作もそんなかんじがしてならない。野村がさんざんなめにあうところといい牧がその狂気の部分をあらわにする回そんな意味からしても同様なかんじがしてならないのだ。だとすると吸血地獄同様ほりさげればほりさげるほど堂々めぐりになってぬけられなくなってしまいそうな本作。筆者にとっては相当に危険な問題作そのうたがいはどうやらかなりの確率で濃厚なようだ。吸血地獄においても一部まるで日活ロマンポルノをおもわせるような皮膚感覚レベルでの淫靡さそんなものをかんじさせるシーンが散見されていたのだが。こと本作にいたってはほとんどもう四畳半同棲映画そのものなトーン。ロケーションにさえなってしまっている。これが三沢メインだと青い血の女のようなフィルムノワールになり牧メインだとおなじ夜と鬱でもこう。そこがまたよくもあったりするのだが。なにがいいたいのかというとポルノとドラッグフィルム。両者ともに物語以前にトリップ用の実用品としてこの両者は共通しているのではないだろうかということをいいたいのである。ホラーにもそんな実用品的なところがたぶんにある。そう日常への視神経からのプチスリルの注入だ。だからホラーついつくるほうもみるほうも意図せずよこすべりし足をすくわれがちなのではないだろうか。つまり本作や吸血地獄そのほかもろもろの諸作品をまえにしてホラーとしてみた場合かなり逸脱や破綻がめだってしまうようならいっそ意図的にドラッグフィルムとしてみてしまおうと。とまぁそんなところである。犯罪逃走映画を下水道映画としてみる。それとおなじようなものである。タイトルクレジットの下水ながれこむドブ川にひっかかったバラバラ死体の腕。見事なまでに下水道な汚濁感。つづく死体検分シーンにしてもその立地なにやら下水道内の正体不明な地下にしかおもえず。おちる水滴の反響音さえきこえる。犯行自体が橋の上でしかおこなわれないのは真空切断機の設置とか効力の事情によるものだろうがバキュームカーのようなその切断機のフォルムはとにかくグロい。いずれにしてもつねにドブ川を背景に凶行がおこなわれるという点ではやはり下水道をつよく意識せざるをえない。鑑識が川底をさらうシーンはひとつのハイライトにもなっている。また現場に去来する野次馬全員を個々にうつしてその写真の束を夜どおし床にひろげて検分するシーンがあるが。これにしてもなにやら全然sri本部内とは到底みえず地下の巨大空間でおこなわれているような印象それにつづく暗室シーンにしてもだ。とにかくいろんな角度でアンダーワールド。地下とか下水道とかのキーワードがぬぐえない。そんな本作なのである。とどめは半地下のようなくらい喫茶店でのアロワナショーである。もうこうなっては下水道の巨大ワニである。なにもかも下水道下水道である。下水道はなにも垂直方向にばかり底がぬけているのではない。なんと牧の暗黒推理は犯人のはたらく町工場の裏庭が犯行現場へと水平方向に底がぬけてしまっていることをみぬいてしまう。そう町工場は。町は。すべては。象徴地下世界の最暗黒ターミナルに存在していたのだ。都市の地下をあみのめのような下水道をつたいいたるところのマンホールから神出鬼没する殺人鬼そんな恐怖をまたべつの暗黒絶対恐怖として宇宙的にえがいた。そんな下水道映画の傑作それが本作だ。本作とおなじ上原脚本にもうひとつおよそ清浄とはいえない横須賀の海や河川で暗躍する水棲人間をえがいた24年目の復讐があるがあれもやはり暗黒下水道映画といえる。被害者をまっくろな水の中にまっくろな男がひきずりこむ過程をタールの海にねっとりとえがいたそのタイトルクレジットそのなんとその暗黒なことよ。

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