2023年9月14日木曜日

ゴーストシャーク(2013)

どことなく悪魔のいけにえや溶解人間をおもわせるぬるっとしたカメラワークだ。夕陽が印象にのこるのだ。そんなかんじで鮫にのろわれた入江の部落が舞台。因襲の老人と無法の若者がせめぎあう。せめぎあうだけで人物がふかく描写されない無機的即物的な群像ホラー。水のあるところならプールからトイレから自由に移動可能な四次元ザメ。でもそんなふうにミラーマンとかのハードsfチックよりにかんがえず。仮面ライダーの怪人のようにガバガバな演出のザルさゆえの神出鬼没さそれがきわまったとかんがえたほうがおもしろいしこわい。ただ。飲料水生活水にまぎれた病原菌による鮫の幻覚をともなう感染症映画としてみると。それもこわい。それよりも凶事の兆候の青白い光をチェレンコフ光とみるほうがもっとこわいかも。タイムリーだし。

2023年9月12日火曜日

武蔵野夫人

ヴェンダース小津の東宝作品がよかったのでゴダール溝口の東宝作品ということで期待してみてみる。撮影はゴジラ浮雲の玉井正夫だ。いわゆる白樺林をセレブが散策するジャンル映画としての高原映画。地平線のむこう東京への爆撃がゴジラチックな特撮。婦女子に配給される青酸カリ。防空壕ほってたらでてくる人骨。いやがる婆にうれしそうに手にしてちかづく爺。婆即死。墓場で爺遺言即葬儀シーン。ギャグかとおもうぐらいまがまがしい。爺葬儀中の空襲警報でいきなり戦後にタイムスリップ。謎の復員兵帰還でまきおこる犬神近親相姦異常性愛相続ミステリー。季節がいつも夏なのは地球によくにたパラレルワールド武蔵野パークをえがいたタルコフスキーチックな田園sfだから。音楽も映画音楽というより遊園地や行楽地でながれる宣伝音のような過剰さで武蔵野ふくめ戦後のすべてがテーマパークで作り物。といわんばかり。田中絹代がウエストワールドのユルブリンナーみたいなロボット感でまさに武蔵野夫人その電池がきれたかのようなこときれかた。武蔵野パークの創立者先代進藤英太郎博士によって建造された乙女ロボットが武蔵野パークから一歩もでないで武蔵野パークをけなげに一人まもりぬく。なかなかせつない。で本作もしかしたら赤線地帯にまさるともおとらずの自分大切な心のわすられぬ作品になるかも。風と共に去りぬ級だ。田中絹代はロボットみたいだが同時に少女のようでもある。とんでもない名演だ。戦災でやけだされ千と千尋な奉公にだされた孤児のようにえんじている。武蔵野が東京の下町のようなストリートにみえる。それも洋画っぽくニューヨークのコニーアイランドばり。

2023年9月9日土曜日

ヒエロニムスの下僕

ヒエロニムスの下僕。ウルトラqダークファンタジー。ずばり本作筆者的に下水道映画の大傑作とさせていただく。男がハンカチを液化されたさい。手の平の一部も液化されたのか。いたそうだった。ヒエロニムスマシーンの作動音はまるで排水口がたてるあのゴボゴボいう不快音そのもので下水道映画マニアとしてはたいそう心地よく興味ぶかかった。本作。そんなウルトラqダークファンタジーのなかの一本。さかのぼりウルトラq2020年の挑戦での人間消失だが。あれは素粒子化して異次元にとびさったわけではない。一瞬のうちに液体人間化しそうみえるだけ。水たまりに足をかけた瞬間きえているようだがそうではない。水たまりと同化してしまったのだ。冒頭に謎のスライムが登場しそれに接触して人がきえているのをおもいだしてほしい。あれはまさに映画美女と液体人間そのもの。さらに。しらべると。スタッフも意識して意図的に映画の設定をテレビにもちこんだとかかれている。ということで以上をふまえての本作の解説である。ぜひよんでふまえてほしい。本作はそれでその不気味さこわさが二倍ましになるのだから。かさねがさね本作筆者的に下水道映画の大傑作とさせていただく。脚本の高橋洋はやはりリングという下水道映画をものにしている。レンタルビデオ屋の床下に古井戸があってそこにはやはり恐怖の液体人間貞子がひそんでいた。そんな映画だ。下水道世界なるものを可視化したラストカットの冒険も見事な本作ヒエロニムスの下僕だが液体人間は井戸地下水道下水道がその棲息域だ。液体ということで液晶画面のなかにもはいりこむことさえできる。インクや現像液にまぎれポスターや写真にもはいりこむことさえできる。一種の二次元人でもある。リングも本作もテレビやビデオのなかに人がとじこめられる。それはほんとうに気もちわるいイメージだ。かくして。液体人間たちはいつもはくらくふかい魂のダークサイドをおもわせる下水道世界のなかで悶々としているのだが。雨ふりの夜など窓にべっとりはりついたり。液晶画面から液晶画面をわたりあるいたり。して。液にふれたものをやはり液体人間にしてしまう。謎を謎のまま。にして。

オトノホシ

ガラモンは名前ではない。ガラダマに積まれたモンスターだからガラダマモンスターその略。ガラダマの飛来は侵略ではない。原子炉そのものの不法投棄である。セミ人間は清掃局員もしくは演歌ずきなダンプの運ちゃんつまり底辺労働者。廃棄場に派遣されガラモンを誘導。エイリアンのゴミ運搬宇宙船員って設定もたいがいに底辺だったが。ガラダマのガラはガラクタのガラでゴミアクタの意味もある。もはや侵略以上の始末の悪さか。ガラモンはロボットである。それも大きさすらまちまちな三流大量生産品。なぜならガラモンそのものが移動可能な原子力発電所だから。手や足の装甲は剥がれやすく使い終わったら使い終わったで厄介な旧式の原子炉。それを廃棄物用コンテナであるガラダマに乗っけて宇宙の果てから地球に向けて奴ら片っ端から廃棄しているのだ。ついでにゴミにICチップタグを付けるように電子頭脳の小型のガラダマまでおまけして。しかしそんなエコロジーな文明批評や詳細説明は表立ててやったんでは効果半減。ヘドラがそう。説明し過ぎ。そういうのは背景におしとどめてこそ真の文明批判なのだ。その点ウルトラqはすばらしかった。ゴジラ第一作もそうだし怪奇大作戦もそう。だからガラモンが動く廃原子炉であり制御不能で口からメルトダウンするとかという設定よりもいったん電波を遮断されるとふたたび電波を流してももう二度と作動しない点。つまり電波は墓場つまりゴミ捨て場所定位置への一度きりの誘導電波にほかならないという何かひどく無常感漂うあのラストそう文楽とか能とか今回のラストタンゴっぽい設定演出編曲の方が世紀を越えて残る古典においては何倍も重要なのだ。

2023年9月8日金曜日

007ゴールドフィンガー

スパイ映画と探偵映画のちがいはどんなところだろうか。事件へのとっかかり。か。探偵映画はあやしい美人の依頼人が事務所をおとずれ。スパイ映画はハイテクなツールで連絡がはいり探偵映画のようにむこうからではなくこちらから秘密基地めいた場所を訪問しこうるさい上司から詳細をきく。ところから物語がはじまる。第一作第二作でのボンドはどこか探偵めいていた。おかげでしっかりハードボイルドしてた。しかし本作のボンドはかかわる女という女がしんでゆくしハードボイルドというよりどこかボーヨーとしてて人間失格な太宰治みたい。つまりいきた人間感がなくその不死身さもどこか幽霊っぽいということ。そこが本作の。いや本シリーズの自分としては最大の魅力。逆に悪役が人間くさい。ブレードランナー味といえばよいのか。そんな傾向はいよいよ定着していくが本作が一番あやしくて怪作なシリーズ第三作。

2023年9月7日木曜日

フェイクプラスティックプラネット2019⁠

実は死んでいた系ジャンル。ディストピア奇妙な界隈の場末のネカフェには女の幽霊がいる。幽霊だから自分がいきているのかしんでいるのかわからない。こんな設定だとやりようによっては幽霊が自分の死因をさぐる幽霊探偵。クローンかサイボーグか異形の自分をうんだ組織をつきとめ復讐するSFアクション。解決しない不条理アートムービー。つまりミステリー調SF調アート調イロイロ料理することもできる。そんなことをおもいながらみはじめた。結果どれでもありでどれでもなかった。ホラー映画というよりもエクソシストタイプのオカルト映画だった。タクシードライバーのようにブルーススプリングスティーンなニューヨークダウンタウンストリートロッキンなあついテイストがいい。ラストの唐突な成仏も。炊き出しとかの場で上映されてそうなカソリック教会勧誘宗教映画。主人公の子の演技はもうちょっとだが親友で茶髪の子がよかった。明日の科捜研の女はこの監督の組らしい。

2023年9月6日水曜日

ゾンビの誕生ナイトオブザリビングデッド1968

正に仁義なき戦いのような集団抗争劇。立て籠った家はまるで都市のように広い。広く感じる。こういうパノラマ表現がロメロはホントうまい。恐怖と謎に満ちた二階。二界か。女の独り暮らし。だったのか。ノーマンベイツの母親か。そして地下室の地下グループのその唐突な見事な登場の仕方など続猿の惑星などは勉強すべき点が。拠点は本部は一階か地下室か。のディスカッションも素晴らしい。クライマックスははからずもの二階と一階のチームプレーで一瞬だが無敵要塞のおもむきに。ラストでの地下室の使い方そのスケール感。正に教科書というか密室ゾンビ劇の原点にして聖典。