2018年3月23日金曜日

白い野獣(1950)

近未来。世界最終戦争の結果。世の男性はことごとくゾンビ化。特に悲惨なゾンビ窟にいたが感染をまぬがれたか感染したが未発症の女達が風光明媚な郊外のシェルターに保護収容された。すべてはシェルター内閉鎖空間群像劇としてかたられゾンビの跋扈する外の世界の様子は直接にはえがかれずシェルターにおよぶ個々の影響によってのみ外のその荒廃っぷりが間接的にしれるようにえがかれている。だからつい最悪の惨状を想像してしまうので余計にこわい。この辺は実にさすが安定した演出力でゾンビ群のでないゾンビ映画として実にワクワクさせられっぱなしの筆者。シェルターをきりもりするのは山村聰と女医の二人。二人は女達にいずれふたたび外の世界へでてもゾンビとの接触をつよい意志と生活力で排除でき自立できるようにまで女達にはなってほしいとねがっている。高潔なこの二人は俗な男女の仲を超越そんな高邁な理想でのみむすびついているのだった。本作。女メインの映画なので腕に職をもち完全自立した女医がめだつ。そんな中。岡田英次が。収容された女のひとりをたずねてくる。ゾンビでこそないがもともとドーテー気質の上過酷な戦場で心の傷をおい中二病をひどくこじらせたようになってしまっているゲスでダメンズな男だ。たずねこられた女は動揺する。その他。ついに発症してしまい隔離の為軍用車両で護送されていく女。自覚のない妊娠が発覚する女。やはり発症し失明宣告をうける女。シェルターといえども過酷な現実が次々とつきつけられる。ある日そんな中で全員に外出許可がでる。束の間の外の自由な空気だ。そして先の女は岡田英次の元へ。岡田との時間は泥沼の陰惨なものにおわる。結局その他の女達にはおくれたが女も無事シェルターにもどる。おってきた岡田も山村にさとされひとりゾンビ禍の中をいきぬく覚悟をかためいつか女をむかえにこれるようにつよくなると宣言し女とは目と目でわかれかえっていく。無事赤子も男児がうまれる。そんなかすかな希望の中あの視力をうしなった女が朝やけの中ひとりたちつくしあたらしい朝をぬくもりとしてゆたかに全身でかんじようとしている。それこそはこの女個人としてだけではなくシェルターいや全女性こそがゾンビ禍の不条理をももはや運命としてしっかりとうけいれ外の人類全男性がゾンビ化した今。それでも前をむいてつよくいきていこうとする新。人類。女。の姿であった。

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