2018年12月21日金曜日

美女と液体人間

なんともいびつに健全風な科学者とキャバ嬢の青春物語なこのかんじ。もしかしたらまともなストーリーなのは。冒頭ギャング三崎が謎の発砲音をのこし下水道にながれさるまで。そこまでなのではないだろうか。そこまででスタイリッシュなフィルムノワールとしての本作はすでにおわってしまっているのではないだろうか。あとは三崎のいまでは液体人間になってしまいその残存意識すらとおのきつつあるいかにもこころもとないシュールな三崎のゆれうごく主観視点なのでは。表現主義とはうらがえったキッカイなロマン主義なのだから。フィルムノワールとはそうした表現主義のうえになりたっているものなのだから。あくまでもいまここにいない三崎を主人公とした屈折しまくった。けれどムチャクチャかっこいいフィルムノワール作品。それが本作。なぜこんなかんがえにいたったかというと。あくまで筆者超個人的意見だが。東宝の特撮としてみたばあいどこかハタンがひどすぎるのだ本作。でもなぜかチョーひかれる。あのドゴラやラドンやオール怪獣大進撃のあのかんじ。もしかしたらこれこそがゴジラ第一作にはなかった。円谷というより本多監督の。あの成瀬監督にちかい。変すぎる。モチアジのマックスなのでは。ゲージツなのでは。そう。いやにあの無機的に側溝にながれこむ雨の夜の冒頭シーンがながくながくかんじられるし意味深すぎるのだ。陰鬱なギャングとしての人生ではなく新進の若手科学者の人生をいきなおそうとでもしているかのようにみえるのだ。すべてはなかったことだったのである。刑事物の側面といい幽霊船物の側面といい大炎上といい反核モードといい全部バラバラでベタすぎる。まるで脈絡のない薬物トリップ風景としかいいようがない。そうするととってつけたようなあのラストの。博士の。液体人間とは放射能時代へのあらたな人類の適応であり進化である。というオフでのセリフ。あれがまとをえてくるのだ。ふにおちるのだ。そして三崎にとっておおいなるすくいの言葉ともなっているのではないだろうか。たぶんに皮肉的かもだが。そういかにもあわれな人生をおえた三崎というチンピラ。そう本作の主人公ミサキとはガス人間ミズノ以上に実に実に魅力的なズタボロまけ犬ダークヒーローだったのである。以上液体人間感情移入できないとひょうされがちだが不満をもらすまえにおもいっきり感情移入をこころみた結果筆者えた見解。結論。本作ヒッチコックのめまいやサイコのような超実験的フィルムノワール。

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