2018年7月19日木曜日

キングコング(1933)

まずエジプトのような古代の超文明によってきずかれたとされる孤島を二分する巨大な壁の存在が不気味。だって壁のむこう側の原始世界があまりにもすごすぎる。進撃の巨人まっさおなほどに残酷過酷。それを制御するほどの強固な壁が古代にとっくにつくられていたとは。もしかしたら原始世界そのものもバイオテクノロジーで古代人がつくったものなのでは。とにかく不気味だ。たしかに太古の森がのこっていただけというにはあまりにも不自然きわまる多種多様のモンスターで異常すぎる生態系なのだ。つまりなにがいいたいかというと本作怪獣映画として古典だとかどうとかいうよりこうしたその謎設定バイオ設定壁設定のほうがいまにしてみるとゾンビシリーズはじめジュラシックシリーズまでホラーからパニックからなにからその影響がおよんでいるというその現実。そここそにセンスオブワンダーがある。だからリメイクでいくらコングの造形だけにこだわっても成功しない。あの孤島のあの原始世界の不気味さが表現されてこそなのだ。あとそれに呼応する当時のニューヨークのいかがわしさ。まさにギャングで娼婦な輩ばかりのようにみえる。キングコングはそんな新興ヤクザをぶちのめす昔ながらの大親分ヤクザのようで爽快だ。本作はそれが演技から演出から美術から音楽からなにからなにまで的確に表現されきっている。その点がなによりすごい。壁をつくった謎の超高度古代文明それはあのゴジラ第一作のオキシジェンデストロイヤーなるやはり謎の超科学物質の存在その不気味さをおもわせる。体現する芹沢博士のそのダークヒーローすぎるキャラと見事な演技そしてその屋敷その雰囲気。だからゴジラ第一作もすごいのだ。そうそしてなによりもおそろしいのはこれら謎の超高度古代文明を。謎の超科学最終物質を。制御する能力もないくせにときはなつことだけはできる現代文明のいびつさ。そしてそれが一切回収されない不気味さ。それにしても本作もゴジラ第一作もそのラストシーンである。怪獣の最期をえがいて哀愁をさそう以上に世界のおわりそうみえてただやるせないただただあっけない。無常感あふれる幕ぎれだとかんじるのは筆者だけであろうか。美女に野獣がころされたただそれだけ。つくづく芹沢博士もキングコングだとおもった。付録。怪獣映画としてのゴッドファーザー。つくづくこのビトーという男は怪獣でゴッドファーザーは怪獣映画だったんだと。キングコングが南洋の孤島うまれなようにビトーはシシリー島からニューヨークに上陸してきた。キングコング1933をみておもったんだけど上陸したニューヨークのあのあの時代だからこそのいかがわしさがあってこそコングははえたし存分にあばれることができた。そうおもえてしかたない。これはまさにビトーにこそいやコルレオーネ家にこそあてはまる。長男ソニーの最期はまるで自衛隊の一斉攻撃のようであったしビトーの最期が怪獣の真似だったというのもまたひどく皮肉的であった。そして三男マイケルは怪獣をたおすクールな科学者そのものでそれをみずからの内部にかかえるコルレオーネ家という怪獣の。闇のふかさ。業のふかさ。そしてそれは最愛のマドンナである娘を目の前でうしなうというパートⅢでメカゴジラの逆襲のごとく怪獣映画としてきわまる。

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