2018年9月25日火曜日

霧の童話

本作。実はよくあるシックスセンスな既にしんでいた系。老人と幽霊の子供達だけの村。若者達は既に大半が村をすててでていってしまっているかまだ村にのこっていたとしてももはやうりわたしにかかっていてうりわたしたその金を元手にでていく事を平気でかんがえているような奴ばかり。幽霊の子供達といったのは既にラストの鉄砲水での全滅は約束されていたし鉄砲水がおこらなくてもいずれにしても幽霊の神通力なので子供達の姿は消滅していただろうし小学校の過疎にしてはあまりにもおおすぎるその数だしまちがいなくそのおおくは幽霊か座敷ワラシめいた人外な物だったにちがいないそうおもえてしまうからだ。また主人公の少年のあまりにも地蔵に心をよせすぎている様も不気味でやはり座敷ワラシっぽいしラストカットの地蔵のかたわらで所在なげな作業服の老人あれはどうみても幽霊っぽい。なぜこんな風に大幅にかんがえなおしたかというと落武者を自作自演した面々よくみなおすと皆ほぼ老人と年齢設定されているのがわかる格闘の際には更にそれがよくわかるそればかりではない主人公の少年がワンシーンだが無表情で真夜中に三沢の車中泊の所にたずねくるシーンそんな不気味なシーンがあった事をおもいだしたからだ。あともはや自前都市伝説のレベルだが実は本作まるごと三沢はとっくに前話までにしんでいてたとえば青い血の女の回とか本作の体験は三沢の死後の世界そんなドラマなのではないだろうかともかんがえさせられたりまでしてしまうのだ本作は。そうかんがえるとあの三沢だけが一人部屋にとりのこされるさびしげなシーンやけに腑におちるのだ。

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