2018年9月3日月曜日

さらばウルトラマン

ある意味この原ウルトラマンの最終回はその不条理さという点では唐突な宇宙死亡事故をえがいた初回よりさらに唐突な死者のよみがえりをえがいているという点において。あのエヴァンゲリオンの最終回の不条理さよりも不可解な作品とさえいってよいとおもう。ウルトラセブンや帰マンの最終回とかの。感動編とかではなく唐突さと不可解さにみちておりウルトラqの真の最終回あけてくれと双璧だ。そこにすべてが手さぐりすべてが模索の黎明期のすごさがある。いきなりの円盤大群の襲来による突然の人類滅亡の危機といいほぼ全編警報サイレンなりひびく異常事態終末風景だし風船の中からあらわれる正体不明の完全無欠超生物宇宙恐竜ゼットンといいそのゼットンあっけなく一発の銃弾にて木端微塵といいその銃弾なにやら反重力量子分解レベルの禁断の超最終兵器ぎみだしケムール人そっくりの名前すらない宇宙人といいとってつけたような宇宙科学特捜隊隊長ゾフィーの出現といいそのゾフィー命ふたつ有すといいもはやすっとぼけて観客の我々子供達を小馬鹿にしているとしかおもえないくらいにレッドゾーンふりきれている。いくら予算枯渇による中断めいた大人の事情な終了といえどもだ。なにかスタッフのいかりすらかんじる。挿入される過去のウルトラマンの激闘シーンで上っ面の感謝と感動を捏造演出するもそのあまりの悲愴感そして話をそらそうそらそうとするところなどはまさにおいつめられたスタッフの底意地かつ往生際のわるさすらにじみでている。いろんな意味で本作の登場はその時点において大人のこわさをみせつけられたという点で空想特撮科学シリーズの大人級のクオリティーがどうのこうのをもはやこえ。ホラーである。放送事故レベルである。たしかに初回からすでにこの原ウルトラマンという番組。フジアキコ隊員によって必要以上にハヤタの事故が真にせまらせられたりしていてドキュメンタリーのようなホラーさがあったにはあった。しかしこと当番組本作のこの最終回時点にいたってはトラウマ級の悪夢以外なにものでもなく。不条理ホラーとしてきわまってしまっている。原ウルトラマンとはそういう番組だったのだ。事実筆者においても公開当時のリアルタイムでの視聴体験の際の実感はそうとしかいいようがなかったような気がいまさらながらのようにしているしだいなのだから。

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