2018年7月23日月曜日

屋根裏の散歩者

ウルトラマンやエヴァンゲリオンの監督や脚本だからか本作はもはやsfにおよんでしまっていてあのラストはとある発端にしかすぎなかったのではないだろうか。主人公はそのご明智いやすべての人間のまえから姿をけしたのではないだろうか。彼は屋根裏の街そう現代つまり彼にとっての理想の未来われわれにとってはありふれた街のありふれた住人になってしまったのではないだろうか。インターネット社会という。以下そんな彼ののこしたであろう手記みたいなものをかいてみた。某月某日。最初は屋根裏の散歩者をきどってのぞきにせいをだしていたけれどある日ふと屋根裏の隅に外へのくぐり戸があることにきづいた。外にでてみるととなりの屋根がすぐそこにあった。でもあぶないのでその日はそのままひきかえした。あくる日玄関から裏にまわってあのくぐり戸のあるあたりをみあげてみたがなにもなかった。あの日いらいのぞきはやめてしまいくぐり戸の外の街の虜になっている。となりの屋根からまたそのとなり屋根づたいに地上におりられそうな建物をみつけ地上におりたったのだ。郷田三郎。

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