2018年11月1日木曜日

首都消失

後半の破綻のしかたが前線基地テント作戦シミュレーションへとまとまってしまうとだいたいサンダ対ガイラやゴジラ対ヘドラのようになってオタク御用達自衛隊映画のレッテルをいただきがちにおもう。それはそれでよいのだが世界大戦争や日本沈没のような正統派大作映画的感動はうすい。たしかに前半のポリティカルフィクションを後半もつらぬくのはかなりむずかしいだろう。しかし先日の曼陀羅の岸田森のようにキャラしだいではドンキホーテ的哀愁アメリカン傑作ニューシネマ感をかもしだせる場合もある。そうたとえばピーマン白書。そうネタ的トンデモ映画になるまえにいさぎよく男涙のズタボロ映画とひらきなおればよかったのだ。そこがなにやら80年代のこうした映画が70年代のものにまけるゆえんなのではないだろうか。いまや前半の集団ディスカッション劇部分だけを安全志向でうけついでそこでおわってしまっている映画のなんとおおいことか。さて本作でのズタボロドンキホーテキャラはというと。渡瀬でも山下でもない。盲目のストリートロッカー松村冬風である。元一世風靡。山下になぐりたおされ雷雨のなか感電死必至でエレキをかきならし尾崎風バラードをうたう姿はいまや完全になかったことにされているリモートジュンスカなどの原宿系ストリートロックのズタボロさをいまにつたえてあまりあるみごとさ。みずからホコ天ライブを経験した筆者はもう涙。石野陽子らアイドル風味もあって本作じつは金八第二シーズンにおとらぬストリート系学園危機一髪ならぬ首都圏危機一髪ものの大傑作。

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