2018年6月18日月曜日

侵略する死者たち

本作ウルトラセブン侵略する死者たちには細部に非常に不気味な点がいくつかある。意図されたかは不明。謎の爆発が世界で頻発している。とされている。病院がでてくるがなにやらすごく業務が煩雑で混乱している。ぬすまれたデーターの転送先とされるk地区。あたりは草ぼうぼうで廃墟が点在しているような広大な無人地帯。これはあのタルコフスキーのストーカーにでてくるゾーンそのもの。その出自さえもたぶんおなじ。これらを総合すると安全なのは防衛軍基地内およびその周辺だけで。どうやら巷はパンデミックかなにかで。世界はほぼほろんでしまっているようなのだ。まさにストーカーやイレイザーヘッドの世界。だとすると劇中。世界の防衛軍基地の機密とかなんとかいっているがその実。残存人類のシェルターの所在およびそのセキュリティーシステムの詳細が明記されているものなのかもしれない。となるとシステムを攻略されること即人類破滅完全滅亡を意味しているわけで本作の最重要機密事項その移送は人類史上最大のミッションとさえいえることになる。ポーの小説赤死病の仮面にでてくる巨大な黒柱時計。2001年のモノリスっぽいと同時に。サイバー最終戦争後のメインフレーム中央サーバーコンピューターっぽく。インターネットによる世界支配を象徴しているもののようにおもわれる。城の内部の描写。退廃したエリートな住人もなにやら独裁コンピューターのサーバー施設とそこのスタッフのよう。そうおもえなくもない。時をつげる時だけまじめに仕事をする。時をつげることが。=起動作動およびプログラム発動のような意味をふくんでいたりしそう。パンデミックをさけ要塞にたてこもり残存する人類。その王もなにやら不気味なaiめいて人間にみえない。要塞化したその城の描写はまさにバイオ攻撃はもちろんのことサイバー攻撃からのセキュリティーシステムのありかた。および高度監視社会そのものの象徴のようでさえある。さてものものしすぎる本作における地下金庫へのマイクロフィルム移送ミッション格納シーンなのだが。どうやら赤死病の仮面冒頭のものものしさとおなじたぐいで地下巨大コンピューターへのハードディスクからのデーター転送その象徴的儀式的前時代的描写と筆者かんがえたがどうだろう。マナベ参謀が王で。地下金庫は独裁コンピューター本体。王は独裁コンピューターにつかえる者でしかない。シャドーマンはまさにそれを攻略せんとおくりこまれた諜報工作員。その超進化最終形態。バイオ+サイバーかねそなえたような存在で。もはや人間ですらない。本作の中。そんなとんでもない事態がおこっているのではないだろうか。まさに赤死病の仮面にでてくる仮面の男それが複数形で敵から外部からおくりこまれてきたようなものなのだ。これはたまったものではない。 金城哲夫円谷一コンビはウルトラqにおいてポーのアッシャー家の崩壊をモチーフとしたクモ男爵をとっている。その金城円谷ラインの上原正三円谷一コンビでとられた本作がやはりポーの翻案で赤死病の仮面がすわ。モチーフとされていたとしてもなんらおかしくない。

2018年6月16日土曜日

怪談・壁からでる幽霊

犯人のバタくさく同時にどこかマリオネット的なロボット的なラリっているようなえがきかたが魅力。企業管理社会のダークサイドにおちた男の変容と破滅の物語。演出脚本の妙がひかる。アバンタイトルのオープニングまでがながい。10分ちかくある。しんだ被害者の死体を背おうのではなく足をもちさかさにしてモノとしてはこぶところ。など。とにかくこの犯人ウデっぷしのつよさはフランケンシュタインばりでその人間ばなれしたところがもはや悪党をこえてしまっておりにくいどころかバケモノ的哀愁すらかもしだしている。だからか魅力的なダークヒーローにもみえどこか爽快ですらある。黒猫につけられた顔の傷でさらに犯行かさねるところなど。神出鬼没のワープ黒猫の不気味さと対になっててフランケンシュタイン対黒猫というタイトルでもつけたいくらいだ。ザ・ガードマンという普通の大人のドラマとしてみればたしかに怪作だがガキムケの特撮モノとしてみればきわめて正統的な大映ブランドのバケネコ怪談映画となっている点はどこか次元がねじれ変でおもしろい。たぶんそれは硬質なカラーフィルム撮影の画質とサイケなカメラワークによるところがおおきく。それがほどよく劣化しているからか。それになんといってもあのレトロかっこいいザ・ガードマンのエレキインストのテーマ曲。特にエンディングでのスローめのサイケアレンジ。一種の。あの時代。ベトナム戦争当時の空気感。そのドラッグフィルムなニューロックさ。がある。同監督の吸血鬼ゴケミドロはまさにその意識的具現。ニューロックとベトナムとホラー。の合体。そりゃタランティーノもリスペクトする。余談だが。コッポラの地獄の黙示録は合体をあとおいでこころみようとしたモノ。しかし音楽のつかいかたでキューブリックのフルメタルジャケットにまけている。キューブリックのロックな暗黒音楽センスはとにかくすごやば。

2018年6月15日金曜日

解散無用

のっけからハードな。そうハードというしかない。ハードボイルドすらこえている。ただハードというしかない。ゴッドファーザーや仁義なき戦いのような実録集団抗争劇のようでもあるがさらにもっとふかい暗黒さがたちこめている。そしてその暗黒さはドラマがすすむにつれシリアスな破天荒さに。しいていうならゴッドファーザーパート3や仁義の墓場のようなそのてのもののシリーズ最終作番外作そしてついに極北にいたる。とそんなかんじか。たしかに主水の仕置シーンにはそうとうなカタルシスがある。つきさしたまま串ざし状態にして手もつかわずえぐるようにして木戸のなかにたたきこむなんてあまりみないほどのバイオレンスさだ。しかしそれでもまだちょっと暴力的な時代劇でほかにだってあるといえばいえる。そうなのだそれよりなにより本作を最高傑作たらしめているのは巳代松と鉄がもはやホラーやsfに登場するような人外なものになってしまっているところ。それも筋のとおった。大人な。旧必殺仕置人シリーズがワルがワルをしまつするテーマだったとしたら本シリーズ新必殺仕置人は本作において人外のバケモノがワルをしまつするそんなところにまでたっしている。子供むけの妖怪的バケモノではない大人の鑑賞にたえうるバケモノ。初作のゴジラのような。巳代松役の中村嘉葎雄はほぼ全編セリフがない。そうとうの登場場面がありながら拷問演技でつらぬきとおす。これはふつうのドラマでかんがえるとたしかに特殊で前衛的とすらいえる。たとえば岸田森がまったくの無セリフでとおしたファイヤーマン地球はロボットの墓場そんなかんじ。そして大八車での異形の仕置はもはや仕置ロボである。子連れ狼の乳母車の装甲車化戦車化に匹敵。つづく鉄だが。手を炎にくべられ放置されしんでいてもおかしくない状態。にげこんできた辰蔵の前にあらわれた鉄はもはやゾンビといってよい。いやゾンビよりこわい。なぜならその演出が手首のオバケそれも黒こげのそんな怪奇映画そのものな演出だからだ。そこにはもはや主水の仕置のようなカタルシスはない。先の巳代松の仕置ロボットによる仕置それと同等の特撮的おもしろさがまさっている。それはいかにも前衛的世界すらこえた虚無的世界。特撮地獄におちいった筆者みずからを自己批判させるチカラすらもっている。おもしろがってばかりでよいのかと無慈悲にもとうてくるのだ。生きるとは。悪とは。それはそのあとの主水の日常シーンで頂点にたっする。そうここでの主水はただたんに賄賂な悪徳役人ではすまないスゴミがただよっている。そうそれはもはや狂人のおもむきなのであった。ある意味必殺シリーズはここに終焉をつげたといってよい。主水の死ならぬ。発狂。で。

2018年6月8日金曜日

吸血地獄

あの吸血鬼メイクはあくまでも手段であり達成でもなんでもない。光学処理され音をつけられはじめて意味をなす類のもの。だからメイクだけを静止画として無断引用しやれやりすぎだとかはまったくもってナンセンス。特定のブログを攻撃しているわけではないのであしからず。事実まず最初の登場からして稲光とのセットでその幻想効果が最大限に発揮されるよう設計されていた。鏡の前や砂浜での二重露光には無声映画的ノスタルジーさえある。ホテルがなぜあんなにローキーなのかにしてもあのメイクをバロック的グランギニョールとして最大限にホラーばえさせる意図やはり高度な映像設計の一環。あとたかい崖のうえでのロングショットも偶然にうつりこんだ感のサブリミナルな心霊写真的効果をねらってのもの。本作はあくまでも薬物による吸血鬼幻想であり吸血地獄にみたてての売血制度告発そうビデオドラッグバッドトリップムービーと大島渚な観念ドキュメンタリーの合体それこそが本作の正体。本作に内容なんかない。イリュージョンとメッセージの奔流もはやドラマのていすらなしていない。かろうじてあるとするならば無軌道な若者の自堕落な青春そのあげくの自滅ただそれだけ。ウルトラファイトの怪獣のように男女がちちくりあってわかい男ふたり牧と野村がじゃれあっているだけ。吸血鬼なんかでてくるわけがない。しかしだからこそ怪奇大作戦随一の特撮効果メインでみせきる超力技の超特別編となっている。筆者は印象だけでひっぱるという点で本作を京都買いますと双璧にみている。金城円谷の名コンビその貫禄なくしてはけっしてなしえなかった佐々木実相寺の華麗さをうけての真逆の作風でいどんだまさに黒びかりする一本。佐々木実相寺はビビったとおもう。ラストクレジットのタイトルバック映像なんか特にそう。そのレトロだが重厚なスタイリッシュさを筆者はおおいに支持したい。金城円谷コンビはとっくにウルトラqで特撮の究極をなしておりウルトラマンからはほかの演出脚本をひきはなしすでに第二期ウルトラシリーズのさきがけとなるようなこころみを開始していた。ましてやコンビ最終作である本作にいたってはもうはるかかなたの余人の理解をこえた次元にたっしている。

2018年6月5日火曜日

かまいたち

前におなじ怪奇大作戦の吸血地獄が全編幻覚のドラッグフィルムだとだんじた筆者だが本作もそんなかんじがしてならない。野村がさんざんなめにあうところといい牧がその狂気の部分をあらわにする回そんな意味からしても同様なかんじがしてならないのだ。だとすると吸血地獄同様ほりさげればほりさげるほど堂々めぐりになってぬけられなくなってしまいそうな本作。筆者にとっては相当に危険な問題作そのうたがいはどうやらかなりの確率で濃厚なようだ。吸血地獄においても一部まるで日活ロマンポルノをおもわせるような皮膚感覚レベルでの淫靡さそんなものをかんじさせるシーンが散見されていたのだが。こと本作にいたってはほとんどもう四畳半同棲映画そのものなトーン。ロケーションにさえなってしまっている。これが三沢メインだと青い血の女のようなフィルムノワールになり牧メインだとおなじ夜と鬱でもこう。そこがまたよくもあったりするのだが。なにがいいたいのかというとポルノとドラッグフィルム。両者ともに物語以前にトリップ用の実用品としてこの両者は共通しているのではないだろうかということをいいたいのである。ホラーにもそんな実用品的なところがたぶんにある。そう日常への視神経からのプチスリルの注入だ。だからホラーついつくるほうもみるほうも意図せずよこすべりし足をすくわれがちなのではないだろうか。つまり本作や吸血地獄そのほかもろもろの諸作品をまえにしてホラーとしてみた場合かなり逸脱や破綻がめだってしまうようならいっそ意図的にドラッグフィルムとしてみてしまおうと。とまぁそんなところである。犯罪逃走映画を下水道映画としてみる。それとおなじようなものである。タイトルクレジットの下水ながれこむドブ川にひっかかったバラバラ死体の腕。見事なまでに下水道な汚濁感。つづく死体検分シーンにしてもその立地なにやら下水道内の正体不明な地下にしかおもえず。おちる水滴の反響音さえきこえる。犯行自体が橋の上でしかおこなわれないのは真空切断機の設置とか効力の事情によるものだろうがバキュームカーのようなその切断機のフォルムはとにかくグロい。いずれにしてもつねにドブ川を背景に凶行がおこなわれるという点ではやはり下水道をつよく意識せざるをえない。鑑識が川底をさらうシーンはひとつのハイライトにもなっている。また現場に去来する野次馬全員を個々にうつしてその写真の束を夜どおし床にひろげて検分するシーンがあるが。これにしてもなにやら全然sri本部内とは到底みえず地下の巨大空間でおこなわれているような印象それにつづく暗室シーンにしてもだ。とにかくいろんな角度でアンダーワールド。地下とか下水道とかのキーワードがぬぐえない。そんな本作なのである。とどめは半地下のようなくらい喫茶店でのアロワナショーである。もうこうなっては下水道の巨大ワニである。なにもかも下水道下水道である。下水道はなにも垂直方向にばかり底がぬけているのではない。なんと牧の暗黒推理は犯人のはたらく町工場の裏庭が犯行現場へと水平方向に底がぬけてしまっていることをみぬいてしまう。そう町工場は。町は。すべては。象徴地下世界の最暗黒ターミナルに存在していたのだ。都市の地下をあみのめのような下水道をつたいいたるところのマンホールから神出鬼没する殺人鬼そんな恐怖をまたべつの暗黒絶対恐怖として宇宙的にえがいた。そんな下水道映画の傑作それが本作だ。本作とおなじ上原脚本にもうひとつおよそ清浄とはいえない横須賀の海や河川で暗躍する水棲人間をえがいた24年目の復讐があるがあれもやはり暗黒下水道映画といえる。被害者をまっくろな水の中にまっくろな男がひきずりこむ過程をタールの海にねっとりとえがいたそのタイトルクレジットそのなんとその暗黒なことよ。

2018年6月4日月曜日

ウルトラ兄弟永遠の誓い

ふやけた造形なのでそうでもないがセブンガーがもしキングジョーみたいだったら本作がある意味ウルトラの星の超重要ミッション回だとしっかりつたわったとおもう。戦闘ロボ輸送作戦にはちがいないのだから。たしかに郷の顔面拘束と前半のシリアスさはそれっぽさをつたえてはいる。そして後半のレオ帰ってきたウルトラマンの謎の月蝕コラボ技もまぁよしとしよう。それよりなによりすごく好感がもてたのはマックの宇宙ステーションの内装だ。当時はザットもそうだったが装備のデザインがとにかくダサいとかんじた。しかしよくかんがえるとマックの宇宙ステーションはある種の巨大戦艦なわけでそれに基地ひとつぶんの戦力が一極集中されているわけだ。とかんがえればゴチャゴチャのわけのわからないこのuボートな混沌とした内装そしてその閉塞感は戦闘の極限状況さをつたえるのにはひどくやくだっているのではないだろうか。のちに全滅することまでかんがえればますますである。たしかにマットもハードな軍隊だったがレオのマックはもう悲壮感マックスでレオの物語ってじつはマックがメインのダンが主人公のそういう物語だったとしてみるのも一興かと。

2018年6月1日金曜日

くたびれ損の骨もうけ

背景に河川の護岸コンクリートがひろがっているどこか近未来な光景しかしカメラをひくとうつりこむのはゴミの山やっぱり終末未来だった。ということでここはすでに土手下の川の敷地で河川敷もしくはひからびた川の底のなれのはてなのだろうか。もしくはあのターミネーター2にでてきたような蓋のない巨大な下水溝か。いずれにしても怪獣達は河原者の被差別民族である。その証拠に彼等この川の底のなれのはてのさらに底を日々ほりおこしてしのいでいる。それどころか争奪戦までえんじている。本作を最下層大暗黒下水道映画といわずしてなんとしよう。それにしてもウルトラファイト。怪獣への愛と哀愁がみちあふれている。セブンも怪獣の一匹としてえがかれているのが超好印象。