2016年10月6日木曜日

『戦え!マイティジャック』「マイティ号を取り返せ!!」

マイティ号は、やはりどこかウルトラマンに似ている。その巨大感と崇高感が、すべてなのだ。結局それが限界でもあり魅力でもあることが本作を観ると良く分かる。ダンがゲスト出演することでウルトラセブン世界が陰画的に反映され以下が浮き彫りになっている。それは、いかにマイティジャックが、ウルトラセブン的なガジェットに頼ったサンダーバード的007的な作品ではなく、どこまでも守り神的ヒーロー的なカタルシスで転結する、どこまでも王道なウルトラマン的大魔神的作品であるということ。まるでダンがセブンが旧ウルトラマン倒れし時、駆け付けたゾフィのように見える。つまりそれが無印マイティジャックにおける、どこまでも交わらないスパイアクションとマイティ号の存在感、あの感じの原因だったということ。しかし戦え付きになってからの、本作と最終話の前後編二部作は、そのことを開き直っている御陰か、どこかおさまりが良い。結局マイティ号は巨大なだけのデクノボーで良いのだ。デクノボーは落ちぶれた時にこそ、その魅力を発する。帰ってきたウルトラマンがそうだ。ローマ大史劇が落ちぶれての魅力から、マカロニウエスタンやゾンビが生まれたように。だからこそ、筆者わたしは、戦え付きのマイティジャックの中の少なくないホラー編その屈指の最高傑作として本作を推す。そうマイティ号による悪夢のような東京大空襲シーンそれはホラー以外の何物でもないのだから。セブンが東京を襲っても怖くなかったでしょ。旧ウルトラマンは怖かったでしょ。新マンは多分怖過ぎて見ていられない。

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