2018年12月16日日曜日

サイコ

フリッツラングとかとともにフィルムノワールのパイオニアだったヒッチコック。でもラングやオーソンウェルズのような芸術的フィルムノワールをものにできずにいた。そこでワンシーンだけを芸術としようとしてダリとくんだり。芸術ではなく空想科学的フィルムノワールならとれるんじゃないかと鳥をとったりした。そんなフィルムノワールのマスターピースへのこころみのひとつが本作である。革命的実験的ワンシーンによってフィルムノワールをこえるフィルムノワールをものにしようとしていたのである。まるでキューブリックのようなはてしなき上昇志向である。で。本作で導入したのはなんとアニメーション的感覚。そうあのシャワーシーンは今ではよくあるストロボでのスライドショーギミックあれとそっくりなかんじなのだが。しかしそんなものとくらべてはならない。なんと本作のそれは音響とのコラボふくめ極限まで洗練されデザイン化されている。だからそれはもはや最新感覚のcgアニメをみているような感覚さえみるものにあたえる。鳥では円谷的特撮を。そして本作では手塚的アニメを。と。すさまじいまでにはやすぎる。そのジャポニズムサブカル要素導入。ぶっとんだポップ感覚である。キッチュ感覚である。もはや人間は二次元の無生物としてあつかわれている。いやゲームのアバターだ。だから本作のこのシャワーシーンはきわめて80年代的スプラッターきり株ムービー感覚にみちみちている。やはり本作こそナイトオブザリビングデッド悪魔のいけにえその両作品を用意した直系元祖である。といわざるをえない。

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