2019年3月20日水曜日

蛇娘と白髪魔

養護施設の女子にめでたく親がみつかり屋敷にひきとられる。しかしその屋敷には。そう。よくある定番設定の怪奇物なのだが屋敷が近所でマチナカなのでゴシックなホラー感がもりあがらない。やはり屋敷はとおく山中の閉鎖的な村に。で。なくては。なのである。クライマックス。幽閉された屋敷屋根裏部屋から脱出。からがら養護施設にたどりつくのだが。施設長のシスターがナニモノかにころされ絶体絶命。でもやはりどこかもりあがらない。なにかあると施設と屋敷をいったりきたりなのである。で。おもったのだ。これは少女版家政婦はみた。そして少女版少年探偵団。では。と。してみてはどうだろうか。と。ホラーというよりミステリー。そして田舎ゴシックではなく乱歩で清張な都会派ミステリー。と。そうとらえるのだ。そうするとじつにハマリがよくなる。ライバル役の。主人公の姉の。なにやら不良少女更生物のようにさえみれてしまうのだ。あの大映ドラマがよみがえる。東宝ならこうはならない。ホラーへとふりきれてしまう。積木くずしなどがよい例で映画版の東宝版なんか。もはやエクソシストへとふりきれてしまっている。しかしこの大映テイストの中途半端さ。そこがじつにあいらしい。少女漫画の映画化としてはこれはこれでよかったのでは。でもやはり近所なのでもりあがらない感が気にかかる。施設と屋敷をいったりきたり。とにかくビデオ初見時には事実そうみえたのだ。だが。しかしである。こんな風にもおもえてきたのである。屋敷そのものが怪物的なイキモノとして主人公の心象で増殖したりして幻想もまじえられてえがかれているのではないか。とも。あの怪奇大作戦吸血地獄散歩する首もそうだ。ホテルも屋敷も山小屋も異常にひろい。無際限の宇宙のようだ。本作も。これ破綻ともみえるがそのじつとんでもないおそろしさをひめていたのだ。ビデオ初見時。二階の屋根裏部屋だというのにあの脱出シーンはまるで何十階だてだかの塔の上からの脱出のようにみえた。屋敷敷地内。はるか眼下に高速道路がよこぎりその下を鉄道線路さえ建物スレスレにはしっていた。あれはどうかんがえてもおかしい。幼少リアルタイム劇場初見時にはその他の恐怖場面ではなくこの迷宮感に。その夜ねむれなくなった。のである。ラスト。おわれにげこむ建築現場にしても実はそこもまだ屋敷敷地内であり工事建物も屋敷の一部だったのでは。そうすると。とにかく本作の一番おそろしいところ。それはその空間のゆがみ感をともないまくったバケモノのような屋敷ソノモノだったのでは。この湯浅監督というのは油断できないのである。事実昭和ガメラシリーズもその空間把握感覚はそういえばすべて異常だった。しかしその異常空間感は本作。コントラストのきついモノクロ画面をえてさらにひきたっている。そこでやはりモノクロ作品昭和ガメラ第一作をみかえしてみたのだが。やはり怪作だった。そうわすれられがちだが。ヒッチコックの鳥やめまいもそうでホラー映画醍醐味には空間恐怖というのがしっかりある。だから劇場でみるにかぎるのだ。

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